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2018.06.16

フィリップ・マーロウの憂鬱

もう何カ月も前のことなので、今さら言うのもアレだけど、深夜に原稿を書きながら文化放送『走れ!歌謡曲』を聴いていたら、ゲストの男性演歌歌手が、新曲のカップリング曲について説明する中で、この曲には作詞家の先生に頼んで自分の好きな言葉を織り込んでもらった、という話をしていた。そして、そのカップリング曲の歌詞に織り込んでもらった「自分の好きな言葉」について、次のように説明していた。


「僕の好きな言葉で『男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。』というのがあるんですよ。映画のセリフだったか、小説に出てくるセリフだったか‥‥」


この演歌歌手は、今回の新曲がデビュー30周年記念だと言っていたから、20歳でデビューしたとしても50歳というワケで、あたしより5歳くらい年上だと思うけど、この言葉を聴いて、あたしは「あ~あ‥‥」って思ってしまった。だって、この人と同じように、この有名なセリフを間違えて覚えてる人ってけっこう多くて、あたしは今までに4~5人くらいの人に「それ、違いますよ」と教えてきた経緯があるからだ。

このセリフは、知っている人も多いと思うけど、レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説、探偵フィリップ・マーロウが主人公のシリーズの第7作にしてチャンドラーの遺作でもある『プレイバック』に登場する。弁護士から、ある女性の尾行を依頼されたマーロウは、結局、その女性、ベティ・メイフィールドに近づき、一夜をともにする関係になるんだけど、その女性との間で次のような会話がなされるのだ。


ベティ・メイフィールド「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」

フィリップ・マーロウ「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない。」


これは、原作が発刊された1958年の翌年、清水俊二さんによって初めて翻訳されたセリフだ。ちなみに原文は「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. 」なので、直訳すれば「もしも私が厳しくなければ、私は生きていられない。もしも私が優しくなければ、私は生きていく価値がない。」という感じになる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、ハードボイルド作家の生島治郎さんは、1964年、このセリフを「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない。」と訳した。また、作家の矢作俊彦さんは、1990年、原文の「hard」と「gentle」を無理に日本語にせずに「ハードでなければ生きていけない、ジェントルでなければ生きていく気にもなれない。」と訳すべきだと述べている。他にも、ちょっと変わったところでは、翻訳家で英文学者の柴田元幸さんが「無情でなければ、いまごろ生きちゃいない。優しくなければ、生きている資格がない。」と訳している。

そして、一昨年2016年12月、このチャンドラーのフィリップ・マーロウのシリーズの翻訳を続けてきた村上春樹さんの『プレイバック』が刊行された。村上春樹さんの訳では、このセリフは次のようになっている。


ベティ・メイフィールド「これほど厳しい心を持った人が、どうしてこれほど優しくなれるのかしら?」

フィリップ・マーロウ「厳しい心を持たずに生きのびてはいけない。優しくなれないようなら、生きるに値しない。」


う~ん、村上春樹さんのファンには申し訳ないけど、あたし的には、この訳はイマイチかな?女性のセリフの「これほど」を繰り返している点が気になるし、マーロウの「厳しい心を持たずに生きのびてはいけない」は翻訳者の主観が強すぎると思う。なんか、戸田奈津子さんが翻訳した洋画の字幕みたいで、「翻訳」なのに「創作」のフレーバーが強すぎると感じる。翻訳というものは、どんなに飛躍していても、それが原文のニュアンスを正確に伝えるためであるのなら許されるけど、翻訳者の主観が少しでも介在したら、そこでジ・エンド、それは翻訳ではなく創作になってしまう。

ま、原文に忠実であれば、いろんな翻訳があるのは楽しいし、それらの中で自分の感性に最もマッチする翻訳を選べばいいだけだけど、原文に書かれていない言葉を勝手に付け足しちゃうのは、やっぱり反則だと思う。それなのに、どうしてこの有名なセリフに「男は」なんて言葉が付け足されて、マーロウの個人的な感覚が、あたかも「男の生き方のお手本」みたいに広められちゃったんだろう?


