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2018.05.24

四季の七草

皆さんは、毎年1月7日に「七草粥(ななくさがゆ)」を食べてますか?‥‥なんて感じにスタートしてみたけど、あたしは七草粥が大好きなので、毎年1月7日には必ず食べているけど、普通の日でもタマに作って食べたりする。ただ、七草粥に入れる七草のうちの大半は、スーパーの野菜コーナーとかには並んでいない雑草みたいなもんだから、七草を揃えるのは大変だ。だから、あたしは、普通の日に七草粥が食べたくなった時には、近くの河原とか原っぱとかで2~3種類の雑草を摘んできて、それにダイコンやカブを加えた「四草粥」や「五草粥」でお茶を濁している。

でも、毎年、新年を迎えて、1月7日が近づくと、どこのスーパーでも「七草粥セット」が売り出されるから、そんなに苦労しなくても、ちゃんと7種類の草が入った「七草粥」を作って食べることができる。新年4日ころにスーパーで売り出される「七草粥セット」は、小さなカゴに7種類の草が盛られている生(なま)のタイプと、7種の草が細かく刻まれた上にフリーズドライになっているタイプのものがある。前者は500円前後もして高いけど、後者も350円くらいして高い。だから、あたしは、バカバカしいから買わない。

だけど、1月7日が過ぎると一気に需要がなくなるから、半額以下で割引ワゴンに山積みになる。そこで、あたしは、100円から150円くらいに値下げされたフリーズドライの「七草粥セット」を何個か買ってくる。カップ麺の中に入っている具の小袋みたいな感じだけど、お鍋でお粥を炊いて、この小袋を1つか2つ入れて、仕上げにお塩をパラパラと振って味を整えれば、それだけで美味しい七草粥ができる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、中国では昔から新年の1月1日を「鶏の日」、2日を「犬の日」、3日を「猪(豚)の日」、4日を「羊の日」、5日を「牛の日」、6日を「馬の日」と決めていて、その日には、その動物を殺して食べないようにしてきた。そして、1月7日は「人の日」として、罪人の処刑などを行なわないようにして、七種類の野草を入れたお吸い物をいただく風習があった。「4つ足のものなら机と椅子の他は何でも食べてしまう」と言われている中国人なのに、おめでたいお正月だけは、ふだん食べている動物に敬意を表して、1日から6日まで「食べない日」を設け、7日には7種の野草のお吸い物をいただいていたのだ。

この中国の風習が、平安時代のころに日本にも伝えられ、日本でも1月7日の「人日(じんじつ)」に「七草粥」を食べるようになった。だけど、いろいろと古い文献などを調べてみると、平安時代に食べられていた「七草粥」は、今のものとは大違いで、「米、粟(あわ)、稗(ひえ)、黍(きび)、胡麻(ごま)、小豆(あずき)、皇子(みのこ)」という7種類の穀物や豆をお粥にしたもので、「七草粥」ではなく「七種粥」と書いて「ななくさがゆ」と呼んでいた。

「草」という文字が、食べられる植物も食べられない植物もすべて含んだ呼び名であるのに対して、「種」という文字は、食べられる植物だけを指す呼び名だ。今でも地名や人名などに残っている「千種(ちぐさ)」という言葉は、食べられる植物すべてを指す呼び名で、日本人が農耕民族であるからこそ生まれた感謝の言葉なのだ。だから、現在の春の七草である「芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏の座(ほとけのざ)、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)」のことも、「七草」でなく「七種」と書いても間違いじゃないし、この7種の植物を入れたお粥のことを「七種粥」と書いても間違いじゃない。

ちなみに、この7種を「春の七草」としたのは、南北朝時代から室町時代にかけての14世紀の公家で歌人の四辻善成(よつつじ よしなり)だと言われている。四辻善成が、室町幕府第二代将軍の足利義詮(あしかが よしあきら)の命によって執筆した『河海抄』(かかいしょう)という『源氏物語』の注釈全集の中で、この7種の植物を「七草」として挙げていて、それが後に「せりなずな 御形はこべら仏の座 すずなすずしろ これぞ七草」という五七五七七の和歌になり、一般にも広く知られるようになった。だから、日本の「七草粥」の歴史は千年以上もあるけど、現在と同じ「七草粥」が食べられるようになったのは、江戸時代のころからで、まだ300年ほどの歴史しかない。


‥‥そんなワケで、もともとは中国の新年の風習として、1月1日の「鶏の日」、2日の「犬の日」、3日の「猪(豚)の日」などと一緒に日本にも伝えられた1月7日の「人の日」の「七草粥」だけど、現代の日本では、1月1日のお元日にはお雑煮に鶏肉を入れる地域も多いし、さすがに犬は食べないけど、3日に豚肉を食べたり5日に牛肉を食べる人もたくさんいると思う。つまり、すべて一緒に日本に伝わってきた中国の風習なのに、「1月1日に鶏肉を食べてはいけない」とか「1月3日に豚肉を食べてはいけない」とか「1月5日に牛肉を食べてはいけない」という風習はぜんぜん根付かなかったのに、「1月7日に七草粥を食べる」という風習だけは根付き、その上、千年後の現代にまで受け継がれてきたことになる。

あたしの推測としては、ただ単に「風習」ということじゃなくて、お正月にご馳走を食べすぎて疲れた胃に、1月7日あたりの時期のお粥がやさしいから‥‥なんて一面もあるからだと思う。そして、冒頭のマクラにも書いたように、今ではスーパーなどで「七草粥セット」が売られているし、いつでも使える便利なフリーズドライの商品もあるから、手軽に作れるようになったことも一因だと思う。

日本人て「土用の丑の日にウナギを食べる」とか「冬至にカボチャを食べる」とかが好きだし、食べ物以外でも「端午の節句に菖蒲湯に浸かる」とか「冬至に柚子湯に浸かる」とかも好きだから、お正月にさんざんご馳走を食べて疲れた胃に対して、「胃を休める」という実用面だけでなく、「昔からの風習の行事を行なう」という伝統面としても、双方を満足させられる七草粥は、日本人のDNA的にツボなんだと思う。


‥‥そんなケで、中国では「朝粥(あさがゆ)」と言って、朝食にお粥を食べることがポピュラーで、街にも朝粥のお店がたくさんあって、毎朝、仕事場へ出勤する人たちが「朝マック」のような感覚でいろいろなトッピングのお粥を食べている。でも、日本では、お粥と言うと「病気をした時の食べ物」というイメージが強いから、朝食にパンよりご飯を選ぶ人でも、たいていは炊き立てのご飯とお味噌汁を食べていて、お粥を食べる人は少ない。そのため、こうした「人の日」などに家族でお粥を食べることが新鮮で、これも「七草粥」という伝統が今でも続いている理由のひとつなのかもしれない。

一方、秋の七草は、「七種」でなく「七草」、食べるのではなく鑑賞するものなので、言葉としては残っていても、実際に秋の七草を揃えて飾って鑑賞する人はほとんどいないだろう。でも、秋の七草である「萩(はぎ)、桔梗(ききょう)、葛(くず)、藤袴(ふじばかま)、女郎花(おみなえし)、尾花(おばな)、撫子(なでしこ)」は、どれも秋を代表する日本古来からの草花なので、春の七草と一緒にすらすらと言えるように覚えておくだけでなく、実際にどんな草花なのか、せめて画像くらいは確認しておいてほしい。

あたしは、幼稚園の時に、母さんが、お風呂の中で春の七草の歌と一緒に秋の七草の歌も五七五七七のリズムで教えてくれたので、「はぎ・ききょう/くず・ふじばかま/おみなえし/おばな・なでしこ/秋の七草」と、すぐに暗記した。だから、子どものころから普通に暗唱できた。あたしの母さんは和歌が大好きで、あたしは俳句が大好きだけど、そうしたこととは別に、日本に生まれた日本人の常識として、春の七草と秋の七草くらいは暗唱できないと恥ずかしいと思っている。


‥‥そんなワケで、もち米とアンコで作った同じ食べ物なのに、春のお彼岸の時には「ぼたもち」と呼び、秋のお彼岸の時には「おはぎ」と呼ぶのは、「ぼたもち」が「牡丹(ぼたん)餅」、「おはぎ」が「お萩」で、それぞれの季節のお花の名前から名づけられているからだ‥‥なんてウンチクも織り込みつつ、ここまでの「春の七草」と「秋の七草」はとてもメジャーなので、わざわざあたしが言うまでもなかっただろう。でも、次に取り上げる「夏の七草」は、よほどの七草マニアじゃないと知らないと思う。

夏の七草は、「葦(よし)、藺(い)、沢瀉(おもだか)、未草(ひつじぐさ)、蓮(はす)、河骨(こうほね)、鷺草(さぎそう)」の7種で、明治から昭和にかけて活躍した東京の華族で政治家の勧修寺経雄(かじゅうじ つねお)が詠んだ和歌、「涼しさは よし い おもだか ひつじぐさ はちす かわほね さぎそうの花」によるものだ。この歌の「はちす」は「蓮」のことだけど、渥美清さんの歌う『男はつらいよ』のテーマソングにも「ドブに落ちても根のある奴は~いつか蓮(はちす)の花と咲く~」と歌われているので、知っている人も多いと思う。

春の七草は「食べて春を感じる七草」で、秋の七草は「鑑賞して秋を感じる七草」だったけど、この夏の七草は、秋の七草と同じく「鑑賞する七草」だというだけでなく、「鑑賞することによって涼しさを感じる七草」だというワケだ、今、夏の草花と言うと、やっぱり代表的なのは向日葵(ひまわり)だと思うし、他にも朝顔(あさがお)などを思い浮かべると思うけど、当時はエアコンなどない時代だったから、鑑賞して涼しさを感じる草花として、この7種が選ばれたワケだ。

まあ、夏の七草が生まれたのは文明開化以降なので、春の七草や秋の七草のように長い歴史はないけど、それでも、知る人ぞ知る夏の七草なので、この勧修寺経雄の歌を暗記しておき、誰かが春の七草と夏の七草をすらすらと言ってドヤ顔をした時に、すぐさま、「夏の七草って知ってる?」と聞き、相手が答えられなければ、この夏の七草を聞かせてあげると、一気にヒーローになれることウケアイだ(笑)


‥‥そんなワケで、春の七草は食べる草花で、秋の七草は鑑賞する草花だけど、この夏の七草は、そのどちらもがある。今、紹介した夏の七草は鑑賞する草花だったけど、この歌が詠まれてから約40年後の1945年6月、戦時中の食料難に対応するため、日本学術振興会が野草の活用を考える委員会を作り、食べられる野草による夏の七草を発表したのだ。それが「藜(あかざ)、猪子槌(いのこづち)、莧(ひゆ)、滑莧(すべりひゆ)、白詰草(しろつめくさ)、姫女苑(ひめじょおん)、露草(つゆくさ)」の7種で、どの野草も、お浸し、お味噌汁の具、天ぷらなどにして食べることができる。

