死してなお奇才、サルバドール・ダリ
去年、2017年のこと、それまで10年以上にわたって「自分はサルバドール・ダリの娘だ」と主張してきたスペイン人の霊媒師の女性、マリア・ピラル・アベル・マルティネスさん(61)の求めに応じて、スペインはマドリードの裁判所がダリの遺体を墓から掘り起こしてDNA鑑定することを許可したと報じられた。そして、7月にダリの遺体が掘り起こされて、毛髪と歯と爪と骨などを採取して専門機関がDNA鑑定を行なったんだけど、その結果、マリアさんはダリの娘ではないと判断され、墓の掘り起こし作業やDNA鑑定などに掛かった費用の全額が、マリアさんに請求された。
ダリの墓は、1904年にダリが生まれたスペイン北東部のフィゲラスにある「ダリ劇場美術館」の敷地内にあり、重さ1トンを超える石版でフタをしてあるため、遺体の掘り起こし作業はとても大掛かりなものだったそうだ。総費用は明らかにされていないけど、マリアさんは相当の金額を請求されたと思う。だけど、これは、マリアさん側が望んだDNA鑑定だったワケだし、もしもダリの娘だということが証明されれば莫大な遺産を手にすることになっていたワケだから、仕方なかったと思う。それに、マリアさん自身は、自分がダリの娘であると信じていたからこそDNA鑑定を求めたワケで、もしも狂言だったとしたらDNA鑑定など求めなかっただろう。
ちなみに、当時の報道によると、マリアさんの母親がダリの自宅で使用人をしていて、その時にダリと男女の関係を持つようになり、そんな関係が何年も続くうちにマリアさんが生まれたのだと、マリアさんは母親から聞かされていたという今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、いくらマリアさんが母親からの説明を信じていたとしても、これって、少しでもダリのことを知っている人なら、最初から嘘っぽいと思っていたハズだ。だって、これはけっこう有名な話だけど、ダリは「セックスしない主義」だったからだ。「セックスは錯覚だ。一番刺激的なのはセックスしないことだ」というのがダリの口癖で、その代わりに、ダリは自慰行為、オナニーが大好きだった。手塚治虫の漫画には「ヒョウタンツギ」という謎の生物が頻繁に登場するけど、ダリの作品にも「大自慰者」と名づけられた、貝殻のような、女性器のような、横顔のような、不思議な物体がしばしば登場する。ダリはこれを自分の分身だと言っていて、性欲を自分だけで処理するオナニーこそが自分自身なのだと説いていた。
サルバドール・ダリのフルネームは、カタルーニャ語で「サルバドー・ドメネク・ファリプ・ジャシン・ダリ・イ・ドメネク」、1904年5月11日に生まれて、1989年1月23日に満84歳で亡くなっている。亡くなった時は日本でもテレビや新聞で報じられて、あたしもテレビのニュースで訃報を見た記憶がある。ダリは、スペインのカタルーニャ地方のとても裕福な家に生まれたので、小さいころから絵画に興味を持ったダリは、高価な画材なども買い与えられて、自由に絵を描くことができたという。そのため、若干21歳にして初の個展をひらいている。
その一方で、裕福な公証人だった父親にどんな考えがあったのか分からないけど、この父親はダリが子どものころから、性病の梅毒に感染して重症になった患者の局部の写真を何枚も何枚もダリに見せたという。そのため、これがトラウマとなって、ダリは成人してからもセックスができなくなったという説もある。でも、ダリは普通に女性が好きだったし、性欲も普通にあったから、結局、オナニー愛好者になったのだと言われている。
たとえば、ダリが初めてフランスのパリへ行った時、どの名所よりも先にダリが向かったのは、当時の娼館だったそうだ。そして、そう聞くと、「ダリはよほどセックスがしたかったんだな」って思うだろうけど、そこでダリが取った行動はと言えば、服を脱がせた娼婦を部屋の隅に立たせて、その娼婦を眺めながらオナニーをしただけだった。女性の裸には興味があり、性欲を感じ、男性器が反応し、オナニーをすれば射精するのだから、肉体的には極めて健康的な男性だ。それなのに、ダリは、幼いころに父親から執拗に見せられた梅毒患者の写真、セックスをしたことで梅毒に感染した男性たちの患部の写真がトラウマになっていて、恐くてセックスができないのだ。
