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2018.07.29

マダニとツツガムシ

こういうニュースって、新聞なら地方版、テレビならローカル局でしか報じないから、他の地域に住んでいる人たちが知ることは少ないと思うけど、今年2018年5月10日、宮崎県で60代の男性が山でマダニに噛まれて、マダニが媒介するウイルス性感染症「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」に感染して死亡したと報じられた。そして、その1週間後の5月17日にも、宮崎県で80代の女性がマダニに噛まれて感染して死亡したと報じられた。そして、この時点で「宮崎県内でのマダニによるSFTSの死者は今年に入ってから3人目」と書かれていた。

SFTSは、2011年に中国で見つかり、日本では2013年1月に初めて確認された「新しい感染症」なので、何よりも恐ろしいのが、現時点では「有効な治療薬やワクチンなどがない」という点だ。そのため、病院に行っても「解熱剤」や「痛み止め」などの対処療法しかなく、致死率が高い。2013年1月~2018年6月末までの累計では、日本全国で男性171人、女性183人の計354人が感染し、このうち男性33人、女性29人の計62人が死亡しているので、致死率は「17.5%」ということになる。

また、SFTSは、ウイルスを保有しているマダニに噛まれてから発症するまでに、潜伏期間が6~14日間もある。そのため、潜伏期間が過ぎて発症し、発熱や吐き気、腹痛や下痢などが起こっても、本人は何が原因なのか分からずに、風邪や過労だと思って自宅で横になったりして、すぐには病院に行かないことが多い。そして、病状が悪化して意識障害などが起こり始めてから家人が慌てて救急車を呼ぶ‥‥なんてケースも多いと言われている今日この頃、皆さん、つつがなくお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、マダニは主にイノシシなどの野生動物に寄生しているので、都会に住んでいる人たちには接点のない害虫だし、山歩きや農作業などをしない人たちは感染する恐れもない‥‥と思っていたのもトコノマ、厚生労働省は昨年2017年7月24日、西日本の50代の女性が前年(2016年)の夏、野良猫に噛まれた後、マダニが媒介するウイルス感染症「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」を発症して死亡していたと発表した。動物によってSFTSが人間に感染したとみられる事例は世界でも初めてとのことで、このニュースは比較的大きく報じられた。そして、厚生労働省が全国の自治体や獣医師らに対して「体調不良のペットなどに接触する際は感染に注意するように」との通知を出した。

もう少し詳しく書くと、今回のケースは、衰弱した野良猫を見つけた女性が、何とか助けてあげようと思って動物病院に連れて行った際に手を噛まれてしまい、その後、体調が悪化して、約10日後に死亡したという。女性には感染症の症状が見られたため、国立感染症研究所で死因を詳しく調べたところ、マダニが媒介するSFTSだと確認されたが、女性にはマダニに噛まれた形跡がなかった。そこで、その野良猫を調べたところ、その野良猫がSFTSに感染して発症していたため、マダニに噛まれて感染していた野良猫から、その女性が感染したものと結論づけられた‥‥という流れだ。

人が野山などに出かけた際に、マダニに直接噛まれてSFTSに感染・発症した事例は過去にたくさんあるけど、動物はSFTSに感染してもほとんど発症しないため、これまでは動物を介して人間に感染することはないと考えられてきた。でも、2016年頃からペットの猫や犬がSFTSを発症する事例が確認されるようになってきたため、厚労省ではペットから飼主への感染の可能性も視野に入れて、SFTSを発症したペットの飼主も検査してきた。だけど、これまでにペットから飼主への感染は確認されなかったので、この時点までは、これまで通りに「動物から人間への感染はない」と考えられていた。


‥‥そんなワケで、このSFTSは、マクラにも書いたように「新しい感染症」なので、現在までに有効な治療薬やワクチンなどは開発されておらず、治療は対症療法しかないため、現在の致死率は比較的高い。2018年6月末までに354人が感染して62人が死亡しているので、さっきはザックリと「致死率は17.5%」と書いたけど、地域別のデータを見てみると、感染者のうち30%以上、3人に1人が死亡している地域もあれば、感染者のうち5%、20人に1人しか死亡していない地域もあり、とてもバラつきがある。もしかしたら、地域によってウイルスのタイプが何種類かあって、致死率に差があるのかもしれない。また、感染者は、下は3歳から上は98歳まで幅広いけど、これまでに死亡した62人は全員が50歳以上なので、若者より高齢者のほうが重症化しやすいと思われる。

有効な治療薬やワクチンがなく、354人の感染者のうち62人が死亡したと聞くと、ちょっと恐くなって来るけど、必要以上の不安を煽らないように書いておくと、すべてのマダニがSFTSウイルスを保有しているワケじゃない。SFTSウイルスを保有しているマダニの割合は、全国調査では「5~15%」、都道府県別の調査の中で最も高かった愛媛県でも「6~31%」なので、マダニに噛まれた人が100%感染するワケじゃない。

また、動物を介しての感染も、SFTSウイルスに感染していても発症していないペットの場合、つまり「元気なペット」の場合は、仮に噛まれたりしても人間に感染する確率はほとんどないと言う。今回の西日本の事例のように、SFTSウイルスに感染した猫がSFTSを発症して、ぐったりと衰弱しているようなケースの場合にのみ、噛まれたりすると人間にも感染することがあると考えられている。また、マダニは屋外にしかいないので、外に出さずに飼っている猫や犬の場合は、感染してウイルスを保有していることはないと言う。

つまり、猫を飼っている人なら、その猫を外にも出している人だけが気をつけるべき感染症で、仮に猫が感染していたとしても、動物が発症することは稀なので、そのまま普通に猫と触れ合っていても問題ない、ということになる。ただし、動物の発症例も増えて来たので、もしも自分の飼い猫の具合が悪くなったら、噛まれないように注意して、なるべく早く動物病院に連れて行く必要がある、ということだ。


‥‥そんなワケで、猫や犬を飼っている人なら、当然、今回のような「動物から人間への感染」という稀な事例についても神経質になってしまうと思うけど、これまでの感染者数と死亡者数を見れば顕著なように、やはり、マダニに直接噛まれて感染する「マダニから人間への感染」のほうが圧倒的に多い。そのため、春から秋にかけて、キャンプ、ハイキング、登山、釣り、山菜採り、ゴルフ、農作業など、野山や草むらなどで活動する機会が多い人は、防虫スプレーだけでなく、「暑くても長袖シャツや長ズボンを着用する」という基本中の基本を含め、適切な対策を講じる必要があると思う。

何故かと言うと、今回の「重症熱性血小板減少症候群 (SFTS)」という感染症は、マダニに噛まれることで感染する病気の中の1つにしか過ぎないからだ。マダニは、SFTSウイルスの他にも、複数のウイルスやリケッチアを保有している個体があるため、人間が噛まれると「日本紅斑熱」や「ライム病」や「回帰熱」を発症することがある。また、日本では、ダニの一種であるツツガムシに噛まれることで感染・発症する「ツツガムシ病」も有名だ。

マリー・アントワネットが「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったというのはデマだ。彼女はそんなことは言っていない‥‥と訴え続けているあたしは、マリー・アントワネットに着せられた汚名を晴らすことをライフワークの1つとしているけど、この「ツツガムシ病」についても言いたいことがある。それは、日本に昔からある「つつがなくお過ごしで」という表現が「ツツガムシ病」を語源にしているというデマについて、1人でも多くの人に「本当の意味」を知ってほしいのだ。

この「つつがなくお過ごしで」という表現は、「ツツガムシに刺されることもなくお過ごしで」という意味から使われるようになった言い回しだと、まことしやかに伝えられていて、あたし自身も中学生の時に担任の先生からそのように教わったから、大人になるまでこの説を信じて来た。だけど、これは大間違いなのだ。「ツツガムシ」は漢字で「恙虫」と書くけど、この「恙(つつが)」とは、もともと病気や災いを総称する言葉なので、「つつがなくお過ごしで」という表現は「病気も災いもなくお過ごしで」という意味であり、「ツツガムシ」とは関係ない。

一方、まだまだ科学や医学が発展途上だった昔の日本では、原因不明の病気を「妖怪のせい」だとする風潮があり、野山に出かけた人が、帰宅後に高熱を出し、全身に赤い斑点が出て死んでしまう謎の病気について、長い間、「病気と災いをもたらす恙虫(つつがむし)という妖怪によるもの」だと言い伝えられて来た。こうした流れがあったため、この謎の病気の原因が野山にいる小さなダニの一種だと解明された時、そのダニの一種に「ツツガムシ」という妖怪の名がそのまま付けられ、この感染症は「ツツガムシ病」と名付けられたのだ。

これが歴史的な真実なので、もしも「つつがなくお過ごしで」という表現の語源が「ツツガムシ病」だと思い込んでいた人がいたら、今、この瞬間から、あなたは真実を伝える正義の伝道師となり、会う人、会う人に、本当のことを伝えてほしい。そして、できることなら、そのついでにマリー・アントネットの真実についても伝えてほしい‥‥って、ちょっと脱線しちゃったけど、ここからは、またマジメ路線に戻って、この「ツツガムシ病」について解説したいと思う。何故なら、日本におけるアウトドアでのダニ類による感染症は、マダニによる複数の感染症とツツガムシによるツツガムシ病が大半を占めているからだ。


‥‥そんなワケで、さっき、「マダニは、SFTSウイルスの他にも、複数のウイルスやリケッチアを保有している個体があるため」と書いて、そのまま説明せずにサクサクと来ちゃったけど、この「リケッチア」と言うのは、ウイルスと細菌の両方の性質を合わせ持った病原体の総称で、日本では、マダニが媒介する「日本紅斑熱」とツツガムシが媒介する「ツツガムシ病」の病原体が、この「リケッチア」に該当する。そして、全国のマダニによる「日本紅斑熱」の感染者は年間200人以下、ツツガムシによる「ツツガムシ病」の感染者は年間400人以下で推移して来たけど、2013年から急増し始め、昨年2016年には「日本紅斑熱」の感染者が275人、「ツツガムシ病」の感染者が505人と急増してしまった。

まだ治療法やワクチンが開発されていないSFTSと違い、これらの感染症は治療法やワクチンが整っているため、どちらも死亡者数は年間にわずか数人だけで、死亡例はすべて適切な治療が受けられなかったケースと見られている。つまり、これらの感染症に感染しても、すぐに病院に行って診察を受け、適切な治療を受ければ、まず死ぬことはないのだ。だけど、その一方で、ツツガムシ病に感染した患者が「適切な治療を受けなかった場合の致死率」は約30%と言われているので、あまり軽く考えることは危険だと思う。それは、ツツガムシに噛まれた場合、発見が遅れることが多いからだ。

マダニは約700種いるけど、他のダニよりも大きくて、通常時でも2~3ミリあるから肉眼で見えるし、血を吸うと何十倍にも膨れるので1センチ近くになる。人間が噛まれれば痛みや痒みがあるから、すぐに噛まれたことに気づく。一方、ツツガムシは約120種いるけど、人間を噛んでツツガムシ病を感染させるのは、ダニのような成虫ではなく幼虫なのだ。そして、ツツガムシの幼虫は0.2ミリほどしかないため、肉眼では分からない。その上、噛まれてすぐに痛みや痒みを感じるのはアカツツガムシだけで、他の種類のツツガムシに噛まれても気づかない。そのため、噛まれてから数日後に高熱が出たり嘔吐や下痢が起こり、病院に行って診察を受けて、初めてツツガムシに噛まれたことを知る、と言ったケースが多い。たとえば、次に紹介する昨年5月9日付の秋田県のニュースを読んでみてほしい。


2017年5月9日 地方版
「秋田県は8日、由利本荘市内の80代女性がツツガムシ病に感染したと発表した。今年に入り、県内で感染を確認するのは初めて。県健康推進課によると、女性は3日、発熱や発疹の症状を訴えて市内の病院で診察を受けた。4月下旬に山菜採りへ行った際、右腕を刺されたとみられる。現在は入院中だが、快方へ向かっているという。」


この記事を読めば分かるように、この女性が山菜採りに行ったのは4月下旬だけど、自分がツツガムシに噛まれたことには気づいておらず、5月3日になって発熱や発疹が出たために病院へ行き、ここで初めてツツガムシ病に感染していたことが分かったのだ。この女性は適切な治療を受けられたから命には別条がないけど、それでも入院治療を続けているのだから、症状としては重かったのだと思う。そして、もしも発熱してもすぐには病院へ行かず、風邪か何かだと思って自宅で何日間か休んでいて診察を受けるのが遅くなっていたら、最悪の場合、手遅れになっていたかもしれないのだ。

他にもツツガムシ病の過去の事例を調べてみたら、あたしが書いた例のように、発熱してもすぐには病院へ行かず、風邪薬を飲んで自宅で休んでいた60代の男性が、治療が遅れて重体になってしまったケースがあった。救急車で病院へ運ばれてからツツガムシ病だと分かり、すぐに治療を開始したけど、治療開始が遅れたため、40度もの高熱が長く続いて重い脳炎のような症状が起こり、内臓機能が侵され、完治するまで何カ月も入院したという。

現在でも全国で年間500例もの感染者が出ているツツガムシ病は、噛まれた瞬間に気づくマダニと違って、噛まれたことに気づかないケースが大半なので、いくら治療薬が開発されているからと言っても、そうそう安心してはいられない。やはり、野山に出かけた数日後に発熱などの症状が出たら、とにかく病院へ行くことが重要だ。そして、もっと重要なのは、マダニと同様に、できるだけ噛まれないように対策をしておくことなのだ。


‥‥そんなワケで、さっき、ツツガムシは約120種いると書いたけど、この中で、ツツガムシ病の病原体であるリケッチアを保有している個体がいて、人間の血を吸う性質を持っているのは、秋田県の雄物川の周辺に多く生息している「アカツツガムシ」、全国的に分布していて春と秋に発生する「フトゲツツガムシ」、千葉県の房総半島、東海地方、関西地方、九州全域などで秋に発生する「タテツツガムシ」、この3種が代表的なものだ。日本でツツガムシ病に感染したら、ほぼすべてがこの3種のうちのどれかだと言われている。

また、日本では長いこと「北海道と沖縄県にだけはツツガムシがいない」と言われて来たけど、2008年に初めて沖縄県の宮古島で感染者が出てからは、宮古島でも毎年、感染者が出るようになったので、現在では北海道以外の全国にツツガムシが分布していることになる。一昨年2016年に報告された505例のツツガムシ病も、北海道を除く全国41都府県に分布していて、都市部で感染したケースがあった。そのため、都市部の河川敷などで遊ぶ時でも、「防虫スプレーを使う」と「長袖、長ズボンなど露出の少ない服装を心がける」という基本対策の他に、これは特に声を大にして言いたいんだけど、「草むらなどに座る場合は必ずビニールシートを敷く」と「サンダルで草むらに入らない」、この2点は絶対に守ってほしい。

ツツガムシやマダニは、ノミのようにジャンプできないので、その大半は足元から這い上ってくる。だから、河川敷で遊んだとしても、草むらに近づかなければ噛まれることはめったにない。でも、ビニールシートを敷かずに草むらに直接座ったり、素足が丸出しのサンダルで草むらを歩き回ったりしたら、それこそ「飛んで火に入る夏の虫」ならぬ「飛んで火に入る夏の人」になってしまう。実際、あたしは、河川敷の草むらに直接座った人のズボンのお尻と足に、数匹のマダニが付いているのを見つけたことがある。


‥‥そんなワケで、今回も長々と書いて来たけど、今回は最後に、どうしても書いておきたいことがあるので、もう少しだけお付き合いしてほしい。ツツガムシは、日本を始めとした東アジアを中心に分布していて、広域的に見ても、パキスタン、ロシア、オーストラリアを結んだ三角地帯の中だけの分布だった。だから、ツツガムシ病が発生するのも、このエリアに限られていた。しかし、2015年から2016年にかけて、地球の裏側の南米チリのチロエ島で、ツツガムシ病を発症した感染者が3人も報告されたのだ。

2015年1月にチロエ島でツツガムシ病に感染した38歳の女性は、森で薪を集めた後に腹部に発疹ができ、1週間後には発疹が全身に広がって高熱が出たため病院で診察を受け、ツツガムシ病などに効果があるドキシサイクリンというテトラサイクリン系抗菌薬による治療で回復した。1年後の2016年1月に感染した40歳の男性も、森で薪を集めた後に体調が悪くなり、当初、ペニシリン系抗菌薬で治療を試みたが効果がなかったため、テトラサイクリン系抗菌薬に切り替えたところ回復した。そして、2016年2月に感染した55歳の男性も、やはり森で薪を集めた数日後に発熱などの症状が出て、同じようにテトラサイクリン系抗菌薬で回復したと報告されている。

