船酔い爺さんのブルース
1941年、アメリカの西海岸、カリフォルニア州アラメダ郡の港街オークランドで、1人の男の子が誕生した。スティーヴン・ジーン・ウォルド(Steven Gene Wold)だ。音楽好きだった父親は、4歳になったスティーヴにブギウギピアノを教え込もうとしたが、幼い彼にはまだ無理だった。そして、彼が5歳の時、両親が離婚し、彼は母親とともにミシシッピー州の祖父の家へと引っ越すことになった。
ここで、彼に、運命の出会いがあった。それは、祖父の経営するガレージで働いていたKC・ダグラスという売れないブルース・ギタリストだった。音楽だけで生活することができなかったKC・ダグラスは、ここで働きながら音楽活動を続けていたが、暇を見つけては8歳になったスティーヴにブルース・ギターの手ほどきをしてくれたのだ。ピアノの才能はなかったスティーヴだが、ギターには興味を持ち、まだそれがブルースという音楽だということすら分からない年齢から、夢中になってギターの練習を繰り返した。
しかし、そんな楽しかった日々にも、終わりの時が訪れてしまった。まだ若かった彼の母親が、新しい恋人である事実上の再婚相手を自宅に連れ込むようになり、スティーヴの生活は一変した。新しい父親は、酒に酔っては幼いスティーヴに殴る蹴るの暴力を働くような野蛮な人物だったのだ。連日の暴力に耐えられなくなったスティーヴは、13歳の時に家出をし、都会へ出てホームレス生活を始めることになる。廃品を拾い集めて小銭を稼いだり、年齢をごまかして日雇い労働をしたり、時には悪い仲間たちと盗みを働いたりと、スティーヴは必死に生き抜いた。でも、どんなに生活が苦しくても、大切なギターだけは手放さなかった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、16歳になったスティーヴは、路上でのギター演奏を始めたが、彼の演奏スタイルは田舎町の伝統的ブルース・ギタリストだったKC・ダグラスから教え込まれたものだったため、時代遅れで、流行の移り変わりが早い都会ではまったく受け入れられなかった。そして、彼は、ホーボー(Hobo)として生きることになる。ホーボーというのは、無理やり日本語にすると「季節移動労働者」とでも言うべきか、冬になると南へ、夏になると北へ、貨物列車に乗って大陸を移動しながら、農場や工場などで数カ月単位で住み込みで働く労働者のことだ。「自宅を持たない」という意味では「ホームレス」と同じだが、都会の隅で暮しているホームレスよりは、アメリカでは一段上に見られている。
1960年代、20代になったスティーヴは、少しずつ音楽の仕事もできるようになり、音楽仲間たちと演奏旅行もできるようになった。いろいろな土地でいろいろなミュージシャンと知り合い、音楽の輪が広がっていき、そのうち、ジャニス・ジョプリンやジョニ・ミッチェルなどの有名ミュージシャンとのパイプもできた。そうした流れから、ギターの演奏能力を評価された彼は、スタジオ・ミュージシャンとしての仕事も舞い込むようになった。そして、スタジオでの仕事を続けているうちに、名前も少しずつ売れ始め、1980年代には自分の名前でマイナーなツアーが行なえるまでになった。
苦労していた若い時代に、一度、結婚で失敗しているスティーヴは、名前が売れ始めて生活も安定してきた1980年代、ツアー先のノルウェーの首都オスロで知り合ったノルウェー人の女性と、二度目の結婚をした。そして、ワシントン州のシアトル郊外に自分のスタジオを構え、レコーディング・エンジニアとして、アルバム制作の仕事を始めた。しかし、奥さんの兼ねてからの希望で、2001年、奥さんの故郷のノルウェーはオスロへと移住することになった。
この地で、スティーヴは、対岸のデンマークまで往復するブーズ・クルーズに乗った。ブーズ・クルーズと言うのは、船上でお酒を飲むことを目的としたパーティー形式の観光クルーズだ。彼は初めてのブーズ・クルーズで、腸が捻じれるほどの酷い船酔いで苦しむことになる。一緒にいた音楽仲間たちからは「シーシック・スティーヴ(Seasick Steve)」、つまり「船酔いスティーヴ」と呼ばれ、これが彼のニックネームになった。そして、2003年、「Seasick Steve and the Level Devils」(船酔いスティーヴと水平線の悪魔たち)というバンド名でリリースしたカントリー・ブルースのアルバム『Cheap』(安っぽい粗悪品)がスマッシュヒットし、イギリスのラジオなどでも取り上げられるようになった。