‥‥そんなワケで、実はこれ、春樹は春樹でも村上春樹さんじゃなくて、もう1人の春樹、角川春樹さんに原因があるのだ。1976年、角川書店の社長だった角川春樹さんは、自社の書籍の売上を伸ばすために、自社の書籍を原作とした映画を制作することにした。もちろん、最初は既存の映画会社に制作を依頼して、自社の書籍の売り上げを伸ばそうとしたんだけど、これがなかなかスケジュール通りにいかない。そこで、角川春樹さんは、自分で映画制作をすることにして、1976年に第1作『犬神家の一族』を制作して公開した。そして、これが計画通りに大ヒットしたので、本格的に映画制作をするために「角川春樹事務所」を設立し、1977年には『人間の証明』、1978年には『野性の証明』と、次々と大ヒット作を生み出していったのだ。

角川映画が大ヒットした背景には、作品の良さだけでなく、宣伝の巧さがあったと言われている。『人間の証明』では、西条八十(やそ)の『ぼくの帽子』という詩の一部を引用した「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」というテレビCMのセリフが流行した。そして、1978年の『野性の証明』では、こんなキャッチコピーが使われた。


「男はタフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。」


これは、さっき紹介した生島治郎さんの翻訳、「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない。」を元にして作られたキャッチコピーであることは明らかだ。ようするに、「角川春樹事務所」の制作した映画は次々とヒットを飛ばしたし、そこには「宣伝の巧さ」が大きく作用していたワケだけど、その宣伝に疲れたコピーは、コピーライターが考えたオリジナルではなく、既存の詩の一部の流用や、既存の有名なセリフを元に作られた二次創作だったというワケだ。

だけど、この映画『野性の証明』が大ヒットしたことで、このキャッチコピーも注目され、その由来である原作、チャンドラーの小説『プレイバック』も再評価されるようになったと言われている。だから、既存の有名なセリフを元にして二次創作したことについては、あたしは別に何とも思っていない。ただ、二次創作である映画のキャッチコピーのほうが有名になってしまい、マクラで挙げた演歌歌手のように、二次創作のほうをオリジナルだと思い込んでいる人が多すぎることに、あたしは、何となく納得できない気分になっているのだ。


‥‥そんなワケで、あたしは、イギリスのレゲエバンド「UB40(ユービーフォーティー)」の『Red Red Wine』という失恋ソングを初めて聴いた時、なんて素敵な曲なんだろうと大感激して、それ以来、ずっと「UB40」の大ファンになった。だけど、当時は、この曲がニール・ダイアモンドのヒット曲で、それを「UB40」がレゲエにアレンジして演奏していたなんてぜんぜん知らなかった。そして、何年もしてから、その事実を知ったので、ニール・ダイアモンドのベスト盤のCDも買って、ちゃんと原曲を聴いてみたら、これはこれでとても素敵だった。

だけど、世の中は、あたしみたいな「原典に当たりたがる人」ばかりじゃないから、映画『野性の証明』のテレビCMで「男はタフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。」というキャッチコピーと出会い、なんてカッコいいセリフなんだろうと感激し、これがチャンドラーの『プレイバック』という小説に出てくるセリフから作られたと知っても、わざわざその小説を買ってきて読もうと思う人は、そんなには多くないと思う。そのため、小説は読んでなくても、このセリフの由来だけは何となく知っている‥‥という人が大量発生してしまい、そういう人たちが得意になって周囲に吹聴してきた流れの中で、いつしかオリジナルと二次創作とがゴッチャになってしまったんだと思う。

映画『野生の証明』が大ヒットした1978年は、あたしはまだ5歳で幼稚園児だったから記憶がないけど、あたしより5歳以上も年上の演歌歌手なら、当時は小学5年生とか6年生とかだったはずだから、毎日のようにテレビで流れていたCMのキャッチコピーを耳にして「なんてカッコいいセリフなんだろう」と思った可能性は十分にある。そして、それから40年、一度も原典に当たらないまま生きてきた過程の中で、キャッチコピーの「タフでなければ」の他のバージョン、たとえば「ハードでなければ」とか「無情でなければ」とか「強くなければ」とかを耳にして、自分の中で「男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」という形が出来上がっちゃったのかもしれない。


‥‥そんなワケで、これは、あくまでも英文の和訳だから、あたしは、本意さえ変わらなければ複数の和訳があってもいいと思っている。でも、原作の「hard」を最初に「タフ」と訳した生島治郎さんは、さすがはハードボイルド作家だけあって、ハードボイルドな色合いを出すために原作の本意よりも自分の主観を優先した「無理のある和訳」をしたと思う。ちなみに、この「hard」を「厳しい心」と訳した村上春樹さんは、昨年4月のトークイベントで、次のように述べている。


「ハードとタフは違うんです。なので(生島治郎さんの)『タフじゃなければ』はかなりの異訳なんです。でも響きとしてはいい。それは翻訳者として難しいところで、読むほうは気持ちはいいんだけど、翻訳としてはちょっとまずい。私はずいぶん迷って何度も書き直して、やっと『厳しい心』に落ち着いたんだけど。でも『タフじゃなければ』のほうがフレーズとしては覚えやすいですね」


