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2018.04.27

時空を超えたソデ不倫

あたしは中学生の時まで、「袖すりあうも他生の縁」のことを「袖すりあうも『多少』の縁」だと勘違いしてて、「道ですれ違っただけの人でも多少は縁があるものだ」という意味だと思い込んでいた。この勘違いって、あたしだけじゃなくて、けっこういるんじゃないかと思う。このことわざの正しい意味は、「人と人との関係には深い因縁があり、人間は何度も輪廻転生して生まれ変わるものだから、今の世で、道ですれ違っただけの相手でも、前世ではあなたと結ばれていた相手かもしれないのだ」という、今どきで言えば、大ヒットしたアニメ映画『君の名は。』みたいな意味なのだ。あたしは観てないけど。

で、「何度も生まれ変わる」ということだから、ホントは「他生」じゃなくて「多生」が正しい。「袖すりあうも他生の縁」じゃなくて「袖すりあうも多生の縁」、これが正解だ。だけど、現在は「他生」という表記のほうが多く使われていて、これでも「現世ではない別の世」という意味になるから、こちらの表記でも許容されるようになったそうだ。だから、さすがに「多少」は間違いだけど、「他生」でも「多生」でも現在はOKになったみたいだ。

そして、「多少」じゃなくて「他生」か「多生」だったということを知った中学生のあたしは、すぐに高校生になり、今度は「袖すりあうも」の他に、「袖ふりあうも」とか「袖ふれあうも」とかのバージョンもあるということを知った。これらは間違いということじゃなくて、どれも正しいんだけど、その中で「袖すりあうも」のバージョンがメジャーになった、ということなのだ。これ、知ってた?「多少」が間違いだということはワリと知られてるけど、「袖すりあうも」の部分に複数のバージョンがあったということまでは、あんまり知られてなかったと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、「袖すりあうも」の部分の意味としては、どのバージョンも同じで、「道ですれ違って、お互いの着物の袖がふれあっただけの他人でも、前世などの別の世では深い因縁のあった人なのだ」というような意味だと言われてる。だけど、ここで、あたしが疑問に思ったのが、その表記だった。「袖すりあうも」は「擦りあうも」だから、「こすれあう」ということで問題はない。また、「袖ふれあうも」も、漢字で「触れあうも」と書くのなら、意味としてはおんなじだ。だけど、「袖ふれあうも」も「袖ふりあうも」も、多くのことわざ辞典や故事辞典などには、「振りあうも」「振れあうも」と表記されていたのだ。

「こすれあう」という意味なら、普通は「触りあうも」「触れあうも」と表記するはずなのに、「振る」という漢字を使われると、イメージがぜんぜん違ってくる。「袖振りあうも他生の縁」だと、道ですれ違った2人の様子じゃなくて、少し離れた場所にいる2人が、お互いに袖を振りあってるように思えるからだ。そして、ここであたしが「ハッ!」と思い出したのが、『万葉集』だった。『万葉集』には、袖を振る歌がたくさん出てくるからだ。


茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王

石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか 柿本人麻呂

あきづ羽の袖振る妹を玉櫛笥奥に思ふを見たまへ我が君 湯原王


書き出してるとキリがないから、紹介するのはこの3首だけにしたけど、これらの歌の「君」や「妹(いも)」は恋人のことだ。女性が恋する男性を呼ぶ時は「君」、男性が恋する女性を呼ぶ時は「妹」を使う。だから、詠み人の名前が伏せられていても、1首目は女性が詠んだ歌、2首目と3首目は男性が詠んだ歌だと分かる。そして、ここに挙げなかった『万葉集』の他の「袖を振る」歌も、その大半が「君」や「妹」に対して袖を振っている。つまり、万葉の時代に「袖を振る」のは、友達同士が別れ際に「バイバ~イ!」ってやってるワケじゃなくて、愛する人への愛情表現だったり、その思いを伝えようとする仕草だったということだ。そして、これが、双方が袖を振っている「袖振りあう」になれば、相思相愛ということになる。

女性が袖を振るなら「お振袖」が一番だと思うけど、残念なことに、万葉の時代には「お振袖」はなかった。当時は、スサノオノミコトとかヒミコとかのイラストで見たことがあるようなフレーバーの着物が一般的で、袖は幅の広い「筒袖(つつそで)」だった。文章で説明するのは難しいけど、袖口へ行くほど幅が広がっているパンタロンみたいな袖で、指先よりも長くてヒラヒラとしてた。だから、日常生活には不向きだったと思うけど、この時代は「袖を振る」ということが、愛する人への愛情表現だけじゃなくて、何かの儀式で神様を祀ったり、何かの御霊を鎮めたりと、いろんなことに使われていたため、手よりも長いヒラヒラした袖が必要だったのだ。


