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2018.07.10

ヌードルハラスメントと東京オリンピック

1980年代後半くらいから「セクシャルハラスメント」、略して「セクハラ」という言葉が使われ始めてきて、1997年の男女雇用機会均等法の改正によって「セクシャルハラスメント規定」が設けられ、「セクハラ」の定義が確立された。そして、その後は、職場などで立場の上の者が下の者に行なう精神的かつ肉体的な虐めである「パワハラ(パワーハラスメント)」、職場などで特定の相手を無視するなど、言葉や態度で嫌がらせを繰り返す「モラハラ(モラルハラスメント)」、会社の飲み会などで上司が部下に「俺の酒が飲めないのか!」などと言って無理に飲ませる「アルハラ(アルコールハラスメント)」など、主に職場という絶対的な上下関係のある世界で、いろいろなハラスメントが指摘されるようになってきた。

女性社員にだけお茶汲みをさせたり、女性社員には男性社員並みの出世の機会を与えないなど、こうした性別による格差は「ジェンハラ(ジェンダーハラスメント)」と呼ばれていて、家庭などでも「男なんだから重い荷物を持ちなさいよ!」とか、「女なんだから料理ぐらい作れよ!」など、男だから何々、女だから何々というのは、その多くがこれに該当すると指摘された。また、大学教授が特定の学生にだけ厳しく接する「アカハラ(アカデミックハラスメント)」、妊娠を報告した女性社員に対して、陰で「こんな忙しい時に妊娠かよ」などと噂するなど、妊娠した女性に対する嫌がらせ全般の「マタハラ(マタニティーハラスメント)」も、最近では問題視されるようになってきた。

他にも、これは自民党の男性国会議員に散見されるけど、未婚の女性に対して「どうして君は結婚しないのか?」と問い詰めたり、間接的にでも少子化の話題などを振って、結婚しない女性が増えたことを問題視する発言を聞かせたりする「マリハラ(マリッジハラスメント)」、スマホやパソコンの使い方がよく分からない高齢者などから使い方を聞かれると、わざと理解できない専門用語を並べて面倒くさそうに説明し、その用語の意味を聞くと「そんなことも知らないの?」に言って相手を傷つける「テクハラ(テクノロジーハラスメント)」、体臭や口臭、強すぎる香水や柔軟剤の匂いで他人を不快にさせる「スメハラ(スメルハラスメント)」、ツイッターやインスタグラムなどのSNSで、上司が部下に「いいね」を強要したりする「ソーハラ(ソーシャルハラスメント)」など、挙げ始めたらキリがない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、他にはどんなハラスメントがあるのか、インターネットで調べてみたら、「ゼクハラ」なんていうのもあった。最初は「セクハラ」かと思ったんだけど、よく見てみたら「セ」じゃなくて「ゼ」だったので、何のことかと記事を見てみたら、「ゼクシィハラスメント」の略だった。「ゼクシィ」というのは結婚の専門雑誌の名前で、一般的には結婚を約束しているカップルが読む雑誌だ。でも、最近では、何年も付き合っているカノジョがいるのに、自分の収入の問題や将来への不安などで、なかなか結婚に踏み切れない男性も多いという。そんな時、少しでも早く結婚したいと思っているカノジョのほうは、デートのたびに結婚の話題を出したり、自宅にカレシを呼ぶ時に、わざとテーブルの上に「ゼクシィ」の最新号を置いておいたりして、暗にカレシに結婚を迫るという作戦に出ることもあるそうで、これが女性から男性への「ゼクハラ」になるそうだ。

結局、あたしがザッと調べてみただけでも、軽く30を超える種類のハラスメントがあったので、この「ゼクハラ」のようなニュータイプまで含めれば、今の日本には50近い種類のハラスメントがあると思う。たとえば、都知事時代の石原慎太郎のように、数々の暴言や差別発言で他者を不快にさせることを「イシハラ(石原ハラスメント)」と呼んだり、シャケの腹の身である「ハラス」が大好物の上司が、シャケが嫌いな部下に対して「俺のシャケのハラスが食えないのか!」と強要することを「ハラハラ(ハラスハラスメント)」と呼んだりすれば、いくらでもハラスメントの種類を増やすことができる‥‥って、皆さん、気づいた?「シャケ」だけに「いくらでも」なのよん♪(笑)