原文の「hard」をどのような日本語に訳すか、それとも矢作俊彦さんのように、そのまま「ハード」と書くか、この辺は翻訳者それぞれのセンスや好みによって分かれるとこだけど、原作の本意に従うのなら、少なくとも「タフ」と訳すべきじゃない。この作品『プレイバック』を最初から読み、マーロウとベティという男女2人の関係性やシチュエーションを理解した上で会話を読めば、これは、女性から思わぬセリフを言われてしまったマーロウが、照れ隠し気味に返したセリフだということが誰にでも分かる。そんな場面では、よほどのナルシストでもない限り「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない。」なんて言うワケがない。ましてや、そのセリフに、原作にはない「男は」などという主語を勝手に付け足して、これがあたかも「男の生き方」の理想像であるかのように広まってしまっただなんて、あたしは「なんだかな~」と思ってしまう。


‥‥そんなワケで、「ハードボイルド」とは、直訳すれば「固ゆで」で、タマゴなどを固くゆでたことを指すんだけど、それが転じて、感情に流されない強固な精神と強靭な肉体とを併せ持ったクールな人物を指すようになり、そうした人物が主人公の客観的でシンプルな文体の小説を指すようになった。つまり、「ハードボイルド」とは、半分に切ったら黄身が流れ出てくるような半熟タマゴなどではなく、中心にしっかりとした黄身を持つ固ゆでタマゴのような人物のことなのだ。そう考えると、1959年に初めて日本語に翻訳した清水俊二さんの訳こそが、やっぱり原作のニュアンスに一番近いように感じられるので、今日は最後に、今から60年近く前の訳をもう一度紹介して、終わりたいと思う今日この頃なのだ。


「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない。」


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2018.06.14

船酔い爺さんのブルース

1941年、アメリカの西海岸、カリフォルニア州アラメダ郡の港街オークランドで、1人の男の子が誕生した。スティーヴン・ジーン・ウォルド(Steven Gene Wold)だ。音楽好きだった父親は、4歳になったスティーヴにブギウギピアノを教え込もうとしたが、幼い彼にはまだ無理だった。そして、彼が5歳の時、両親が離婚し、彼は母親とともにミシシッピー州の祖父の家へと引っ越すことになった。

ここで、彼に、運命の出会いがあった。それは、祖父の経営するガレージで働いていたKC・ダグラスという売れないブルース・ギタリストだった。音楽だけで生活することができなかったKC・ダグラスは、ここで働きながら音楽活動を続けていたが、暇を見つけては8歳になったスティーヴにブルース・ギターの手ほどきをしてくれたのだ。ピアノの才能はなかったスティーヴだが、ギターには興味を持ち、まだそれがブルースという音楽だということすら分からない年齢から、夢中になってギターの練習を繰り返した。

しかし、そんな楽しかった日々にも、終わりの時が訪れてしまった。まだ若かった彼の母親が、新しい恋人である事実上の再婚相手を自宅に連れ込むようになり、スティーヴの生活は一変した。新しい父親は、酒に酔っては幼いスティーヴに殴る蹴るの暴力を働くような野蛮な人物だったのだ。連日の暴力に耐えられなくなったスティーヴは、13歳の時に家出をし、都会へ出てホームレス生活を始めることになる。廃品を拾い集めて小銭を稼いだり、年齢をごまかして日雇い労働をしたり、時には悪い仲間たちと盗みを働いたりと、スティーヴは必死に生き抜いた。でも、どんなに生活が苦しくても、大切なギターだけは手放さなかった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、16歳になったスティーヴは、路上でのギター演奏を始めたが、彼の演奏スタイルは田舎町の伝統的ブルース・ギタリストだったKC・ダグラスから教え込まれたものだったため、時代遅れで、流行の移り変わりが早い都会ではまったく受け入れられなかった。そして、彼は、ホーボー(Hobo)として生きることになる。ホーボーというのは、無理やり日本語にすると「季節移動労働者」とでも言うべきか、冬になると南へ、夏になると北へ、貨物列車に乗って大陸を移動しながら、農場や工場などで数カ月単位で住み込みで働く労働者のことだ。「自宅を持たない」という意味では「ホームレス」と同じだが、都会の隅で暮しているホームレスよりは、アメリカでは一段上に見られている。