他にも、ダリがアメリカのニューヨークへ行った時、自分が滞在していた高級ホテルのスイートルームに、モデルの女性からホームレスの男性までいろいろな男女を集めて、「セックス・サーカス」と銘打った乱交パーティーを開催した。この時も、ダリは、広い部屋のあちこちでセックスする男女を眺めながら、自分はずっとオナニーをしているだけだった。さっき、あたしは、ダリは「セックスしない主義」だと書いたけど、ダリはセックスをしないんじゃなくて、セックスには興味があるけど「できなかった」のだ。
こうした数々の逸話からも、ダリに子どもがいないことは容易に想像できるけど、その上、ダリは生前に「偉大な天才には並みの子どもしか生まれない。私はこの経験を味わいたくない」と述べて、自分に子ども(婚外子)がいないことを公言していた。そして、ダリの財産を管理している「ダリ財団」の人たちは、こうしたダリの性癖や考え方をよく知っていたから、マリアさんが10年以上も前からダリの娘だと主張し続けていても相手にしなかったし、今回のDNA鑑定も「どうぞ、どうぞ」というダチョウ倶楽部みたいなノリだったのだ。
‥‥そんなワケで、1929年、25歳のダリは、1人の女性に一目惚れをした。フランスの詩人、ポール・エリュアールの妻のガラ・エリュアールで、ダリよりも10歳年上のロシア人の女性だった。ガラは奔放な性格の女性で、ポール・エリュアールの妻でありながら、複数の男性とも関係を持っていて、この後、ポール・エリュアールと離婚するんだけど、離婚した後もポール・エリュアールと肉体関係だけは続けていたのだ。そして、ガラがダリと再婚したのは1934年、ダリが30歳、ガラが40歳の時だった。
ダリはガラをとても愛していたけど、やっぱりセックスだけは恐くてできなかったので、ダリは自分の妻であるガラがどんな男性とセックスすることも許可していた。そして、ガラは、ダリと結婚する前と同じように、複数の男性とのセックスを謳歌していく。その一方で、ガラは、ダリのためにビジネス面でのパートナーとして活躍したため、ダリの財産はどんどん増えていった。ダリの金銭欲は桁外れで、芸術界ではダリを良く思わない者も多かった。詩人のアンドレ・ブルトンは、「Salvador Dali(サルバドール・ダリ)」のアルファベットを並び替えたアナグラムで「Avida Dollars (アヴィダ・ダラーズ)」という言葉を作り、ダリを揶揄する時に使っていた。これは「ドルの亡者」という意味で、ダリを嫌う人たちの間に、またたく間に広まってしまった。
それでも、誰から何を言われてもダリはお構いなしで、お金儲けのためなら何でもやった。たとえば、日本でもお馴染みの棒付きキャンディー「チュッパチャプス」、あの包み紙のサイケなデザインはダリの作品だ。他にも、チョコレートやブランデーや頭痛薬などのテレビCMに出演したり、とても芸術家とは思えないようなことでも、お金儲けのためなら何にでも手を出した。でも、一説によると、これらは妻のガラによるプランニングで、ダリは「お金のため」というよりも「愛するガラのため」に、こうした仕事を請け負っていたとも言われている。
ただ、ダリ自身にも、ちょっとペテン師のような一面もあった。たとえば、ジョン・レノンとともにダリと面識のあったオノ・ヨーコが、どうしてもダリの髭を1本欲しいとお願いしたところ、ダリはオノ・ヨーコに1万ドルを要求したのだ。それでもダリの髭が欲しかったオノ・ヨーコが、しぶしぶ1万ドルを支払うと、ダリから届いたのは、カラカラに干からびた1本の細い草だったそうだ。他にも、ダリは、自分の描いた絵を「これはスズメバチ100万匹の毒を混ぜた絵の具で描いた特殊な作品だ」と大嘘をつき、お金持ちの顧客の1人に通常の何倍もの値段で売りつけたこともあった。