‥‥そんなワケで、万葉の時代には、愛する人への愛情表現と言っても、ルパン三世が「フジコちゃ~ん!愛してるよ~!」なんていう軽いノリじゃなかった。袖を振ることによって、自分の思いを相手に伝えるだけじゃなくて、相手の魂を自分のほうに引き寄せるという呪術的な意味もあったのだ。好きな相手の気持ちを引き寄せるために、オマジナイだの何だのにハマッちゃうのは、いつの時代も男性より女性のほうが多いと思うけど、愛する人と結ばれるためなら、ヤモリを煮込んだスープまで飲んじゃったりする女性もいる。さっき紹介した最初の歌を詠んだ額田王(ぬかたのおおきみ)も、万葉を代表する女流歌人でありながら、恋人のためならヤモリのスープも飲んじゃいそうなイキオイの女性だったから、他の男性陣の歌よりも、遥かに思いが深くて、ある意味、恐くなってくるほどだ。さっき紹介した有名な歌を、ちょっと詳しく解説してみると、こんな感じになる。


茜(あかね)さす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る 額田王


最初の「茜さす」というのは、実際に夕日が差してたワケじゃなくて、「紫」に掛かる枕詞(まくらことば)だ。現代の紫は、今、皆さんが頭に思い浮かべた紫色だけど、万葉の時代の「古代紫」は、今よりも赤っぽかった。それで、「紫」という色を一段と際立たせる手法として、「茜さす」という枕詞を使うのが定番だったのだ。それから、「紫野」というのは、「紫草が咲きほこっている野」のことなので、この歌の「茜さす紫野」は、単なる「紫野」よりもずっと美しい景色ということになる。

そして、「標野」というのは、天皇などの偉い人が「標(しめ)した地域」ということで、ようするに、一般人の立ち入りを禁止した御料地ということだ。当時、紫は最も位の高い人にだけに許された特別な色だったから、その紫色の原料となる紫草の野は、ほとんどが偉い人たちの御料地とされていた。そして、額田王は天智天皇の妻だから、この歌の「標野」は「天智天皇の御料地」ということになる。

それから、「野守(のもり)」というのは、ヤモリでもイモリでもタモリでもなく、その御料地に一般人が立ち入らないように見張りをしている人のことだ。だから、この歌を直訳すると、「美しい紫草が咲きほこっている天智天皇の御料地を行ったり来たりしながら、あなたは私に袖を振ってくれていますが、野の見張り番に見つかってしまいますよ」という意味になる。

ここで問題なのは、この歌を詠んでいる額田王が、天智天皇の妻だということだ。天智天皇の御料地で、ダンナである天智天皇が妻である額田王に袖を振っていたのなら、見張り番に見つかっても何も問題はない。じゃあ、この袖を振っている男性が誰なのかというと、ナナナナナント!天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのみこ)、後の天武天皇だったのだ!仮にも天皇の妻が、その天皇の弟と不倫してただなんて、もしも現代だったら、確実に「週刊文春」の文春砲が炸裂してただろう!(笑)

だけど、この額田王という女性は、もともとは大海人皇子の恋人だったのだ。それで、額田王に横恋慕しちゃった兄貴の天智天皇が、弟の彼女を奪って結婚しちゃったのだ。だから、そもそもの原因は「弟の恋人を奪った天皇」のほうにある。さすがに、天皇からの求婚は断われないので、額田王は天智天皇の妻になったワケだけど、それでも元カレの大海人皇子のことが忘れられないし、大海人皇子だって額田王のことが忘れられない。それで、大海人皇子は、兄貴の留守にコッソリと兄貴の御料地にやって来て、元カノの額田王に袖を振りまくって「今でも愛してるよ~!」ってアピールしてたのだ。


‥‥そんなワケで、ここまでの流れを読むと、別れて何年経っても元カレや元カノを忘れられない一部の人たちにとっては、他人事と思えないかもしれないし、この2人にすごく共感しちゃうかもしれないだろう。でも、せっかくのそんな気分に水を差すようだけど、実は、この歌は、事実ではなく、額田王が宴会の席で余興で詠んだものだと言われてる。そして、この歌に対する、元カレの大海人皇子からの返歌が、次の歌なのだ。


紫の匂へる妹(いも)を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも 大海人皇子


現代語にすると、「紫草のようにかぐわしい君のことは、ちっとも憎いなんて思っていないよ。人妻になってしまった今でも、こんなに君のことを恋しく思っているんだよ」という意味になる。

このように、歌でやりとりしたものを「相聞歌(そうもんか)」と呼ぶんだけど、いくら事実でないとは言え、宴会の席でかつての恋人同士が顔を合わせた時に、彼女のほうから元カレに対して「今でも私のことを愛してるんでしょ?」的な歌を詠み、それに対して元カレのほうも「人妻になっても、まだ君を愛しているよ」的な返歌を贈るなんて、やっぱり、恋愛こそが人生を懸けた最大の娯楽だった万葉の時代だよね。あたしは、この相聞歌が大好きで、そこらの少女マンガよりも恋愛の質が上だと思ってる。