1960年代、20代になったスティーヴは、少しずつ音楽の仕事もできるようになり、音楽仲間たちと演奏旅行もできるようになった。いろいろな土地でいろいろなミュージシャンと知り合い、音楽の輪が広がっていき、そのうち、ジャニス・ジョプリンやジョニ・ミッチェルなどの有名ミュージシャンとのパイプもできた。そうした流れから、ギターの演奏能力を評価された彼は、スタジオ・ミュージシャンとしての仕事も舞い込むようになった。そして、スタジオでの仕事を続けているうちに、名前も少しずつ売れ始め、1980年代には自分の名前でマイナーなツアーが行なえるまでになった。

苦労していた若い時代に、一度、結婚で失敗しているスティーヴは、名前が売れ始めて生活も安定してきた1980年代、ツアー先のノルウェーの首都オスロで知り合ったノルウェー人の女性と、二度目の結婚をした。そして、ワシントン州のシアトル郊外に自分のスタジオを構え、レコーディング・エンジニアとして、アルバム制作の仕事を始めた。しかし、奥さんの兼ねてからの希望で、2001年、奥さんの故郷のノルウェーはオスロへと移住することになった。

この地で、スティーヴは、対岸のデンマークまで往復するブーズ・クルーズに乗った。ブーズ・クルーズと言うのは、船上でお酒を飲むことを目的としたパーティー形式の観光クルーズだ。彼は初めてのブーズ・クルーズで、腸が捻じれるほどの酷い船酔いで苦しむことになる。一緒にいた音楽仲間たちからは「シーシック・スティーヴ(Seasick Steve)」、つまり「船酔いスティーヴ」と呼ばれ、これが彼のニックネームになった。そして、2003年、「Seasick Steve and the Level Devils」(船酔いスティーヴと水平線の悪魔たち)というバンド名でリリースしたカントリー・ブルースのアルバム『Cheap』(安っぽい粗悪品)がスマッシュヒットし、イギリスのラジオなどでも取り上げられるようになった。

しかし、ようやく彼の音楽が日の目を見始めた2004年、自宅にいたスティーヴは心臓発作で倒れてしまう。だが、神様は彼を見放さなかった。その場に一緒にいた奥さんは、元看護士さんで、この時も、看護士の仕事を再開するために、ちょうど再訓練をしていたところだったのだ。そんな奥さんの適切な処置で一命を取りとめたスティーヴは、その奥さんの勧めで、回復後にニューアルバムの製作に取り掛かり、2006年、『Dog House Music』(犬小屋のブルース)をリリースする。これが大きく取り上げられ、イギリスの人気音楽テレビ番組の大晦日カウントダウン特番への出演が決定したのだ。アメリカの片田舎の古臭い彼のブルースが、イギリスの若者たちにとっては、逆に新鮮な音楽として受け入れられた瞬間だった。


‥‥そんなワケで、スティーヴは、このテレビ番組がキッカケとなり、翌2007年の夏には、EU各国で行なわれた夏フェスに引っ張りダコとなり、この年の最注目アーティストとして、イギリスの権威のある音楽賞である「MOJO賞」の最優秀新人賞を受賞する。そして、翌2008年の夏には、初来日して「フジロック・フェスティバル」に出演し、日本の音楽メディアでも大きく取り上げられることとなった。日本のレコード会社は「68歳の新人」というキャッチコピーでスティーヴを宣伝したが、成功者には必ず、足を引っ張ろうとする者が現われる。彼の場合は、彼の公表している本名や年齢や経歴などが「すべて嘘」だとする無許可の伝記が2016年に出版されてしまった。

その伝記、マシュー・ライト著の『Seasick Steve:Ramblin 'Man』(放浪者、船酔いスティーヴ)によると、彼の本名は「Steven Wold」ではなく「Steven Leach」であり、誕生した年も「1941年」ではなく「1951年」だと指摘されている。つまり、実際よりも10歳ほど年上にサバを読んでいると言うのだ。また、彼の経歴に関しても「一部は捏造されたもの」だとして、実際は、インド音楽を取り入れたフュージョンバンド「Shanti」でベースを弾いていたり、フランスのディスコミュージックバンド「Crystal Grass」などで演奏していたと指摘している。実際、これらのバンドのディスコグラフィーを調べてみると、ベーシストとして「Steven Leach」の名前がクレジットされているが、これが本当にスティーヴなのかは分からない。

あたしなりにいろいろと調べてみたら、YOU TUBEでフュージョンバンド「Shanti」の1969年の実際の演奏の映像が見つかったので、何度もよく観てみた。確かに、見ようによってはベーシストの顔がスティーヴに似ているようにも見えなくはなかったが、彼が「1951年」の生まれだとすると、この時の彼は18歳ということになる。でも、映像に映っているベーシストは、モミアゲとアゴヒゲがモジャモジャとつながった男性で、とても18歳の青年には見えなかった。だから、もしもこのベーシストがスティーヴだったとしても、本人が公表しているように「1941年」の生まれだと考えないと不自然だと思った。