大ヒットしたアニメ映画『この世界の片隅に』を観た人なら、戦況が進むにつれて配給の食料が少なくなっていくため、主人公のすずさんが自分で摘んできた野草を混ぜて楽しそうにお料理しているシーンを思い出すと思うけど、中国の古い風習が伝わって生まれた春の七草と、戦時中の食料難を乗り切るために政府が無理に作り出した夏の七草は、同じ「食べる草花」でも、その背景や本質が大きく違っている。そして、平和憲法によって70年以上も戦争の起こらなかった現在の平和な日本、ザックリ言えば「戦後の日本」を、また「戦前の日本」に戻そうとする安倍政権の異常な空気感が漂ってくると、「戦時中の食料難を乗り切るための夏の七草」という過去の遺物が、急に現実味を帯びてくるのだ。

そんなこんなで、この流れでくると、やっぱり「冬の七草」も知りたくなっちゃうけど、残念ながら、ハッキリとした冬の七草は、現時点ではない。でも、その代わりに、日本には「冬至の七種(ななくさ)」がある。こちらは「七種」という文字を見れば分かるように、食べられる植物や、植物を原料とした食べ物が並んでいる。それが「南瓜(かぼちゃ)、蓮根(れんこん)、人参(にんじん)、銀杏(ぎんなん)、金柑(きんかん)、寒天(かんてん)、饂飩(うどん)」の7種だ。南瓜は「なんきん」とも読むし、饂飩は「うんどん」とも読むので、7種すべてに「ん」の字が2つ含まれることから、冬至の日にこれらの食べ物のどれかを食べると「運が二倍になる」と言われている。


‥‥そんなワケで、日本は四季のある国なので、食べる植物でも鑑賞する植物でも、春夏秋冬それぞれのものがあり、それぞれを楽しむことができる。現代では、農業の進歩や輸入によって、スーパーの野菜売り場には、一年中、同じ野菜が並んでいるけど、本来はそれぞれの野菜に旬があり、その時期に食べるのが一番美味しくて栄養もあった。一年中、ほとんどの野菜が手に入る今の世の中は、確かに便利にはなったけど、あたしは、便利と引き換えに大切なものを失っているような感覚にも捕らわれている。夏が旬のトマトやキュウリも、冬が旬のダイコンやハクサイも、今では何でも一年中売っていて、安い値段で買うことができる。もちろん、これは素晴らしいことだけど、その一方で、いつでも手に入ることによって、食べ物に対する有り難さや感謝の気持ちが薄れてしまったようにも思えるのだ。そして、だからこそ、あたしは、四季折々の言葉を大切にした俳句を愛しているのかもしれないし、毎年1月7日には「七草粥」をちゃんと作って、大地に感謝しながら母さんと食べているのかもしれないと思った今日この頃なのだ。


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2018.05.20

消えた紅ショウガの謎

どこの系列のスーパーマーケットでも、月曜日はお肉類が割引の日、火曜日はパン類が割引の日、水曜日は冷凍食品が半額の日、木曜日はお買い物ポイントが5倍の日、金曜日は100円セールの日‥‥みたいな感じで、曜日ごとのセールをやっている。だから、都市部に住んでいて、最寄り駅のこっち側にスーパーA、駅の反対側にスーパーB、ちょっと離れたとこにスーパーCがあるような恵まれた地域に住んでいる主婦なら、たいていは、A、B、C、3軒のポイントカードを持っていて、その日に自分の買いたいものが一番安く売られているスーパーへ行くだろう。

たとえば、月末の金曜日に「今日はお給料日だから今夜はすき焼きにしよう」と思った時、金曜日はスーパーAがお肉の割引の日、スーパーBがお豆腐やしらたきなどの割引の日、スーパーCがお野菜の100円均一セールの日だとしたら、たいていの主婦は、必死に自転車を漕いで3軒のスーパーを回り、スーパーAでオージービーフを買い、スーパーAで一番安い焼き豆腐とお特用しらたきを買い、スーパーCで白菜や長ネギや春菊などのお野菜を買うだろう。でも、これは、あくまでも都市部の恵まれた地域に住んでいる主婦の場合の話なのだ。こんなふうに自転車で回れる範囲の中に複数のスーパーがあれば、先に献立を決めておいて、それから「何をどこのスーパーで買う」という計画が立てられるからだ。

だけど、自転車で30分も掛かる場所に1軒だけしかスーパーがなくて、すべてそのスーパーで買うしかない場所に住んでいる多くの主婦の場合は、こうした方式が使えない。そもそも、周囲にライバル店のないスーパーの場合は、もともとの価格設定がそれなりに高いし、あんまり積極的に割引セールをやってないから、そんなスーパーですき焼きの材料をすべて揃えたりしたら、とんでもない金額になっちゃう。だから、先に献立を決めてから買い物に行くなんていう贅沢は許されない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、自転車で回れる範囲に1軒しかスーパーがない地域に住んでいる主婦の場合は、その日の夜の献立を決めるのは、スーパーに着いてからなのだ。まずは自宅の冷蔵庫の中に何が残っているか、どんな食材がどれくらい残っているかをメモに書き、それを持ってスーパーへ向かい、あとは、スーパーでその日に安くなっている食材を探して店内をウロウロして、安くなっている食材を見つけたら、それと自宅にあるお野菜などの食材を組み合わせて何が作れるかを脳内シミュレーションして、それから献立を決めるのだ。

ちなみに、あたしの場合は、まずは鮮魚コーナーへ行き、一番端っこの一番の上の棚の「粗(あら)コーナー」をチェキする。ここには、いろんなお魚をお刺身や切り身にした残りの粗がパックになっていて、すごく安く並んでいるからだ。たとえば、照り焼き用の宮崎県産の養殖ブリの切り身が1切200円だとしたら、そのブリのカマ(エラの根元の部分)とか骨やヒレが付いた身とかが、だいたい切り身の5倍くらいの量で250円とかになっているのだ。お鍋用の北海道産の銀ダラや秋ザケも、薄い切り身が1切200円以上なのに、このコーナーで粗を買えば、何倍もの量が200円から250円で買える。

粗だって、流水で血合いを丁寧に洗い流してから、一度、熱湯に通して、それから煮物やお鍋にすれば、意外と食べられる部分が多い上に、切り身より何倍も出汁が出るから、とっても美味しくいただけるのだ。こないだなんか、閉店の1時間くらい前に行ったら、ブリの粗がいっぱい入ったパックが2個、売れ残っていて、1個250円のものが「2個200円」になっていたので、あたしは飛びついて買ってきた。1パックが500グラム以上はあるから、粗とは言え、200円で1キロ以上のブリが買えたことになる。あたしは、カマ以外の部分はブリ大根にして、カマはタレに漬けておいて、翌日、照り焼きにした。どっちも最高に美味しくて、母さんも喜んでくれた。

ブリ大根は、大きなお鍋いっぱい作ったので、翌々日まで食べることができた。大根は、安売りで1本98円の時に買ってきたもので、4分の1くらいをお味噌汁に使った残りをぜんぶブリ大根に使ったんだけど、合計で300円ほどの食材で、母さんとあたしの3日ぶんの晩ごはんのおかずになった。もちろん、これだけじゃなくて、他にもおかずは用意したけど、大根の葉っぱと油揚げの千切りをゴマ油で炒めたものや、ピーラーで剥いた大根の皮を1センチ幅くらいに切って、同じように切ったニンジンの皮と合せて作ったキンピラなど、ほとんど材料費の掛かっていないものが大半なので、具だくさんのお味噌汁と炊き立てのご飯を付けても、1人あたり1食100円ほどだ。

一時期よりもお野菜が安くなったとは言え、種類によっては今でもお野菜の値段は不安定だ。「ピーマン 98円」という貼り紙を見て、「おおっ!」と思ってピーマンが4~5個入った袋を手に取ると、その袋には「158円」の値札が貼ってあり、貼り紙をよく見ると「ピーマン」と「98円」の間に小さな文字で「100g」と書いてあったりする。そして、あたしは、ガックリしてピーマンを棚に戻す。こんなことは日常チャーハンだ。

だから、他の食材でも当然だけど、お野菜で無駄を出さないことが節約生活のポイントになる。いつも29円のモヤシがセールで10円になっていたからといって、5袋も買ってきたら絶対に何袋かは無駄にしてしまう。モヤシは冷蔵庫に入れておいても3日くらいしか持たないからだ。だけど、シメジやエノキなどは、下の堅い部分を落して、バラバラにしてジプロックに入れて冷凍しておけば1カ月くらい持つし、ホウレンソウやコマツナなどの葉物野菜も、サッと熱湯をくぐらせてから、水分を絞ってラップに小分けにして冷凍しておけるので、これらのお野菜は、安売りしている時にまとめて買ってくる。

最近は、冬場には異常に高かった白菜が普通の値段に戻り、だいたい4分の1が98円で買えるようになったけど、それでも、あたしはメッタに買わない。あたしが白菜を買うのは、丸ごと1個が98円という目玉セールの時だけだ。丸ごとの白菜を買ってきたら、葉っぱを1枚ずつ、きれいに洗ってから水気を拭き取り、風通しのいい場所に並べて干しておく。あたしの場合は、「釣り具の上州屋」のセールで500円で買ってきた、お魚の干物を作るための三段式の「干物ネット」を使って白菜を干している。

白菜は、そのままお鍋に入れると水分が出すぎてお汁が薄くなっちゃうけど、こうして数日間、干してから使うと、甘味もアップするし、何倍も美味しくなるのだ。お味噌汁の具に使うにしても、中華の炒め物に使うにしても、干した白菜だと何倍も美味しくなる上、日持ちもするから、母さんと2人暮らしの我が家でも、丸ごと1個買ってきても無駄にならないのだ。お野菜の場合は、安くなっているかどうかだけでなく、冷凍しておけるかどうか、干して保存できるかどうか、こういう「日持ち」の点こそが重要なポイントなので、そういうものであれば、安くなっている時に多めに買ってきても無駄にならない。


‥‥そんなワケで、つい最近のこと、我が家の冷蔵庫の野菜室には、モヤシが1袋あった。10円セールの時に3袋買ってきたモヤシの最後の1袋で、この日までに食べないと無駄になりそうな感じだった。袋に印刷してある消費期限は前日までだったけど、あたしの場合、消費期限や賞味期限よりも、自分の目と鼻を信じているから、あたし的には「この日までなら余裕でOK、翌日でもギリギリOK」という感じに見えた。それから、野菜炒めやお味噌汁などに使って、3分の1くらい残っていたキャベツが、古新聞に包んであった。これも、断面が少しだけ変色し始めていたから、なるべく早く食べちゃわないと無駄になる。

そこで、あたしは、このモヤシとキャベツを有効利用するために、「今夜は焼きそばにしよう」と思いついた。焼きそばなら、いつものスーパーで、シマダヤとかマルちゃんとかの3食入りのやつが、いつでも98円なので、曜日に関係なく余裕で買うことができるからだ。それで、あたしは、原チャリでスーパーへ行き、まずは98円の焼きそばをカゴに入れた。それから、4本入りか5本入りのチクワで半額シールの貼ってあるものがないかチェキしたら、4本入りの100円のチクワが半額シールで50円になっていたので、これもカゴに入れた。そして、どうしても紅ショウガは欲しかったので、これは定価の100円のしかなかったけど、その国産紅ショウガをカゴに入れた。

