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2018.05.24

四季の七草

皆さんは、毎年1月7日に「七草粥(ななくさがゆ)」を食べてますか?‥‥なんて感じにスタートしてみたけど、あたしは七草粥が大好きなので、毎年1月7日には必ず食べているけど、普通の日でもタマに作って食べたりする。ただ、七草粥に入れる七草のうちの大半は、スーパーの野菜コーナーとかには並んでいない雑草みたいなもんだから、七草を揃えるのは大変だ。だから、あたしは、普通の日に七草粥が食べたくなった時には、近くの河原とか原っぱとかで2~3種類の雑草を摘んできて、それにダイコンやカブを加えた「四草粥」や「五草粥」でお茶を濁している。

でも、毎年、新年を迎えて、1月7日が近づくと、どこのスーパーでも「七草粥セット」が売り出されるから、そんなに苦労しなくても、ちゃんと7種類の草が入った「七草粥」を作って食べることができる。新年4日ころにスーパーで売り出される「七草粥セット」は、小さなカゴに7種類の草が盛られている生(なま)のタイプと、7種の草が細かく刻まれた上にフリーズドライになっているタイプのものがある。前者は500円前後もして高いけど、後者も350円くらいして高い。だから、あたしは、バカバカしいから買わない。

だけど、1月7日が過ぎると一気に需要がなくなるから、半額以下で割引ワゴンに山積みになる。そこで、あたしは、100円から150円くらいに値下げされたフリーズドライの「七草粥セット」を何個か買ってくる。カップ麺の中に入っている具の小袋みたいな感じだけど、お鍋でお粥を炊いて、この小袋を1つか2つ入れて、仕上げにお塩をパラパラと振って味を整えれば、それだけで美味しい七草粥ができる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、中国では昔から新年の1月1日を「鶏の日」、2日を「犬の日」、3日を「猪(豚)の日」、4日を「羊の日」、5日を「牛の日」、6日を「馬の日」と決めていて、その日には、その動物を殺して食べないようにしてきた。そして、1月7日は「人の日」として、罪人の処刑などを行なわないようにして、七種類の野草を入れたお吸い物をいただく風習があった。「4つ足のものなら机と椅子の他は何でも食べてしまう」と言われている中国人なのに、おめでたいお正月だけは、ふだん食べている動物に敬意を表して、1日から6日まで「食べない日」を設け、7日には7種の野草のお吸い物をいただいていたのだ。

この中国の風習が、平安時代のころに日本にも伝えられ、日本でも1月7日の「人日(じんじつ)」に「七草粥」を食べるようになった。だけど、いろいろと古い文献などを調べてみると、平安時代に食べられていた「七草粥」は、今のものとは大違いで、「米、粟(あわ)、稗(ひえ)、黍(きび)、胡麻(ごま)、小豆(あずき)、皇子(みのこ)」という7種類の穀物や豆をお粥にしたもので、「七草粥」ではなく「七種粥」と書いて「ななくさがゆ」と呼んでいた。

「草」という文字が、食べられる植物も食べられない植物もすべて含んだ呼び名であるのに対して、「種」という文字は、食べられる植物だけを指す呼び名だ。今でも地名や人名などに残っている「千種(ちぐさ)」という言葉は、食べられる植物すべてを指す呼び名で、日本人が農耕民族であるからこそ生まれた感謝の言葉なのだ。だから、現在の春の七草である「芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏の座(ほとけのざ)、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)」のことも、「七草」でなく「七種」と書いても間違いじゃないし、この7種の植物を入れたお粥のことを「七種粥」と書いても間違いじゃない。

ちなみに、この7種を「春の七草」としたのは、南北朝時代から室町時代にかけての14世紀の公家で歌人の四辻善成(よつつじ よしなり)だと言われている。四辻善成が、室町幕府第二代将軍の足利義詮(あしかが よしあきら)の命によって執筆した『河海抄』(かかいしょう)という『源氏物語』の注釈全集の中で、この7種の植物を「七草」として挙げていて、それが後に「せりなずな 御形はこべら仏の座 すずなすずしろ これぞ七草」という五七五七七の和歌になり、一般にも広く知られるようになった。だから、日本の「七草粥」の歴史は千年以上もあるけど、現在と同じ「七草粥」が食べられるようになったのは、江戸時代のころからで、まだ300年ほどの歴史しかない。