当然、スティーヴ自身も、この伝記の中で「捏造」だとして指摘されている内容はデタラメで、自分が公表している経歴が正しいと主張しているので、あたしとしては本人の言い分を尊重するけど、2018年現在、「1941年」の生まれなら77歳、「1951年」の生まれなら67歳、正直、どっちでもいいような気もしている。演奏が本物なのだから、あたしは、年齢や経歴などどうでもいいと思っている。


‥‥そんなワケで、葉巻の木箱にピックアップ(ギター用マイク)とネックを付けた弦が3本しかないシガーボックスギター、自動車のタイヤのホイールキャップを2枚張り合わせてキッチン用品のフライ返しや缶ビールの空缶などのガラクタを組み合わせて作ったギター、洗濯板にピックアップを付けた弦が1本しかないギター、そして、市販のエレキギターでも弦を3本外して残り3本だけにしてしまったものなど、こうしたガラクタみたいなギターを弾きながら、足元に置いた木箱を踏み鳴らしながら歌うスティーヴのオールドスタイルのブルースは、年齢や経歴など、どうでもいいと思えるほどイカシているのだ。

ちなみに、分かりやすく「自動車のタイヤのホイールキャップ」と書いたけど、正確に言うと、タイヤのホイール全体にはめるホイールキャップではなく、ホイールのセンター部分のハブナットが並んでいる部分にはめる、ひとまわり小さいハブキャップだ。それも、デトロイトにあったハドソン・モーター・カー・カンパニーが1932年から1939年まで製造していた乗用車「テラプレーン」のハブキャップなので、ガラクタと言ってもマニアには希少価値があるものだと思う。また、足元に置いて踏み鳴らしている木箱だけど、彼は「ミシシッピードラムマシン」と呼んでいて、ミシシッピー州のオートバイのナンバープレートや絨毯(じゅうたん)などで飾り付けされている。椅子に座り、この木箱を左足でリズムよく踏み鳴らしながら歌うのが、古くからの彼の演奏スタイルなのだ。

普通、ギターは、6本の弦を決まった音程に合せてチューニングして、左手の指で決まったフレットを押さえることで、CとかGとかAmとかの和音を奏でる。でも、スティーヴの場合は、左手の薬指に金属の筒をはめて、これですべての弦をスライドするボトルネック奏法が基本なので、ギターの弦はオープンチューニングと言って、コードを押さえなくても和音が出るようにセッティングしている。ようするに、左手の指で弦を1本も押さえずに、右手で弦をジャ~ンと弾けば、これだけで音楽が生まれるのだ。たとえば、オープンGにチューニングしておけば、弦を押さえなければGの和音が出るし、薬指にはめたボトルネックで弦の表面をスライドすれば、それに合せて和音が変化して行く。

これは、昔からブルースでよく使われる奏法だけど、スティーヴの場合は、3本弦や1本弦など、古くからのストリートミュージシャンのブルースのスタイルを取り入れている。楽器を買うお金などなかったストリートミュージシャンたちは、ゴミ捨て場から拾って来たガラクタで楽器を作っていたのだ。たとえば、昔の大きな洗濯用の金盥(かなだらい)、あれを地面に伏せて置き、真ん中にモップの柄を立てて、モップの柄の上部から金盥へと1本の細くて強度のある紐を張る。そして、金盥に片足を乗せて押さえながら、モップの柄の上で左手で紐を押さえ、右手の指で弾いて低音を出すのが「ウォッシュタブベース」(洗濯タライのベース)だ。こうした昔のストリートミュージシャンたちの工夫と歴史が、スティーヴの音楽スタイルには引き継がれている。


‥‥そんなワケで、今回は、せっかくなので、あたしが気に入っている船酔いスティーヴの映像を、いくつか紹介したいと思う。とにかく、めっちゃカッコイイので、YOU TUBEが視聴できる環境の人は、まずは以下の2本の公式MV(ミュージックビデオ)、「Summertime Boy」と「Down On The Farm」を観てみてほしい。2曲目の「Down On The Farm」では、スティーヴは最初から最後まで踊っているだけだけど、手に持っているのが、先ほど説明した1930年代の自動車のハブキャップで作ったギターだ。