あとは、せっかくスーパーに来たんだから、いつもの徘徊だ。あたしの場合、スーパーに行くと必ずチェキして、安くなっていたら必ず買う大好物が3つある。まずは、桃屋の「ザーサイ」、次に、フジッコの「昆布の佃煮」、そして、丸美屋の「味道楽」だ。桃屋の「ザーサイ」は、普通の瓶とお徳用の大瓶があるんだけど、あたしが買うのは普通サイズで、購入ラインは150円以下だ。たいていのスーパーは、通常で1瓶230~240円くらいで、安いスーパーでも198円とかなので、あたしは絶対に買わない。でも、スーパーに行くたびにチェキしていると、ごくタマに、1瓶148円とか、「ザーサイ」「やわらぎメンマ」「穂先メンマ」のどれでも2個で300円とかのセールをやっている時があるので、そんな時は、あたしは速攻で「ザーサイ」を2個買う。

桃屋の「ザーサイ」は、普通の瓶が100グラムで、お徳用の大瓶が165グラムなんだけど、普通の瓶が240円なら、お特用は400円だったりする。ケータイの電卓で計算してみると、100グラムで240円ということは、1グラムあたり2.4円ということで、それが165グラムになれば396円なんだから、お特用はぜんぜんお得じゃない。その上、普通サイズは時々割引セールの対象になるけど、お特用が割引になったとこなんて一度も見たことがない。だから、あたしは、桃屋の「ザーサイ」は普通サイズと決めているのだ。ネットの通販なら、お特用が340円くらいになっているけど、「ザーサイ」を1瓶だけネットで注文するわけにも行かないし、送料なんか取られたら本末転倒だから、あたしは確実に安くなっているスーパーのセールで普通サイズを買うことにしている。

それから、フジッコの「昆布の佃煮」は、いろんな種類があるけど、あたしが買うのは「しそ昆布」と「葉唐昆布」だけだ。これも、桃屋の「ザーサイ」と同じで、普通のスーパーだと230円くらいで、安いスーパーでも198円とかだけど、あたしの購入ラインは150円以下だ。これも、タマに148円になっているので、自宅の冷蔵庫の中の残りが少なくなっていれば、その時に買う。そして、さらにタマに128円とかになっている時は、自宅の在庫に余裕があっても、取りあえず1個は買う。昆布の佃煮はいろんなメーカーから出ていて、フジッコよりも安くて量が多いのもあるけど、これまで、そういうのを買って、実際に食べてみて美味しくなくてガックリしたことが何度もあるので、今は絶対にフジッコしか買わない。

そして、丸美屋の「味道楽」は、「のりたま」と並ぶ人気のふりかけで、あたしの大好物だ。ただ、「味道楽」にはタマゴが入っているので、なるべくタマゴを食べないようにしているあたしとては、できるだけタマゴが入っていない「本かつお」を買うように心がけている。でも、「のりたま」や「味道楽」は人気があるので、割引セールの対象になることが多いんだけど、「本かつお」はメッタに割引にならないので、あたしは仕方なく「味道楽」を買うことが多い。これも、通常は200円以上で、あたしはセールで150円以下になっていたら買うんだけど、これにはワナがある。それは、丸美屋のふりかけは、前から見た袋の大きさがみんな同じだから、お徳用も通常サイズも手に取って確認しないと分からないのだ。あたしが買うのは58グラム入りのお徳用なんだけど、ある日のこと、「のりたま」と「味道楽」が並んで「98円均一」になっていたので、あたしは狂喜乱舞して手に取ってみたら、ヤタラと軽い。それで、よくよく袋を見たら、28グラムの通常サイズだった‥‥なんてこともあった。


‥‥そんなワケで、この大好物を3つ、値段をチェキしながらスーパーの店内を徘徊していたら、桃屋の「ザーサイ」とフジッコの「昆布の佃煮」はいつもの値段だったけど、ふりかけのコーナーの一部商品が割引セールになっていて、毎度おなじみの丸美屋の「のりたま」と「味道楽」も対象になっていて、お特用の58グラムのものが148円になっていた。我が家の「味道楽」は、前日、お弁当のおにぎりを作った時に残りが少しになっていたから、これはチャンスと思い、あたしは迷わずにカゴにいれた。

桃屋の「ザーサイ」は、主に焼酎をロックで飲む時のおつまみなので、あれば嬉しいけど無くても困らない。でも、フジッコの「昆布の佃煮」と丸美屋の「味道楽」は、毎日のお弁当のおにぎりに使うので、なるべくあったほうがいい。あたしは、節約のために、メッタなことでは外食をしないし、コンビニとかで食べ物や飲み物を買うこともない。仕事に行く時は、必ずおにぎりを2個作り、お茶を淹れて小型の魔法瓶で持っていく。おにぎりは、1個が「昆布の佃煮」で、もう1個が「味道楽」だ。無ければ、梅干しやオカカの時もあるし、ゴマ塩やゆかりの時もあるけど、「昆布の佃煮」と「味道楽」のおにぎりは美味しいから、この2つはなるべく切らしたくない。だから、スーパーに行くたびにチェキして、安くなっていたら買うようにしている。

そんなこんなで、割引価格の「味道楽」を発見してカゴに入れたあたしは、最後に、お酒のコーナーに行った。お酒のコーナーの端っこにはワゴンがあって、そこに、安売りのお酒類が並んでいるからだ。ほとんどは、棚の商品を入れ替えるために出された人気のないワインや日本酒で、2000円のものが1800円になっているとかのレベルなので、あたしのターゲットじゃない。あたしの狙いは、棚から落ちて一部が変形した缶ビールや缶チューハイだ。あたしの行くスーパーでは、缶の横とか下とかが凹んでいれば1割引で、飲み口のある上部が凹みんでいると2割引になっているので、あたしはの一番のターゲットは、上部が凹んでいて2割引になっている中に、あたしの好きな銘柄があるかどうかなのだ。

だけど、この日は、残念ながら、缶の横が凹んだ発泡酒しかなくて、それも、あたしの好きじゃない銘柄だったので、買うのはやめた。でも、ついでに日本酒の棚を見てみたら、いつもは500円以上する「尾張知多の鬼ころし」の900mlの紙パックに月間セールの赤い札が付いていて、380円になっていた。「鬼ころし」って日本全国あちこちにあるし、中には酷いものもあるけど、「尾張知多の鬼ころし」は辛口でどっしりした昔ながらの日本酒で、辛口なのにお燗をつけても美味しいので、これは買っておきたい。そこで、あたしは、ここまでカゴに入れたものの合計金額を暗算してみたんだけど、まだ400円くらいだったので、お酒を買っても予算の1000円以内に収まるから、「鬼ころし」もカゴに入れてレジに向かった。


‥‥そんなワケで、自宅に帰ったあたしは、買ってきたものを冷蔵庫や棚など所定の場所に仕舞ってから、お風呂の準備をしたり、ちょっと休憩したりして、夜になったので、母さんに声を掛けてから焼きそばを作り始めた。焼きそばは、3食ぶんをまとめて作り、大皿に盛ってテーブルの真ん中に置き、母さんとあたしとでお皿に取りながら食べる。そうすると、たいていは2人で3人前を食べてしまうのだ。まず、フライパンで麺を炒め、チクワ3本を薄く輪切りにしたものを加え、キャベツを加え、全体に火が通るように炒めて行き、付属のソースの粉を3つぶん入れて全体に混ぜてから、最後にモヤシを加える。こうするとモヤシのシャキシャキ感が残るのだ。

あたしは、出来上がった焼きそばを大皿に盛って、青のりの代わりの「あおさ」の粉末を全体に掛けてから、冷蔵庫を開けて紅ショウガを取り出そうとした。でも、冷蔵庫の中に紅ショウガは無い。我が家の冷蔵庫は、真ん中の扉を開けた正面の上部に透明の引き出しみたいなのがあって、ふりかけとか紅ショウガとかチューブのわさびとかは、そこに入れることにしている。それなのに、さっき買ってきた「味道楽」は入っているのに、一緒に買ってきた紅ショウガは見当たらない。

あたしは、もしかしたらチクワと一緒に仕舞ったのかもしれないと思い、チクワを入れたほうの場所を見てみたんだけど、そこにもない。それで、もしかしたらスーパーのレジ袋から出し忘れたのかもしれないと思い、レジ袋をまとめて入れている袋の中を見てみたんだけど、どのレジ袋も空っぽで、何かが入っている袋なんて1つもなかった。一体、どうしちゃったんだろう?そう言えば、スーパーから帰ってきて買ったものを仕舞った時、紅ショウガは見ていなかったような気がしてきた。もしかしたら、スーパーのカゴの中に忘れてきちゃったんじゃないだろうか?

結局、どこを探しても見つからないので、こんなことをしていたら焼きそばが冷めちゃうから、紅ショウガは「そのうち見つかるだろう」ということにして、残念だけど紅ショウガ無しで食べることにした。大皿の焼きそばと取り皿、そして、温め直したお味噌汁とお新香をテーブルに並べて、母さんと晩ごはんを食べ始めた。焼きそばは久しぶりなので、紅ショウガが無くても美味しかったけど、やっぱり、紅ショウガがあればもっと美味しいのになあ~なんて思いつつ、あたしは、焼きそばを食べながら、テーブルの上のノートパソコンを立ち上げて、GyaOで「おんな酒場放浪記」をつけた。母さんも好きな番組だからだ。

今回は、囲碁の女流棋士の万波奈穂さんの回で、味わいのある居酒屋さんで美味しそうに生ビールを飲み始めた。そして、2杯目に辛口の日本酒を飲み始めた。そのシーンを観た瞬間、あたしは「ハッ!」と思い出した。そう、あたしも日本酒、「尾張知多の鬼ころし」を買ってきたのだ。あたしは、すぐに立ち上がり、お台所へ行き、周囲をキョロキョロと見まわした。どこに置いたっけ?そうだ、お米の横の棚だ!お米の横の棚には、スーパーのレジ袋に入ったままの「尾張知多の鬼ころし」が置いてあり、袋の中を覗くと、日本酒の紙パックと一緒に紅ショウガの袋が見つかったのだ!シャーーーー!!あたしは、紅ショウガの袋を高く掲げて、大きくガッツポーズをした!


