マダニとツツガムシ
こういうニュースって、新聞なら地方版、テレビならローカル局でしか報じないから、他の地域に住んでいる人たちが知ることは少ないと思うけど、今年2018年5月10日、宮崎県で60代の男性が山でマダニに噛まれて、マダニが媒介するウイルス性感染症「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」に感染して死亡したと報じられた。そして、その1週間後の5月17日にも、宮崎県で80代の女性がマダニに噛まれて感染して死亡したと報じられた。そして、この時点で「宮崎県内でのマダニによるSFTSの死者は今年に入ってから3人目」と書かれていた。
SFTSは、2011年に中国で見つかり、日本では2013年1月に初めて確認された「新しい感染症」なので、何よりも恐ろしいのが、現時点では「有効な治療薬やワクチンなどがない」という点だ。そのため、病院に行っても「解熱剤」や「痛み止め」などの対処療法しかなく、致死率が高い。2013年1月~2018年6月末までの累計では、日本全国で男性171人、女性183人の計354人が感染し、このうち男性33人、女性29人の計62人が死亡しているので、致死率は「17.5%」ということになる。
また、SFTSは、ウイルスを保有しているマダニに噛まれてから発症するまでに、潜伏期間が6~14日間もある。そのため、潜伏期間が過ぎて発症し、発熱や吐き気、腹痛や下痢などが起こっても、本人は何が原因なのか分からずに、風邪や過労だと思って自宅で横になったりして、すぐには病院に行かないことが多い。そして、病状が悪化して意識障害などが起こり始めてから家人が慌てて救急車を呼ぶ‥‥なんてケースも多いと言われている今日この頃、皆さん、つつがなくお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、マダニは主にイノシシなどの野生動物に寄生しているので、都会に住んでいる人たちには接点のない害虫だし、山歩きや農作業などをしない人たちは感染する恐れもない‥‥と思っていたのもトコノマ、厚生労働省は昨年2017年7月24日、西日本の50代の女性が前年(2016年)の夏、野良猫に噛まれた後、マダニが媒介するウイルス感染症「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」を発症して死亡していたと発表した。動物によってSFTSが人間に感染したとみられる事例は世界でも初めてとのことで、このニュースは比較的大きく報じられた。そして、厚生労働省が全国の自治体や獣医師らに対して「体調不良のペットなどに接触する際は感染に注意するように」との通知を出した。
もう少し詳しく書くと、今回のケースは、衰弱した野良猫を見つけた女性が、何とか助けてあげようと思って動物病院に連れて行った際に手を噛まれてしまい、その後、体調が悪化して、約10日後に死亡したという。女性には感染症の症状が見られたため、国立感染症研究所で死因を詳しく調べたところ、マダニが媒介するSFTSだと確認されたが、女性にはマダニに噛まれた形跡がなかった。そこで、その野良猫を調べたところ、その野良猫がSFTSに感染して発症していたため、マダニに噛まれて感染していた野良猫から、その女性が感染したものと結論づけられた‥‥という流れだ。
人が野山などに出かけた際に、マダニに直接噛まれてSFTSに感染・発症した事例は過去にたくさんあるけど、動物はSFTSに感染してもほとんど発症しないため、これまでは動物を介して人間に感染することはないと考えられてきた。でも、2016年頃からペットの猫や犬がSFTSを発症する事例が確認されるようになってきたため、厚労省ではペットから飼主への感染の可能性も視野に入れて、SFTSを発症したペットの飼主も検査してきた。だけど、これまでにペットから飼主への感染は確認されなかったので、この時点までは、これまで通りに「動物から人間への感染はない」と考えられていた。
‥‥そんなワケで、このSFTSは、マクラにも書いたように「新しい感染症」なので、現在までに有効な治療薬やワクチンなどは開発されておらず、治療は対症療法しかないため、現在の致死率は比較的高い。2018年6月末までに354人が感染して62人が死亡しているので、さっきはザックリと「致死率は17.5%」と書いたけど、地域別のデータを見てみると、感染者のうち30%以上、3人に1人が死亡している地域もあれば、感染者のうち5%、20人に1人しか死亡していない地域もあり、とてもバラつきがある。もしかしたら、地域によってウイルスのタイプが何種類かあって、致死率に差があるのかもしれない。また、感染者は、下は3歳から上は98歳まで幅広いけど、これまでに死亡した62人は全員が50歳以上なので、若者より高齢者のほうが重症化しやすいと思われる。