しかし、ようやく彼の音楽が日の目を見始めた2004年、自宅にいたスティーヴは心臓発作で倒れてしまう。だが、神様は彼を見放さなかった。その場に一緒にいた奥さんは、元看護士さんで、この時も、看護士の仕事を再開するために、ちょうど再訓練をしていたところだったのだ。そんな奥さんの適切な処置で一命を取りとめたスティーヴは、その奥さんの勧めで、回復後にニューアルバムの製作に取り掛かり、2006年、『Dog House Music』(犬小屋のブルース)をリリースする。これが大きく取り上げられ、イギリスの人気音楽テレビ番組の大晦日カウントダウン特番への出演が決定したのだ。アメリカの片田舎の古臭い彼のブルースが、イギリスの若者たちにとっては、逆に新鮮な音楽として受け入れられた瞬間だった。
‥‥そんなワケで、スティーヴは、このテレビ番組がキッカケとなり、翌2007年の夏には、EU各国で行なわれた夏フェスに引っ張りダコとなり、この年の最注目アーティストとして、イギリスの権威のある音楽賞である「MOJO賞」の最優秀新人賞を受賞する。そして、翌2008年の夏には、初来日して「フジロック・フェスティバル」に出演し、日本の音楽メディアでも大きく取り上げられることとなった。日本のレコード会社は「68歳の新人」というキャッチコピーでスティーヴを宣伝したが、成功者には必ず、足を引っ張ろうとする者が現われる。彼の場合は、彼の公表している本名や年齢や経歴などが「すべて嘘」だとする無許可の伝記が2016年に出版されてしまった。
その伝記、マシュー・ライト著の『Seasick Steve:Ramblin 'Man』(放浪者、船酔いスティーヴ)によると、彼の本名は「Steven Wold」ではなく「Steven Leach」であり、誕生した年も「1941年」ではなく「1951年」だと指摘されている。つまり、実際よりも10歳ほど年上にサバを読んでいると言うのだ。また、彼の経歴に関しても「一部は捏造されたもの」だとして、実際は、インド音楽を取り入れたフュージョンバンド「Shanti」でベースを弾いていたり、フランスのディスコミュージックバンド「Crystal Grass」などで演奏していたと指摘している。実際、これらのバンドのディスコグラフィーを調べてみると、ベーシストとして「Steven Leach」の名前がクレジットされているが、これが本当にスティーヴなのかは分からない。
あたしなりにいろいろと調べてみたら、YOU TUBEでフュージョンバンド「Shanti」の1969年の実際の演奏の映像が見つかったので、何度もよく観てみた。確かに、見ようによってはベーシストの顔がスティーヴに似ているようにも見えなくはなかったが、彼が「1951年」の生まれだとすると、この時の彼は18歳ということになる。でも、映像に映っているベーシストは、モミアゲとアゴヒゲがモジャモジャとつながった男性で、とても18歳の青年には見えなかった。だから、もしもこのベーシストがスティーヴだったとしても、本人が公表しているように「1941年」の生まれだと考えないと不自然だと思った。
当然、スティーヴ自身も、この伝記の中で「捏造」だとして指摘されている内容はデタラメで、自分が公表している経歴が正しいと主張しているので、あたしとしては本人の言い分を尊重するけど、2018年現在、「1941年」の生まれなら77歳、「1951年」の生まれなら67歳、正直、どっちでもいいような気もしている。演奏が本物なのだから、あたしは、年齢や経歴などどうでもいいと思っている。
‥‥そんなワケで、葉巻の木箱にピックアップ(ギター用マイク)とネックを付けた弦が3本しかないシガーボックスギター、自動車のタイヤのホイールキャップを2枚張り合わせてキッチン用品のフライ返しや缶ビールの空缶などのガラクタを組み合わせて作ったギター、洗濯板にピックアップを付けた弦が1本しかないギター、そして、市販のエレキギターでも弦を3本外して残り3本だけにしてしまったものなど、こうしたガラクタみたいなギターを弾きながら、足元に置いた木箱を踏み鳴らしながら歌うスティーヴのオールドスタイルのブルースは、年齢や経歴など、どうでもいいと思えるほどイカシているのだ。