Seasick Steve - Summertime Boy

Seasick Steve - Down On The Farm


この2曲は公式MVなので、アルバムに録音されたバンド演奏による楽曲に合わせて、別撮りした映像を編集したものだ。だから、視覚的にも楽しめるように作られているけど、船酔いスティーヴの演奏のホントのかっこよさが分かるのは、ギター1本で木箱を踏み鳴らしながら歌うオールドスタイルのブルースだ。次に紹介する「Back In The Dog House」は、彼の古くからの愛器である「The Three-String Trance Wonder」と名づけられた1960年代の無名のギターを演奏している映像だ。その名の通り、弦は3本しか張っていなくて、G、1オクターブ高いG、Bにチューニングされている。

Seasick Steve - Back In The Dog House


‥‥そんなワケで、あまりたくさん紹介してしまうと、自分で動画を探す楽しみがなくなってしまうので、今回は、この3曲だけを紹介する。この3曲の映像を観て、船酔いスティーヴに興味を持った人は、YOU TUBE内で「Seasick Steve」と検索すれば、MVやライブ映像やインタビュー動画など、たくさんの映像を観ることができる。シガーボックスギターやハブキャップのギター、洗濯板のギターなどを弾いている映像もあるので、ぜひ、いろいろと楽しんでほしいと思う今日この頃なのだ♪


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2018.06.09

アメリカ英語とイギリス英語

あたしは未婚だし子どもがいないから、最近の学校教育のことはぜんぜん分からないけど、しばらく前に「小学校から英語の授業が始まる」というニュースを耳にしたような記憶があったので、先日、その記事をネットで探して読んでみたら、もうすでに小学校での英語の授業は5年生から始まっていて、それを3年生に前倒しするというニュースだった。そして、その記事をよく読んでみたら、小学5年生からの英語の授業は、10年も前の2008年から始まってたということを知った。

あたしの場合は、同世代の皆さんと同じく中学校に上がってから初めて英語を教わったワケで、たしか「ニューホライゾン」とかいう教科書だった。そして、中学校で3年間、高校でも3年間、計6年間も英語を習ったのに、ぜんぜんしゃべれないし、学校の授業なんてクソの役にも立たなかった。でも、高校時代のあたしは、バンドをやっていたこともあって、辞書を引きながら好きな洋楽の歌詞を和訳したりしているうちに、英語がだんだん好きになり、英語の小説とかも辞書を引きながら読むようになり、字幕付きの洋画もヒアリングしながら観るようになった。

そして、独学でいろいろと英語と接しているうちに、英語がペラペラの帰国子女の先輩から「英語を独学で勉強するなら、対訳が付いたシェイクスピアの戯曲が一番身に付くよ」というアドバイスをいただいたので、薦められるままにシェイクスピアの戯曲を読み始めた。対訳付きと言っても、ただ単に和訳が付いているだけじゃなくて、欄外に細かい注釈がたくさん書いてあって、熟語の意味や言い回しの使い方などが丁寧に書かれていて、すごく勉強になった。その上、シェイクスピアの戯曲は、ほとんどの作品がネイティブスピーカーによる朗読CDになっていて、それも区立図書館で無料で借りることができたから、英文を目で追いながら英語の朗読をヒアリングできて、すごく役に立った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、高校を卒業して専門学校に進んだあたしは、英文の小説くらいなら辞書を引きながら読めるようになり、日常会話くらいなら何とかできるようになったんだけど、当時、六本木で仲良くなったアメリカ人たちからは、あたしの話す英語に対して、よくツッコミを入れられた。たとえば、あたしが「時間ある?」と聞くために「Have you got time?」と言うと、アメリカ人の友人たちはミケンにシワ寄せたり、呆れたような半笑いの顔をしたりして、「Do you have time?」と言い直された。これは、あたしが独学で勉強してきたシェイクスピアが「イギリス英語」だったのに対して、六本木で仲良くなったアメリカ人たちの使っている言葉が「アメリカ英語」だったからだ。

英語の「英」は英国の「英」なんだから、本来はイギリス英語のほうが由緒正しきものなのに、アメリカ人にとっては、イギリス英語は「格好をつけた言葉」に聞こえるらしい。ニュアンス的には、東京の人が大阪に行った時に標準語をしゃべると、大阪の人たちから「格好をつけてる」と思われるようなものみたいだ。だから、あたしは、イギリス英語とアメリカ英語の違いも勉強するようになり、アメリカ人に対しては、なるべくアメリカ英語を使うようになった。