通常の細菌などに感染したのならペニシリン系抗菌薬で治療できるけど、3人ともペニシリン系抗菌薬が効かない特殊な病原体であるリケッチアに感染していて、そのリケッチアを調べてみると「オリエンティア・ツツガムシ」、つまり、東アジアを中心とした地域にしか分布していないツツガムシが媒介するツツガムシ病の病原体だったことが分かったのだ。

東アジアを中心とした地域にしか分布していないツツガムシが、どうして地球の裏側の南米チリに、それもチロエ島に渡ってしまったのだろうか?この3人の感染者は、3人とも薪を集めていて感染したと見られているけど、チロエ島の主な産業は、林業と並んでサケの養殖なのだ。そして、そのサケの大半は日本に輸出されていて、回転寿司のネタなどに使われている。そうした背景から推測すると、チロエ島と日本とを行き来している貨物船によって‥‥などと考えてしまうけど、原因は未だに不明のままだ。ただ、ひとつだけ言えることは、日本に渡って来たヒアリなどと比べると、ツツガムシによる害のほうが遥かに大きいということだ。


‥‥そんなワケで、ツツガムシは日本にだけ生息しているダニじゃないので、日本以外の国から南米チリへ渡った可能性も考えられる。だけど、日本発であろうと他の国発であろうと、人間に大きな害を与える生物が、本来は生息していなかった国に侵入してしまったことに変わりはない。そして、チロエ島では1年間にわたって感染者が出ているのだから、すでにツツガムシが繁殖していることも確実だろう。こうした現状を踏まえると、あたしは、ヒアリなどに対する日本の水際対策を徹底することも重要だと思うけど、逆に、日本の在来種の害虫を他国へ持ち出さないようにする水際対策も並行して進めるべきだと思った今日この頃なのだ。


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2018.07.26

健康で文化的な最低限度の生活を営む権利

愛知県の名古屋刑務所で24日の朝、40代の男性受刑者が、重度の熱中症である「熱射病」で死亡したと、昨日25日に報じられた。状況としては、24日の早朝5時35分頃、刑務官が各房に異常はないか規定の見回りをしていたところ、4階の独居房で40代の男性受刑者が嘔吐したまま横たわっていて、救急搬送したが約1時間後に死亡が確認され、担当した医師が死因を「熱射病」と判断したという。ちなみに、この男性受刑者には持病など何もなく、いたって健康だったそうだ。

男性のいた4階は最上階で、建物の中で最も室温が高くなるそうで、この日も早朝5時の時点で34度もあったという。もちろん、雑居房にも独居房にも冷房など設置されていないため、この刑務所では通路に大型の扇風機を置き、首を振るようにして各房へ風を送るようにしていたそうだし、その他にも、すべての受刑者に1日1本のスポーツドリンクを飲ませるなど、できる範囲での暑さ対策をしていたという。

でも、皆さんご存知のように、今年の夏の暑さは異常で、7月半ばから現在までの約1週間で、すでに100人近い人が熱中症で亡くなっている。行動が制限されていない一般人でもこうなのだから、風の通らない刑務所の雑居房や独居房の中に拘束されている受刑者は、一般人の何倍も厳しい環境に置かれていると思う。ま、その点に関して言えば、冤罪でない限りは自業自得なので同情する気持ちなどまったくないけど、それでも、普通にガマンできる範囲の暑さや寒さならともかく、命に係わるレベルの暑さや寒さに対しては、何らかの対策が必要だと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなケで、今はちょうど「小学校の教室にもエアコンを設置すべき」という世論が高まっている時なので、今回の刑務所の問題についても、賛否両論、いろいろな意見があると思う。ザックリと分ければ、たとえ受刑者と言えども人権があるのだから、命に係わるような環境に置くことは許されない。実際に死者が出てしまったのだから、全国の刑務所の環境を調べて、必要な場所にはエアコンを設置すべきだ‥‥という意見。そして、何の犯罪も犯さずに真面目に働いて納税して生活している人たちの中にも、生活が苦しくてエアコンなど買えない人がいるんだから、税金を使って受刑者のためにエアコンを設置するなんて言語道断だ‥‥という意見。

他にも、いろいろな意見があると思うけど、最大の争点は「税金を使って刑務所にエアコンを設置すべきか否か」ということだと思う。で、まずはあたしの意見だけど、皆さんご存知のように、あたしはずっとエアコンのない生活をして来た。正確に言えば、今はエアコンのない家に住んでいるけど、以前の東京のマンションにはエアコンが設置されていた。でも、約25年前に「原発反対!」と言うようになってからは、エアコンを使うのはやめた。電気を使いまくって真夏でも涼しくて快適な部屋の中から「原発反対!」なんて言っても説得力がゼロだと思ったからだ。

いくら「原発反対!」でも、さすがにすべての家電をいっさい使わずに生活はできないから、あたしもそれなりに家電のお世話にはなっている。でも、エアコンを始め、テレビ、電気掃除機、電子レンジなど、無くても何とかなる家電は、これまで順番に捨てて来た。だから、今もあたしがエアコンを使わないのは、貧乏でエアコンが買えないからじゃない。福島第1原発事故を経験しても、未だに原発政策を見直そうとしない安倍政権や電力会社に対する「沈黙のメッセージ」なのだ。

現在、我が家の電気料金は、母さんと2人暮らしで月に1000円前後なんだけど、東京のマンションで1人暮らしをしていた時は、エアコンを使わなくても月に3000円台だったから、ずいぶん節電が上手になったと思う。そして、これくらいまで節電をしていれば、いつでも胸を張って「原発反対!」「原発なんか必要ない!」と言えると自負している。ちょっと長くなっちゃったけど、あたしがエアコンを使わないのはこういう理由だから、エアコンが欲しいのにお金がなくて買えない人とは話が違う。そのため、「我が家にもエアコンがないって言うのに、あたしの納めた税金で刑務所にエアコンなんか設置するな!」という気持ちにはならない。

ただ、モノゴトの順序として、まずは暑さに苦しみながら勉強している子どもたちのために、エアコンが未設置の小中学校などの教室すべてに設置して、他にも、お金がなくてエアコンを買うことができない母子家庭や父子家庭、生活保護家庭などにも設置するのが先だ。そして、これまでエアコンが買えなくて困っていた国民の大半が、異常気象による命の危険を回避できてから、初めて刑務所への設置を始めるべきだろう。

刑務所に服役している受刑者に科せられた刑罰は「自由の拘束」だけであって、「食事を与えない」とか「刑務官によるリンチ」とか「命に係わるほどの暑さや寒さ」とかのプラスアルファの拷問は人権問題になってしまう。たとえ凶悪な殺人犯であっても、いつ処刑されるか分からない死刑囚であっても、刑務所や拘置所の中に拘束されている以上、その「自由の拘束」以外の処罰を与えちゃいけないと思う。マクラにも書いたように、普通にガマンできる範囲の暑さや寒さならともかく、命に係わるレベルの暑さや寒さに対しては、エアコンを設置しないとしても、何らかの対策が必要だと思う。

たとえば、その刑務所のすべての雑居房と独居房にエアコンを設置するのは予算が掛かりすぎるから、何かの時に受刑者全員が集まるホールのような部屋にエアコンを設置して、命に係わるほど気温が上昇した時だけ、このホールで涼むようにする。他にも、熱帯夜で寝られない時のために、キャスターが付いていて簡単に移動できる簡易エアコンを常備する。とにかく、1年を通してのことじゃなくて、夏場だけのことなんだから、こうした対策でも何とかなると思う。


‥‥そんなワケで、話はちょっと変わるけど、あたしの生活が一番苦しかった20代の時、あたしは、1月1日のお元日から12月31日の大晦日まで、1年間1日も休まずに朝から晩まで働き続け、その上、仕事の後も週4日ほど深夜まで水商売のバイトをやり、平均3時間ほどの睡眠時間で働き続けていた。それでも、事情があって別々に暮していた母さんの生活費と病院代も看ていたため、ぜんぜんお金が足りなかった。

あたしは、自分のマンションの家賃を払うのが精いっぱいで、電気、ガス、電話、ケータイはチョコチョコと止められていたし、最悪の時には水道まで止められたこともあった。そんな状況だったので、とても外食なんてできないし、自炊する余裕もなかった。昼間は仕事先でケータリングのサンドイッチやおにぎりをもらい、夜はバイト先で簡単なまかないを作ってもらい、1日2食で何とか生き抜いていた。

だけど、昼間の仕事は内容によってケータリングのない日も多かったし、夜のバイトも週4日なので、朝から晩まで何も食べられない日もあった。そして、そんな時は、一番安い1斤78円の6枚切りの食パンを買ってきて、水道のお水を飲みながら何も付けずにモソモソと食べていた。一番厳しかった時は、ずっと取っておいた「つぶつぶオレンジ」の缶ジュース1本で、3日間をしのいだこともあった。

そんなある日のこと、北海道は網走刑務所が新しくなる前の明治時代の木造の刑務所が博物館になっていて、そこで刑務所内で受刑者が食べている食事と同じものが食べられる食堂があるという週刊誌の記事を読んだ。そこには、実際に記者がレポートした文章だけでなく、いろいろな写真も掲載されていて、その中に食堂の食事の写真も紹介されていた。

ホッケの半身の焼き魚、春雨とキュウリとハムのサラダ、切干大根の煮つけ、お新香、麦と白米が3対7のご飯、お味噌汁。あたしは、この写真を見た瞬間、ずっとガマンしていた何かがプチッと切れて、両方の目から涙があふれ出した。1年間1日も休まずに朝から晩まで働いて、深夜のバイトまでやって、毎月450時間、1年で5500時間も働き続けているのに、家賃を払うだけで精いっぱいで、ラーメンの一杯も食べることができないあたし。それなのに、犯罪を犯して刑務所に行った人たちは、こんなに美味しそうな食事を毎日食べているのか‥‥。あたしって何なんだろう?今の世の中って、いったい何なんだろう?

こんなことを書くと人格を疑われちゃうかもしれないけど、正直に書くと、この時、あたしは、「犯罪者の食事なんてもっと粗末なものにしろ!」と思った。もちろん、これは、この時のあたしが切羽詰っていたから、精神的にも肉体的にも限界になっていたからで、いろいろなことが少しずつ良くなり、心に余裕が持てるようになってからは、決してこんなふうには思わなくなった。それでも、あたしの部屋のテーブルに網走刑務所の食事と同じようなメニューを並べられるようになったのは、それから10年以上も後のことだった。

そして、あたしがようやく分かったことは、とっても単純なことだった。刑務所の食事が贅沢すぎるんじゃなくて、1日も休まずに真面目に働いているのに、病気の母親の世話をすると刑務所と同じレベルの食事もできなくなってしまう日本の賃金の低さが問題だったのだ。自分が平均レベルの食事をできないからって、刑務所の食事を「もっと粗末にしろ!」「平均以下にしろ!」と文句を言うのは、「生活保護の水準以下で生活している人が800万世帯もいるから、全国の生活保護受給者の受給額を大幅にカットしろ!」という安倍政権のトンデモ政策と同じ視点だったのだ。

生活保護費は物価などから細かく計算された「最低生活費」なんだから、少しでもカットされたら多くの受給者が生活に行き詰ってしまう。問題なのは生活保護費ではなく、「生活保護の水準以下で生活している人が800万世帯もいる」という点だ。生活保護費は住んでいる地域や世帯の状況によって金額が異なるけど、そもそも生活保護とは、厚生労働大臣によって定められた基準で計算された国民の「最低生活費」と収入とを比較して、収入が最低生活費に満たない場合に、最低生活費から収入を差し引いた「差額ぶん」を生活保護費として支給するというシステムだ。

たとえば、東京の某区に住んでいて、この地域の「最低生活費」が月15万円だと定められている場合に、収入が月12万円しかない人は、生活保護を申請して認められると月3万円が支給される。収入が月5万円しかない人は10万円が支給される。病気やケガなどで働くことができずに収入がゼロの人は、月15万円全額が支給される。これが生活保護だ。

つまり、この生活保護の水準以下で生活している人が800万世帯もいるのなら、本来は、この800万世帯の人たちに、それぞれの住んでいる地域の「最低生活費」との差額ぶんを支給すべきなのだ。だけど、そんなことをしたら、またまた社会保障の予算が膨らんでしまい、安倍首相の大好きなアメリカ製の武器購入や世界各国へのバラ撒き外交ができなくなってしまうため、「見直し」と称して「最低生活費」を約10%も引き下げたのだ。

今の安倍政権がスタートしてから5年、消費税は引き上げられたし、食料品や日用品などは次々と値上げされたし、本来ならそれに合わせて「最低生活費」も引き上げないと生活保護受給者は暮して行けなくなる。それなのに、これほどの値上げラッシュが続いているのに安倍政権は、さっきの例で言えば、月15万円だった「最低生活費」を13万5000円に引き下げたのだ。そして、今年から3年かけて段階的に、さらに引き下げると言う。

月100万円の収入があった人が、月98万5000円に減額されたところで痛くも痒くもないだろうけど、最低限の生活をするために月15万円必要だった人が13万5000円にされたら、消費税の増税や食料品の値上げがなかったとしても厳しいだろう。さらに言えば、2014年4月の消費税増税は「税と社会保障の一体改革」だったハズだ。増税による税収はすべて社会保障に使うと言っていたのに、フタを開けてみたら社会保障費を削減しまくるという真逆の対応、もはや詐欺としか言いようがない。


‥‥そんなワケで、現在の日本の労働力人口約6500万人のうち、全体の約4割、2500万人以上が年収300万円以下だと言われている。そして、この2500万人の中に、あたしも含まれるワケだし、「生活保護の水準以下で生活している800万世帯」も含まれるワケだ。だから、ホントなら安倍政権はここに該当する労働者の賃金を底上げするための政策こそを進めなければならなかったワケであり、ここに該当する世帯すべてが最低でも網走刑務所と同じレベルの食事をとれるようにしなければならなかったワケだ。そして、それが実現して、ようやく日本国憲法第25条第1項に定められた「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が守られたことになるから、順序としては、ここで初めて「刑務所のエアコン設置」へと話を進められるようになる今日この頃なのだ。


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2018.07.23

死してなお奇才、サルバドール・ダリ

去年、2017年のこと、それまで10年以上にわたって「自分はサルバドール・ダリの娘だ」と主張してきたスペイン人の霊媒師の女性、マリア・ピラル・アベル・マルティネスさん(61)の求めに応じて、スペインはマドリードの裁判所がダリの遺体を墓から掘り起こしてDNA鑑定することを許可したと報じられた。そして、7月にダリの遺体が掘り起こされて、毛髪と歯と爪と骨などを採取して専門機関がDNA鑑定を行なったんだけど、その結果、マリアさんはダリの娘ではないと判断され、墓の掘り起こし作業やDNA鑑定などに掛かった費用の全額が、マリアさんに請求された。

ダリの墓は、1904年にダリが生まれたスペイン北東部のフィゲラスにある「ダリ劇場美術館」の敷地内にあり、重さ1トンを超える石版でフタをしてあるため、遺体の掘り起こし作業はとても大掛かりなものだったそうだ。総費用は明らかにされていないけど、マリアさんは相当の金額を請求されたと思う。だけど、これは、マリアさん側が望んだDNA鑑定だったワケだし、もしもダリの娘だということが証明されれば莫大な遺産を手にすることになっていたワケだから、仕方なかったと思う。それに、マリアさん自身は、自分がダリの娘であると信じていたからこそDNA鑑定を求めたワケで、もしも狂言だったとしたらDNA鑑定など求めなかっただろう。

ちなみに、当時の報道によると、マリアさんの母親がダリの自宅で使用人をしていて、その時にダリと男女の関係を持つようになり、そんな関係が何年も続くうちにマリアさんが生まれたのだと、マリアさんは母親から聞かされていたという今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、いくらマリアさんが母親からの説明を信じていたとしても、これって、少しでもダリのことを知っている人なら、最初から嘘っぽいと思っていたハズだ。だって、これはけっこう有名な話だけど、ダリは「セックスしない主義」だったからだ。「セックスは錯覚だ。一番刺激的なのはセックスしないことだ」というのがダリの口癖で、その代わりに、ダリは自慰行為、オナニーが大好きだった。手塚治虫の漫画には「ヒョウタンツギ」という謎の生物が頻繁に登場するけど、ダリの作品にも「大自慰者」と名づけられた、貝殻のような、女性器のような、横顔のような、不思議な物体がしばしば登場する。ダリはこれを自分の分身だと言っていて、性欲を自分だけで処理するオナニーこそが自分自身なのだと説いていた。