有効な治療薬やワクチンがなく、354人の感染者のうち62人が死亡したと聞くと、ちょっと恐くなって来るけど、必要以上の不安を煽らないように書いておくと、すべてのマダニがSFTSウイルスを保有しているワケじゃない。SFTSウイルスを保有しているマダニの割合は、全国調査では「5~15%」、都道府県別の調査の中で最も高かった愛媛県でも「6~31%」なので、マダニに噛まれた人が100%感染するワケじゃない。
また、動物を介しての感染も、SFTSウイルスに感染していても発症していないペットの場合、つまり「元気なペット」の場合は、仮に噛まれたりしても人間に感染する確率はほとんどないと言う。今回の西日本の事例のように、SFTSウイルスに感染した猫がSFTSを発症して、ぐったりと衰弱しているようなケースの場合にのみ、噛まれたりすると人間にも感染することがあると考えられている。また、マダニは屋外にしかいないので、外に出さずに飼っている猫や犬の場合は、感染してウイルスを保有していることはないと言う。
つまり、猫を飼っている人なら、その猫を外にも出している人だけが気をつけるべき感染症で、仮に猫が感染していたとしても、動物が発症することは稀なので、そのまま普通に猫と触れ合っていても問題ない、ということになる。ただし、動物の発症例も増えて来たので、もしも自分の飼い猫の具合が悪くなったら、噛まれないように注意して、なるべく早く動物病院に連れて行く必要がある、ということだ。
‥‥そんなワケで、猫や犬を飼っている人なら、当然、今回のような「動物から人間への感染」という稀な事例についても神経質になってしまうと思うけど、これまでの感染者数と死亡者数を見れば顕著なように、やはり、マダニに直接噛まれて感染する「マダニから人間への感染」のほうが圧倒的に多い。そのため、春から秋にかけて、キャンプ、ハイキング、登山、釣り、山菜採り、ゴルフ、農作業など、野山や草むらなどで活動する機会が多い人は、防虫スプレーだけでなく、「暑くても長袖シャツや長ズボンを着用する」という基本中の基本を含め、適切な対策を講じる必要があると思う。
何故かと言うと、今回の「重症熱性血小板減少症候群 (SFTS)」という感染症は、マダニに噛まれることで感染する病気の中の1つにしか過ぎないからだ。マダニは、SFTSウイルスの他にも、複数のウイルスやリケッチアを保有している個体があるため、人間が噛まれると「日本紅斑熱」や「ライム病」や「回帰熱」を発症することがある。また、日本では、ダニの一種であるツツガムシに噛まれることで感染・発症する「ツツガムシ病」も有名だ。
マリー・アントワネットが「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったというのはデマだ。彼女はそんなことは言っていない‥‥と訴え続けているあたしは、マリー・アントワネットに着せられた汚名を晴らすことをライフワークの1つとしているけど、この「ツツガムシ病」についても言いたいことがある。それは、日本に昔からある「つつがなくお過ごしで」という表現が「ツツガムシ病」を語源にしているというデマについて、1人でも多くの人に「本当の意味」を知ってほしいのだ。
この「つつがなくお過ごしで」という表現は、「ツツガムシに刺されることもなくお過ごしで」という意味から使われるようになった言い回しだと、まことしやかに伝えられていて、あたし自身も中学生の時に担任の先生からそのように教わったから、大人になるまでこの説を信じて来た。だけど、これは大間違いなのだ。「ツツガムシ」は漢字で「恙虫」と書くけど、この「恙(つつが)」とは、もともと病気や災いを総称する言葉なので、「つつがなくお過ごしで」という表現は「病気も災いもなくお過ごしで」という意味であり、「ツツガムシ」とは関係ない。
一方、まだまだ科学や医学が発展途上だった昔の日本では、原因不明の病気を「妖怪のせい」だとする風潮があり、野山に出かけた人が、帰宅後に高熱を出し、全身に赤い斑点が出て死んでしまう謎の病気について、長い間、「病気と災いをもたらす恙虫(つつがむし)という妖怪によるもの」だと言い伝えられて来た。こうした流れがあったため、この謎の病気の原因が野山にいる小さなダニの一種だと解明された時、そのダニの一種に「ツツガムシ」という妖怪の名がそのまま付けられ、この感染症は「ツツガムシ病」と名付けられたのだ。
これが歴史的な真実なので、もしも「つつがなくお過ごしで」という表現の語源が「ツツガムシ病」だと思い込んでいた人がいたら、今、この瞬間から、あなたは真実を伝える正義の伝道師となり、会う人、会う人に、本当のことを伝えてほしい。そして、できることなら、そのついでにマリー・アントネットの真実についても伝えてほしい‥‥って、ちょっと脱線しちゃったけど、ここからは、またマジメ路線に戻って、この「ツツガムシ病」について解説したいと思う。何故なら、日本におけるアウトドアでのダニ類による感染症は、マダニによる複数の感染症とツツガムシによるツツガムシ病が大半を占めているからだ。