‥‥そんなワケで、あたしは、紅ショウガを小さいタッパーに移してから、すぐに居間に戻り、焼きそばの大皿の横に置いた。焼きそばは、まだ半分くらいしか食べてなかったので、残りの半分は、ちゃんと紅ショウガを乗せて食べることができて、あたしは大満足だった。そして、節約生活のために食材の買い方や割引セールの利用方法をいろいろと考えてきたあたしだけど、食材を無駄にしない最大のポイントは、こうした「うっかりミス」をなくすことなんじゃないかと思った今日この頃なのだ(笑)


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2018.05.18

盛りに盛った話

漢字で「盛る」と書くと、読み方は2つ、「さかる」と「もる」だ。前者は「盛り場」や「花の盛り」など、賑わっている様子を表わし、後者は「土を盛る」「茶碗にご飯を盛る」「入口に塩を盛る」など、物理的に何かを山型に置いたりすることを指す。そして、他の使い方としては、「共同宣言に平和への決意を盛り込む」「主人の夕食に毒を一服盛る」など、一定の物の中に何か別のものを入れるという意味でも使われる。

でも、現在、日常会話などで使われている「盛る」の多くは、「ものごとを誇張する」という意味での使われ方が多い。たとえば、話を大げさに言う人がいれば「話を盛ってますね~」などと言うし、若い人たちだけでなく、50代、60代、それ以上の年齢の人たちでも、こういう使い方をする人はいる。また、特に若い女性を中心として、自分を実際よりもきれいに見せるために、いろいろと趣向を凝らすことを「盛る」と表現することが一般的になった。

若い女性の場合、ここ数年は、つけまつ毛を2つ重ねて付けたりするなど、物理的に普段よりも濃いメイクをすることを「盛る」と言っていたけど、最近では、自分の写真をスマホ用アプリで修正して、目を大きくしたり、顔の輪郭を細くしたり、お肌の色を明るくしたりと、まるで別人のように加工してしまうことも「盛る」と言うようになってきた。これは、SNSの普及という背景によるもので、SNS「インスタグラム」に投稿すると見映えのいい風景や料理などを「インスタ映えがいい」などと言うようになったころから、こうした画像加工のアプリも一気に広まってきた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、こうした画像の加工は、プロの世界では30年くらい前から普通に行なわれてきた。男性向け雑誌の女性グラビアなどでは、水着の女性のウエストを細くしたり、胸を大きくしたり、脚をスラッとさせたりと、当たり前のように画像を加工してきた。こうした直接的な加工でなくても、たとえば、背景に無関係な人物や看板などが写り込んでしまった場合には、それを消して何もなかったように見せたり、逆に、何も写っていない背景にオシャレな店の画像を合成して、あたかも海外で撮影したかのように見せたり、こういう加工は日常的に行なわれてきた。

一般の人たちが利用する街の写真スタジオでも、七五三の記念写真からお見合いの写真、結婚する新郎と新婦の前撮り写真から選挙ポスターの顔写真に至るまで、撮影した写真を細かく加工している。基本的には、お肌の色を明るく調整したり、顔のシワを消したり、顔色の悪い人の場合は頬に赤みを入れたりと、主にお肌の調整が主流だけど、こうした美顔加工は普通に行なわれている。覚えている人もいると思うけど、猪瀬直樹さんが東京都知事選に立候補した時の選挙ポスターでは、この美顔加工をやり過ぎてしまい、まるでプチ整形したような写真になってしまったため、ネット上で爆笑ネタにされてしまったことも記憶に新しい。

こうした画像加工のソフトは、これまでも「フォトショップ」を始め、いろいろとリリースされていたけど、その大半はプロ向けの専門的なソフトだった。それが、スマホの普及や画像投稿SNSの普及に伴って、顔写真に特化した簡単なアプリとしてスマホ対応でリリースされ始めたため、一気に広まり、主に若い女性たちが自分の画像を「盛る」ために使うようになってきたというわけだ。

さて、話は元に戻るけど、若い女性たちを中心にして、自分を実際よりもきれいに見せるために趣向を凝らすことを「盛る」と表現するようになってから約10年、今では画像の加工までを「盛る」と言うようになったけど、そもそもは本来の意味の1つである「土を盛る」「茶碗にご飯を盛る」「入口に塩を盛る」などと同じように、物理的に「盛る」という意味で使われ始めたものだった。

あたしの記憶が正しければ‥‥なんて言うと、かつての『料理の鉄人』のオープニングみたいで、小鼻をふくらませてパプリカを丸ごと齧(かじ)らなきゃならなくなりそうだけど、今から約10年前の2008年にピークを迎えたギャル雑誌『小悪魔ageha』によって、女子高生から20歳前半くらいまでの女性たちの一部に「キャバ嬢ブーム」が巻き起こり、この雑誌に登場する現役キャバ嬢のモデルたちの「盛り上げたヘアスタイル」と派手なメイクやファッションに憧れたりマネしたりする女性が増え始めた。そして、この時、長い髪を巻き上げるだけでなく、部分ウイッグやエクステ(付け毛)で髪のボリュームをアップして盛り上げることを「盛る」と言うようになったのだ。

最初は、ギャル同士で、お互いのヘアスタイルを見て「今日も盛りに盛ってるね~」なんてふうに使い始めた言葉だったんだけど、そのうち「今日のメイクも盛ってるね」とか、次第にヘアスタイル以外にも使われるようになっていった。これが2005年くらいのことなんだけど、当時は、まだスマホはほとんど普及していなくて、多くのギャルたちは今で言うガラケーを使っていた。一部のギャルたちの間では、自分の愛用のガラケーに、ネイル用のスワロフスキーなどをボンドで貼りつけてゴージャスに飾ることが流行し、これも「盛る」と表現していた。

さらに遡(さかのぼる)ると、1970年代に大ヒットした映画『トラック野郎』で、主演の菅原文太さん演じる桃次郎を始めとしたトラック野郎たちの愛車、数々の電飾や派手なペイントで仕上げた自慢のトラックを「デコレーション・トラック」、略して「デコトラ」と呼んでいた。しかし、時代の流れとともに、この「デコトラ」は「アート・トラック」と呼ばれるようになり、飾り立てることを「デコ」と呼ぶ風潮は下火になっていった。しかし、その後、バブル期が訪れると、主に女性たちが自分の持ち物などを派手に飾り立てることを「デコる」と言うようになり、それが「盛る」に変化していったのだ。


‥‥そんなワケで、女子高生やギャルの間で流行している「ギャル語」の流行ランキングを見てみると、この「盛る」という言葉は、ギャル雑誌『小悪魔ageha』の人気がピークだった2008年には1位、翌2009年には5位、翌2010年には10位と推移して、2011年以降はトップ10から消えてしまった。でも、これは、この「盛る」という言葉が使われなくなったということではなく、新しいギャル語が次々と生み出されてきたため、自然とランキング外へ下がっていったものだと思われる。その証拠に、2017年の現在でも、「盛る」という言葉は普通に使われているからだ。

当時の他のギャル語を見てみると、「盛る」が5位に下がった2009年の1位は「アゲ・サゲ」で、これは、気分が良い時を「アゲ」、悪い時を「サゲ」と言っていたものだ。そして、「盛る」が10位に下がった翌2010年の1位は「アゲぽよ・サゲぽよ」だった。これも前年の「アゲ・サゲ」と同じ意味だけど、語尾に「ぽよ」を付けることで可愛らしく進化したものだ。また、このころからツイッターが普及し始めたため、「なう」が2位にランクインしている。そう言えば、当時は、ツイッターのツイートだけでなく、日常会話でも語尾に「なう」を付けて話す人をよく見かけた。

それから、今では普通に使われるようになったけど、現実生活が充実している人を指す「リアル充実」の略の「リア充」という言葉も、この年に生まれている。一方、今ではまったく使われなくなった「激おこぷんぷん丸」は、意外と最近で、2013年に2位にランクインしている。つまり、ギャル語の多くは一過性のもので、だいたい2~3年くらいで自然に消えていくけど、「リア充」のように、ギャル語から一般の流行語へと拡大し、今では日常的に使われる新語として定着したものもある、ということだ。

そうした中でも、今回テーマにした「盛る」のように、もともとあった言葉をギャルたちがそれまでとは別の意味で使うようになり、それが広まって一般でも使われるようになり、今では新しい使い方のほうが主流になってしまった、というケースは稀だと思う。そして、このままの流れでいくと、『広辞苑』や『大辞林』の「盛る」の項目に、新しい意味として「主に女性が、自分のヘアスタイルや化粧を派手にしたり、自分の写真を専用アプリで加工したりして、実際よりも良く見せようとする行為全般のこと」なんていう解説が書き込まれる日がくるかもしれない。


‥‥そんなワケで、たとえそうなったとしても、あたしはギャルじゃないから、お休みの日には最低限のメイクだけで近所のお蕎麦屋さんへ行き、日本盛の冷やを舛酒で注文して、舛のふちに盛った塩を舐めながらクイクイと飲み干して、シメに盛り蕎麦でもいただいて帰ってくるという生活なので、「盛る」という言葉の使い方としては、昔からある意味でしか使わないと思う。何しろ、あたしの場合は、ヘアスタイルやメイクを盛ったりしなくても、元から十分に美しすぎるからだ‥‥なんて、最後に思いっきり話を盛ってみた今日この頃なのだ(笑)


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2018.05.16

邦題やりたい放題

もう1年くらい前のことだけど、文化放送の早朝の『おはよう寺ちゃん活動中』を聴いていたら、パーソナリティーの寺ちゃん(寺島尚正アナ)が最新の映画を紹介して鑑賞券をリスナープレゼントするコーナー「シネマ寺ちゃん」で、『コンビニ・ウォーズ バイトJK VS ミニナチ軍団』という映画を紹介していた。寺ちゃんの解説によると、コンビニでバイトしている女子高生2人が、地下から出てきた小さなナチス軍団と戦うという、にわかには想像できないような内容で、タイトルからしても、この内容からしても、B級の匂いがプンプンする作品だった。そして、あたしは、この「コンビニ」や「JK」という名詞から、勝手に日本の映画だと思い込んでしまった。

あたしは、この映画が不思議と気になったので、一応、ネットで調べてみた。そしたら、一昨年2016年にアメリカで公開されたアメリカの作品で、日本では2017年に公開されたため、「シネマ寺ちゃん」で取り上げたということが分かった。それから、2014年にアメリカで公開されたホラーコメディー映画『Mr.タスク』のスピンオフ作品だということも分かった。あたしは『Mr.タスク』を観ていないのでピンと来なかったけど、この作品にはジョニー・デップの娘のリリー=ローズ・デップが映画初出演しているそうで、ハーレイ・クイン・スミスという女の子と2人で、コンビニでバイトする女子高生の役を演じているそうだ。

そして、そのコンビニを舞台にして、バイトの女子高生2人を主役にしたスピンオフ作品が、今回の『コンビニ・ウォーズ バイトJK VS ミニナチ軍団』なのだそうだ。この女子高生2人は、学校の勉強もコンビニのバイトも「やる気ゼロ」で、唯一、趣味のヨガにだけ熱中しているという設定で、コンビニの掃除用のモップなどを駆使して、地下から出てきた小さなナチス軍団と戦うらしい。だから、B級どころか、ちゃんとしたホラーコメディー映画みたいなんだけど、それにしては、このタイトル、あまりにもB級すぎる。それで、原題を見てみたら『Yoga Hosers』と書かれていた。

「Yoga」は「ヨガ」だけど、「Hoser(ホーザー)」はあまり目にしない単語だ。これはスラング(俗語)で、一般的には「ペテン師」とか「バカ野郎」といった意味で使われる言葉だけど、女性に対して使う場合は「誰とでも寝る女」「尻の軽い女」という意味になる。だから、この原題を直訳すると『ヨガ好きの尻軽女』という感じになる。だけど、さすがにこんなタイトルで公開するわけには行かないだろうから、日本の配給会社の担当者がいろいろと考えた結果、『コンビニ・ウォーズ』という直球の邦題を考え出し、その上で、タイトルを見ただけで内容がザックリと分かるように「バイトJK VS ミニナチ軍団」という副題をプラスしたんだと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、ここまで原題とかけ離れた邦題というのも、最近では珍しいケースだと思った。昔は、洋画でも洋楽でも日本で売り出す時には、その多くに邦題が付けられ、その中には原題とかけ離れた邦題も散見されたけど、最近では英語の原題をそのままカタカナ表記にしただけのパターンが多くなってきたからだ。