この歌に限らず、当時の『百人一首』にしたって、すべてが恋愛をテーマにした歌だもんね。だから、現代の恋人同士がスマホのLINEでハートマークのスタンプを送りあってるように、今から1400年も前の万葉の時代の恋人たちは、相手の顔も判別できないほど離れた場所で、お互いに一生懸命に袖を振りあっていたんだよね。それも、相手の魂を引き寄せるために袖を振っていたのだから、ある意味、現代よりも遥かにディープで、霊的な側面も持った呪術的な恋愛だったのだ。


‥‥そんなワケで、額田王の歌に出て来た御料地の見張り番の「野守(のもり)」、さっきは「ヤモリでもイモリでもタモリでもなく」って書いたけど、実際には「ヤモリ」とも読める。だから、コイツを捕まえて大鍋でグツグツと何時間も煮込めば、呪いのスープが出来て、これを飲めば兄貴から恋人を取り戻せるかもしれない‥‥なんてこた~ないけど‥‥って、これは「タモリ」だけど、「ヤモリ」「タモリ」と来れば、残りは「イモリ」というわけで、あたしは小学生の時に、水槽でイモリを飼ってたことがある。デパートの屋上の一角に、金魚とかを売っているコーナーがあって、どうしてもイモリが欲しかったあたしは、母さんにお願いして3匹買ってもらったのだ。

ヤモリは何匹かいたら区別がつかないけど、イモリ、正確には「アカハライモリ」と言うんだけど、このアカハライモリの場合は、お腹の赤と黒のマダラ模様が1匹ずつ違うから、ちゃんと見分けがつく。そして、そんなイモリだって恋愛をして、オスとメスとで愛し合うのは人間と同じだ。だけど、イモリの場合は、どんなに相手を好きになっても、着物を着てないから、相手の気を引くために袖を振ることができない。でも、イモリには、袖の代わりにシッポがある。

恋の季節になると、オスのイモリは水中でメスのイモリのお尻の匂いを嗅ぎ、そのメスが成熟してることを確認すると、メスの行く手を自分の首で塞いで動けないようにしてから、自分のシッポを水の中でユラユラと揺らして、メスの鼻先へと水を送る。この時、オスは、自分のお尻からメスを惹きつけるためのフェロモンを分泌して、そのフェロモンを水と一緒にメスの鼻先に送るんだけど、驚くべきことに、このフェロモンの名前が「sodefrin(ソデフリン)」と言うのだ。

これは、単なる偶然じゃなくて、1995年にこのフェロモンを発見した早稲田大学の菊山榮名誉教授が、先ほどの額田王と大海人皇子との相聞歌から「袖を振る」という万葉の時代の愛情表現を引用して名づけたものなのだ。だから、この菊山榮名誉教授の目には、メスを引き寄せるために必死にシッポを振るオスのイモリの姿が、紫草の咲きほこる野で、今でも愛する元カノに袖を振り続ける大海人皇子の姿とオーバーラップしたんだと思う。

そして、それから20年以上の年月が流れた昨年2017年の1月、日本獣医生命科学大学の中田友明講師、奈良県立医科大学の豊田ふみよ准教授、富山大学の松田恒平教授、帝京大学の中倉敬助教、東邦大学の蓮沼至講師らの共同研究によって、メスのイモリのほうも相手を惹きつけるフェロモンを分泌してたことが発見された。それも、メスのほうが先にフェロモンを分泌して、それを嗅いだオスが、そのフェロモンに刺激されて自分のフェロモンを相手の鼻先へ送ってたことが分かったのだ。つまり、最初にオスがメスのお尻の匂いを嗅いだ時に、成熟しているメスは自分のほうから先にフェロモンを出してたのだ。

このメスのフェロモンは、発見した中田友明講師らの研究チームによって、「imorin(アイモリン)」と名づけられた。アルファベット表記を見ると「イモリ」に「ン」を付けただけのように思えるけど、研究発表のレポートを見ると、次のように説明されている。


「このフェロモンに、アイモリン(imorin)と名付けました。古語でイモ(妹)は「恋人・妻」をさし、先頭にアを付したのは、英名にすると「i」がアイと発音されるためです。リンはソデフリン(sodefrin)のリンに由来します。」


‥‥そんなワケで、1995年にオスのイモリのフェロモンを発見して「ソデフリン」と名づけた早稲田大学の菊山榮名誉教授の命名センスに呼応して、中田友明講師らの研究チームは、まるで相聞歌のように、その22年後に発見したメスのイモリのフェロモンを「妹」にちなんで「アイモリン」と名づけたのだ。これで、紫草の咲きほこる野で、愛するかつての恋人に袖を振り続けていた大海人皇子に対して、ようやく額田王が応えたことになる。額田王は、大海人皇子の兄である天智天皇の妻だから、これは「不倫」ということになってしまうけど、今どきの「ゲス不倫」とは違って、1400年の時空を超えて、ようやく結ばれた美しき「ソデ不倫」の2人を、いったい誰が責めることができようか‥‥なんて思って、ちょっぴり感動した今日この頃なのだ♪


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