これらは、普通の人がやったら詐欺罪で逮捕されちゃうけど、ダリの場合は通用しちゃうのだ。ダリは、自分が周囲からどのように見られているかをよく分かっていて、それを利用して、詐欺まがいのことやセコいことを繰り返していた。何よりもセコイのは、多くの友人を引き連れて高級レストランへ行き、「今日の食事代はすべて私が支払うので、皆さん、何でも好きなものを注文してくれ」と言って、自分も高級料理を注文する。そして、食事が終わると、ダリはお会計を頼み、ウエイターが合計金額の書かれた領収書を持ってくると、ダリは小切手帳を取り出し、ウエイターの見ている前で金額を記入してサインをする。でも、これでは終わらないのだ。ダリはウエイターが見ている前で、その小切手を裏にして、そこにチャチャッと簡単な落書きをして、自分のサインをする。
レストランの支配人や従業員たちは、この客が世界的な芸術家であるサルバドール・ダリだということを先刻承知だから、そのダリが描いた絵であれば、たとえ小切手の裏に描かれた落書きであっても、それが大変に価値のあるものだと理解している。小切手は、銀行に持っていって現金と交換した時点で初めて発行者に請求がいくものだから、受け取った側が銀行に持っていかなければ、発行者に請求はいかない。この小切手は、当然、小さな額に入れられて、そのレストランの壁に大切に飾られることになるので、発行者のダリには永久に請求がいかないのだ。ダリは、この手口を頻繁に使っていたという。
‥‥そんなワケで、こんなにもセコいダリだったけど、ガラのことは心の底から愛していたから、出会ったばかりの20代の時にガラに言った「いつか君にお城を買ってプレゼントしてあげる」という約束を、結婚から34年後の1968年に、本当に守ったのだ。ダリは、故郷のカタルーニャ地方の古城を丸ごと買い上げ、1年かけて完璧にリフォームし、贅沢な調度品や美術品で埋め尽くし、それをガラにプレゼントした。ガラは生涯、このお城で女王様のような生活を送ったけど、ガラからこのお城への訪問を許されていたのは、ダリ1人だけだった。でも、好きな時にいつでも訪問できるわけじゃない。まずは事前に手紙を送って訪問の打診をして、ガラからOKの返事が届いた時だけ、ダリは城門をくぐることが許された。
この話だけを聞くと、ガラってトンデモない女性みたいに思われちゃうけど、実はこれ、ダリの発案だったのだ。ダリは、このお城が建設された当時の「中世の貴族の生活様式」を再現することによって、ダリはガラへの忠誠心を表現し、ガラはダリの愛情を感じるという、セックスレス夫婦による極めてハイレベルな愛の確認作業を楽しんでいたのだ。誰もがスマホやケータイを持っていて、深夜でも早朝でも自分のカノジョやカレシに連絡ができ、会おうと思えばすぐにでも会える現代では、2人の間には「会ってから何をするか」ということしかない。でも、まずはダリが訪問したい日時を記した手紙をガラへ送ることから始める儀式には、「会うまでの楽しさ」も備わっていたのだ。
男性から女性へ自分の思いを込めた和歌を送り、女性からの返歌を読んで脈アリか脈ナシかを判断し、イケると思ったら次の満月の夜に夜這いに行く。まるで万葉の時代の貴族たちの恋愛ゲームのような「会うまでの楽しさ」を、時代も国も違えども、ダリとガラも楽しんでいた。そして、そのためにお城まで買ったのだから、ダリにとっての恋愛は、セックスなど完全に超越した崇高でロマンティックなゲームだったのだろう。
ダリと言えば、頭の上にフランスパンを括りつけて「リーゼントヘアだ」と言ってみたり、車内をカリフラワーで埋め尽くしたロールスロイスで登場してみたりと、一般人には理解できない奇行ばかりが話題になっていたけど、こんなにもロマンティックな一面もあったのだ。そして、ダリには、妻のガラ公認の愛人もいた。多くのロックミュージシャンと交流があり、自身も多くのアルバムをリリースしていて、かつてはデヴィット・ボウイの恋人だったアマンダ・リアだ。