サルバドール・ダリのフルネームは、カタルーニャ語で「サルバドー・ドメネク・ファリプ・ジャシン・ダリ・イ・ドメネク」、1904年5月11日に生まれて、1989年1月23日に満84歳で亡くなっている。亡くなった時は日本でもテレビや新聞で報じられて、あたしもテレビのニュースで訃報を見た記憶がある。ダリは、スペインのカタルーニャ地方のとても裕福な家に生まれたので、小さいころから絵画に興味を持ったダリは、高価な画材なども買い与えられて、自由に絵を描くことができたという。そのため、若干21歳にして初の個展をひらいている。

その一方で、裕福な公証人だった父親にどんな考えがあったのか分からないけど、この父親はダリが子どものころから、性病の梅毒に感染して重症になった患者の局部の写真を何枚も何枚もダリに見せたという。そのため、これがトラウマとなって、ダリは成人してからもセックスができなくなったという説もある。でも、ダリは普通に女性が好きだったし、性欲も普通にあったから、結局、オナニー愛好者になったのだと言われている。

たとえば、ダリが初めてフランスのパリへ行った時、どの名所よりも先にダリが向かったのは、当時の娼館だったそうだ。そして、そう聞くと、「ダリはよほどセックスがしたかったんだな」って思うだろうけど、そこでダリが取った行動はと言えば、服を脱がせた娼婦を部屋の隅に立たせて、その娼婦を眺めながらオナニーをしただけだった。女性の裸には興味があり、性欲を感じ、男性器が反応し、オナニーをすれば射精するのだから、肉体的には極めて健康的な男性だ。それなのに、ダリは、幼いころに父親から執拗に見せられた梅毒患者の写真、セックスをしたことで梅毒に感染した男性たちの患部の写真がトラウマになっていて、恐くてセックスができないのだ。

他にも、ダリがアメリカのニューヨークへ行った時、自分が滞在していた高級ホテルのスイートルームに、モデルの女性からホームレスの男性までいろいろな男女を集めて、「セックス・サーカス」と銘打った乱交パーティーを開催した。この時も、ダリは、広い部屋のあちこちでセックスする男女を眺めながら、自分はずっとオナニーをしているだけだった。さっき、あたしは、ダリは「セックスしない主義」だと書いたけど、ダリはセックスをしないんじゃなくて、セックスには興味があるけど「できなかった」のだ。

こうした数々の逸話からも、ダリに子どもがいないことは容易に想像できるけど、その上、ダリは生前に「偉大な天才には並みの子どもしか生まれない。私はこの経験を味わいたくない」と述べて、自分に子ども(婚外子)がいないことを公言していた。そして、ダリの財産を管理している「ダリ財団」の人たちは、こうしたダリの性癖や考え方をよく知っていたから、マリアさんが10年以上も前からダリの娘だと主張し続けていても相手にしなかったし、今回のDNA鑑定も「どうぞ、どうぞ」というダチョウ倶楽部みたいなノリだったのだ。


‥‥そんなワケで、1929年、25歳のダリは、1人の女性に一目惚れをした。フランスの詩人、ポール・エリュアールの妻のガラ・エリュアールで、ダリよりも10歳年上のロシア人の女性だった。ガラは奔放な性格の女性で、ポール・エリュアールの妻でありながら、複数の男性とも関係を持っていて、この後、ポール・エリュアールと離婚するんだけど、離婚した後もポール・エリュアールと肉体関係だけは続けていたのだ。そして、ガラがダリと再婚したのは1934年、ダリが30歳、ガラが40歳の時だった。

ダリはガラをとても愛していたけど、やっぱりセックスだけは恐くてできなかったので、ダリは自分の妻であるガラがどんな男性とセックスすることも許可していた。そして、ガラは、ダリと結婚する前と同じように、複数の男性とのセックスを謳歌していく。その一方で、ガラは、ダリのためにビジネス面でのパートナーとして活躍したため、ダリの財産はどんどん増えていった。ダリの金銭欲は桁外れで、芸術界ではダリを良く思わない者も多かった。詩人のアンドレ・ブルトンは、「Salvador Dali(サルバドール・ダリ)」のアルファベットを並び替えたアナグラムで「Avida Dollars (アヴィダ・ダラーズ)」という言葉を作り、ダリを揶揄する時に使っていた。これは「ドルの亡者」という意味で、ダリを嫌う人たちの間に、またたく間に広まってしまった。

それでも、誰から何を言われてもダリはお構いなしで、お金儲けのためなら何でもやった。たとえば、日本でもお馴染みの棒付きキャンディー「チュッパチャプス」、あの包み紙のサイケなデザインはダリの作品だ。他にも、チョコレートやブランデーや頭痛薬などのテレビCMに出演したり、とても芸術家とは思えないようなことでも、お金儲けのためなら何にでも手を出した。でも、一説によると、これらは妻のガラによるプランニングで、ダリは「お金のため」というよりも「愛するガラのため」に、こうした仕事を請け負っていたとも言われている。

ただ、ダリ自身にも、ちょっとペテン師のような一面もあった。たとえば、ジョン・レノンとともにダリと面識のあったオノ・ヨーコが、どうしてもダリの髭を1本欲しいとお願いしたところ、ダリはオノ・ヨーコに1万ドルを要求したのだ。それでもダリの髭が欲しかったオノ・ヨーコが、しぶしぶ1万ドルを支払うと、ダリから届いたのは、カラカラに干からびた1本の細い草だったそうだ。他にも、ダリは、自分の描いた絵を「これはスズメバチ100万匹の毒を混ぜた絵の具で描いた特殊な作品だ」と大嘘をつき、お金持ちの顧客の1人に通常の何倍もの値段で売りつけたこともあった。

これらは、普通の人がやったら詐欺罪で逮捕されちゃうけど、ダリの場合は通用しちゃうのだ。ダリは、自分が周囲からどのように見られているかをよく分かっていて、それを利用して、詐欺まがいのことやセコいことを繰り返していた。何よりもセコイのは、多くの友人を引き連れて高級レストランへ行き、「今日の食事代はすべて私が支払うので、皆さん、何でも好きなものを注文してくれ」と言って、自分も高級料理を注文する。そして、食事が終わると、ダリはお会計を頼み、ウエイターが合計金額の書かれた領収書を持ってくると、ダリは小切手帳を取り出し、ウエイターの見ている前で金額を記入してサインをする。でも、これでは終わらないのだ。ダリはウエイターが見ている前で、その小切手を裏にして、そこにチャチャッと簡単な落書きをして、自分のサインをする。

レストランの支配人や従業員たちは、この客が世界的な芸術家であるサルバドール・ダリだということを先刻承知だから、そのダリが描いた絵であれば、たとえ小切手の裏に描かれた落書きであっても、それが大変に価値のあるものだと理解している。小切手は、銀行に持っていって現金と交換した時点で初めて発行者に請求がいくものだから、受け取った側が銀行に持っていかなければ、発行者に請求はいかない。この小切手は、当然、小さな額に入れられて、そのレストランの壁に大切に飾られることになるので、発行者のダリには永久に請求がいかないのだ。ダリは、この手口を頻繁に使っていたという。


‥‥そんなワケで、こんなにもセコいダリだったけど、ガラのことは心の底から愛していたから、出会ったばかりの20代の時にガラに言った「いつか君にお城を買ってプレゼントしてあげる」という約束を、結婚から34年後の1968年に、本当に守ったのだ。ダリは、故郷のカタルーニャ地方の古城を丸ごと買い上げ、1年かけて完璧にリフォームし、贅沢な調度品や美術品で埋め尽くし、それをガラにプレゼントした。ガラは生涯、このお城で女王様のような生活を送ったけど、ガラからこのお城への訪問を許されていたのは、ダリ1人だけだった。でも、好きな時にいつでも訪問できるわけじゃない。まずは事前に手紙を送って訪問の打診をして、ガラからOKの返事が届いた時だけ、ダリは城門をくぐることが許された。

この話だけを聞くと、ガラってトンデモない女性みたいに思われちゃうけど、実はこれ、ダリの発案だったのだ。ダリは、このお城が建設された当時の「中世の貴族の生活様式」を再現することによって、ダリはガラへの忠誠心を表現し、ガラはダリの愛情を感じるという、セックスレス夫婦による極めてハイレベルな愛の確認作業を楽しんでいたのだ。誰もがスマホやケータイを持っていて、深夜でも早朝でも自分のカノジョやカレシに連絡ができ、会おうと思えばすぐにでも会える現代では、2人の間には「会ってから何をするか」ということしかない。でも、まずはダリが訪問したい日時を記した手紙をガラへ送ることから始める儀式には、「会うまでの楽しさ」も備わっていたのだ。

男性から女性へ自分の思いを込めた和歌を送り、女性からの返歌を読んで脈アリか脈ナシかを判断し、イケると思ったら次の満月の夜に夜這いに行く。まるで万葉の時代の貴族たちの恋愛ゲームのような「会うまでの楽しさ」を、時代も国も違えども、ダリとガラも楽しんでいた。そして、そのためにお城まで買ったのだから、ダリにとっての恋愛は、セックスなど完全に超越した崇高でロマンティックなゲームだったのだろう。

ダリと言えば、頭の上にフランスパンを括りつけて「リーゼントヘアだ」と言ってみたり、車内をカリフラワーで埋め尽くしたロールスロイスで登場してみたりと、一般人には理解できない奇行ばかりが話題になっていたけど、こんなにもロマンティックな一面もあったのだ。そして、ダリには、妻のガラ公認の愛人もいた。多くのロックミュージシャンと交流があり、自身も多くのアルバムをリリースしていて、かつてはデヴィット・ボウイの恋人だったアマンダ・リアだ。


‥‥そんなワケで、アマンダ・リアは、1946年、イギリス系フランス人の父と、ロシア人と中国人のハーフの母の間に生まれたフランス人で、フランス語の他に、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語の5カ国語を話すという。見た目はブロンドの美女だけど、172センチだったダリより6センチも髙い178センチの長身で、男性のような低い声なので、元男性の性転換者だとか、両性具有だとかの噂が絶えなかった。本人は否定していて、そのために「プレンボーイ誌」でヌードまで披露したけど、「性転換手術の費用はダリが負担した」とか「本当は女性だがデヴィット・ボウイが性転換者の噂を流すと面白いと発案した」とか、いろんな噂が流された。

アマンダ・リアのことまで書き始めると長くなり過ぎちゃうので、ここらで話を元に戻すけど、ここまで読めば、ダリには妻も愛人もいたことが分かったと思う。でも、妻とはセックスをしなかったし、愛人は元男性だったかもしれないし、女性だったとしてもやっぱりセックスはしなかったので、結論として、ダリに子どもはいなかった。だから、ダリの娘だと主張するマリアさんの求めに応じた裁判所の指示で、昨年7月、ダリの墓から遺体を掘り起こし、ダリの遺体の毛髪と歯と爪と骨からDNA検体を採取して鑑定した結果、その後の報道の通り、マリアさんはダリの娘じゃなかったと確認されたワケだ。

そして、こんな鑑定ができたのは、スペインが土葬の国だったからだ。火葬の国である日本でも遺骨は残るけど、骨の内部のDNAは千数百度の熱で完全に破壊されてしまうので、炉内温度が600~800度、燃焼温度が約2000度の日本の火葬では、遺骨は残るけどDNAは残らない。あたしはこれまで、火葬の国と土葬の国の違いは、ホラー映画とかで死んだ人が蘇る場合に、火葬の国なら肉体を持たない「幽霊」になり、土葬の国なら肉体の腐敗した「ゾンビ」になる、という点くらいしか考えたことがなかった。だけど、死んだ後もDNA鑑定ができるのなら、今から日本を土葬にすることは無理だとしても、少量の爪や髪を保存した上で火葬にすれば、死後にその人の婚外子を名乗る子どもが現われたり、何らかの犯罪に関わっていたようなケースで、大きな証拠になるんじゃないかと思った。

ま、それはそれとして、今回のニュースであたしが1つだけ不思議に思ったのは、お墓から掘り起こしたダリの遺体の髭が、生前と同じに時計の10時10分を指してピンと立っていたということだ。墓の掘り起こし作業は、司法長官の立ち会いのもと、法医学研究所と葬儀サービス業者のチームによって行なわれたんだけど、掘り起こした約2メートルの棺のフタを開けて毛髪や歯などからDNA検体を採取した法医学研究所の担当官が、ダリの遺体のピンと立った髭を確認したと公式に証言しているのだから、とても嘘を言っているとは思えない。

ダリは生前、自分の髭は「水飴で固めている」と言っていたので、そのまま土葬にしたのなら、しばらくはピンとしたままだと思う。だけど、ダリが84歳で亡くなって土葬されたのは1989年1月、掘り起こされたのは2017年7月、28年と半年も経っているのだ。いくら髭を水飴で固めていたって、28年以上もそのままだなんて、あたしには信じられない。ちなみに、毛髪や髭や爪は、皮膚の角質層のケラチンが主成分なので、雨水や地下水には溶けないし、微生物にも分解されない。エジプトのミイラは骨と皮だけだけど、よく見ると毛髪や爪が残っている。これと同じで、土葬の場合、遺体の大半は微生物に分解されてしまうけど、毛髪や髭や爪は残る。


‥‥そんなワケで、死後28年以上が経ったダリの遺体は、毛髪や髭が残っていても不思議じゃない。ただ、その髭が生前と同じに時計の10時10分を指してピンと立っていたということが、あたしには信じられないのだ。だって、髭自体は毛髪と同じでケラチンが主成分だから微生物には分解されないけど、その髭を固めている水飴は分解されるだろう。そして、水飴が分解されてしまえば、ダリの髭はタラリと垂れ下がり、ラーメンマンの髭みたいになるはずだからだ。まあ、いろんな偶然が重なった結果なんだろうけど、死後28年以上が経っても、まだみんなを驚かせてくれるなんて、やっぱりダリは本物の天才で、本物の奇人だったんだと思った今日この頃なのだ。


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2018.07.19

自衛隊のイラク派遣日報から消された真実

今の安倍政権は、森友学園問題が解明されないうちに加計学園問題が発覚し、加計学園問題が解明されないうちに自衛隊の南スーダン日報の隠蔽問題が発覚し、自衛隊の南スーダン日報の隠蔽問題が解明されないうちに自衛隊のイラク派遣日報の隠蔽問題が発覚し‥‥という「疑惑のバーゲンセール」のような状態なので、1つの問題を徹底追及、徹底解明している余裕がない。本来なら、どれ1つを取っても、それだけで政権が吹き飛ぶような大問題なのに、そうした大問題が次から次へと連発されるため、国民のほうも感覚が麻痺してきて、大した問題じゃないような錯覚に陥ってくる。

そして、これらの大問題の原因を作った安倍晋三首相のほうは、口先では「丁寧に説明する」「徹底的に膿を出す」などと言いながら、いっさい具体的な説明などせず、野党が求める参考人招致や証人喚問にも断固として応じず、嘘に嘘を重ねて時間稼ぎを続けてきた。ようするに、国民がこれらの問題に飽きるのを待ち、そのままウヤムヤにしてしまおうという作戦なのだ。

まあ、森友学園問題や加計学園問題に関しては、喫緊の5月末の世論調査でも75%前後が「安倍首相の説明は納得できない」と回答しており、国民の大半は「安倍首相や昭恵夫人による政治の私物化が起こした問題」だと認識しているだろう。また、自衛隊の南スーダン日報の隠蔽問題に関しても、国民の大半は「憲法解釈を捻じ曲げてデッチ上げた集団的自衛権に免罪符を与えるために南スーダンの内戦を利用した恥ずかしい問題」だと認識していると思うので、これらの問題に対する安倍首相の説明や対応に納得できない皆さんは、来年の夏の参院選で自分の意思を示せばいい。

でも、最後に発覚した自衛隊のイラク派遣日報の隠蔽問題に関しては、他の問題とはまったく質が違う。他の問題は、どれも安倍首相が自分のために行なった便宜供与疑惑や公文書隠蔽疑惑だけど、自衛隊のイラク派遣日報の隠蔽問題は、その根の深さがまったく違う。そのため、今回は、この問題について、あたしが独自に入手した情報も含めて、徹底的に取り上げたいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、2006年までの小泉政権以降、これまで10年以上にわたって歴代の自民党政権が「存在しない」と説明し続けてきた自衛隊のイラク派遣の日報が発見された問題で、防衛省は今年4月16日、陸上自衛隊の2004年1月~2006年9月までの435日分、計1万4929ページを公開した。まず、この自衛隊のイラク派遣の概要について簡単に説明しておくけど、2003年、アメリカがイラク侵攻の口実にした「大量破壊兵器」というデマを鵜呑みにした小泉純一郎首相(当時)が、公明党の神崎武法代表(当時)と手を組み、アメリカに戦争用の莫大な資金援助を行なうと約束した。そして、「日本はカネだけでなく人員も出せ」というブッシュ・ジュニアからの命令に二つ返事で従い、「自衛隊を派遣するイラク南部のサマワは非戦闘地域だ」という大嘘をついて、国民の85%もの反対の声を無視して強行したものだ。