あたしが小学生5年生か6年生の時、シンディ・ローパーの『ハイスクールはダンステリア』が大ヒットして、あたしもクラスのお友だちと一緒にシンディ・ローパーのダンスをマネして踊ったりしていた。だけど、この曲、原題は『Girls Just Want to Have Fun』、直訳すると「女の子は楽しみたいだけよ」という意味で、「ハイスクール」でもなければ「ダンステリア」でもなかったことを後から知った。そして、日本で原題とかけ離れたタイトルが付けられているということを知ったシンディ・ローパーはカンカンに怒り、日本のレコード会社に抗議をしてきた。そのため、日本では『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン』という、原題をカタカナ表記にしただけのタイトルに変更されたのだ。今回の『コンビニ・ウォーズ バイトJK VS ミニナチ軍団』という邦題を見て、あたしは、何年ぶりかでシンディ・ローパーの件を思い出してしまった。

洋楽にまで手を広げてしまうと、あまりにも例が多くなってしまうので、今回は洋画だけに絞って取り上げるけど、こうした日本独自の邦題には、原題をそのまま日本語に直訳したものと、直訳した上に何かの言葉をプラスしたもの、そして、今回の『コンビニ・ウォーズ』のように原題とかけ離れたものがある。原題をそのまま日本語に直訳したと聞くと、何の芸もないように感じるかもしれないけど、原題を直訳した邦題の中にも、素晴らしい和訳だと感心するものがたくさんある。

たとえば、ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルの『風とともに去りぬ』(1939年)だ。原題は『Gone with the wind』なので、意味はまったく同じだけど、センスのない人が訳したら「風と一緒に帰ります」とかになっていただろう。ま、この作品の場合は、映画より先にマーガレット・ミッチェルの原作小説が日本語に翻訳されて出版され、その時に『風とともに去りぬ』と訳されたため、映画はそれに倣っただけだけど、とっても素晴らしい訳だと思う。他にも、スティーブ・マックイーンの『大脱走』(1963年)、原題は『The Great Escape』なので、これも意味はまったく同じだけど、センスのない人が訳したら「立派な逃走」とかになっていたかも知れない。

チャールズ・チャップリンの『街の灯』(1931年)の原題は『City Lights』、オードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』(1953年)の原題は『Roman Holiday』、こういう邦題は、直訳の中でもセンスを必要としないタイプなので、誰が訳しても同じような邦題になっていただろう。だけど、先ほどの『風とともに去りぬ』のようなタイプは、翻訳者のセンスが大きく左右する。たとえば、マリリン・モンローの『帰らざる河』(1954年)、原題は『River of No Return』なので「戻って来ない川」と訳されても間違いじゃない。でも、これを「帰らざる」と訳した上に、「川」ではなく「河」という表記を使って「大河」であることを感じさせた邦題は素晴らしいと思う。

マリリン・モンローの作品には、他にも翻訳者のセンスが光る邦題がいろいろある。『七年目の浮気』(1955年)の原題は『The Seven Year Itch』で、「Itch(イッチ)」は一般的には「痒み」という意味だけど、スラングでは「痒くてムズムズする」が転じて「○○をしたくて我慢できない」という意味として使われている。そのため、この原題を直訳すると「(結婚して)7年くらい経つと浮気の虫が騒ぎ出す」という感じの意味になる。それをサクッとコンパクトにまとめて『七年目の浮気』という邦題にしたのは、間違いなく担当者の手柄だと思う。

そして、何よりも素晴らしいのが、『お熱いのがお好き』(1959年)だ。原題は『Some Like It Hot』だけど、この「Some」は「Some people」の「people」を省略したもので、「It」はその人たちの「ライフスタイル」のこと。この場合は「ライフスタイル」の中でも「性生活」を指している。だから、直訳すれば「ある人たちは熱い性生活が好みです」ということになる。そのため、原題の本意に忠実に直訳するなら、この「Hot」は「熱い」ではなく「刺激的な」と訳したほうが、より原題のニュアンスに近くなる。だけど、いくら原題の本意に忠実に和訳したとはいえ、「刺激的な性生活が好きな人たち」などというセンスのかけらもない邦題で公開できるわけがない。その点、この『お熱いのがお好き』という邦題は、原題の本意をきちんと汲み取りつつも、エロすぎる直接表現は避けている。それでいて、セクシーなマリリン・モンローのポスターにこの邦題が書かれてあれば、誰もが本意を理解する。あたしは、本当に素晴らしい邦題だと思うし、何よりも品(ひん)がある点に好感が持てる。

あたしの一番好きな洋画、メリナ・メルクーリの『日曜はダメよ』(1960年)も、英語の題名は『Never on Sunday』で、ギリシャ語の原題も同様だ。「never on ~」は「not on ~」と同じで「決して~でない」という強い否定なので、原題のニュアンス通りに直訳すれば「決して日曜はダメ」とか「日曜は絶対にダメ」という感じになる。でも、この邦題では「決して」とか「絶対に」という強調を使わずに、さらには「ダメよ」という女性言葉を使い、原題よりも柔らかいニュアンスの『日曜はダメよ』という邦題が付けられた。ギリシャの港町ピレウスで暮らす船乗り相手の娼婦、メリナ・メルクーリ演じるイリヤは、月曜から土曜まではお客をとっているけど、日曜だけは仕事をお休みにして、ドアに「ギリシャ悲劇観劇のため休業」という札を吊るして、路面電車やバスで大好きな野外オペラを観に行く。だから、「私を抱きに来ても日曜はダメよ」というワケだ。「駄目」じゃなくて「ダメ」という表記も可愛くて最高だし、男勝りで竹を割ったような性格でありながらも、ギリシャの海のように広くて深い愛情を持ったイリヤのやさしさが表現された素晴らしい邦題だと思う。


‥‥そんなワケで、他にも、直訳された邦題の秀作はいろいろあるんだけど、他のパターンを紹介できなくなっちゃうから、次は、原題を直訳した上に何かの言葉をプラスしたパターンをいくつか紹介しようと思う。まずは、チャールズ・チャップリンの『黄金狂時代』(1925年)、原題は『The Gold Rush』なので、直訳すれば「金鉱に殺到する人たち」が転じて「黄金狂」だけでいいんだけど、これに「時代」をプラスすることで、アメリカの1800年代のゴールド・ラッシュの全体像をも感じさせる秀逸な邦題になった。そう言えば、さっきのマリリン・モンローの『帰らざる河』もゴールド・ラッシュが舞台だけど、やっぱり「川」よりも「河」のほうがイメージが合っている。

もっと分かりやすい例は、ジャック・レモンとシャーリー・マクレーンの『アパートの鍵貸します』(1960年)だ。原題は『The Apartment』だけど、このまま直訳して「アパート」などという邦題にしたら、映画の魅力がまったく伝わらない。そこで、ジャック・レモン演じるサラリーマンのバドが、自分のアパートの部屋を愛人との密会用に又貸しして小遣いを稼いでいるというストーリーから、原題の直訳の「アパート」に「鍵貸します」という表現をプラスしたのだ。これだけで、この邦題は一気に興味を惹きつけるものになった。

また、これも分かりやすい例だけど、SF映画の『遊星からの物体X』(1982年)、この作品の原題は『The Thing』なので、直訳したら単なる「物体」だ。これも、直訳を邦題にしたら「アパート」と同じように映画の魅力がまったく伝わらないため、作品の内容が少しだけ想像できるように、原題の直訳に言葉をプラスして『遊星からの物体X』にしたんだろう。今、見ると、ちょっとB級のフレーバーを感じる邦題だけど、SFやホラーの場合は許されると思う。


‥‥そんなワケで、最後に、お待ちかねの、原題とかけ離れた邦題をいくつか紹介するけど、まずは似たパターンを2つ、最初はウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイの『俺たちに明日はない』(1967年)だ。この作品の原題は『Bonnie and Clyde』、「ボニーとクライド」だ。そして、もう1つはポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの『明日に向って撃て!』(1969年)、こちらの原題は『Butch Cassidy and the Sundance Kid』、「ブッチ・キャシディとサンダンス・キッド」だ。どちらの作品も、原題は主役の2人の名前を並べたものだけど、邦題ではまったく違うイメージ重視のタイトルに変えられている。

他にも、‎ウーピー・ゴールドバーグを、一躍、大スターにした『天使にラブ・ソングを…』(1992年)は、原題が『Sister Act』なので、直訳すれば「修道女の行為」とか「修道女の行ない」とかになる。でも、もしも「修道女の行為」という邦題で公開していたら、とても日本ではヒットはしなかっただろう。その点、この『天使にラブ・ソングを…』という邦題は、ストーリーの内容を正確に下敷きにしているだけでなく、この作品の最大の見どころである感動シーンのイメージも表現しているので、原題とかけ離れた邦題だけど、とても優れたタイトルだと思う。

シルヴェスター・スタローンの『ロッキー』(1976年)は、原題も『Rocky』なので、これは直訳というよりも「そのまま」だけど、この前例があるせいで、同じくシルヴェスター・スタローンの代表作の1つである『ランボー』(1982年)も、原題はそのまま「Rambo」だと思っている人が多い。だけど、『ランボー』の原題は『First Blood』なのだ。直訳すれば「最初に流した血」という意味だけど、これは「最初に流した血」が転じて「先手」という言い回しだ。たぶん、日本の配給会社は、「最初の流血」や「先手」という邦題にしたらヒットしないと考えて、主人公の名前「ランボー」が日本語の「乱暴」に通じることもあって、この名前を邦題にしたんだと思う。

だけど、この『ランボー』という邦題で日本で大ヒットしちゃったもんだから、2作目からは原題のほうも日本にあやかって「Rambo」を付けるようになった。2作目の『ランボー/怒りの脱出』(1985年)の原題は『Rambo: First Blood Part II』で、「Rambo」は冠詞のように付いているだけだけど、3作目の『ランボー3/怒りのアフガン』(1988年)では、原題はシンプルに『Rambo III』になり、4作目の『ランボー/最後の戦場』(2008年)では、とうとう『Rambo』というシンプルな原題になってしまったのだ。つまり、映画で『ランボー』と言った場合、日本では1作目を指すけど、アメリカでは4作目を指すことになるのだ。

洋画に付けられる邦題は、高いお金を払って洋画の権利を買い付けた日本の配給会社が、1人でも多くの人に劇場へ来てもらい、1000円でも多く興行収入を挙げるために苦労して考えているものなので、その対象は、日本国内にいる日本語を使う人たちということになる。それなのに、その邦題が逆輸入の形でアメリカへ戻り、その作品の続編に邦題が使われるようになるなんて、この『ランボー』は極めて特殊なケースだと思う。だけど、最近は日本語の「旨味」をコンセプトにしたアメリカのハンバーガーチェーン「UMAMI BURGER」が日本にも上陸したように、アメリカなどで英語として使われている日本語は、「Sushi(寿司)」や「Kimono(着物)」や「Karaoke(カラオケ)」だけじゃなくなった。日本の漫画やアニメの世界的な人気もあり、今では「Manga(漫画)」や「Kawaii(可愛い)」や「Otaku(オタク)」や「cosplay(コスプレ)」なども英語として使われるようになった。