‥‥そんなワケで、アマンダ・リアは、1946年、イギリス系フランス人の父と、ロシア人と中国人のハーフの母の間に生まれたフランス人で、フランス語の他に、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語の5カ国語を話すという。見た目はブロンドの美女だけど、172センチだったダリより6センチも髙い178センチの長身で、男性のような低い声なので、元男性の性転換者だとか、両性具有だとかの噂が絶えなかった。本人は否定していて、そのために「プレンボーイ誌」でヌードまで披露したけど、「性転換手術の費用はダリが負担した」とか「本当は女性だがデヴィット・ボウイが性転換者の噂を流すと面白いと発案した」とか、いろんな噂が流された。
アマンダ・リアのことまで書き始めると長くなり過ぎちゃうので、ここらで話を元に戻すけど、ここまで読めば、ダリには妻も愛人もいたことが分かったと思う。でも、妻とはセックスをしなかったし、愛人は元男性だったかもしれないし、女性だったとしてもやっぱりセックスはしなかったので、結論として、ダリに子どもはいなかった。だから、ダリの娘だと主張するマリアさんの求めに応じた裁判所の指示で、昨年7月、ダリの墓から遺体を掘り起こし、ダリの遺体の毛髪と歯と爪と骨からDNA検体を採取して鑑定した結果、その後の報道の通り、マリアさんはダリの娘じゃなかったと確認されたワケだ。
そして、こんな鑑定ができたのは、スペインが土葬の国だったからだ。火葬の国である日本でも遺骨は残るけど、骨の内部のDNAは千数百度の熱で完全に破壊されてしまうので、炉内温度が600~800度、燃焼温度が約2000度の日本の火葬では、遺骨は残るけどDNAは残らない。あたしはこれまで、火葬の国と土葬の国の違いは、ホラー映画とかで死んだ人が蘇る場合に、火葬の国なら肉体を持たない「幽霊」になり、土葬の国なら肉体の腐敗した「ゾンビ」になる、という点くらいしか考えたことがなかった。だけど、死んだ後もDNA鑑定ができるのなら、今から日本を土葬にすることは無理だとしても、少量の爪や髪を保存した上で火葬にすれば、死後にその人の婚外子を名乗る子どもが現われたり、何らかの犯罪に関わっていたようなケースで、大きな証拠になるんじゃないかと思った。
ま、それはそれとして、今回のニュースであたしが1つだけ不思議に思ったのは、お墓から掘り起こしたダリの遺体の髭が、生前と同じに時計の10時10分を指してピンと立っていたということだ。墓の掘り起こし作業は、司法長官の立ち会いのもと、法医学研究所と葬儀サービス業者のチームによって行なわれたんだけど、掘り起こした約2メートルの棺のフタを開けて毛髪や歯などからDNA検体を採取した法医学研究所の担当官が、ダリの遺体のピンと立った髭を確認したと公式に証言しているのだから、とても嘘を言っているとは思えない。
ダリは生前、自分の髭は「水飴で固めている」と言っていたので、そのまま土葬にしたのなら、しばらくはピンとしたままだと思う。だけど、ダリが84歳で亡くなって土葬されたのは1989年1月、掘り起こされたのは2017年7月、28年と半年も経っているのだ。いくら髭を水飴で固めていたって、28年以上もそのままだなんて、あたしには信じられない。ちなみに、毛髪や髭や爪は、皮膚の角質層のケラチンが主成分なので、雨水や地下水には溶けないし、微生物にも分解されない。エジプトのミイラは骨と皮だけだけど、よく見ると毛髪や爪が残っている。これと同じで、土葬の場合、遺体の大半は微生物に分解されてしまうけど、毛髪や髭や爪は残る。
‥‥そんなワケで、死後28年以上が経ったダリの遺体は、毛髪や髭が残っていても不思議じゃない。ただ、その髭が生前と同じに時計の10時10分を指してピンと立っていたということが、あたしには信じられないのだ。だって、髭自体は毛髪と同じでケラチンが主成分だから微生物には分解されないけど、その髭を固めている水飴は分解されるだろう。そして、水飴が分解されてしまえば、ダリの髭はタラリと垂れ下がり、ラーメンマンの髭みたいになるはずだからだ。まあ、いろんな偶然が重なった結果なんだろうけど、死後28年以上が経っても、まだみんなを驚かせてくれるなんて、やっぱりダリは本物の天才で、本物の奇人だったんだと思った今日この頃なのだ。
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