‥‥そんなワケで、もともとは中国の新年の風習として、1月1日の「鶏の日」、2日の「犬の日」、3日の「猪(豚)の日」などと一緒に日本にも伝えられた1月7日の「人の日」の「七草粥」だけど、現代の日本では、1月1日のお元日にはお雑煮に鶏肉を入れる地域も多いし、さすがに犬は食べないけど、3日に豚肉を食べたり5日に牛肉を食べる人もたくさんいると思う。つまり、すべて一緒に日本に伝わってきた中国の風習なのに、「1月1日に鶏肉を食べてはいけない」とか「1月3日に豚肉を食べてはいけない」とか「1月5日に牛肉を食べてはいけない」という風習はぜんぜん根付かなかったのに、「1月7日に七草粥を食べる」という風習だけは根付き、その上、千年後の現代にまで受け継がれてきたことになる。

あたしの推測としては、ただ単に「風習」ということじゃなくて、お正月にご馳走を食べすぎて疲れた胃に、1月7日あたりの時期のお粥がやさしいから‥‥なんて一面もあるからだと思う。そして、冒頭のマクラにも書いたように、今ではスーパーなどで「七草粥セット」が売られているし、いつでも使える便利なフリーズドライの商品もあるから、手軽に作れるようになったことも一因だと思う。

日本人て「土用の丑の日にウナギを食べる」とか「冬至にカボチャを食べる」とかが好きだし、食べ物以外でも「端午の節句に菖蒲湯に浸かる」とか「冬至に柚子湯に浸かる」とかも好きだから、お正月にさんざんご馳走を食べて疲れた胃に対して、「胃を休める」という実用面だけでなく、「昔からの風習の行事を行なう」という伝統面としても、双方を満足させられる七草粥は、日本人のDNA的にツボなんだと思う。


‥‥そんなケで、中国では「朝粥(あさがゆ)」と言って、朝食にお粥を食べることがポピュラーで、街にも朝粥のお店がたくさんあって、毎朝、仕事場へ出勤する人たちが「朝マック」のような感覚でいろいろなトッピングのお粥を食べている。でも、日本では、お粥と言うと「病気をした時の食べ物」というイメージが強いから、朝食にパンよりご飯を選ぶ人でも、たいていは炊き立てのご飯とお味噌汁を食べていて、お粥を食べる人は少ない。そのため、こうした「人の日」などに家族でお粥を食べることが新鮮で、これも「七草粥」という伝統が今でも続いている理由のひとつなのかもしれない。

一方、秋の七草は、「七種」でなく「七草」、食べるのではなく鑑賞するものなので、言葉としては残っていても、実際に秋の七草を揃えて飾って鑑賞する人はほとんどいないだろう。でも、秋の七草である「萩(はぎ)、桔梗(ききょう)、葛(くず)、藤袴(ふじばかま)、女郎花(おみなえし)、尾花(おばな)、撫子(なでしこ)」は、どれも秋を代表する日本古来からの草花なので、春の七草と一緒にすらすらと言えるように覚えておくだけでなく、実際にどんな草花なのか、せめて画像くらいは確認しておいてほしい。

あたしは、幼稚園の時に、母さんが、お風呂の中で春の七草の歌と一緒に秋の七草の歌も五七五七七のリズムで教えてくれたので、「はぎ・ききょう/くず・ふじばかま/おみなえし/おばな・なでしこ/秋の七草」と、すぐに暗記した。だから、子どものころから普通に暗唱できた。あたしの母さんは和歌が大好きで、あたしは俳句が大好きだけど、そうしたこととは別に、日本に生まれた日本人の常識として、春の七草と秋の七草くらいは暗唱できないと恥ずかしいと思っている。


‥‥そんなワケで、もち米とアンコで作った同じ食べ物なのに、春のお彼岸の時には「ぼたもち」と呼び、秋のお彼岸の時には「おはぎ」と呼ぶのは、「ぼたもち」が「牡丹(ぼたん)餅」、「おはぎ」が「お萩」で、それぞれの季節のお花の名前から名づけられているからだ‥‥なんてウンチクも織り込みつつ、ここまでの「春の七草」と「秋の七草」はとてもメジャーなので、わざわざあたしが言うまでもなかっただろう。でも、次に取り上げる「夏の七草」は、よほどの七草マニアじゃないと知らないと思う。

夏の七草は、「葦(よし)、藺(い)、沢瀉(おもだか)、未草(ひつじぐさ)、蓮(はす)、河骨(こうほね)、鷺草(さぎそう)」の7種で、明治から昭和にかけて活躍した東京の華族で政治家の勧修寺経雄(かじゅうじ つねお)が詠んだ和歌、「涼しさは よし い おもだか ひつじぐさ はちす かわほね さぎそうの花」によるものだ。この歌の「はちす」は「蓮」のことだけど、渥美清さんの歌う『男はつらいよ』のテーマソングにも「ドブに落ちても根のある奴は~いつか蓮(はちす)の花と咲く~」と歌われているので、知っている人も多いと思う。