‥‥そんなワケで、もしも、今回のマクラで紹介した『コンビニ・ウォーズ バイトJK VS ミニナチ軍団』が日本で大ヒットしていたとしたら、そして、アメリカで続編が制作されることになっていたとしたら、もしかすると、この邦題に使われている日本のスラングが、『ランボー』のように逆輸入の形で原題に使われていた可能性もあったのだ。この邦題に使われている「コンビニ」や「バイト」や「JK」などの日本のスラングのうち、もしも「JK」が使われていたとしたら、原題『Yoga Hosers』の「Hosers」に当たるわけだから、一例として「Yoga JK Wars II」なんて感じの原題が生まれていたかもしれない。そして、この「JK」は、もともとは日本の女子高生たちの間から生まれた流行語だったものが、数年を経て日本の全国区のスラングになり、それが洋画の邦題にも使われるようになったものだから、いつの日か日本発の英語として、「Sushi」や「Kimono」や「Karaoke」のように、英和辞典に掲載される日が来るかもしれないと思った今日この頃なのだ。


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2018.05.11

母の日

今度の日曜日、5月13日は、あたしにとって一年で一番大切な日、「母の日」だ。小学6年生の時に母子家庭になり、それ以来、母ひとり娘ひとりの生活を続けてきたあたしにとって、母さんはたったひとりの家族であり、世界で一番大切な人だ。あたしは母さんのことを世界で一番愛しているし、世界で一番尊敬している。だから、一年で一番大切な日は、ホントは母さんのお誕生日なんだけど、あたしの母さんのお誕生日は4月なので、1カ月後には「母の日」がやってくる。そのため、ここ十数年は、母さんのお誕生日と「母の日」とを同じようにお祝いするんじゃなくて、その年によってどちらかの比重を大きくして、できるだけ母さんが喜ぶ内容のお祝いをするように心がけてきた。

たとえば、4月のお誕生日は、いつもよりちょっと豪華な晩ごはんを作り、毎年恒例の手作りのカードとお花をプレゼントするくらいで終わりにする。そして、そのぶん、1カ月後の「母の日」には奮発して、母さんの行きたがっていた温泉に一泊旅行に行く。逆に、4月のお誕生日に、母さんの欲しがっていた、わりと高価なお洋服やバッグなどをプレゼントした時には、1カ月後の「母の日」には、そのお洋服やバッグを身につけてもらって一緒にお出かけするけど、あまりお金のかからない美術館とかにする。こんな感じの今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしが小学6年生の時、母さんと父さんが離婚して、そのすぐあとに寝たきりだったおばあちゃん(母の母)が亡くなり、この時から、あたしの家族は母さんだけになり、母ひとり娘ひとりの生活が始まった。これは、離婚から何年も経って、あたしが大きくなってから知らされたことだけど、父さんには以前から愛人がいて、その愛人との間には子どもがいて、その子どもが小学校に入学する年になったため、愛人から「片親じゃかわいそうだ」と言われ、父さんは母さんと離婚して、その愛人と籍を入れたそうだ。

こんな形での離婚だったため、ホントなら母さんはそれなりの慰謝料を請求できただろうし、あたしの養育費だって請求できたと思う。だけど、まだ若かった母さんは、何よりも自分の愛する父さんに何年も前から愛人がいたこと、その愛人との間に大きな子どもがいたこと、そして、父さんがその愛人のほうを選んだことがショックで、意地になってしまった。母さんはとってもプライドの高い女性だから、自分を裏切った父さんからは1円も受け取りたくないと、父さん側の代理人が提示した金額を突き返し、これからあたしと二人で暮して行くアパートの礼金と敷金、そして、引っ越し費用だけしか請求しなかった。

だから、母さんは、小さなアパートでのあたしとの二人暮らしが始まった時には、すでに昼間のパートを見つけて働き始めていたし、しばらくすると、早朝のビル掃除や日曜日のパートなども掛け持ちで始めて、一日も休みなく朝から晩まで働くようになった。母さんは、どんなに疲れていても、いつも笑顔で、あたしの学校のことをいろいろと聞いてくれたし、自分の仕事場で起こった出来事を面白おかしく話してくれた。だけど、母さんが疲れ切っていることはひと目見ただけで分かったので、あたしは、少しでも母さんの負担を減らそうと、毎日の食事の支度やお洗濯、お掃除など、家事をすべて一人でやるようになった。

でも、それだけじゃ母さんを助けることにはならなかった。日増しに疲れが溜まっていく母さん、食後に横になったまま着替えもせずに寝てしまう母さんを見ていると、あたしは不安になった。あたしの大切な母さんが、あたしのために、こんなにクタクタになるまで働き続けているなんて、もしも病気になってしまったらどうしよう。世界でたった一人の母さんに、何かあったらどうしよう。あたしの不安は、どんどん大きくなっていった。そして、母さんの帰りがいつもより30分ほど遅くなっただけでも、あたしは母さんに何かあったんじゃないかと思い、心配で心配で宿題も手につかないようになり、あたしが何とかしなくちゃって気持ちが、どんどん大きくなっていった。

あたしは、放課後に自転車で走り回り、中学1年生でもできるアルバイトを探し始めた。そして、新聞配達なら中学生でもできることを知り、近所の新聞屋さんを片っ端から回ったら、アパートから歩いて10分ほどの場所にあった毎日新聞で、朝刊だけの配達のアルバイトをさせてもらえることになった。だけど、新聞配達のアルバイトをするためには、学校の許可と保護者の承諾書が必要なので、あたしは、まず、学校の担任の先生に相談した。そしたら、先生は、あたしが母さんと二人きりの母子家庭だということを知っていたので、親身になって相談に乗ってくださった。

あたしが「母さんを助けたいんです!」と言ったら、先生は「新聞配達は、新聞の休刊日以外は、雨の日も雪の日も休めないが、それでも大丈夫か?」と念を押した後、すぐに学校の許可を取ってくださった。あたしの中学では、生徒全員が何かの部活に入る規則になっていて、あたしは軟式テニス部に入部したばかりだったけど、新聞配達を始めると朝練に出られなくなるから、軟式テニス部は続けられなくなる。でも、先生は、部活を辞めることも許可してくださった。


‥‥そんなワケで、その日の夜、晩ごはんの支度をしながら母さんの帰りを待っていたあたしは、どんなふうに切り出そうか考えていた。あたしとしては、とにかく母さんに日曜日のパートをやめてもらい、週に一日だけでもお休みの日を作ってもらいたいと思っていた。だけど、母さんはプライドが高いから、中学1年生の娘に新聞配達をさせて自分がパートを減らすことを受け入れてくれるかどうか、あたしは心配だったし、それ以前に、あたしの生まれて初めてのアルバイトを認めてくれるかどうかも分からなかった。

結局、何のアイデアも浮かばないまま、あたしが卓袱台にお茶碗を運んでいると、時間通りに母さんが帰ってきた。あたしの作った晩ごはんを一緒に食べながら、母さんはいつものように笑顔で、その日にあった仕事場での話を面白おかしく話してくれたんだけど、あたしの頭の中は新聞配達のことをどんなふうに切り出そうかで一杯で、それが顔に出ちゃったみたいだ。母さんは、いつもと様子の違うあたしにすぐ気づき、「学校で何かあったの?」って聞いてくれた。あたしは、覚悟を決めて、お箸を置き、お座布団の上にきちんと座り直して、母さんに素直な気持ちを打ち明けた。


「母さん、あたし、新聞配達のアルバイトをやりたいの。学校の先生も許可してくれたし、すぐそこの毎日新聞、あそこでアルバイトさせてくれるって言われたの」

「え?新聞配達?きみこ、何か欲しいものでもあるの?それなら母さんに言いなさい。何でも買ってあげるから」

「違うの。あたしは欲しいものなんかない。あたしは、母さんが一日も休まずに働いてることがとっても心配なの。それでね、せめて日曜日だけでもお仕事しないで体を休めてほしくて‥‥」

「‥‥‥‥」


母さんは、手に持ったお茶碗に視線を落として、何も言わなくなってしまった。あたしは、母さんを怒らせてしまったと思い、必死に言い訳を始めた。


「母さん、ごめんね!でも、でも、あたしは母さんのことがホントに心配なの!新聞配達は朝が早いけど、慣れれば2時間くらいで終わるって言われたし、学校の許可ももらったし‥‥」

「‥‥‥‥」


下を向いたまま何も言わない母さんは、静かにお茶碗を置くと、くるりと後ろを向き、棚の上のティッシュを取り、それを目に当てた。あたしは、母さんが泣いていることにようやく気づいた。ティッシュで涙を拭いた母さんは、また笑顔になり、あたしの目を見てこう言った。


「きみこ、ありがとうね。そうだよね、一日も休まずに働いてたら誰だって心配するよね。今まで心配かけてごめんね‥‥」

「母さん‥‥」

「新聞配達、大変だったら無理して続けなくていいからね」

「えっ?じゃあ、やってもいいの?」

「うん、いいよ。その代わり、学校の成績が下がったらやめてもらうからね」


そう言って母さんはニコッと笑ってくれた。あたしは、ホッとしたのと嬉しいのとでヘナヘナと腰が抜けたみたいになったけど、安心したら急にお腹が空いてきたので、すぐに気を取り直して、目の前のごはんをモリモリと食べた。


‥‥そんなワケで、あたしの新聞配達は、中学1年の夏休みから始まった。新聞配達は、新聞を配達するだけかと思っていたら、その前に、新聞の1部1部にチラシを入れる「紙入れ」という作業があって、慣れないうちはこれが大変だった。特に土曜日と日曜日はチラシの数が倍増するので、モタモタしていたら、この「紙入れ」だけで1時間くらい掛かってしまう。そして、新聞配達用の大きな自転車に乗るのも大変だった。前の大きなカゴに、右、左、右、左と東京タワーのように新聞を刺して行くので、最初はハンドルが重くて真っ直ぐ走るのも大変だった。

でも、配達自体は楽しかった。新聞配達のルートは、最初はここ、次はこことここ、その次はここ‥‥というように、独特の矢印やマークの描かれたメモの束を見ながら進んで行くんだけど、最初の何日かはベテランのおじさんが案内してくれて、「次の家にはすぐに吠える犬がいるぞ」とか「次の家のおじさんは朝早くから庭に出て新聞を待ってるから、郵便受けに入れずに、元気に挨拶して手渡しするように」とか、いろんなことを教えてくれた。

最初は100部配達するのに2時間半も掛かって大変だったけど、2週間もするとメモを見なくても回れるようになり、夏休みが終わるころには雨の日でも1時間半で回れるようになり、あたしの担当は100部から150部、そして200部になった。よく吠える犬はあたしになついて吠えなくなり、朝早くからお庭に出て新聞を待っているおじさんは、あたしが元気よく挨拶をして新聞を手渡すと、何日かに一度、「ご苦労さん」と言ってヤクルトをくれるようになった。