それも、わざわざ「イラク特措法案」を作り、自民党と公明党による数の暴力で可決・成立させ、2003年12月、「1年間の限定」ということで自衛隊を派遣したのだ。そして、1年後の2004年12月には「1年延長」を決め、さらに1年後の2005年12月にも「1年延長」を決め、こうしてズルズルと延長を続けた挙句、「イラク特措法」の期限が切れる2007年6月には、当時の安倍晋三首相が「イラク特措法」を2年延長する改正案を強行採決したのだ。そして、2009年2月、最後の航空自衛隊が帰還し、2年延長した期限が切れ、「イラク特措法」は失効した。

ザックリ言えば、この自衛隊のイラク派遣とは、小泉政権と第1次安倍政権がアメリカの言いなりになって行なった「アメリカの戦争のお手伝い」というワケだ。そして、今回、見つかった日報は、2004年1月~2006年9月までのものなのだから、まだ他にも2006年10月~2009年2月までの2年5カ月ぶんの日報が、どこかに隠してあるってワケだ。

さて、今回、防衛省が公開した2004~06年の陸上自衛隊の日報を見ると、「戦闘」という言葉があちこちに見られるだけでなく、サマワの自衛隊宿営地に迫撃砲やロケット弾が撃ち込まれた様子、銃撃戦の様子、自衛隊の車両が爆弾攻撃を受けた様子、自衛隊員が現地の群集に囲まれて市民から投石を受けた様子などが具体的に記されていた。たとえば、2006年1月22日付の日報には、サマワの治安状況として「英軍車両がパトロールを始めたことに反感を持った民兵が射撃し、戦闘が拡大」と記されており、さらに事態が拡大する可能性も「否定できない」と書かれている。同年6月23日付の日報には、自衛隊の車列で路上に仕掛けられた爆弾が爆発し、車両1台が破損したと記されており、その時の様子として「(破損した車両が)見えないほどの土煙」「活動開始の時間を狙われている可能性」などの記載があり、現場や破損した車両の写真も添付されていた。

一方、これは宿営地のサマワじゃないけど、多国籍軍への攻撃が頻発したイラク南部バスラの空港に派遣されていた自衛隊員が、2006年4月、「弾着音と警報で起こされ、またもほとんど睡眠時間なしで前進する」「更新情報が出るたびに私は慄然(りつぜん)とした。撃たれた(ロケット弾は)2発とも基地内に弾着していた」などと記されており、派遣先が完全に「戦闘地域」であったことが読み取れる。そして、当時の小泉首相が「非戦闘地域」だと強弁したサマワの宿営地に関しても、2005年8月24日付の日報には、「公式には多国籍軍との戦闘は停止しているが、秘密の指示による戦闘の継続も考えられる」と記されていた。

事実、サマワの自衛隊の宿営地は何度も攻撃を受けており、今回、公開された日報の中にも、宿営地内外で十数回に上る砲撃があったと記されていた。2004年10月~05年7月の約10カ月の間だけでも、自衛隊の宿営地は、少なくとも4回、迫撃砲とロケット弾による攻撃を受けたと明記されている。たとえば、2005年7月4日にロケット弾の攻撃を受けた翌日、7月5日付の日報には「連続発生の可能性は否定できず」と記されているので、現地の自衛隊員は、攻撃は今後も続くと見ていたのだ。だけど、今回、この日報を公開するにあたり、防衛省は「迫撃砲弾やロケット弾と思われる着弾痕などが十数回発見されたが、人的被害は発生せず、無事に任務を終了した」と、事実を歪めた説明をしたのだ。


‥‥そんなワケで、当時、日本のテレビでは、広告塔の「ヒゲの隊長」が現地の人たちに飲料水を配布している平和的な映像しか紹介せず、自衛隊の車両が現地の人たちに囲まれて投石を受けたり、宿営地の看板の「日の丸」が現地の人によって黒いラッカースプレーで塗りつぶされたことなど、現地の市民から日本の自衛隊が反感を買っていた事実については、一切、報じなかった。そして、日本政府は「自衛隊は全員無事に帰還した」と報告したし、2006年には麻生太郎外務相(当時)が「日本の自衛隊は、これまで2年半の間に1人の犠牲者も出さずに人道復興支援をやり遂げてくれた。野球で言えばノーヒットノーランぐらいすごいことだ」とドヤ顔で述べていた。

だけど、実際には、この時点で、多くの自衛隊員が亡くなっていた。この1年後の2007年11月13日、社民党の照屋寛徳衆議院議員(当時)の「イラクから帰還した自衛隊員」に関する質疑に対して、当時の福田康夫首相は「イラクに派遣された隊員のうち在職中に死亡した隊員は35人」と回答している。内わけは「陸上自衛隊14人、海上自衛隊20人、航空自衛隊1人」で、死因は「自殺」が16人、「病死」が7人、「事故又は不明」が12人だった。以前も説明したけど、自殺者の大半は日本に帰還した後に亡くなっているので、正確には「イラク派遣中」ではない。でも、その自殺の原因が「イラク派遣で戦闘の恐怖を体験したことによるPTSD」だったとしたら同じことなのだ。

そして、何よりも理解できないのが、死因が「事故又は不明」の12人だ。まず、「事故又は不明」という書き方では、「事故」が11人で「不明」が1人かもしれないし、その逆かもしれない。防衛庁(現・防衛省)は、どうして死因の分かっている隊員と分からない隊員を一緒に扱ったのだろうか?もしかして、死因を公表することができず、仕方なく「不明」とした自衛隊員の存在を隠すことが目的だったのではないだろうか?


‥‥そんなワケで、ここで、あたしが当時、細かくチェックしていた現地の報道の中から、イラクのレジスタンス(反体制組織)による攻撃状況を詳しく報じていた「イラク・レジスタンス・レポート」の2005年7月8日付の「米国の占領拡大に敵意を増大させたシーア派の武装勢力が日本軍基地を長時間にわたり攻撃」という記事を紹介する。


「8日午後2時30分、イラク南部の都市サマワにある日本占領軍の基地に対して、イラク・レジスタンス勢力は、強力なロケット弾と迫撃砲弾による攻撃を行なった。イスラム・メモのサマワ通信員は、レジスタンスの砲撃は1時間15分ほども続き、施設内にサイレンが鳴り響く中で、濃い煙がたちのぼるとともに、日本占領軍の基地内ではいくつもの二次爆発が発生した。いわゆる「人道支援イラク日本合同司令部」で通訳として働く基地内の情報筋は、イスラム・メモに対して、この砲撃は日本占領兵にも死傷者を出したが、犠牲者のはっきりした数字を示すことができないと語った。」


この後の記事の後半では、「米軍が市民を巻き添えにした無差別攻撃を繰り返しているため、イラクの武装勢力だけでなく市民感情も反米の色が強くなり、その結果として、米軍の下部組織である日本の自衛隊も武装勢力のターゲットになった」と報じられている。また、記事の中で「日本占領軍」と書かれているのは、現地の人たちからは、日本の自衛隊も米軍と一緒になってイラクを占領しようとしていると見られていたからだ。

ここで、先ほど紹介した今回の日報の記述と照らし合わせてほしいのだけど、2005年7月4日にロケット弾の攻撃を受けた翌日、7月5日付の日報に「連続発生の可能性は否定できず」と記されていた。そして、今、あたしが紹介した現地の記事は、その3日後の7月8日なのだ。つまり、サマワの宿営地にいた自衛隊員の「連続発生の可能性は否定できず」という予想は、見事に的中していたことになる。そして、現地の報道が正しければ、この3日後の長時間にわたる攻撃で、自衛隊員に死者や負傷者が出ていたのだ。しかし、今回、防衛省が公開した日報では、自衛隊の宿営地が大規模な攻撃を受けた7月8日の部分がスッポリと抜け落ちているのだ。

さらに言えば、今回、発見されて公開された陸上自衛隊の日報は、「2004年1月~2006年9月までの435日分、計1万4929ページ」と言われているけど、これって、おかしいと思わない?2004年1月から2006年9月までということは、2年8カ月なのだ。1年は365日、2年8カ月なら「972日」もある。自衛隊の日報は、何も変わったことがなくても「今日はどのような任務をしたか」ということを必ず担当者が記入するため、本来なら、日数ぶんがすべて揃っているのが普通なのだ。

それも「イラク派遣」という特殊任務なのだから、1日も欠かさずに日報を付けていたことは明らかだ。それなのに、全体の半分以上が欠落しているなんて、普通では考えられない。それで、あたしは、公開された日報の日付をすべて確認してみたんだけど、驚いたことに、あたしの手元にある当時の現地の報道と照らし合わせてみると、サマワの自衛隊の宿営地に激しい砲撃があって死傷者が出たと報じられた日や、自衛隊員が銃撃戦に巻き込まれて死傷したと報じられた日など、そうした日の日報ばかりが消えていたことが分かった。

分かりやすい例を挙げると、現地の報道で「サマワの自衛隊の宿営地に対して武装勢力による激しい攻撃が頻発していた時期」と言われている2004年3月~2005年3月までの約1年間の日報は、ほとんどが欠落していた。あたしが確認した現地の報道によると、サマワを含むイラク南東部では、この1年間は、武装勢力による攻撃がもっとも頻発した時期で、ほぼ毎日、多国籍軍と武装勢力による交戦が続いており、多い時には1カ月に500件を超える戦闘があった。それなのに、その時期の日報だけがスッポリと抜け落ちているのだ。

当然、この時期、サマワの自衛隊の宿営地も繰り返し武装勢力からの攻撃を受けていたけど、2005年7月8日に自衛隊員に死者や負傷者が出たと現地メディアが報じた時の日報と同じく、この時期の日報もスッポリと抜け落ちているため、照らし合わせて検証することができない。皆さん、これ、どう思う?誤解を恐れずに思った通りのことを言わせてもらえば、「自衛隊の宿営地が戦闘地域だった」というだけでも当時の小泉首相や自公政権の政治責任が問われてしまうため、その宿営地が攻撃を受けて自衛隊員に死者が出たなどとは、日本政府は口が裂けても言えない。そこで、当時の自民党政権は、その部分の日報を処分するように防衛庁に指示をして、国内向けに「犠牲者は1人も出なかった」などと嘘の発表をして、ほとぼりがさめた頃に「実は35人、亡くなっていた」と発表し、戦死した自衛隊員の死因を「不明」としたのでは?‥‥などと勘ぐってしまう。


‥‥そんなワケで、先ほど紹介した「イラク・レジスタンス・レポート」の報道が正しければ、1時間以上にも及ぶ激しい攻撃を受けた自衛隊の宿営地では、複数の二次爆発が発生し、複数の死傷者が出た。ちなみに、迫撃砲とは、地上から10メートルほどの空中で爆発し、高熱の破片を飛び散らせることで広範囲にダメージを与える兵器なので、近くにプロパンガスのボンベやガソリンの携行缶などがあれば、簡単に二次爆発を誘発する。こうした基礎知識があれば、この現地報道の「日本占領軍の基地内ではいくつもの二次爆発が発生した」という内容の信憑性が判断できるだろう。

当時、サマワの自衛隊の宿営地が砲撃を受けたというニュースは、日本でも少しだけ報じられたけど、「大したことはなく、負傷者は1人も出ていない」というものだった。でも、現地の報道は、日本での報道とまったく違っていたのだ。そして、その部分を検証して「どちらの報道が正しかったのか」ということを調べようと思っても、防衛省が公開した日報からは、その部分だけが手品のように消えているため、検証することができないのだ。それも、大規模な攻撃があった2005年7月8日の「3日前」までの日報は残っていて、そこには「連続発生の可能性は否定できず」とまで記されているのに、その後の「大規模な攻撃があった日」の日報だけが消えているのだ。

ちなみに、この2005年には、イラクに派遣された自衛隊員が、計8人、亡くなっている。しかし、防衛庁(当時)の発表した報告書には、年度別の死因は記載されていないので、この8人が、全員、日本に帰還してからPTSDで自殺した隊員なのか、現地で「事故又は不明」で亡くなった隊員なのかは、現時点では知ることができない。ただ、ひとつだけ言えることは、2005年にイラク派遣された自衛隊員の死者は「ゼロ」ではない、ということだ。


‥‥そんなワケで、次は、イラクの隣りのサウジアラビアの隣りのドバイ在住の「PINK」さんというハンドルネームの人のブログから、2009年5月2日付の「英国軍イラク撤退」というエントリーの一部を紹介させていただく。これは、タイトルの通り、英国軍がイラクから撤退したことについて書かれているもので、日本人のあたしにとっては、とても耳の痛いことが書かれている。


「911ニューヨーク攻撃犯人は、サウジアラビア人達だと言っておきながら、サウジアラビアは攻めず、イラク人など一人も関わっていなかったにも関わらず、アルカイダの存在も全くなかったにも関わらず、イラクへ侵略した欧米日本...イラク人達の犠牲者の数、イラクの苦悩には一言も触れずに、侵略戦争の成功を神様に感謝しながら祈る牧師の姿は、ヤッパリ戦闘服であるのがヤケにピッタリした感じでもあります。」

(中略)

「そう言えば、ワタシが驚いたのは、日本では自衛隊員の犠牲者は一人もなかった...事になっていると言うことでした。何年頃だったか忘れましたが、日本の外では、BBCもCNNも確かに、初めての自衛隊員の銃撃戦による死亡を伝えるニュースを流したことがありました。 少なくとも一人の自衛隊員がイラクで銃撃戦の犠牲になっているのは事実です。」


安倍首相は、日本の自衛隊を米軍の下部組織として地球の裏側にまで派遣して、米軍の戦争ビジネスの手伝いをさせることを「積極的平和主義」と呼び、戦争を禁じた日本国憲法の解釈変更で「集団的自衛権」を行使することを閣議決定だけで決めてしまった。そして、ポスト安倍の候補の1人でもある石破茂氏は、「アメリカの若者たちだけに戦地で血を流させておいて良いのか?日本の若者たちも血を流すべきではないのか?」などと自論を述べている。

だけど、安倍首相の計画通りに、このまま日本の自衛隊が米軍の下部組織になり、米軍と共に世界各地で戦争ビジネスに参加するようになってしまうと、それ自体も大問題だけど、二次的な問題として、自衛隊員にも多くの死者が出るため、自衛隊員を志す若者が減少し、結果、「徴兵制の復活」という最悪のシナリオへと突き進んでしまう可能性が高いのだ。

たとえば、今も世界各国の軍隊が「集団的自衛権」を大義名分にした戦争に参加しているアフガニスタンでは、これまでに戦死した兵士の人数が、2018年1月現在で、アメリカが2396人、イギリスが455人、カナダが158人、フランスが87人、ドイツが54人、イタリアが48人、ポーランドが44人、デンマークが43人、オーストラリアが41人、スペインが34人、ジョージアが31人、ルーマニアが26人、オランダが25人、トルコが15人、他にもたくさんの国々の兵士が戦死している。そして、こうした兵士の多くは、お国のために命を捧げた屈強な愛国兵士などではなく、大学の学費を免除してもらうために、その見返りとして短期間だけ国軍に入隊した「普通の若者たち」なのだ。


‥‥そんなワケで、こうして死者数だけを羅列しても実体は分からないと思うけど、アメリカの場合は述べ9万人派遣されたうちの2396人が戦死し、イギリスの場合は述べ9500人派遣されたうちの455人が戦死し、カナダの場合は述べ3000人派遣されたうちの158人が戦死している。他の国々を見ても、だいたい派遣された兵士の約5%が戦死している。日本の自衛隊は、イラク派遣が述べ9200人、南スーダン派遣が述べ4000人なので、もしも、これらの派遣が「米軍の下部組織としての参戦」であった場合には、イラク派遣で約460人、南スーダン派遣で約200人の自衛隊員が戦死していたことになるのだ。そして、これを、憲法上でも可能になるように憲法を改悪しようと目論んでいるのが、今の安倍首相であり、自民党政権であり、その背後にある日本会議なのだ。そう考えると、「人道支援」や「平和活動」という名目で自衛隊を派遣したイラクや南スーダンで「戦闘があった」という記述のある日報を国民の目に触れさせないように隠蔽した主犯の顔が、すぐに浮かんでくると思う今日この頃なのだ。