イギリス英語とアメリカ英語の違いは、単語の違い、発音の違い、スペルの違い、動詞の使い方の違い、文法の違いなど、ものすごくたくさんあるけど、一番分かりやすい単語の違いをいくつか挙げると、たとえば、「薬局」は、アメリカだと「drug store(ドラッグストア)」だけど、イギリスでは「pharmacy(ファーマシー)」と言う。日本では、どちらの呼び方の店舗もあるけど、これがアメリカ英語とイギリス英語の違いだということを知っている人は少ないと思う。他にも、「休暇」のことは、アメリカでは「vacation(バケーション)」で、イギリスでは「holiday(ホリデー)」なんだけど、これも、日本ではどちらも使っている。

「サッカー」は、アメリカでも「soccer(サッカー)」だけど、イギリスでは「football(フットボール)」だ。「エレベーター」も、アメリカでは「elevator(エレベーター)」だけど、イギリスでは「lift(リフト)」と言う。「ポテトチップス」は、アメリカが「potato chips(ポテトチップス)」なのに対して、イギリスでは「crisps(クリスプス)」と言う。

「ガソリン」は、アメリカでは「gas(ガス)」だけど、イギリスでは「petrol(ペトラル)」と言う。日本でも「ガス満タンね」とか使う人がいるけど、「ペトラル満タンね」なんて言う人はいないだろう。他にも、ファストフード店とかで「お持ち帰り」する場合に「take out(テイクアウト)」と言うけど、これはアメリカの言い方で、イギリスでは「take away(テイクアウェイ)」と言う。こうして見ると、日本で使われている英語って、イギリス英語よりもアメリカ英語のほうがだんぜん多いことが分かる。


‥‥そんなワケで、これらは、アメリカとイギリスで単語が違うというだけなので、それほど紛らわしくはない。紛らわしいのは、同じ言葉なのにアメリカとイギリスとで別のものを指す場合だ。たとえば、アメリカでは「紙幣」のことを「bill(ビル)」と呼ぶけど、まったく同じスペルと発音の「bill」が、イギリスでは「伝票」という意味になる。そして、イギリスでは「紙幣」のことを「nite(ノート)」と言い、アメリカでは「伝票」のことを「check(チェック)」と言う。こういうのが他にも山ほどあるんだから、紛らわしいこと、この上ない。

そして、もっと紛らわしいのが、建物の1階と2階だ。アメリカでは「1階」が「first floor(ファーストフロア)」、「2階」が「second floor(セカンドフロア)」なので、何の問題もないんだけど、イギリスでは「1階」を「ground floor(グランドフロア)」と呼び、「2階」を「first floor」と呼ぶのだ。だから、日本に来ているアメリカ人とイギリス人が「明日の正午に銀座の伊勢丹のファーストフロアで」と待ち合わせをしたら、アメリカ人は1階で待っていて、イギリス人は2階で待っているので、いつまで経っても2人は出会えない。

まあ、こういうのは単語が違うだけだから、両方を覚えれば何とかなるし、たいていのアメリカ人やイギリス人は、こうした違いを知っているから、イギリスのガソリンスタンドに行って「ガス満タンね」と言っても、アメリカのガソリンスタンドに行って「ペトラル満タンね」と言っても、たいていはどちらも理解してもらえる。マクドナルドのことを東京では「マック」、大阪では「マクド」と省略するけど、東京の人も大阪の人も両方の言葉を知っているから、大阪の人が東京に来て「マクドいかへん?」と言っても、ちゃんと意味は通じる。これと同じことだ。だから、アメリカ人とイギリス人が伊勢丹のファーストフロアで待ち合わせをしても、しばらく待っても相手が現われなければ、たぶん、どちらかが別の階を見にいくだろう。


‥‥そんなワケで、こうした単語の違いの何倍もヤッカイなのが、動詞の違いで、特に多いのが「have」と「take」の違いだ。「お風呂に入る」は、あたしたちが中学校で習った英語だと「take a bath」だけど、これはアメリカ英語で、イギリス英語だと「have a bath」と言う。「席に座る」も、アメリカ英語だと「take a seat」だけど、イギリス英語だと「have a seat」になる。「休憩する」は、アメリカ英語なら「take a break」だけど、イギリス英語だと「have a break」になる。そして、「休暇を取る」の場合は、動詞だけじゃなくて、前に書いたように「休暇」という単語自体も変わるから、アメリカ英語では「take a vacation」、イギリスでは「have a holiday」になる。