春の七草は「食べて春を感じる七草」で、秋の七草は「鑑賞して秋を感じる七草」だったけど、この夏の七草は、秋の七草と同じく「鑑賞する七草」だというだけでなく、「鑑賞することによって涼しさを感じる七草」だというワケだ、今、夏の草花と言うと、やっぱり代表的なのは向日葵(ひまわり)だと思うし、他にも朝顔(あさがお)などを思い浮かべると思うけど、当時はエアコンなどない時代だったから、鑑賞して涼しさを感じる草花として、この7種が選ばれたワケだ。

まあ、夏の七草が生まれたのは文明開化以降なので、春の七草や秋の七草のように長い歴史はないけど、それでも、知る人ぞ知る夏の七草なので、この勧修寺経雄の歌を暗記しておき、誰かが春の七草と夏の七草をすらすらと言ってドヤ顔をした時に、すぐさま、「夏の七草って知ってる?」と聞き、相手が答えられなければ、この夏の七草を聞かせてあげると、一気にヒーローになれることウケアイだ(笑)


‥‥そんなワケで、春の七草は食べる草花で、秋の七草は鑑賞する草花だけど、この夏の七草は、そのどちらもがある。今、紹介した夏の七草は鑑賞する草花だったけど、この歌が詠まれてから約40年後の1945年6月、戦時中の食料難に対応するため、日本学術振興会が野草の活用を考える委員会を作り、食べられる野草による夏の七草を発表したのだ。それが「藜(あかざ)、猪子槌(いのこづち)、莧(ひゆ)、滑莧(すべりひゆ)、白詰草(しろつめくさ)、姫女苑(ひめじょおん)、露草(つゆくさ)」の7種で、どの野草も、お浸し、お味噌汁の具、天ぷらなどにして食べることができる。

大ヒットしたアニメ映画『この世界の片隅に』を観た人なら、戦況が進むにつれて配給の食料が少なくなっていくため、主人公のすずさんが自分で摘んできた野草を混ぜて楽しそうにお料理しているシーンを思い出すと思うけど、中国の古い風習が伝わって生まれた春の七草と、戦時中の食料難を乗り切るために政府が無理に作り出した夏の七草は、同じ「食べる草花」でも、その背景や本質が大きく違っている。そして、平和憲法によって70年以上も戦争の起こらなかった現在の平和な日本、ザックリ言えば「戦後の日本」を、また「戦前の日本」に戻そうとする安倍政権の異常な空気感が漂ってくると、「戦時中の食料難を乗り切るための夏の七草」という過去の遺物が、急に現実味を帯びてくるのだ。

そんなこんなで、この流れでくると、やっぱり「冬の七草」も知りたくなっちゃうけど、残念ながら、ハッキリとした冬の七草は、現時点ではない。でも、その代わりに、日本には「冬至の七種(ななくさ)」がある。こちらは「七種」という文字を見れば分かるように、食べられる植物や、植物を原料とした食べ物が並んでいる。それが「南瓜(かぼちゃ)、蓮根(れんこん)、人参(にんじん)、銀杏(ぎんなん)、金柑(きんかん)、寒天(かんてん)、饂飩(うどん)」の7種だ。南瓜は「なんきん」とも読むし、饂飩は「うんどん」とも読むので、7種すべてに「ん」の字が2つ含まれることから、冬至の日にこれらの食べ物のどれかを食べると「運が二倍になる」と言われている。


‥‥そんなワケで、日本は四季のある国なので、食べる植物でも鑑賞する植物でも、春夏秋冬それぞれのものがあり、それぞれを楽しむことができる。現代では、農業の進歩や輸入によって、スーパーの野菜売り場には、一年中、同じ野菜が並んでいるけど、本来はそれぞれの野菜に旬があり、その時期に食べるのが一番美味しくて栄養もあった。一年中、ほとんどの野菜が手に入る今の世の中は、確かに便利にはなったけど、あたしは、便利と引き換えに大切なものを失っているような感覚にも捕らわれている。夏が旬のトマトやキュウリも、冬が旬のダイコンやハクサイも、今では何でも一年中売っていて、安い値段で買うことができる。もちろん、これは素晴らしいことだけど、その一方で、いつでも手に入ることによって、食べ物に対する有り難さや感謝の気持ちが薄れてしまったようにも思えるのだ。そして、だからこそ、あたしは、四季折々の言葉を大切にした俳句を愛しているのかもしれないし、毎年1月7日には「七草粥」をちゃんと作って、大地に感謝しながら母さんと食べているのかもしれないと思った今日この頃なのだ。


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