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2018.07.16

記憶の移植と高齢化社会

先日、今から27年前の1991年に公開されたアニメ映画『老人Z』を初めて観た。敬称略で書かせてもらうけど、大友克洋と江口寿史という天才2人が、それぞれメカニックデザインとキャラクターデザインを担当したことで話題になった作品だ。で、観てみたら、これがめっちゃ面白かっただけでなく、いろいろと考えさせられるディープな作品だった。そして、何よりもあたしが驚いたのが、30年近くも前の作品なのに、まるで今の日本の状況を見た上で製作されたような作品だったことだ。

ずっと前の作品なので、最低限度のネタバレは許してもらうけど、当時から日本が将来的に高齢化社会へ進んでしまうことは予測されていたので、高齢化社会を迎えてしまった近未来の日本が舞台だという点は理解できる。でも、増えすぎたお年寄りの介護をする側の人手不足を解消するために、厚生省(当時)が民間企業に依頼して開発した最新型介護ロボットは、AIを搭載した第6世代のコンピューターを搭載している上、超小型の原子力エンジンによって駆動するというシロモノだった。

その上、この最新型介護ロボットの開発を請け負った民間企業は、実は将来的にこのロボットを兵器として利用するために、国の予算を使って開発していたというオマケまで付いていて、まるで今の安倍政権そのもののような作品だった。だから、古さを感じるどころか、今年公開された新作のアニメ映画と言われても違和感を覚えないほど素晴らしい作品で、最初から最後までタップリと楽しむことができた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この27年前のアニメ映画『老人Z』は、87歳の高沢喜十郎という寝たきりのお年寄りが主人公なんだけど、10年以上も前に亡くなってしまった奥さんのハルさんのことを今でも思っている。そして、この最新型介護ロボットのAIは、亡くなっているハルさんの人格を作り出し、ハルさんになって喜十郎さんに話しかける‥‥という流れから、あたしは、この「ハル」という名前は、映画『2001年宇宙の旅』のコンピューター「HAL 9000」や、「頭脳警察」のPANTAさんのバンド「PANTA & HAL」と同じで、「IBMの一歩先を行く」という意味から、アルファベットのIの前のH、Bの前のA、Mの前のLを組み合わせて作った名前なんじゃないかと思った。

ま、命名の背景はともかくとして、わずかなデータからハルさんの人格を作り出したのも、最初はベッドの形をしていた介護用ロボットが攻撃能力を備えた兵器へと進化したのも、どちらも学習能力を持ったAIによるものだ。今でこそ「ITの世界ではAIの進化がめざましい」と書かれていても、たいていの人が普通に意味を理解できると思うけど、30年近く前の公開当時は「IT」のことを「イット」と読む人もいただろう。念のため、「IT(アイ・ティー)」は「インフォメーション・テクノロジー」の頭文字で、日本語に直訳すれば「情報技術」という意味になるけど、昔からあった電話通信や無線などではなく、コンピューターの普及とともに発展した「データ通信」に代表されるコンピューター技術の総称だ。

一方、「AI(エー・アイ)」は「アーティフィカル・インテリジェンス」の頭文字で、直訳すれば「人工知能」という意味だ。人間の命令に従って動くロボットは何十年も前から作られていたけど、それはロボットが人間の言葉を理解して、自分で考えて行動しているワケではなく、「こういう単語を言われたら、このように行動する」というプログラムによって動いているだけだった。だけど、AIを搭載したロボットの場合は、自分の経験をデータとして蓄積していき、その中から「こういう場合は、このように対応したほうが良い」ということを自ら学び、成長していく。

たとえば、とても乱暴な例になっちゃうけど、ドライバーがハンドルを握っていなくても目的地まで走行してくれる自動運転自動車の場合、もしも人身事故や物損事故を起こしたら、そのたびにその情報がデータとして蓄積されていき、同じような条件下での事故をなるべく回避するようにAIが成長していく。だから、いろいろなパターンの事故をたくさん経験した自動運転自動車のAIこそが、最も事故回避能力の高いAIということになる。そして、こうしたデータは他のAIにも移植できるから、走行実験によって得た複数の事故データを最初から移植しておけば、新車でも、すでに複数の事故のパターンに対応した自動運転自動車ということになる。


‥‥そんなワケで、こうしたデータの移植は、もちろん、コンピューターだからできることで、人間の記憶を他の人間に移植することなんてできるワケがない。人間の場合は、医学の進歩で、心臓の移植、腎臓の移植、目の角膜の移植、白血病の骨髄移植、指や腕や足などの移植、耳や鼻の移植から顔面すべての移植など、いろいろな移植ができるようになってきたけど、さすがに脳の移植は不可能だ。最近、イタリアと中国の研究チームが「ヒトの頭部の移植に成功した」という怪しげな海外ニュースが報じられたけど、もしもこれが事実だったとしても、これは『ジョジョの奇妙な冒険』のDIOのように、身体を失った自分の頭部を別の人間の身体に移植しただけなので、あくまでも「脳を含んだ頭部の移植」であって、記憶だけを移植したことにはならない。

だけど、今年の春のこと、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のデイビッド・グランツマン教授の研究チームが、この「記憶の移植」に成功したのだ。もちろん、相手は人間じゃなくて、海にいる軟体動物の「アメフラシ」なんだけど、それでも、人間にも通じるいろいろなことが分かったのだ。アメフラシって、見たことがある人も多いと思うけど、ウミウシに似た派手な色の軟体動物で、指で突いたりすると紫色の煙幕を張って敵から身を守ろうとする、あの生き物だ。

アメフラシは、指で突くなど外部から刺激を与えると、紫色の煙幕を張るだけでなく、身体を縮めて堅くするんだけど、その時間は、だいたい10秒程度だという。そこで、グランツマン教授の研究チームは、特定のアメフラシに微弱の電流を流すことによって、この身体を縮めて堅くするという防御の時間を伸ばすように訓練を続けた。訓練を受けたアメフラシは、指で突かれただけでも、それまでの5倍にあたる50秒間も身体を縮めて堅くするようになった。そして、訓練を行なったアメフラシから取り出した遺伝子のRNA(リボ核酸)を、訓練を行なっていない別のアメフラシに移植したところ、そのアメフラシも、指で突くと40秒間も身体を縮めて堅くなったのだ。

このアメフラシは、RNAを移植するまでは他のアメフラシと同様に10秒程度しか防御姿勢を取らなかったのに、訓練を受けたアメフラシのRNAを移植しただけで、まったく訓練など行なっていないのに、それまでの4倍、40秒も防御姿勢を取るようになった。また、アメフラシの感覚神経細胞を取り出して行なったシャーレー上の実験でも、同様の結果が出たという。こうした結果を受けて、グランツマン教授は「まるで記憶を移植したようだった」と述べた。


‥‥そんなワケで、ここでRNAについてザックリと説明しておくけど、有名なDNAは「デオキシリボ核酸」で、このRNAが「リボ核酸」だ。見た目としては、DNAは2本の線が螺旋になっていて長いけど、RNAは1本の線が螺旋になっていて短い。役割としては、DNAは遺伝情報を長期間保存しているけど、RNAは必要なタンパク質を作るために核から遺伝コードを転写したり、遺伝情報を伝達したりしている。そして、DNAは細胞核にだけ存在しているけど、RNAは人間の細胞の核と細胞質に存在している。ちょっと語弊があるかもしれないけど、ものすごくザックリと言えば、DNAがコンピューターの「ハードディスク」なら、RNAは「DVD-R」のようなものなのだ。

で、人間の記憶というものは、これまで長いこと、脳内の神経細胞同士の接合部にあるシナプスに蓄えられていると考えられてきた。つまり「記憶は脳内にある」と考えられてきたワケだけど、数年前から、この説を否定するような研究結果がいろいろと発表されてきた。そして、今回、アメフラシの実験を行なったグランツマン教授も、これまでのシナプス説に懐疑的なスタンスだった。そして、それを証明するために、神経細胞のタイプが人間のものとよく似ているアメフラシを使って実験を行なったのだ。

今回のグランツマン教授の実験を、さっきのあたしの「DNAがコンピューターのハードディスクなら、RNAはDVD-Rのようなもの」というザックリした比喩で説明すると、訓練をして通常よりも長く防御姿勢を取るようになったアメフラシのDVD-Rを抜き取り、それを別のアメフラシに差し込んだところ、そのアメフラシは一度も訓練を行なっていないのに、通常よりも長く防御姿勢を取るようになった‥‥ということになる。もしも、これが「記憶の移植」に該当することであり、人間のRNAもアメフラシと同じ構造なら、人間も他人と「記憶のやり取り」が可能になるかもしれないのだ。

今回の実験結果について、グランツマン教授は、「私は、記憶はシナプスではなくニューロン(神経細胞)の核に蓄えられていると推測している。もしも、これまでの仮説通りに記憶がシナプスに貯蔵されているのなら、我々の実験は成功しなかった」と語った。今回の実験の対象となったアメフラシの神経細胞のRNAは、生物の成長や病気に関する細胞のさまざまな機能を制御しているけど、このRNAにも記憶の一部が蓄えられていたのなら、記憶は脳内だけでなく全身の神経細胞に貯蔵されていたことになるからだ。


‥‥そんなワケで、アメフラシの神経細胞の数は約2万個、人間の神経細胞の数は約1000億個なので、数には大きな違いがあるけど、アメフラシの神経細胞のタイプや動きは、人間のものにとてもよく似ているという。そのため、アメフラシの神経細胞の研究は、記憶というものが深く関わっている人間の病気、アルツハイマー病や心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの原因解明や治療にも大いに役立つと期待されているそうだ。あたしとしては、「記憶の移植」というSF映画のような世界にも興味があるけど、それよりも、少子化に歯止めが掛からずに高齢化が進み続ける今の日本にとっては、アルツハイマー病の原因解明が喫緊の課題だと思っているので、厚生労働省は、AIを搭載した最新型介護ロボットの開発より先に、まずはアメフラシの研究を始めてほしいと思っている今日この頃なのだ。


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2018.07.13

後世に遺したい粋な日本語

日曜日の朝の文化放送と言えば、立川志の輔さんの『落語 DE デート』、林家たい平さんの『たいあん吉日!おかしら付き♪』、林家正蔵さんの『サンデーユニバーシティ』と、噺家さんがパーソナリティーをつとめる番組が集中していたけど、このうち『サンデーユニバーシティ』は、今年の4月1日で13年半にわたる放送に幕をおろしてしまった。あたしは、噺家さんの粋な言葉づかいが好きなので、落語を聴くだけじゃなくて、こういう番組でフリートークを聴くのも好きなんだけど、林家正蔵さんの場合は、テレビのバラエティーなどが長かったためか、あまり噺家さんらしくない言葉づかいが多いと感じていた。

たとえば、ちょうど1年前の昨年7月の『サンデーユニバーシティ』の冒頭で、アシスタントの石川真紀アナが、リスナーからの「正蔵さんは入門当時の夏の思い出はありますか?」というメールを読み上げた。すると、林家正蔵さんは、いくつかの思い出を挙げたあと、最後にこう言ったのだ。


「他の師匠のお宅に稽古に行くと、玄関先でお弟子さんが水撒きをしてたなあ」


あたしは、座ってたから実際にはカクッとならなかったけど、心の中でヒザがカクッとしちゃった。だって、夏の玄関先なら「水撒き」じゃなくて「打ち水」だからだ。花壇や家庭菜園なら水を「撒く」でいいけど、夏の玄関先なら水は「打つ」だろう。昔のように柄杓(ひしゃく)ではなくホースを使っていたとしても、「玄関先の路面の温度を下げて涼を取る」ことが目的の打ち水であれば、やっぱり「撒く」ではなくて「打つ」になる。この場合なら「玄関先でお弟子さんが水を打ってたなあ」か「玄関先でお弟子さんが打ち水をしてたなあ」と言うべきだ。百歩ゆずって言葉を知らない若い女子アナとかならともかく、仮にも噺家さんなのだから、こんな無粋な言葉は使ってほしくないと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしはお蕎麦が大好きだけど、日常的には、さすがに「母さん、お昼はお蕎麦でも手繰(たぐ)ろうか?」とは言えないから、普通に「母さん、お昼はお蕎麦でもいただこうか?」と言う。だけど、落語の世界では、特に江戸落語では、お蕎麦は「手繰る」もので、あまり「食べる」や「啜る」は使わない。この、お蕎麦を「手繰る」のように、現代では日常的にほとんど使わなくなった古き佳き日本語が楽しめるのも、あたしは落語の魅力の1つだと思っている。

たとえば、落語に登場する大工さんや植木屋さんなどの職人さんたちは、弁当を「食べる」とは言わずに「使う」と言う。大工さんや植木屋さんは、仕事に来ていたお屋敷で、お昼になると、「旦那さん、ちょっと弁当を使わせてもらいやすよ」なんて言って、庭の隅や縁側などで持参した弁当を広げる。また、煙草は「吸う」じゃなくて「のむ」と言う。これは「飲む」でも「呑む」でもなく、漢字では「喫む」と書く。「喫煙」だから「喫む」というワケで、これは、あたしが小学6年生の時に亡くなったおばあちゃんも使っていた言葉だ。おばあちゃんは煙草が好きで、いつもエコーを吸っていたけど、必ず「のむ」と言っていた。

子どもだったあたしは、おばあちゃんが煙草に火をつけてから、吸った煙を吐いてるのに、その行為がどうして「飲む」なのか不思議だったけど、大人になってから「飲む」じゃなくて「喫む」だったということを知り、ようやく納得することができた。でも、そうだとしたら、「喫茶店」でコーヒーや紅茶などを「のむ」という場合も、本当は「飲む」じゃなくて「喫む」と書くのが正しいのかもしれない。ま、この辺のことは、書き出すと長くなっちゃうので次の機会に譲るとして、他にも、おばあちゃんや母さんが使っていて、あたしも自然と使うようになったのが、お風呂を「いただく」という言葉だ。

今どきの若い人の中には「先にお風呂に入っちゃうね」なんて言う人もいるけど、あたしは今でも「先にお風呂をいただいちゃうね」と言う。仕事から疲れて帰ってきたダンナさんに、「あなた、お風呂にする?お食事にする?」と聞くように、お風呂もお食事もどちらも「いただく」ものなので、「入る」や「食べる」では感謝の気持ちが表現できないと思うからだ。もちろん、状況によっては「お風呂に入る」と言うことがあってもいいと思うけど、そのお風呂を用意してくれた相手に対して感謝の気持ちを表わしたい場面なら、やっぱり「お風呂をいただく」と言うべきだと思っている。


‥‥そんなワケで、お蕎麦を「手繰る」、お弁当を「使う」、煙草を「喫む」などは、現代人の場合は、特に女性の場合は使いにくい言葉だけど、水を「打つ」やお風呂を「いただく」などは、これからも積極的に使って行きたい言葉だし、未来へ遺したい「美しい日本語」だと思う。そして、こうした言葉の中で、あたしがとても好きなのが、お香を「聞く」という表現だ。お香は「燃やす」ものではなく「焚く」ものだということは広く知られているけど、お香の香りを楽しむことを「聞く」と表現することは、知らない人も多いと思う。もともとは、「茶道」のような「香道」という文化から生まれた言葉で、「香道」では、静かな部屋で目を瞑ってお香の香りを楽しむことを「聞香(もんこう)」と言うのだ。

鼻を近づけて匂いを確かめることを「嗅ぐ」と言うけど、この漢字は口扁に「臭」と書くので、あまり良いイメージはない。かと言って、子どものころから「嗅ぐ」という言葉を使ってきたあたしは、大人になってから知った「匂ってみる」という表現には違和感を覚えてしまう。だから、今でもずっと「嗅ぐ」という言葉を使っているけど、会話の中で使うのならともかく、今回のように文章に書くと、やっぱり「嗅ぐ」という漢字は好きになれない。そして、「嗅ぐ」は「匂い」に対して使うけど、「聞く」は「香り」に対して使うので、同じように使うことはできない。でも、こうして表現の選択肢が増えることは嬉しいことだ。