夏休みも終わる8月25日、最初のお給料をいただいた。あたしは、糊付けされた封筒を開けずに、そのまま母さんに渡した。母さんは「ご苦労さまでした。よくがんばったね」と言って封筒を受け取り、二人でワクワクしながら開けてみた。そしたら、1万円札が3枚と千円札が数枚入っていて、あたしは、こんな大金を見たことがなかったから、これを自分で稼いだのかと思ったら、ちょっと怖くなった。でも、母さんは日曜日のパートをやめてくれて、日曜日はあたしが朝刊の配達から帰ってくると朝ごはんを作って待っていてくれるようになったので、あたしは「もっとがんばろう!」と思うことができた。

結局、あたしは、中学を卒業するまで、ずっと新聞配達を続けた。2年生からは夏休みと冬休みには朝刊だけでなく夕刊も配達するようになったし、配達件数も250部になっていた。お給料は、すべて封を切らずに母さんに渡してきたので、あたしは、てっきり、母さんが日曜日のパートをやめたぶんとして、生活費に使ってくれているんだと思っていた。そして、あたしが母さんのホントの愛情に気づくのは、それから3年後、高校を卒業する時だった。


‥‥そんなワケで、どうしてもプロのヘアメイクになりたかったあたしは、高校を卒業したらヘアメイクの専門学校に進もうと思って、高校時代もいろんなアルバイトをやって、8割くらいは母さんに渡していたけど、残りの2割を貯金していた。だけど、プロの養成コースは思っていたよりもお金が掛かるため、あたしの貯金では足りなかった。それで、高校3年の冬休み、母さんと晩ごはんを食べながら進路のことを話している中で、特に深い意味もなく、「ヘアメイクのプロ養成コースはお金が足りないから、取りあえず就職して一年間働いて、お金ができたら専門学校に行こうと思う」ということを話した。そしたら、母さんは、スッと立ち上がり、タンスの一番上の引き出しから何かを取り出して、「これで足りるかな?」と言って、あたしに一冊の預金通帳を手渡してくれた。その預金通帳はあたしの名義になっていて、中を開くと、そこには100万円を超える大金が!


「これ、きみこが中学の時に新聞配達でいただいたお給料だよ。こんなにたくさん、ホントによくがんばったね」


最初のページから見てみると、8月の末に3万3000円、9月の末に3万2000円、10月の末に3万4000円‥‥。母さんは、あたしが封を切らずに渡していたお給料を一切使わずに、あたしの名義の銀行口座を作って全額を貯めていてくれたのだ。その瞬間、あたしの脳裏には、土砂降りの雨の日に自転車でコケて新聞を濡らしてしまった日のことや、風邪をひいて熱があるのに必死に配達した日のことなど、大変だった時のことが次々と浮かんできて、気がついたらポロポロと涙がこぼれていた。「母さん、ありがとう‥‥」、あたしは、母さんの愛情で胸が一杯になり、これしか言えなかった。


‥‥そんなワケで、今、あたしは、母さんと一緒に暮しているので、毎日が「母の日」みたいなものだ。朝、母さんの顔を見て「おはよう」と言い、一緒に朝ごはんを食べて、夜も一緒に晩ごはんを食べて、時にはPCで二人の大好きな映画『男はつらいよ』を観て、一緒に笑って一緒に泣いて、お風呂上りには日課のマッサージをしてあげて、母さんの顔を見て「おやすみ」と言う。何でもない日々だけど、あたしのお仕事の都合で長いこと別々に暮していた時期があったので、今、こうして一緒にいられるだけで、あたしは最高に幸せだ。だけど、やっぱり、一年に一度くらいは、世界で一番愛している母さんに、世界で一番尊敬している母さんに、心から感謝の気持ちを伝えたい。それが、あたしにとって一年で一番大切な日、5月の第3日曜日の「母の日」なのだ。そして、今年は、4月の母さんのお誕生日を少し質素にしたので、「母の日」には、母さんの行きたがっていた温泉に2泊で行ってくる今日この頃なのだ♪


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2018.05.07

進化するカツオクジラの捕食

今年2月のこと、約50年前に大阪市の地下工事中に見つかったミンククジラの化石が、大阪市立自然史博物館の研究チームによる再調査の結果、ミンククジラより希少なカツオクジラだったことが分かり、海外の古生物学術誌に論文が発表されたと報じられた。この化石は、1966年に大阪市東成区の地下鉄今里駅周辺の工事中に、地下約14メートルの地層で発見されたもので、1976年に「縄文時代のミンククジラの化石」と発表されていたものだ。でも、これがカツオクジラだったと分かったことで、古生物関連界隈では大きなニュースとなった。それは、カツオクジラの化石の発見が世界で初めてだったからだ。

この化石はDNA検査ができない状態だったため、研究チームは、クジラの形態に関する近年の新たな研究成果に照らし合わせて分析し、口先の幅の広さや頭の骨の一部が四角く大きいことなどから、ミンククジラと同じヒゲクジラ亜目に分類されているカツオクジラだと判断したそうだ。だから「動かぬ証拠」とまでは行かないけど、明らかに頭の骨の形状が違うため、カツオクジラと断定されたという。

カツオクジラは日本を含む世界各地の海に生息しているけど、個体数が少ないために希少種とされているそうだ‥‥と、ここまでは普通に書いてきたけど、皆さんは「カツオクジラ」と聞いて、どんなクジラなのか、その姿を頭の中にパッと想像できただろうか?もしかして「形状や色などがカツオに似たクジラ」を想像した人もいるんじゃないかと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、カツオクジラの「カツオ」は、イワシクジラの「イワシ」と同じで、イワシの群が一緒に泳いでいるのがイワシクジラ、カツオの群が一緒に泳いでいるのがカツオクジラというワケだ。これは、ジャイアンの後ろにスネオが隠れているように、ドナルド・トランプの後ろに安倍晋三が隠れているように、大きなクジラにくっついて泳いでいれば自分たちが安全だということらしい。

もともと、イワシクジラとカツオクジラとニタリクジラはゴッチャにされていて、同じ種類のクジラだと思われていた。イワシの群が一緒に泳いでいるのイワシクジラと、カツオの群が一緒に泳いでいるのカツオクジラは、同じ種類のクジラで、一緒に泳いている魚が違うだけだと思われていた。でも、後に、外観は似ていても別の種であることが分かり、それぞれの名前で呼ばれるようになったのだ。ちなみに「ニタリクジラ」という名前は、このクジラがイワシクジラと別種であることを発見した日本捕鯨協会鯨類研究所の大村秀雄博士が、このクジラが古来「ナガスクジラに似たイワシクジラ」という意味で「似たり鯨」と呼ばれていたことから、これをそのまま日本での正式名として命名したものだそうだ。

この3種のクジラは、かつてゴッチャにされていたことからも想像できるように、外観はよく似ている。そして、この3種はいずれも「ナガスクジラ科ナガスクジラ属」なので、「世界最大の哺乳類」としてお馴染みのシロナガスクジラにも似ている。ただ、大きさはぜんぜん違う。どのくらい違うのかというと、クジラはオスとメスとで大きさが違うし、個体差もあるし、大きすぎて正確な数字が分からないものもあるけど、現在までに確認されたクジラ類それぞれの最大の個体の大きさのトップ20をランキング形式で発表すると、以下のようになる。


1位 シロナガスクジラ 34m 190t
2位 ナガスクジラ 26m 80t
3位 タイセイヨウクジラ 18.5m 105t
4位 ホッキョククジラ 18m 100t
5位 ミナミセミクジラ 18m 90t
6位 セミクジラ 18m 80t
7位 マッコウクジラ 18m 50t
8位 ザトウクジラ 18m 40t
9位 イワシクジラ 18m 30t
10位 コククジラ 15m 33t
11位 ニタリクジラ 15m
12位 カツオクジラ 14m
13位 ツチクジラ 13m 14t
14位 ツノシマクジラ 12m
15位 ミナミツチクジラ 12m 14t
16位 クロミンククジラ 11.6m 10t
17位 キタトックリクジラ 11.2m 7.5t
18位 ミンククジラ 10.7m 8t
19位 シャチ 9.8m 10t
20位 ミナミトックリクジラ 7.5m


重さに関しては分かったものだけ書いたけど、いろいろなデータを集めてからまとめたので、よく分からない点もある。たとえば、体長が同じ「18m」なのに、ホッキョククジラは体重が「100t」もあり、イワシクジラは3分の1以下の「30t」しかない。同じクジラなのに、Aのデータでは「18m 50t」、Bのデータでは「16m 55t」だったりして、まるで安倍晋三が「総理のご意向」で厚労省に作成させた裁量労働制の捏造データみたいだったので、一応、複数のデータの中で最大のものを選んだんだけど、そしたら怪しくなってしまった(笑)

だから、体重のほうは、あくまでも参考程度に見てもらうとして、体長に関しては複数のデータの中から同一のものを選んだので、ほぼ間違いないと思う。それから「シャチ」が19位に入っているけど、もともとはイルカもシャチもクジラも同じ仲間で、ザックリと「体長4m以下のものはイルカ、それ以上のものはクジラ」という分け方なので、ここではシャチをクジラとして扱った。このイルカとクジラの区別についても、「体長3m」をラインにしてるものや「体長5m」をラインにしてるものもあったけど、「体長4m」という記述のものが一番多かったので、ここではそれを紹介した。


‥‥そんなワケで、そのシャチは、大きさではクジラの分類になるけど、見た目はクジラよりもイルカに近い。カマイルカを大きくして白黒のパンダカラーにしたのがシャチって感じだ。あたしは、大好きな「鴨川シーワールド」でシャチのショーを何度も観ているけど、やっぱりイルカのショーとは迫力が違う。これは、大きさが違うというだけでなく、シャチは凶暴で人間を襲ったりもするからだ。いくら世話をして懐いているとは言え、シャチと同じプールに飛び込み、シャチの背中に乗ったりする飼育員のお姉さんたちは、あまりにも男前すぎる。

そして、シャチ以外のクジラたちは、大きさこそ違えど、だいたいみんな似たような外観をしている。トックリクジラは、おでこが出っ張っていてバンドウイルカに似た顔をしているけど、全体を見ればクジラであることが分かる。ただ、7位にランキングしたマッコウクジラ、これだけは頭が異様に大きくて、他のクジラたちとは大きく違った外観をしている。ほとんどのサメが似たような顔つきをしている中で、英語で「ハンマーヘッド(とんかち頭)」と呼ばれているシュモクザメだけが特異なように、クジラ界ではマッコウクジラだけが特異な顔つきをしている。

その上、このマッコウクジラは、他のクジラたちとは違って、深海にまで潜ってダイオウイカを捕食したりするので、大きなマッコウクジラに大きなダイオウイカが巻き付いて対決してる写真や映像を観たことがある人もいると思う。ちなみに、マッコウクジラの「マッコウ」とは、漢字で「抹香」と書く。沈香(じんこう)や栴檀(せんだん)や樒(しきみ)などの香木の樹皮や葉などを粉末状にした「お香」のことだ。古来から珍重されてきたお香の中に「龍涎香(りゅうぜんこう)」というのがあるんだけど、英語では「アンバー」、香水などで聞いたことがある人も多いと思う。