‥‥そんなワケで、さっき、「マダニは、SFTSウイルスの他にも、複数のウイルスやリケッチアを保有している個体があるため」と書いて、そのまま説明せずにサクサクと来ちゃったけど、この「リケッチア」と言うのは、ウイルスと細菌の両方の性質を合わせ持った病原体の総称で、日本では、マダニが媒介する「日本紅斑熱」とツツガムシが媒介する「ツツガムシ病」の病原体が、この「リケッチア」に該当する。そして、全国のマダニによる「日本紅斑熱」の感染者は年間200人以下、ツツガムシによる「ツツガムシ病」の感染者は年間400人以下で推移して来たけど、2013年から急増し始め、昨年2016年には「日本紅斑熱」の感染者が275人、「ツツガムシ病」の感染者が505人と急増してしまった。
まだ治療法やワクチンが開発されていないSFTSと違い、これらの感染症は治療法やワクチンが整っているため、どちらも死亡者数は年間にわずか数人だけで、死亡例はすべて適切な治療が受けられなかったケースと見られている。つまり、これらの感染症に感染しても、すぐに病院に行って診察を受け、適切な治療を受ければ、まず死ぬことはないのだ。だけど、その一方で、ツツガムシ病に感染した患者が「適切な治療を受けなかった場合の致死率」は約30%と言われているので、あまり軽く考えることは危険だと思う。それは、ツツガムシに噛まれた場合、発見が遅れることが多いからだ。
マダニは約700種いるけど、他のダニよりも大きくて、通常時でも2~3ミリあるから肉眼で見えるし、血を吸うと何十倍にも膨れるので1センチ近くになる。人間が噛まれれば痛みや痒みがあるから、すぐに噛まれたことに気づく。一方、ツツガムシは約120種いるけど、人間を噛んでツツガムシ病を感染させるのは、ダニのような成虫ではなく幼虫なのだ。そして、ツツガムシの幼虫は0.2ミリほどしかないため、肉眼では分からない。その上、噛まれてすぐに痛みや痒みを感じるのはアカツツガムシだけで、他の種類のツツガムシに噛まれても気づかない。そのため、噛まれてから数日後に高熱が出たり嘔吐や下痢が起こり、病院に行って診察を受けて、初めてツツガムシに噛まれたことを知る、と言ったケースが多い。たとえば、次に紹介する昨年5月9日付の秋田県のニュースを読んでみてほしい。
2017年5月9日 地方版
「秋田県は8日、由利本荘市内の80代女性がツツガムシ病に感染したと発表した。今年に入り、県内で感染を確認するのは初めて。県健康推進課によると、女性は3日、発熱や発疹の症状を訴えて市内の病院で診察を受けた。4月下旬に山菜採りへ行った際、右腕を刺されたとみられる。現在は入院中だが、快方へ向かっているという。」
この記事を読めば分かるように、この女性が山菜採りに行ったのは4月下旬だけど、自分がツツガムシに噛まれたことには気づいておらず、5月3日になって発熱や発疹が出たために病院へ行き、ここで初めてツツガムシ病に感染していたことが分かったのだ。この女性は適切な治療を受けられたから命には別条がないけど、それでも入院治療を続けているのだから、症状としては重かったのだと思う。そして、もしも発熱してもすぐには病院へ行かず、風邪か何かだと思って自宅で何日間か休んでいて診察を受けるのが遅くなっていたら、最悪の場合、手遅れになっていたかもしれないのだ。
他にもツツガムシ病の過去の事例を調べてみたら、あたしが書いた例のように、発熱してもすぐには病院へ行かず、風邪薬を飲んで自宅で休んでいた60代の男性が、治療が遅れて重体になってしまったケースがあった。救急車で病院へ運ばれてからツツガムシ病だと分かり、すぐに治療を開始したけど、治療開始が遅れたため、40度もの高熱が長く続いて重い脳炎のような症状が起こり、内臓機能が侵され、完治するまで何カ月も入院したという。
現在でも全国で年間500例もの感染者が出ているツツガムシ病は、噛まれた瞬間に気づくマダニと違って、噛まれたことに気づかないケースが大半なので、いくら治療薬が開発されているからと言っても、そうそう安心してはいられない。やはり、野山に出かけた数日後に発熱などの症状が出たら、とにかく病院へ行くことが重要だ。そして、もっと重要なのは、マダニと同様に、できるだけ噛まれないように対策をしておくことなのだ。