たとえば、ほのかな良い匂いに対しては、「匂い」よりも「香り」という言葉を使うことが多い。「花の香り」と言うけど「花の匂い」とはあまり言わないし、「コーヒーの香り」と言うけど「コーヒーの匂い」とはあまり言わない。こんな時、これらの香りに対して、「花の香りを聞く」とか「コーヒーの香りを聞く」なんて使うのはどうだろうか?とてもイメージが伝わりやすいと思う。一方、商店街の鰻屋さんや焼き鳥屋さんの前を通った時に、換気扇から煙と一緒に漂ってくる美味しそうな匂いは、「鰻の蒲焼きの匂い」や「焼き鳥の匂い」と言うけど、「鰻の蒲焼きの香り」や「焼き鳥の香り」とは言わない。つまり、良い匂いであっても、花やコーヒーのような「ほのかな香り」ではないので、こちらには「聞く」という表現は似合わない。

「匂い」と「香り」とをザックリと区分けすれば、「匂い」は良いものも悪いものも強いものも弱いものも、すべてをひっくるめた呼び方で、その中の「ほのかで良い匂い」のことだけを「香り」と言う。そして、この「聞く」という表現は、「香り」にしか使えない、ということになる。でも、この「香り」という概念も、人それぞれなのだ。たとえば、煙草が好きな人なら「煙草の香り」と言うけど、煙草が嫌いな人なら「煙草の匂い」と言う。あたしは、良い香りの例として「花の香り」と「コーヒーの香り」を挙げたけど、人の感性や嗜好は人それぞれだから、日本中を探せば、「花の香り」が嫌いな人や「コーヒーの香り」が苦手な人もいるかもしれない。そして、そういう人にとっては、「香り」ではなく「花の匂い」や「コーヒーの匂い」になってしまうのだ。


‥‥そんなワケで、テレビは「見る」でもいいけど、演劇は「観劇」だしスポーツは「観戦」なので、同じテレビでも映画や演劇、スポーツなどを見る場合には「観る」という表記を使いたい。ラジオは「聞く」でもいいけど、放送内容に集中して真剣に聞く場合には「聴く」という表記を使いたい。これらと同じように、同じ「のむ」であっても、喉の渇きを癒すために水やジュースなどを飲むのは「飲む」、日本茶を飲むのは「湯呑」を使って飲むワケだから「呑む」、また、日本酒や焼酎を飲む場合も「呑む」という表記を使いたい。そして、喫茶店でコーヒーや紅茶などを飲む場合は、煙草のように「嗜好品をたしなむ」という意味合いもあるため、ここは「喫む」という表記を使いたいと思う。でも、以前、あたしが喫茶店のコーヒーは「飲む」なのか「喫む」なのか考えていた時、大阪出身の仕事仲間に、こんなことを言われてしまった今日この頃なのだ(笑)


「きっこさん、喫茶店の茶~は、『のむ』もんやなくて『しばく』もんですよ」


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2018.07.10

ヌードルハラスメントと東京オリンピック

1980年代後半くらいから「セクシャルハラスメント」、略して「セクハラ」という言葉が使われ始めてきて、1997年の男女雇用機会均等法の改正によって「セクシャルハラスメント規定」が設けられ、「セクハラ」の定義が確立された。そして、その後は、職場などで立場の上の者が下の者に行なう精神的かつ肉体的な虐めである「パワハラ(パワーハラスメント)」、職場などで特定の相手を無視するなど、言葉や態度で嫌がらせを繰り返す「モラハラ(モラルハラスメント)」、会社の飲み会などで上司が部下に「俺の酒が飲めないのか!」などと言って無理に飲ませる「アルハラ(アルコールハラスメント)」など、主に職場という絶対的な上下関係のある世界で、いろいろなハラスメントが指摘されるようになってきた。

女性社員にだけお茶汲みをさせたり、女性社員には男性社員並みの出世の機会を与えないなど、こうした性別による格差は「ジェンハラ(ジェンダーハラスメント)」と呼ばれていて、家庭などでも「男なんだから重い荷物を持ちなさいよ!」とか、「女なんだから料理ぐらい作れよ!」など、男だから何々、女だから何々というのは、その多くがこれに該当すると指摘された。また、大学教授が特定の学生にだけ厳しく接する「アカハラ(アカデミックハラスメント)」、妊娠を報告した女性社員に対して、陰で「こんな忙しい時に妊娠かよ」などと噂するなど、妊娠した女性に対する嫌がらせ全般の「マタハラ(マタニティーハラスメント)」も、最近では問題視されるようになってきた。

他にも、これは自民党の男性国会議員に散見されるけど、未婚の女性に対して「どうして君は結婚しないのか?」と問い詰めたり、間接的にでも少子化の話題などを振って、結婚しない女性が増えたことを問題視する発言を聞かせたりする「マリハラ(マリッジハラスメント)」、スマホやパソコンの使い方がよく分からない高齢者などから使い方を聞かれると、わざと理解できない専門用語を並べて面倒くさそうに説明し、その用語の意味を聞くと「そんなことも知らないの?」に言って相手を傷つける「テクハラ(テクノロジーハラスメント)」、体臭や口臭、強すぎる香水や柔軟剤の匂いで他人を不快にさせる「スメハラ(スメルハラスメント)」、ツイッターやインスタグラムなどのSNSで、上司が部下に「いいね」を強要したりする「ソーハラ(ソーシャルハラスメント)」など、挙げ始めたらキリがない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、他にはどんなハラスメントがあるのか、インターネットで調べてみたら、「ゼクハラ」なんていうのもあった。最初は「セクハラ」かと思ったんだけど、よく見てみたら「セ」じゃなくて「ゼ」だったので、何のことかと記事を見てみたら、「ゼクシィハラスメント」の略だった。「ゼクシィ」というのは結婚の専門雑誌の名前で、一般的には結婚を約束しているカップルが読む雑誌だ。でも、最近では、何年も付き合っているカノジョがいるのに、自分の収入の問題や将来への不安などで、なかなか結婚に踏み切れない男性も多いという。そんな時、少しでも早く結婚したいと思っているカノジョのほうは、デートのたびに結婚の話題を出したり、自宅にカレシを呼ぶ時に、わざとテーブルの上に「ゼクシィ」の最新号を置いておいたりして、暗にカレシに結婚を迫るという作戦に出ることもあるそうで、これが女性から男性への「ゼクハラ」になるそうだ。

結局、あたしがザッと調べてみただけでも、軽く30を超える種類のハラスメントがあったので、この「ゼクハラ」のようなニュータイプまで含めれば、今の日本には50近い種類のハラスメントがあると思う。たとえば、都知事時代の石原慎太郎のように、数々の暴言や差別発言で他者を不快にさせることを「イシハラ(石原ハラスメント)」と呼んだり、シャケの腹の身である「ハラス」が大好物の上司が、シャケが嫌いな部下に対して「俺のシャケのハラスが食えないのか!」と強要することを「ハラハラ(ハラスハラスメント)」と呼んだりすれば、いくらでもハラスメントの種類を増やすことができる‥‥って、皆さん、気づいた?「シャケ」だけに「いくらでも」なのよん♪(笑)

そして、文化放送『くにまるジャパン極』の中の「野村係長」のように、職場で部下を相手にこうした親父ギャグを連発するのも「ダジャハラ(駄洒落ハラスメント)」と言われているそうだ。ま、親父ギャグはともかくとして、ハラスメント(Harassment)とは、直訳すれば「嫌がらせ」という意味だけど、そこには基本的に上下関係が存在する。ほとんどのハラスメントは、上司が部下に対して、先輩が後輩に対して、教授が学生に対してなど、立場の有利な者が、その立場を利用して行なう「嫌がらせ」なので、よりタチが悪いんだと思う。だから、あたしは、ほとんどのハラスメントに反対の立場だけど、ただひとつだけ、どうしても理解できなくて「はぁ?」って思っているハラスメントがある。日本のお蕎麦屋さんで、日本人が音を立ててお蕎麦を啜ることに、どこかの外国人がイチャモンを付けてきた「ヌーハラ(ヌードルハラスメント)」だ。

懐かしいところだと、10年前の2008年、王貞治さんの二女の王理恵さんが、医師の本田昌毅さんとの婚約を解消した時に、その理由を「本田医師のお蕎麦を啜る音が我慢できなかった」と説明した‥‥というワイドショーのニュースがあった。あたしは、この時、「この女、何言ってんだ?」と思ったことを覚えている。この時は、普通のお蕎麦じゃなくて「とろろ蕎麦」だったそうなので、音もそれなりに大きかったとは思うけど、それでも、日本のお蕎麦は音を立てて啜るのが「文化」であり、さらに言えば「マナー」なのだから、そこに文句を言うのは完全に筋違いだ。お蕎麦屋さんに行った時、先に来ていたお客さんたちが音を立ててお蕎麦を啜っていると、あたしは「美味しそうに食べてるなあ~」と思って、自分も早く食べたくなる。これが日本のお蕎麦の文化だ。

百歩ゆずって、あたしが海外へ行った時、外国にある日本レストランに入り、周り中、すべてその国の人たちが食事をしている真ん中で、日本蕎麦を注文してズルズルと音を立てて啜り、それで周りのお客から嫌な顔をされたのなら、あたしにも非があると思う。だけど、わざわざ日本にやってきて、わざわざ日本蕎麦屋に入ってきて、それで、ずっと日本に住んでいる日本人たちの食べ方に文句を言うなんて、寝言は寝て言えってんだ!こういうことを言う外国人たちって、もしもインドに行ってカレー屋さんに入ったら、手でカレーを食べている周りのインド人たちに向かって、「手で食べるなんて汚らしい!ちゃんとスプーンで食べろ!」とでも言うのだろうか?

外国へ行くということは、その国の文化の中に自分が入って行くことなんだから、基本は「郷に入れば郷に従え」だ。それなのに、その国の文化を否定して、自分の国の常識を押し付けるなんて、いったいぜんたい何様のつもりなんだろう?あたしが外国人で、初めて日本に来たとしたら、「日本のお蕎麦は音を立てて啜るのがマナー」ということぐらい下調べしてから来るし、どうしてもその音が苦手だと感じたら、文句など言わずに「日本蕎麦屋には行かない」という選択をする。それが普通なんじゃないの?

それなのに、2020年の東京五輪を前にして浮足立っているのか、「おもてなし」という言葉の意味を履き違えている人たちがいる。たとえば、東京を中心としたエリアでの「案内看板などの多言語化」だ。これまでは日本語だけか、あっても日本語の下に英語が書いてある程度だった案内看板などに、韓国語、中国語、フランス語、イタリア語、ロシア語、ペルシャ語‥‥って、何が何だか分からないモノが増え始めてきた。もちろん、看板のスペースの問題などもあるため、スマホに対応して画面に母国語が表示されるシステムとかも導入されつつあるけど、一般的な道路標示などは、何カ国語も並んでいて、読みずらいったりゃありゃしない。

こんなもん、日本語と英語だけでいいんだよ。日本に来るんだから、簡単な日本語くらい勉強してくるだろうし、英語まで書いてあれば問題ないだろ?なんで莫大な税金を使って多言語の看板なんか並べなきゃならないのか?こういう「おんぶにだっこ」が「おもてなし」だと思っているのなら、それは根本的に間違っていると思う。フランス人なんてプライドが高いから、英語すら書いていないフランス語オンリーの看板だらけだし、レストランのメニューだってフランス語だけの店が多い。さらに言えば、ホントは英語が分かるくせに、こちらが英語で話しかけると分からないフリをする。ようするに「フランスに来るならフランス語くらい覚えてから来い」というスタンスなのだ。

ま、ここまで高飛車なのもどうかと思うけど、公共交通や公共施設の案内看板に何カ国語も並べるなんて、まるで赤ちゃんの口にスプーンで離乳食を運んであげるような過剰サービスであって、こんなもんは決して「おもてなし」とは呼べない。本当の「おもてなし」とは、日本の文化を前面に出した「ザ・ニッポン」を見せてあげることであって、「おんぶにだっこ」の過剰サービスのことではない。そして、この日本の文化のひとつが、音を立ててお蕎麦を啜ることなのだ。だから、2020年の東京五輪に向けて、日本が本当に外国からくる人たちを「おもてなし」したいと思っているのなら、まずは「ヌーハラ」などという他国文化の押し付けをきちんと批判した上で、「正しい日本蕎麦の食べ方」という、それこそ多言語のパンフレットを作り、「お蕎麦はズルズルと音を立てて啜るのがマナーであり、日本の伝統的な文化である」と明記すべきなのだ。

それなのに、嗚呼それなのに、それなのに‥‥って、久しぶりに五七五の俳句調で嘆いちゃうけど、昨年2017年11月、日清食品が、お蕎麦を啜る音を聞こえなくするためのフォーク「音彦(おとひこ)」をクラウドファンディングで予約・発売すると発表したのだ。トイレの音を聞こえなくするTOTOの「音姫」からヒントを得た商品で、フォークの本体に内蔵されたセンサーが「お蕎麦を啜る音」を感知すると、信号がスマホに飛んで、専用アプリを介して「お蕎麦を啜る音を聞こえなくするための音」が鳴り出すそうだ。価格は1万4800円で、予約が5000人に達した場合のみ販売するという。

専用サイトで見てみたら、魚肉ソーセージよりも太い持ち手の先にフォークが付いていて、すごく使いにくそうな大きさだったけど、あたしには、まるで意味が理解できなかった。だって、トイレの「音姫」と同じように、消したい音よりもさらに大きな音を出して聞こえなくするということは、お蕎麦屋さんの中にその音が鳴り響くわけでしょ?それに、そこまでしてお蕎麦を啜る音を聞きたくないのなら、こんなもんを1万4800円も払って買わなくたって、両耳に耳栓でもするか、イヤホンして音楽でも聴きながらお蕎麦を食べればいいじゃん。これなら他の人にも迷惑が掛からないし、お金も掛からないし。

結局、この「音彦」は、締切までに予約が目標の5000人に達しなかったために商品化は断念されたけど、あたしとしては、こういう商品を日本人が考えたということが悲しかった。日本の文化を理解できない外国人が、日本へ旅行に行く外国人たちに向けて開発したというのなら、それはそれで一定の理解はできる。でも、日本人が日本の文化を否定するようなものを考え出すなんて、いつから日本はこんな国になっちゃったんだろう?

たとえば、西洋では「スープはスプーンで飲むもの」と決まっているため、あたしたち日本人が、お椀に口を付けてお味噌汁を飲むことを「下品だ」「野蛮だ」と感じる欧米人もいる。でも、これが日本の文化なのだから、他民族から文句を言われる筋合いはない。もちろん、日本にきた外国人の中で、どうしてもお椀に口を付けてお味噌汁を飲むことに抵抗があるという人には、スプーンを用意してあげればいい。だけど、日本人までもが外国人の目を気にして、お味噌汁をスプーンで飲む必要などないのだ。

お蕎麦を啜る音しかり、日本で生まれて日本で暮らしている日本人が、どうして海外から遊びにきた外国人旅行者に気を使って、日本の伝統的な文化を疎んじたり、封印したりしなきゃならないのか?あたしは、これほど理不尽な話はないと思う。あたしは落語が大好きだけど、噺家さんたちは扇子と手拭いだけでいろいろな演技を行なって楽しませてくれる。その中でも最もポピュラーなのが、閉じた扇子をお箸に見立てた「お蕎麦を手繰る演技」だ。ここでは、どの噺家さんも必ず「ズズッ!」という音を立てて、美味しそうなお蕎麦を感じさせてくれるけど、これもダメだと言うのだろうか?