で、この龍涎香は、海岸に打ち寄せられたり海を漂っていたりする不思議な物体で、どうして生まれるのか分からなかったため、古来中国では「龍の垂らした涎(よだれ)の結晶」だと思われていて「龍涎香」と名づけられた。でも、後に捕鯨が行なわれる時代になると、捕獲したマッコウクジラの腸内から、たまにこの龍涎香が出てくるケースがあったので、龍涎香はマッコウクジラの腸内で作られた結石が排泄時に海中へ放出されたものだと解明された。そして、その香りが「抹香」に似ていたため「抹香鯨(まっこうくじら)」と名づけられたのだ。

さて、マッコウクジラが自分と同じくらいある巨大なダイオウイカを捕食できるのは、自慢の強靭な歯があるからだ。一方、マッコウクジラの倍近い大きさのシロナガスクジラは、プランクトンや小魚のような小さなものしか食べないけど、それは、歯がないからだ。現生するクジラ類は、ヒゲクジラ亜目とハクジラ亜目に大別されているんだけど、マッコウクジラはハクジラ亜目の最大のクジラで、立派な歯があるから大きなエサも食べられる。でも、歯の代わりに「クジラヒゲ」と呼ばれる板状のものがブラシのように生えてるシロナガスクジラなど、ヒゲクジラ亜目のクジラたちは、海水と一緒にプランクトンや小魚の群を飲み込み、口を軽く閉じてクジラヒゲの間から海水だけを吐き出し、口の中に残ったエサを飲み込む。つまり、クジラヒゲとは、捕食のための濾過フィルターというワケだ。


‥‥そんなワケで、このクジラヒゲ、丈夫で弾力性があって加工しやすいため、古くからいろいろな道具や装飾品などの材料として利用されてきた。特に、まだプラスチックやグラスファイバーなどが開発されるまでは、とても重宝されてきた。有名なのは「釣竿の穂先」で、これはあたしも釣具屋さんで見たことがあるけど、グラスファイバーやカーボンの釣竿がメインになった現代でも、穂先の部分だけはクジラヒゲを使った釣竿も作られている。他には、西洋では女性のウエストを細くするための矯正下着であるコルセットの骨組みや、ドレスのスカート部分を膨らませる骨、傘の骨などとしても使われていたし、日本では武士の裃(かみしも)の肩をピンと張らせるための骨としても利用されていた。また、クジラヒゲは板状の繊維なので、「割けるチーズ」のように細く割くことができる。一番細くすると強度のある紐になるので、刀の握りの部分を巻くための紐としても利用されていたという。

他に有名なのは、永六輔さんが生前に重要性を訴えていた「鯨尺(くじらじゃく)」がある。別名「呉服尺」とも呼ばれるモノサシで、普通の1尺は約30cmだけど、「鯨尺」の1尺は普通の1尺2寸5分に相当するため、約38cmになる。永六輔さんは「鯨尺」そのものではなく、この伝統的な「単位」の重要性を訴えていたのだ。他にも、弾力性と反発性に優れたクジラヒゲは、きしめん状にしたものをクルクルと巻くと「ぜんまいバネ」になるので、江戸時代には「からくり人形」の動力に使われていた。クジラヒゲは装飾品などにも使われていたけど、その多くは、強度や反発力などの特性を生かして実用品に利用されていた。

こんなに便利なクジラヒゲは、クジラの体長の違いだけでなく、捕食するエサの種類によっても長さや厚みなどが違ってくる。クジラヒゲの長さは、シロナガスクジラが1~1.5m、ナガスクジラが60cm~1m、イワシクジラが約60cm、ミンククジラが約30cmなんだけど、シロナガスクジラやナガスクジラよりも小さいホッキョククジラやセミクジラは、クジラヒゲが2mもある。これは、オキアミなどの小さいプランクトンなどをメインのエサにしているため、濾過フィルターであるクジラヒゲが発達したものと思われる。一方、ナガスクジラの仲間たちは、捕食するメインのエサがイワシなどの小魚なので、そこまで長いクジラヒゲは必要としない。

そんなヒゲクジラ亜目のクジラたちだけど、どんなふうに捕食をしているのかというと、基本的には、小魚の群を見つけると海面へと追い込み、体を横に半回転しながら口を大きく開けて小魚の群を海水ごと飲み込み、口を軽く閉じてクジラヒゲの間から海水を吐き出し、口の中に残った小魚を飲み込む、というパターンだ。どうして、海面へと追い込むのかというと、海中にいる群に突進しても小魚たちは四方八方へ散らばって逃げてしまうため、思ったほど口の中に入らないからだ。そこで、上には逃げることができない海面へと追い込み、それから襲い掛かるワケだ。その上、クジラは体を半回転させながら襲い掛かるので、上から見て口がV字型になるから、より多くの小魚を口に入れることができるのだ。これが一般的なヒゲクジラの捕食だけど、中には素晴らしいチームプレイを見せるものもいる。

たとえば、ザトウクジラの場合、「バブルネットフィーディング」という独特の漁を行なうことが知られている。小魚の群を見つけると、数頭から数十頭のチームで小魚の群の周りを大きく回って一カ所に追い込み、長いヒレを使って取り囲む。そして、1頭のクジラが魚の群の下に潜って大きな声を出し、驚いた魚の群が海面に逃げると、今度は別のクジラたちが泡を吐き出しながら旋回して「バブルネット(泡の網)」を作って魚の群を閉じ込め、みんなで口を開けて海面へ飛び出して一気に飲み込んでしまうのだ。

イワシクジラの場合は、ザトウクジラと同じようにイワシの群の周りをグルグルと回るんだけど、食べ方がちょっと違う。クジラが捕食行動に出ると、イワシたちは危険を感じて、海中で一カ所に集まって大きな球状になる。「フィッシュボール」と呼ばれているもので、絵本の『スイミー』のように自分たちを「大きな生き物」に見せる意味もあるんだと思う。だけど、それを知っているイワシクジラは、イワシたちが一カ所に集まって「フィッシュボール」を作ると、そこに向かって口を開けて突進して、大量のイワシを口の中に入れ、クジラヒゲの間から海水を吐き出すのだ。これは、クジラの中でも泳ぐ速度が最速であるイワシクジラが得意とする方式で、他のクジラがこれをやっても、泳ぐ速度が遅いから口には少しのイワシしか入らない。たくさんのエネルギーを消費しても少しのイワシしか口に入らないから、今どきの表現で言えば「コスパが悪い」ということになる。

そして、カツオクジラの場合は、何でカツオの群と一緒に泳いでいるのかと言えば、カツオのエサがイワシだからだ。ようするに、カツオと一緒に泳いでいれば、カツオはイワシの群を見つけてくれるから、その時にご相伴に預かることができる‥‥というか、まとめて横取りしちゃう作戦だ。だけど、同じ種類のクジラでも、生息域によって独自のスタイルがあるようで、カツオでお馴染みの高知県の土佐湾に生息するカツオクジラたちは、ザトウクジラと同じ「バブルネットフィーディング」を行なうことが知られている。そのため、『四国一周ブログ旅』で稲垣早希ちゃんも観に行っていたけど、高知県では「ホエールウォッチング」が盛んだ。


‥‥そんなワケで、自分の生息域に合わせて捕食方法を変えるとしても、単独行動ではなくチームプレイなのだから、イルカのように水中で音波を出して仲間たちと交信しながら行なっているのだろう。そう考えると、カツオクジラは、もしかすると磯野カツオと同じくらいの知能があるのかもしれない(笑)‥‥なんて思っていたら、昨年11月に、本当にそう思えるような調査結果が発表されたのだ。日本の東京大学の大気海洋研究所、イギリスのセントアンドリュース大学の大気海洋研究所、中央水産研究所、タイ沿岸資源研究所、プーケット海洋生物研究所による共同研究チームが、タイ中部のタイ湾に生息するカツオクジラを調査していたんだけど、その結果、面白い捕食行動を発見したとして、アメリカの生物学専門学術誌『Current Biology(カレント・バイオロジー)』に論文が発表されたのだ。

この共同研究チームの調査対象は31頭のカツオクジラで、複数の個体の複数個所にダイバーがセンサーを吸盤で取り付けて、水中での体の向きなども分かるようにして調査したそうだ。論文を直訳して書き写すと長い上に分かりにくいので、あたしなりに簡単に紹介するけど、タイ湾のカツオクジラたちは、小魚の群を見つけると、そのすぐ近くで尾ビレや胸ビレを使って上手に「立ち泳ぎ」をして、海面に大きな口を開けたままジッとしている。すると、危険を感じて海面を逃げ惑う小魚たちはピョンピョンと跳ねるから、何割かはクジラの口の中に飛び込んでしまうのだ。あたしは「立ち食いそば」が大好きで、よく「ゆで太郎」に行くんだけど、まさかタイのカツオクジラたちも「立ち食い」をしていたなんて(笑)

31頭のカツオクジラたちの捕食を計58回観察したところ、口を開けている時間は平均14.5秒で、それでもけっこうな小魚が口に入るため、自分から小魚の群に突進して捕食する従来の方式よりも、口を開けて待っているだけのこちらの方式のほうが、エネルギーを使わない「省エネ捕食」だということに、ここのカツオクジラたちは気づいたワケだ。論文によると、近年のタイ湾は生活排水などによって富栄養化が進み、一定の深さから下は酸素不足になっているという。そのため、カツオクジラのエサとなる小魚たちは、必然的に海面の近くにしか生息できなくなった。さらには、小魚たちの数も減少傾向にあるため、エネルギーを使って襲い掛かる従来の方式だと、思ったほどの小魚を捕食できなくなったそうだ。そこで、なるべくエネルギーを使わずに効率よく捕食する方法として、海面で口を開けて待っている方式に変えたようだ。

そして、あたしが何よりも感心したのは、この「立ち泳ぎ」による受動的な捕食スタイルを行なっていたのが、大人のカツオクジラのケースだけでなく、大人と子どものペアでのケースも多かったという点だ。共同研究チームは、これは「親子ペア」で、親が子どもにエサの採り方を学習させているのだと指摘している。一般的なヒゲクジラの捕食、海面の小魚の群に襲い掛かる捕食はものすごい迫力なので、海面に口を開けてジッとしているだけのこの方式は、実際に映像で観てみると、ちょっと間抜けな感じもする。だけど、自分たちの生息している海域の環境変化に合わせて、できるだけエネルギーを使わずに効率よく捕食できる方法を自ら考え出し、それを子どもたちに学習させていたなんて、もしかしてカツオクジラたちは、「磯野カツオと同じ」どころか、安倍晋三や麻生太郎よりも遥かな高い知能を持っているんじゃないのか‥‥なんて思った。


‥‥そんなワケで、今回は最後に、カツオクジラの「立ち泳ぎ」による受動的な捕食の貴重な映像と、海面の小魚の群を丸飲みする通常の能動的な捕食の映像を紹介したいと思う。能動的な捕食の映像はドローンによる撮影なので、体を半回転させながら小魚の群を丸飲みするクジラの姿がよく分かる。「立ち泳ぎ」の映像はちょっとマヌケだけど、通常の捕食の映像はとても素晴らしいので、ぜひ観てみてほしいと思った今日この頃なのだ♪


「カツオクジラの立ち泳ぎの捕食」


「カツオクジラの通常の捕食」


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