まあ、これらは基本的に「have」と「take」を入れ換えればいいだけなので分かりやすいけど、動詞だけじゃなくて文法そのものが違うケースもたくさんある。たとえば、中学生になって最初のころに習う「Do you have a pen?」、「あなたはペンを持っていますか?」というのは、ピコ太郎じゃなくても誰でも知っている基本中の基本のような例文だけど、実はこれもアメリカ英語で、由緒正しいイギリス英語では「Have you got a pen?」と言わなきゃならない。最初のほうで、あたしが「時間ある?」と聞くために「Have you got time?」と言ったら、アメリカ人に「Do you have time?」と言い直されたと書いたけど、これと同じパターンだ。

他にも、アメリカ英語とイギリス英語にはいろんな違いがある。たとえば、野球やサッカーなどのチームとか、同好会や議会などのグループとかの「集団」について、アメリカ英語では必ず「単数」として捉えるのに対して、イギリス英語は「単数」でも「複数」でも、どちらでも良いことになっている。あたしは日本ハムのファンなのでファイターズを例に挙げるけど、「日本ハムファイターズが勝っています」と言う場合、アメリカ英語では「日本ハムファイターズ」というチームは「単数」になるから、「Nippon-Ham Fighters is winning.」と言わなきゃならない。でも、イギリス英語の場合は、こうしたチームを「複数の選手の集合体」として「複数」と見ることもできるので、「Nippon-Ham Fighters are winning.」と言っても良いのだ。

だけど、日本の中学校や高校の英語のテストにこう書くと、もれなく不正解にされてしまう。日本の学校の英語のテストでは、由緒正しきイギリス英語を書くと不正解になり、戦後70年が過ぎても日本を植民地と見下してやりたい放題のアメリカ英語しか正解にならないのだ。これって、激しく不条理だよね。

さらに難しい例になると、「get」という動詞の過去分詞が、イギリス英語だと過去形と同じ「got」なのに、アメリカ英語だと「gotten」になるし、イギリス英語では現在完了形を使わなきゃならない文章が、アメリカ英語の場合は普通の過去形で良いというパターンもよくある。でも、こんなのまで例を挙げて紹介していたら、もはや学校の授業みたいになっちゃうので、今日は最後に簡単なスペルの違いを少しだけ紹介しようと思う。

たとえば、「AKB48のセンターは誰々さんです」という場合の「センター」、「中央」という意味だけど、アメリカ英語で「center」と書くのに対して、イギリス英語では最後の「e」と「r」が入れ替わって「centre」と書く。「劇場」や「映画館」という意味の「シアター」も、アメリカ英語だと「theater」だけど、イギリス英語だと「theatre」になる。

他にも、「色」という意味の「カラー」は、アメリカでは「color」だけど、イギリスでは「colour」と書く。「お気に入り」という意味の「フェイバリット」は、アメリカでは「favorite」だけど、イギリスでは「favourite」と書く。「気がつく」という意味の「リアライズ」は、アメリカでは「realize」だけど、イギリスでは「realise」と書く。他にもいろいろあるけど、同じ英語なのに、イギリスとアメリカでは、単語の違い、発音の違い、スペルの違い、動詞の使い方の違い、文法の違いなど、数多くの違いがある。ま、それは別の国なんだから仕方ないとしても、あたしが声を大にして言いたいのは、「どうして日本の小学校や中学校や高校ではアメリカ英語だけを教えているのか?」ということだ。


‥‥そんなワケで、カナダの場合は、英語だけでなくフランス語も公用語として使われていて、英語はアメリカ英語とイギリス英語の混在したものが使われているけど、英語を公用語にしている国々の9割以上は、イギリス英語を使っているのだ。世界各国の代表者が集まる国際会議などの場でも、基本的にはイギリス英語が使われているし、EUでもすべての国の英語教育がイギリス英語で行なわれている。世界中の国々の中で、現在もアメリカ英語を教えているのは、日本の他にはフィリピンとリベリア共和国ぐらいで、日本の英語教育は完全に世界基準とズレているのだ。ま、日本はアメリカの属国だから仕方ないと思うし、見ているほうが恥ずかしくなるほどの、ここ最近の安倍晋三首相の「アメリカの飼犬ぶり」を見れば黙って下を向くしかないけど、小学5年生からの英語の授業を小学3年生からに前倒ししたところで、教える英語が世界基準とズレまくったアメリカ英語なんかじゃまったく意味がない。このまま未来永劫、アメリカの属国として生きていくならそれでもいいけど、日本が独立した主権国家としてのプライドを持っているのなら、アメリカ英語はトットとドブに捨てるべきだろう。せっかく小学生に英語を教えるのなら、アメリカ人にしか通じない「Do you have a pen?」などというアメリカ英語ではなく、国際社会の場で通用する由緒正しいイギリス英語の「Have you got a pen?」から教えるようにしてほしいと思う今日この頃なのだ。


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