確かに、公共の場などで、周りにいる人たちを不快にさせる行為は慎むべきだし、場合によってはハラスメントに該当してしまうので気をつけるべきだ。でも、日本のお蕎麦屋さんの店内で、音を立てて美味しそうにお蕎麦を啜ることは、まったく次元の違う話だ。音を立てて麺類を啜るという文化のない国の人たちから見たら、中には不快に感じる人もいるかもしれないけど、それはあくまでも「文化の違い」であって、文句を言われる筋合いではない。違う文化圏からやってきた外国人のほうが我慢すべきことだし、嫌なら日本のお蕎麦屋さんに入らなければいいだけの話だ。それなのに、よそからやってきて日本の文化を否定するだけでは飽き足らず、「ヌードルハラスメント」などと言い出す始末。あたしは「アホか?」と言いたい。

わざわざ日本に来ても日本食を嫌って自国の料理しか食べないのはドナルド・トランプくらいで、日本を訪れる多くの外国人は、日本の料理を食べたがる。以前、オーストラリアの女友達が日本にきた時、あたしはその子が行きたがっていた「回転寿司」に連れて行ったんだけど、次々と流れてるお寿司を見て大コーフンした彼女は、最初に取ったマグロの赤身を手で食べ始めた。そして、お箸で食べ始めたあたしを見て、「きっこ、お寿司は手で食べるのが正式なマナーなのよ」と教えてくれたので、あたしは噴き出してしまったことがある。もちろん、彼女は、お味噌汁はお椀に口を付けて飲んでいた。

日本を訪れる外国人の多くは、日本の食文化にも興味があるのだ。たとえば、日本の食文化のひとつである「お箸」に関しては、日本だけでなく中国でも韓国でも使われていることもあって、今や英語でも「チョップスティック」などと呼ばれていて、欧米人でも上手に使う人が増えてきた。日本にくる欧米人は、こちらが気を使ってフォークとスプーンを用意してあげても、わざわざお箸を使いたがる人も多い。日本を訪れる外国人の中には、お箸の専門店に行き、お土産に大量のお箸を買っていく人も多いという。

それなのに‥‥と、あたしは思う。お寿司を手で食べ、お味噌汁をお椀に口を付けて飲み、お箸を上手に使うのに、どうしてお蕎麦を啜る音は否定するのだろうか?いくら自分の生まれ育った国の文化とは違うと言っても、これも日本の伝統的な食文化なのだ。ドナルド・トランプは、十数年前に不動産の仕事で初来日した時、日本企業が接待した高級料亭のテーブルに並んだお刺身を見て、「忌々しい生の魚など食えるか!」と怒鳴りつけて席を立ったという。まるで『美味しんぼ』の海原雄山みたいだけど、お蕎麦を啜る音を否定するということは、ドナルド・トランプのために日本のすべての料理屋を「お刺身禁止」にするような話なのだ。

そもそも、日本のお蕎麦は、特に、あたしが生まれ育った東京のお蕎麦は、お箸の先にワサビを付けてから、ひとくち分のお蕎麦を持ち上げて、お蕎麦の先を4分の1くらいをお汁に付けて啜るのが、お蕎麦の味だけでなく香りまで楽しめる正しい食べ方なのだ。そのため、少し付けただけでちょうどよくなるように、お汁は濃いめに作られている。そして、お蕎麦の先を4分の1くらいしかお汁に付けないから、「ズズッ!」と音を立てて一気に啜らないとお汁が着いてこない。音を立てないように静かに口に運んでいたら、お汁は滴り落ちてしまって美味しくいただけない。これらはすべて一連の動作として完成されている食文化であって、この流れの中から「音」だけを否定して排除するということは、お蕎麦そのものを否定することに他ならない。

あたしから見たら、蕎麦猪口のお汁の中にワサビを入れてお箸でグルグルと掻き混ぜている人や、そのお汁にお蕎麦をぜんぶ入れてグチャグチャと混ぜてから、口の近くまで持っていって食べている人たちのほうが、見ていて遥かに不愉快だ。だけど、そういうお蕎麦の食べ方も知らない人たちに関しては、相席にでもならない限り、その人のほうを見なきゃいいだけの話なので、あたしには関係ない。そういう人を見るたびに、あたしは心の中で「みっともない人だな」と思うだけで、別に文句も言わない。それなのに、お蕎麦を最も美味しく味わうための「伝統的な正しい食べ方」をしているあたしたちが批判され、挙句の果てにはハラスメント扱いされるだなんて、これほどおかしなことはない。

外国から訪れる人たちに気を使って、日本の伝統文化のひとつである「お蕎麦を啜る音」を、まるで「恥ずかしいもの」であるかのように卑下して隠そうとするヒマがあるのなら、自民党政権が推進してきた「男尊女卑」や「男女格差」という「日本の恥ずかしい伝統文化」を何とかするほうが先だろう。昨年の年末、世界各国の経済、政治、教育、健康の4部門での男女格差を調査した「世界男女格差ランキング2017」が発表されたけど、日本は先進各国の中でブッチギリの最下位だった。日本は、調査した世界144カ国の中で、欧米は当然として、アフリカ諸国や南米諸国やインドや中国よりも下の「114位」だったのだ。前年の2016年は「103位」だったけど、安倍晋三首相が「女性の輝く社会」を掲げたとたん、さらに11位もランキングが下がったのだ。


‥‥そんなワケで、かつて、東京都知事選で自民党候補が女性票を失って敗れた時、麻生太郎氏は「婦人に参政権など与えたのが間違いだった」と抜かしたけど、こんな女性蔑視主義者が現在も副総理の座に居座り続けているということ自体、日本の「男女格差」がいつまで経っても是正されない抜本的な理由のひとつだと思う。そして、とても先進国とは呼べないような「世界114位」という異常な「男女格差」が、今回のテーマでもあるハラスメントの原因のひとつにもなっているんだと思う。もちろん、性別に関係のないハラスメントも数多くあるし、女性から男性へのハラスメントもあるけど、未だに「男性は女性より偉い」「女性は男性より下」という生きた化石のような自民党の偏向思想に毒されている日本には、「女性社員はお茶汲みをしろ」「女なんだから料理を作れ」「女は子育てをして当たり前」という、他の先進国ではソッコーで裁判沙汰になってしまうような「男女格差」による前時代のハラスメントが健在なのだ。そして、国内がこんな状態なのに、迷惑千万な多言語の案内看板を林立させたり、お蕎麦を啜る音を立てないようにしたりと、こんなふうにソトヅラだけを良くすることが「おもてなし」だと思っているのなら、それこそ日本の恥を全世界に晒すことになるから、東京オリンピックなんかやめちまえ!‥‥って思った今日この頃なのだ。


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2018.07.09

明治時代のネットストーカー

昨日、7月8日(日)の夜、人気講談師の神田松之丞さんのラジオ番組、TBS『問わず語りの松之丞』を聴いていたら、松之丞さんがタチの悪いお客に絡まれた話をしていた。ザックリいうと、キャパが38人だけの「連雀亭」というところで、お昼に「ワンコイン寄席」と言って500円で3人の落語家や講談師が出演する寄席をやっているんだけど、ちょうど松之丞さんがダウンタウンのテレビ番組に出演した直後だったことで、いつもの何倍ものお客が押し寄せてしまい、多くのお客が入れなくなってしまった、という話だった。

消防法の関係で、ピッタリ38人までしか入れることができないため、松之丞さんは、列の先頭から38人までを数えて中に入れ、その後ろにいた若い女性と70代くらいの男性には十二分に謝って帰ってもらった。それなのに、しばらくして外を見ると、50人くらいの列ができていて、その中にさっきの男性もいて、文句を言い出した。その男性は、松之丞さんが出演したテレビ番組をいろいろと観ているようで、「ダウンタウンの番組に出たからって調子に乗っているのか」などとイチャモンをつけてくる。話にならないと思った松之丞さんがミネラルウォーターを買いに行くと、文句を言いながらどこまでも着いてくる。

あまりのしつこさに堪忍袋の緒が切れた松之丞さんが、その男性に向かって「私はあなたのような客が一番嫌いです。あなたはクレーマーですから、私はもう相手にしません」と言ったところ、その男性はカンカンになって怒り、またまた松之丞さんに対して文句を言い出した。それなのに、「一緒に写真を撮ってください」という女性ファンと一緒に松之丞さんが写真を撮っていると、その男性は「俺も一緒に写真を撮ってもらおうかな?」と言い出す始末。

結局、その日はそれだけで終わったそうだけど、数日後、松之丞さんが所属している「落語芸術協会」宛てに、「お前のところは、あの神田松之丞という若造に、いったいどういう教育をしているのか」というクレームのメールが送り付けられてきたという。松之丞さんいわく、「連雀亭と芸協(落語芸術協会)は関係ないのに‥‥」とのことだけど、この手の人は、自分の言動や行動が「普通じゃない」ということにまったく気づいていないから、いくら筋道を立てて説明しても絶対に理解してもらえない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、現実の世界でもインターネットの世界でも、他人に迷惑行為や嫌がらせをしてくる人には、大きく分けて2つのタイプがある。1つは、最初からその相手のことが気に入らなくて、ただ単に「嫌いだから嫌がらせをする」という小学生のような単純な思考回路の人たちで、大半はこのタイプだ。こういうタイプは、いっさい相手にせず、ずっと無視していれば自然消滅するから、ワリと対応が楽チンだ。

そして、もう1つは、もともとはその相手のことが好きだったのに、その相手に自分の思いや気持ちが伝わらなかったり、その相手の何らかの言動や行動を被害妄想的に「自分を嫌っている」と思い込んでしまったことで、逆恨みのように嫌がらせを始めるタイプだ。これは少数派だけど、前者よりも遥かに病的なので、いつまでも粘着質に嫌がらせを続け、終いには刃傷沙汰や警察沙汰になるケースもある。自分のDVが原因で離婚に至ったのに、それでも執拗にストーカー行為を繰り返す異常な男なんかも、このタイプだ。そして、こういうタイプの人に限って、自分の異常さに気づいておらず、自分のほうが被害者だと思い込んでいるケースが多い。

2年前の2016年5月、アイドル活動をしていた20歳の女子大生が、27歳の男にライブ会場の前で待ち伏せされ、ナイフで顔面や首や胸など20カ所もメッタ刺しにされて重傷を負った事件があった。このアイドルも加害者の男もツイッター上でやりとりしていたというので、あたしは当時、2人の過去のツイートを見てみたんだけど、この男のツイートの異常さは尋常じゃなかった。もともとは「アイドルとファン」というだけの関係だったのに、このアイドルに対する思い込みが激しくなりすぎ、自分の送ったプレゼントを送り返されたことにキレてしまい、完全に「ネットストーカー」と化していたのだ。

このアイドルは、ツイッターでの男の異常なしつこさに身の危険を感じ、高額なプレゼントなど受け取ったら何をされるか分からないと思い、それで送り返したわけだけど、自分の行為が異常だということに気づかない男は、逆恨みをするようになった。このアイドルは警察にも相談していたけど、それでも警察は動いてくれず、結局、襲われてしまったのだ。

こういう話を聞くと、こういうタイプの異常な人たちって、現代ならではの病気のようにも思えてくるけど、実はそうじゃない。こういう人は昔からいたのだ。そして、インターネットなどなかった100年以上も前の明治時代にも、今の「ネットストーカー」と同じような人がいた。今はツイッターなどのSNSで、住所が分からない有名人にも気軽にコメントを送ることができるようになったけど、インターネットなどなかった時代、と言うか、1970年くらいまでは、少年ジャンプの巻末には漫画家の住所の一覧が掲載されていたし、文学誌の巻末には作家の住所の一覧が掲載されていたから、有名な漫画家や作家のファンは、現在のような出版社留めではなく、その作家の自宅に、直接、ファンレターを送ることができたし、訪ねて行くこともできたのだ。


‥‥そんなワケで、かの夏目漱石の自宅にも、全国のファンからファンレターが送られてきていたけど、中には何を考えているのか、大判の封筒に短冊や和紙などを入れて送り付け、「私はあなたのファンです。この短冊に一句書いて送り返してください」とか「この和紙に詩を書いて送り返してください」などという手紙を同封してくる失礼で迷惑な輩(やから)もいたのだ。それも、1人や2人ではなく、けっこうな頻度で届くんだけど、漱石は人が好かったので、ムカッとしながらも、できるだけ相手の希望に応えるようにしていたという。

そんなある日のこと、漱石の自宅に播州(現在の兵庫県)に住む岩崎という男から薄い小包が届いた。この男は、何年も前からハガキに俳句を書いて送り返してくれと言ってくる面倒くさい男で、これまでは希望通りに俳句を書いて送り返してやっていたが、この時は忙しかったので、小包を開けずに放っておいた。そして、何日かが過ぎるうち、自宅の下女が書斎の掃除をした時に片づけてしまい、その小包は見当たらなくなり、漱石も小包のことは忘れてしまった。

この小包と前後して、名古屋のお茶屋さんからお茶が届いたんだけど、送り主の名前がなかったので、漱石はファンの誰かが送ってくれたのだと思い、そのお茶を開けて飲んでしまった。それからしばらくすると、例の岩崎という男から「私の富士登山の絵を返してくれ」というハガキが届いた。何のことか分からない漱石は放っておいたんだけど、しばらくすると、また同じ内容のハガキが届いた。それでも放っておくと、同じ文面のハガキが何度も何度も毎週のように送られてくる。漱石は、この男の精神状態を疑い始め、「たぶんキ●ガイだろう」と思い、いっさい取り合わないことにした、と記している。

それから2~3カ月後のこと、漱石が書斎の書物を整理していると、書物と書物の間から、あの男からの薄い小包が出てきたのだ。急いで開封してみると、中にはあの男が描いたと思われる「富士登山の絵」が入っていて、同封の手紙に「この絵に合う俳句を書いて送り返してほしい。お礼にお茶を送った」と書かれてあった。これも普通に考えたらトンデモな話だけど、漱石は何度も何度も催促の手紙が来たことと、届いたお茶を飲んでしまったことで恐縮してしまい、丁寧なお詫びの手紙を添えて、お茶のお礼も書いて、この絵を送り返した。ただし、とても俳句など詠めるような状況ではなかったため、俳句は書かずに送り返したのだ。

漱石は、これですべてが丸く収まったと思っていた。しかし、相手はマトモじゃない。しばらくすると、また短冊を入れた封筒と「この短冊に一句書いて送り返してくれ」という封書が届き、放っておいたら催促のハガキが届き、それでも放っておいたら1週間に1通のペースで催促のハガキが届くようになった。そして、その文面も、だんだんおかしくなり始めた。最初のハガキには「お茶をあげたのだから俳句を書いてくれ」と書かれていたのに、次は「お茶を送り返せ」に変わり、その次は「お茶を返さないのなら代金として1円払え」に変わったのだ。明治時代の1円は、現代では約2万円にあたる。

ここまでの流れを見て、これって完全に「ネットストーカー」と同じだと思った人も多いだろう。もともとは好きだった相手、尊敬していた相手に対して、自分が失礼で迷惑な行為を繰り返していたことなどまったく自覚せず、相手の立場や状況などもいっさい考えず、自分こそが被害者だと思い込み、相手への要求をどんどんエスカレートさせて行く。インターネットと手紙という違いはあるけど、嫌がらせの質も、本人が嫌がらせをしていると自覚してない点も、病的なしつこさも、どちらも同じだと思う。それどころか、わざわざハガキや便箋に文章を書き、切手を貼ってポストに入れているのだから、ツイッターで「バカ」「死ね」などと送りつけるよりも何十倍も手間が掛かっている。

さすがの漱石も、勝手に送りつけてきたお茶の代金を払えというイチャモンには閉口してしまい、これまでに溜まっていた怒りが爆発し、「お茶は飲んでしまった。短冊は失くしてしまった。今後は二度と手紙を送ってくるな」と殴り書きした手紙を送りつけてやった。しかし、相手はマトモな人間じゃない。著名な作家に何年間にもわたって失礼で迷惑なことを繰り返してきて、とうとう相手を激怒させてしまったというのに、自分のほうが上に立ち、「お茶は飲んでしまい、短冊は失くしてしまうとは、あまりにも酷い話だ」などと、さらに文句のハガキを送りつけてきたのだ。

漱石は、もう二度とこの男からの手紙には取り合わないと決め、ハガキが届いても無視することにした。そして、何度か届いたハガキを無視していたら、今度は役所で使う大きな封筒に、わざと切手を貼らずに送りつけてくるようになり、漱石は二度も切手代を払わせられたのだ。頭にきた漱石は、三度目の封筒は受け取らずに、相手に送り返すように郵便配達夫に伝えた。すると、相手が切手代を払うことになり、その後は、この嫌がらせは収まったという。

しかし、それから2カ月が経ち、年が明けて新年を迎えると、たくさん届いた年賀状の中に、また、あの男からの年賀状が混じっていたのだ。でも、その年賀状は、これまでの催促のような不愉快な内容は書かれておらず、きちんとした文面の礼儀正しいものだった。それで、漱石は感心してしまい、これまでの自分の対応も少し大人気(おとなげ)なかったと反省し、その男の欲しがっていた俳句を短冊に書いて送ってやることにした‥‥って、「おいおいおいおいおーーーーい!漱石さん!そんなことしたら相手の思うツボですよ!」というあたしの声が、時空をさかのぼって100年前まで届くワケもなく、人の好い漱石は、あれほど嫌な思いをしたのにも関わらず、俳句を書いた短冊を、岩崎へ送ってしまったのだ。

そして、あたしが心配した通り、この漱石の軽率な行動が、鎮まりかけてた異常者の心に、また火をつけてしまった。この後、漱石の自宅には、この男から「送ってくれた短冊が折れていたから、新しく書き直して送ってくれ」だの「短冊が汚れていたから、新しく書き直して送ってくれ」だのという催促のハガキが、次の新年を迎えるまで、1年間、休みなく届き続けることになってしまったのだ。