ちなみに、分かりやすく「自動車のタイヤのホイールキャップ」と書いたけど、正確に言うと、タイヤのホイール全体にはめるホイールキャップではなく、ホイールのセンター部分のハブナットが並んでいる部分にはめる、ひとまわり小さいハブキャップだ。それも、デトロイトにあったハドソン・モーター・カー・カンパニーが1932年から1939年まで製造していた乗用車「テラプレーン」のハブキャップなので、ガラクタと言ってもマニアには希少価値があるものだと思う。また、足元に置いて踏み鳴らしている木箱だけど、彼は「ミシシッピードラムマシン」と呼んでいて、ミシシッピー州のオートバイのナンバープレートや絨毯(じゅうたん)などで飾り付けされている。椅子に座り、この木箱を左足でリズムよく踏み鳴らしながら歌うのが、古くからの彼の演奏スタイルなのだ。
普通、ギターは、6本の弦を決まった音程に合せてチューニングして、左手の指で決まったフレットを押さえることで、CとかGとかAmとかの和音を奏でる。でも、スティーヴの場合は、左手の薬指に金属の筒をはめて、これですべての弦をスライドするボトルネック奏法が基本なので、ギターの弦はオープンチューニングと言って、コードを押さえなくても和音が出るようにセッティングしている。ようするに、左手の指で弦を1本も押さえずに、右手で弦をジャ~ンと弾けば、これだけで音楽が生まれるのだ。たとえば、オープンGにチューニングしておけば、弦を押さえなければGの和音が出るし、薬指にはめたボトルネックで弦の表面をスライドすれば、それに合せて和音が変化して行く。
これは、昔からブルースでよく使われる奏法だけど、スティーヴの場合は、3本弦や1本弦など、古くからのストリートミュージシャンのブルースのスタイルを取り入れている。楽器を買うお金などなかったストリートミュージシャンたちは、ゴミ捨て場から拾って来たガラクタで楽器を作っていたのだ。たとえば、昔の大きな洗濯用の金盥(かなだらい)、あれを地面に伏せて置き、真ん中にモップの柄を立てて、モップの柄の上部から金盥へと1本の細くて強度のある紐を張る。そして、金盥に片足を乗せて押さえながら、モップの柄の上で左手で紐を押さえ、右手の指で弾いて低音を出すのが「ウォッシュタブベース」(洗濯タライのベース)だ。こうした昔のストリートミュージシャンたちの工夫と歴史が、スティーヴの音楽スタイルには引き継がれている。
‥‥そんなワケで、今回は、せっかくなので、あたしが気に入っている船酔いスティーヴの映像を、いくつか紹介したいと思う。とにかく、めっちゃカッコイイので、YOU TUBEが視聴できる環境の人は、まずは以下の2本の公式MV(ミュージックビデオ)、「Summertime Boy」と「Down On The Farm」を観てみてほしい。2曲目の「Down On The Farm」では、スティーヴは最初から最後まで踊っているだけだけど、手に持っているのが、先ほど説明した1930年代の自動車のハブキャップで作ったギターだ。
Seasick Steve - Summertime Boy
Seasick Steve - Down On The Farm
この2曲は公式MVなので、アルバムに録音されたバンド演奏による楽曲に合わせて、別撮りした映像を編集したものだ。だから、視覚的にも楽しめるように作られているけど、船酔いスティーヴの演奏のホントのかっこよさが分かるのは、ギター1本で木箱を踏み鳴らしながら歌うオールドスタイルのブルースだ。次に紹介する「Back In The Dog House」は、彼の古くからの愛器である「The Three-String Trance Wonder」と名づけられた1960年代の無名のギターを演奏している映像だ。その名の通り、弦は3本しか張っていなくて、G、1オクターブ高いG、Bにチューニングされている。
Seasick Steve - Back In The Dog House
‥‥そんなワケで、あまりたくさん紹介してしまうと、自分で動画を探す楽しみがなくなってしまうので、今回は、この3曲だけを紹介する。この3曲の映像を観て、船酔いスティーヴに興味を持った人は、YOU TUBE内で「Seasick Steve」と検索すれば、MVやライブ映像やインタビュー動画など、たくさんの映像を観ることができる。シガーボックスギターやハブキャップのギター、洗濯板のギターなどを弾いている映像もあるので、ぜひ、いろいろと楽しんでほしいと思う今日この頃なのだ♪
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