‥‥そんなワケで、さっき、ツツガムシは約120種いると書いたけど、この中で、ツツガムシ病の病原体であるリケッチアを保有している個体がいて、人間の血を吸う性質を持っているのは、秋田県の雄物川の周辺に多く生息している「アカツツガムシ」、全国的に分布していて春と秋に発生する「フトゲツツガムシ」、千葉県の房総半島、東海地方、関西地方、九州全域などで秋に発生する「タテツツガムシ」、この3種が代表的なものだ。日本でツツガムシ病に感染したら、ほぼすべてがこの3種のうちのどれかだと言われている。
また、日本では長いこと「北海道と沖縄県にだけはツツガムシがいない」と言われて来たけど、2008年に初めて沖縄県の宮古島で感染者が出てからは、宮古島でも毎年、感染者が出るようになったので、現在では北海道以外の全国にツツガムシが分布していることになる。一昨年2016年に報告された505例のツツガムシ病も、北海道を除く全国41都府県に分布していて、都市部で感染したケースがあった。そのため、都市部の河川敷などで遊ぶ時でも、「防虫スプレーを使う」と「長袖、長ズボンなど露出の少ない服装を心がける」という基本対策の他に、これは特に声を大にして言いたいんだけど、「草むらなどに座る場合は必ずビニールシートを敷く」と「サンダルで草むらに入らない」、この2点は絶対に守ってほしい。
ツツガムシやマダニは、ノミのようにジャンプできないので、その大半は足元から這い上ってくる。だから、河川敷で遊んだとしても、草むらに近づかなければ噛まれることはめったにない。でも、ビニールシートを敷かずに草むらに直接座ったり、素足が丸出しのサンダルで草むらを歩き回ったりしたら、それこそ「飛んで火に入る夏の虫」ならぬ「飛んで火に入る夏の人」になってしまう。実際、あたしは、河川敷の草むらに直接座った人のズボンのお尻と足に、数匹のマダニが付いているのを見つけたことがある。
‥‥そんなワケで、今回も長々と書いて来たけど、今回は最後に、どうしても書いておきたいことがあるので、もう少しだけお付き合いしてほしい。ツツガムシは、日本を始めとした東アジアを中心に分布していて、広域的に見ても、パキスタン、ロシア、オーストラリアを結んだ三角地帯の中だけの分布だった。だから、ツツガムシ病が発生するのも、このエリアに限られていた。しかし、2015年から2016年にかけて、地球の裏側の南米チリのチロエ島で、ツツガムシ病を発症した感染者が3人も報告されたのだ。
2015年1月にチロエ島でツツガムシ病に感染した38歳の女性は、森で薪を集めた後に腹部に発疹ができ、1週間後には発疹が全身に広がって高熱が出たため病院で診察を受け、ツツガムシ病などに効果があるドキシサイクリンというテトラサイクリン系抗菌薬による治療で回復した。1年後の2016年1月に感染した40歳の男性も、森で薪を集めた後に体調が悪くなり、当初、ペニシリン系抗菌薬で治療を試みたが効果がなかったため、テトラサイクリン系抗菌薬に切り替えたところ回復した。そして、2016年2月に感染した55歳の男性も、やはり森で薪を集めた数日後に発熱などの症状が出て、同じようにテトラサイクリン系抗菌薬で回復したと報告されている。
通常の細菌などに感染したのならペニシリン系抗菌薬で治療できるけど、3人ともペニシリン系抗菌薬が効かない特殊な病原体であるリケッチアに感染していて、そのリケッチアを調べてみると「オリエンティア・ツツガムシ」、つまり、東アジアを中心とした地域にしか分布していないツツガムシが媒介するツツガムシ病の病原体だったことが分かったのだ。
東アジアを中心とした地域にしか分布していないツツガムシが、どうして地球の裏側の南米チリに、それもチロエ島に渡ってしまったのだろうか?この3人の感染者は、3人とも薪を集めていて感染したと見られているけど、チロエ島の主な産業は、林業と並んでサケの養殖なのだ。そして、そのサケの大半は日本に輸出されていて、回転寿司のネタなどに使われている。そうした背景から推測すると、チロエ島と日本とを行き来している貨物船によって‥‥などと考えてしまうけど、原因は未だに不明のままだ。ただ、ひとつだけ言えることは、日本に渡って来たヒアリなどと比べると、ツツガムシによる害のほうが遥かに大きいということだ。
‥‥そんなワケで、ツツガムシは日本にだけ生息しているダニじゃないので、日本以外の国から南米チリへ渡った可能性も考えられる。だけど、日本発であろうと他の国発であろうと、人間に大きな害を与える生物が、本来は生息していなかった国に侵入してしまったことに変わりはない。そして、チロエ島では1年間にわたって感染者が出ているのだから、すでにツツガムシが繁殖していることも確実だろう。こうした現状を踏まえると、あたしは、ヒアリなどに対する日本の水際対策を徹底することも重要だと思うけど、逆に、日本の在来種の害虫を他国へ持ち出さないようにする水際対策も並行して進めるべきだと思った今日この頃なのだ。
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