‥‥そんなワケで、今から100年以上も前に起こった、この夏目漱石の実話を知って、あなたはどう思っただろうか?この岩崎という男が非常識な礼儀知らずだというだけでなく、完全に異常な人物だということは誰の目にも明らかだろうけど、それだけじゃなく、何よりも興味深いのが「漱石の対応が相手がどんどんエスカレートさせている」という点だ。それも、漱石が怒りにまかせて文句の手紙を送った時には、相手はそれほど異常な反応はしていないのに、漱石が「自分も少し大人気なかった」と反省して、相手の希望する直筆の短冊を送って好意を示したとたん、相手は「待ってました!」とばかりに異常さを増幅させたのだ。あたしは、昔からこの漱石の話を知っていたので、ツイッターなどのSNSで見ず知らずの相手から嫌がらせをされた時には、常に、この時の漱石の対応を「反面教師」として対応するようにしてきた。人として誰もが持っているハズの「常識」というものが完全に欠落してしまっている相手、自分のことしか見えていない相手に対して、いくらこちらが「常識」や「誠意」で対応してもまったくの無駄である上に、漱石のように逆効果になってしまうケースも多い。だから、あたしは、最初からいっさい取り合わず、ソッコーでブロックして無視することにしている今日この頃なのだ。


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2018.07.01

ドローンのカメラが目撃したもの

ちょっと前のニュースなんだけど、今年の4月4日付の英国紙によると、スコットランドのスカイ島を調査していたエジンバラ大学と中国科学院の共同チームが、約1億7000万年前のジュラ紀中期に生息していたとみられる2頭の恐竜の足跡を発見したという。正確に言うと、この足跡が最初に発見されたのは、2年前の2016年だった。この時に、この一連の調査旅行に同行した学生の1人が、最初の発見者だった。足跡が見つかったのはスカイ島の岬にある湖の底なんだけど、この湖は一部が海とつながっていて、干潮時になると海水が引いて湖底の一部が露出するため、この学生は肉眼で発見したそうだ。

そして、今回、共同チームがこの足跡を本格的に調査するため、ドローンを持ち込み、干潮になって海水が引いて露出した湖底を空から撮影したところ、約50個の足跡が2本の線のように続いていることが確認されたのだ。足跡と言っても、すぐに消えてしまうようなものではなく、湖底が石化しているため、化石のようにハッキリと残っている。足跡は大きなものと小さなものがあり、調査によると、大きいほうは自動車のタイヤほどもある足跡で、体長15メートル前後、体重10トン以上の大型の草食恐竜で、小さいほうがティラノサウルスに近い肉食恐竜だと報告されている。

このニュースの英文記事を読んで、あたしは、いろいろなことを想像した。2種類の恐竜の足跡が並んで続いていたことから、最初は、逃げる大型の草食恐竜を肉食恐竜が追いかけたのかな‥‥と思った。だけど、さすがのティラノサウルスも、自分の3倍近くある恐竜に襲い掛かることは考えにくいし、襲い掛かるとしたら足跡は重なっていたはずだ。だから、この2頭の足跡は、時間差で付けられたものだと考えるべきだ。そして、足跡が同じ場所に並んで付いていたということは、当時、この場所は、海の浸食状況や地形の問題などで、このラインの部分しか恐竜が歩くことができなかったのかもしれない‥‥なんて想像を巡らしていたら、すごく楽しくなってきた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、このニュースを読んで、もうひとつ思ったことがある。それは、一部では犯罪や戦争にも使われているために賛否両論があるドローンだけど、こんなふうに使うのなら、とっても素晴らしいことだと思ったのだ。そして、そんなことを考えていたら、このニュースから5日後の4月9日、今度は、南米ペルーの考古学者の研究チームが、ドローンで広範囲に調査を行ない、新たに50点以上もの「地上絵」を発見したのだと報じられた。こちらのニュースは、日本の新聞などでも各紙が取り上げたので、目や耳にした人も多いだろう。だけど、以前からあたしが指摘してきたように、日本人の中には新聞の見出しだけを見たり、記事の最初の数行を読んだだけで「知った気」になってしまう人も多い。

事実、この時も、あたしが電車に乗ったら、すぐ近くにいた高校生の男の子の4~5人のグループの1人が、自分のスマホを見ながら、「おいおい!ナスカの地上絵が新たに50点以上も見つかったんだって!」と言い、他の男の子たちが「へえ~!」なんて言っていた。この『きっこのブログ』の賢明なる読者諸兄なら、こんな勘違いはしないと思うけど、今回、新たに発見された50点以上の地上絵の大半は、「ナスカの地上絵」じゃない。

「ナスカの地上絵」とは、西暦200年~700年まで栄えたナスカ文化の中で描かれた地上絵のことで、今回、発見された中にも、数点はナスカ文化時代のものも含まれていた。でも、発見された地上絵の大半は、ナスカ文化時代よりも古く、紀元前500年~西暦200年のパラカス文化やトパラ文化の中で描かれたものだと報告されている。ちなみに、今回、発見された地上絵は、ほとんどが「戦士」を描いたもので、サルやハチドリなどの動物や幾何学模様などが中心の「ナスカの地上絵」とはテーマが違う。

また、「ナスカの地上絵」は広大な平地に描かれているため、それこそドローンなどで空から撮影しないと全体像を見ることができないけど、それより古いパラカス文化やトパラ文化の地上絵は、主に山肌などに描かれているため、京都は五山の「送り火」のように、地上の人々からも見ることができたのだ‥‥と言うか、地上の人々に見せる目的で描いていたのだ。だけど、あまりにも長い年月が経ち、山肌の地上絵の線が薄くなって目視できなくなったため、今回、ペルーの考古学者であるルイス・ハイメ・カスティリョ・ブテルス教授の研究チームが、ドローンを飛ばして山肌に近づき、人が近づけないような場所も丹念に調査したところ、今回の発見に至ったというワケだ。


‥‥そんなワケで、この地域、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた盆地状の高原に描かれた地上絵は、数10メートルほどの小さなものから、全長が数キロにも及ぶ巨大なものまで、総数は数万とも十数万とも推測されている。だけど、まだ現代人が発見したものは、わずか700ほどなのだ。そして、そう考えると、ドローンという最新機器による調査によって、今回、50個以上もの地上絵が新たに発見されたということは、この、まだ発見されていない地上絵がたくさんあるという推測の裏付けにもなったワケだ。何しろ、最新鋭のドローンに搭載されたカメラの解析度はもの凄く高くて、上空60メートルの地点から地上に置かれた1センチのものでもハッキリと識別できるという。地上絵の線は幅が1メートルもあるから、これなら楽勝だろう。

ちなみに、ナスカの地上絵の大半は、赤褐色の石や岩を幅1~2メートル、深さ20~30センチほど取り除き、まだ酸化していない明るい色の岩石を露出させ、その両側に赤褐色の岩を並べて線の輪郭を強調して、遠くからでも見えるように工夫されている。そのため、剥き出しになった明るい色の岩石が、長い年月によって酸化して赤褐色になってしまったものは、遠くからだとなかなか発見しにくいと言われている。

一方、ナスカ文化時代より古くなると、地表の石を取り除き、石の下の土を少し掘って白っぽい土を剥き出しにして、取り除いた石をその白い線の両側に並べるという方法で地上絵を描いていたので、あまり長持ちはしなかったようだ。そのため、ナスカ文化時代の地上絵と比べると、さらに1000年も遡ったパラカス文化時代の地上絵は、もっと見つけにくいと言われていた。だから、今回、ナスカ文化時代よりも古い地上絵がたくさん発見されたことは、考古学的にはとても重要なデータになる。ペルー文化省の考古学者で、ナスカの地上絵のチーフ修復官をつとめているホニー・イスラ教授は、今回の発見を受けて、次のように述べている。


「この地域の地上絵の伝統は、世界的に有名なナスカ文化の地上絵より1000年も前から続いてきたのです。今回は、その時代の地上絵が数多く発見されたので、紀元前から続いてきたパラカス文化だけでなく、パラカス文化からナスカ文化への移行期にあたる謎に包まれたトパラ文化についても重要な検証データとなり、地上絵の役割や意味について新たな仮説を立てられるでしょう」


さて、「ナスカの地上絵」と言えば、やっぱり、尾が渦巻きになったサルと巨大なハチドリが有名だけど、他にも巨大なクモやイグアナやコンドルやシャチなども有名だ。ちなみに、これらの有名な地上絵の大きさは、尾が渦巻きになったサルが約55メートル、ハチドリが約96メートル、脚を広げたクモが約46メートル、イグアナが約180メートル、コンドルが約135メートル、シャチが約65メートルで、これまでに発見された中で最大のものは、ペリカンなのかフラミンゴなのかサギなのか種類は特定されていないけど、約285メートルもある鳥の地上絵だ。でも、これは、動物に関する地上絵の話なので、何を表現しているのか分からない幾何学模様の場合は、全長が数キロに及ぶ巨大なものも数多くある。


‥‥そんなワケで、ちょっと脱線するけど、あたしの大好きな作家の1人、加納朋子さんの小説の中に『ぐるぐる猿と歌う鳥』(講談社)という作品がある。お父さんの転勤で北九州へ引っ越した小学5年生の男の子が主人公で、新しい土地で出会った新しいお友だちと不思議な体験をする物語で、どこか懐かしく、どこか切なく、それでいてワクワクもするし、とっても好きな作品だ。もしかしたら、これから読む人もいるかもしれないので、ここで種明かしはできないけど、このタイトルの『ぐるぐる猿と歌う鳥』というのが、「ナスカの地上絵」の尾が渦巻きになったサルと巨大なハチドリのことなのだ。ハチドリは英語で「ハミングバード」と言い、これはホバリングしている時の羽音が「歌っているよう」という意味なんだけど、この作品のタイトルではストレートに「歌う鳥」とされている。

家が密集した北九州の住宅街に、巨大な地上絵を描く場所なんてないはずなのに、小学生たちはどんなふうに「ぐるぐる猿」や「歌う鳥」を描くのか。とっても素敵な作品なので、興味を持った人は、たいていの図書館には置いていると思うので、機会があったら読んでみてほしい。加納朋子さんの作品だと、あたしは『ささら さや』『てるてるあした』『はるひのの、はる』(幻冬舎)という「ささら三部作」が一番好きだけど、『ぐるぐる猿と歌う鳥』は、その次に好きな作品だ。

そんなこんなで、話を元に戻すけど、ペルーの「ナスカの地上絵」が現代人に初めて発見されたのは、今から約80年前の1939年6月22日のこと、アメリカの考古学者、ポール・コソック博士によって発見されたと言われている。そして、その後、ポール・コソック博士の助手だったドイツの女性考古学者、マリア・ライヒェ教授がこの地に住みついて、ポール・コソック博士が1959年に亡くなった後も、彼女は生涯、「ナスカの地上絵」の調査と研究を続けたのだ。時にはペルー空軍の軍用機に乗せてもらって空から地上絵を観察したり、観光客が地上絵を見やすいように塔を建てたり、自分の著書の印税だけでなく私財まで投げ売って、地上絵の研究と保全に尽くしたのだ。晩年のマリア・ライヒェ教授は、パーキンソン病で車椅子の生活を余儀なくされていて、1998年に95歳で亡くなった。彼女はペルーに大きな功績を遺した偉人なので、彼女の住んでいた家は「マリア・ライヒェ博物館」として今も大切にされていて、彼女の仕事部屋は生前のままの状態で残されているという。


‥‥そんなワケで、あたしは、マリア・ライヒェ教授の英文の論文を一晩かけて読破したんだけど、もの凄く興味深い内容で、あたしの好奇心は刺激されまくり、専門用語が出てくるたびに辞書を引くことも苦痛に感じなかった。できることなら全文を和訳して紹介したいくらいだけど、それこそ何万文字になるか分からないので、思いっきりザックリとまとめると、「ナスカの地上絵」は、古代ペルー人たちの「生活」に密着したものだったと結論づけられていた。

マリア・ライヒェ教授は、考古学者であるとともに、数学者であり地学者でもあったので、発見した地上絵をすべて数学的、地学的にも調査・研究した結果、それぞれの地上絵が星座や月の満ち欠けなどに対応していることが推測できたと書かれていた。たとえば、ある地上絵のどの部分にある星座が上った時が「●●の種を蒔く時期」だとか、ある地上絵のどの部分にこんな形の月が上った時が「水の少ない川の水量が増える時期」だとか、そういうシステムになっているという。つまり、日本の農家に必ず貼ってある「農業カレンダー」みたいな役割を担っていたようなのだ。

もう少し具体的に書くと、たとえば、一番有名な尾が渦巻きになったサルだけど、あの地上絵は他の地上絵と違って、輪郭線がジグザグに描かれているそうだ。北米のインディオもエジプト人もジグザグの線で「水」を表わしていたことから、このサルの地上絵は「水」に関する何かを表わしていると考えられる。マヤ文明では、サルは繁殖と農業のシンボルなので、マリア・ライヒェ教授は、この絵は「農業のための水を意味するもの」という仮説を立てた。そして、そのサルの周囲にある三角や四角の幾何学模様の地上絵を調査したところ、それらが星座とつながっていて、どの幾何学模様のどの位置に何の星座が上ると、川の水が増えるとか、川から水がなくなるとか、そういうことが分かるようになっていたことが推測された。

そう言われてみると、このサルだけでなく、ハチドリもクモも他の動物たちも、どれもその周りに幾何学模様の地上絵がいくつも描かれている。つまり、それぞれの動物の地上絵は、それが何を表わすかという意味を持っていて、その周囲にある幾何学模様の地上絵が、物差しや分度器やカレンダーの役割をしている、という解釈なのだ。

もちろん、まだまだ解明されていない部分は山ほどあるし、それ以前に、まだまだ発見されていない地上絵のほうが遥かに多いのだから、このマリア・ライヒェ教授の研究結果は、現時点では、あくまでも仮説の域を出ていない。でも、ここに少しだけ書いた内容の何十倍もの具体例を読んだあたしとしては、どの例もツジツマが合っていると思えたし、特に、種を蒔く時期を知らせてくれる月齢に対応した地上絵の解説など、あまりにも見事な分析で感心してしまった。

ポール・コソック博士が初めて「ナスカの地上絵」を発見した1939年の翌年1940年、コソック博士の助手になったマリア・ライヒェ教授は、それから95歳で亡くなる1998年まで、およそ半世紀を「ナスカの地上絵」の研究と保全のために捧げたのだ。地元の人たちから「ナスカを愛する娘」という最高の称賛を受けただけでなく、1992年にはペルーの名誉国民にも選ばれている。そんなマリア・ライヒェ教授だけど、初めてペルーに来た時には、港に着くまでに4つもの虹の中を船が通過したことから、ただならぬ予感を感じていて、「ここが私の骨を埋める地になるかもしれない」と思ったそうだ。そして、その予感は的中した。

ポール・コソック博士の意志を継いで「ナスカの地上絵」の研究と保全に生涯を捧げたマリア・ライヒェ教授、そして、そのマリア・ライヒェ教授が亡くなって20年後の今、今度は最新機器のドローンが、当時はなかなか見つけることができなかったナスカ文化時代よりも古い時代の地上絵を発見したのだ。もしも、マリア・ライヒェ教授が研究に没頭していた時代にドローンがあったなら‥‥などと野暮なことは言わない。でも、せっかく人類の科学の進歩によって開発された最新機器なのだから、1億年以上も前の恐竜の足跡の探索や2000年以上も前の古代文明の解明など、これからも、こうしたワクワクすることに使ってほしいと思った。


‥‥そんなワケで、安倍晋三首相は、2014年4月1日に日本の武器輸出を禁止した「武器輸出三原則」を閣議決定だけで撤廃し、日本を「死の商人」の国にするために、いろいろな国と共同で人殺しのための兵器の開発を進めてきた。その中で、イスラエルとは共同で「軍用ドローン」の開発を進めてきた。日本の技術が、人殺しのために、戦争のために使われ始めたのだ。そして、今年5月、トランプ米大統領による「在イスラエル大使館のエルサレムへの移転」によって勃発したパレスチナ・ガザ地区との衝突では、イスラエル軍がこの「軍用ドローン」を試験的に使用したと報じられた。あたしたちの国の技術が、海の向こうで、何の罪もない人々を殺すために使われたのだ。せっかくの技術を人殺しのために使うなんて、これほど残酷で悲しいことが他にあるだろうか。あたしは、ドローンを人間に向けて使うのであれば、人殺しのためではなく、災害救助など「人の命を救うため」に使ってほしいと心から思った今日この頃なのだ。


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