そして、文化放送『くにまるジャパン極』の中の「野村係長」のように、職場で部下を相手にこうした親父ギャグを連発するのも「ダジャハラ(駄洒落ハラスメント)」と言われているそうだ。ま、親父ギャグはともかくとして、ハラスメント(Harassment)とは、直訳すれば「嫌がらせ」という意味だけど、そこには基本的に上下関係が存在する。ほとんどのハラスメントは、上司が部下に対して、先輩が後輩に対して、教授が学生に対してなど、立場の有利な者が、その立場を利用して行なう「嫌がらせ」なので、よりタチが悪いんだと思う。だから、あたしは、ほとんどのハラスメントに反対の立場だけど、ただひとつだけ、どうしても理解できなくて「はぁ?」って思っているハラスメントがある。日本のお蕎麦屋さんで、日本人が音を立ててお蕎麦を啜ることに、どこかの外国人がイチャモンを付けてきた「ヌーハラ(ヌードルハラスメント)」だ。

懐かしいところだと、10年前の2008年、王貞治さんの二女の王理恵さんが、医師の本田昌毅さんとの婚約を解消した時に、その理由を「本田医師のお蕎麦を啜る音が我慢できなかった」と説明した‥‥というワイドショーのニュースがあった。あたしは、この時、「この女、何言ってんだ?」と思ったことを覚えている。この時は、普通のお蕎麦じゃなくて「とろろ蕎麦」だったそうなので、音もそれなりに大きかったとは思うけど、それでも、日本のお蕎麦は音を立てて啜るのが「文化」であり、さらに言えば「マナー」なのだから、そこに文句を言うのは完全に筋違いだ。お蕎麦屋さんに行った時、先に来ていたお客さんたちが音を立ててお蕎麦を啜っていると、あたしは「美味しそうに食べてるなあ~」と思って、自分も早く食べたくなる。これが日本のお蕎麦の文化だ。

百歩ゆずって、あたしが海外へ行った時、外国にある日本レストランに入り、周り中、すべてその国の人たちが食事をしている真ん中で、日本蕎麦を注文してズルズルと音を立てて啜り、それで周りのお客から嫌な顔をされたのなら、あたしにも非があると思う。だけど、わざわざ日本にやってきて、わざわざ日本蕎麦屋に入ってきて、それで、ずっと日本に住んでいる日本人たちの食べ方に文句を言うなんて、寝言は寝て言えってんだ!こういうことを言う外国人たちって、もしもインドに行ってカレー屋さんに入ったら、手でカレーを食べている周りのインド人たちに向かって、「手で食べるなんて汚らしい!ちゃんとスプーンで食べろ!」とでも言うのだろうか?

外国へ行くということは、その国の文化の中に自分が入って行くことなんだから、基本は「郷に入れば郷に従え」だ。それなのに、その国の文化を否定して、自分の国の常識を押し付けるなんて、いったいぜんたい何様のつもりなんだろう?あたしが外国人で、初めて日本に来たとしたら、「日本のお蕎麦は音を立てて啜るのがマナー」ということぐらい下調べしてから来るし、どうしてもその音が苦手だと感じたら、文句など言わずに「日本蕎麦屋には行かない」という選択をする。それが普通なんじゃないの?

それなのに、2020年の東京五輪を前にして浮足立っているのか、「おもてなし」という言葉の意味を履き違えている人たちがいる。たとえば、東京を中心としたエリアでの「案内看板などの多言語化」だ。これまでは日本語だけか、あっても日本語の下に英語が書いてある程度だった案内看板などに、韓国語、中国語、フランス語、イタリア語、ロシア語、ペルシャ語‥‥って、何が何だか分からないモノが増え始めてきた。もちろん、看板のスペースの問題などもあるため、スマホに対応して画面に母国語が表示されるシステムとかも導入されつつあるけど、一般的な道路標示などは、何カ国語も並んでいて、読みずらいったりゃありゃしない。

こんなもん、日本語と英語だけでいいんだよ。日本に来るんだから、簡単な日本語くらい勉強してくるだろうし、英語まで書いてあれば問題ないだろ?なんで莫大な税金を使って多言語の看板なんか並べなきゃならないのか?こういう「おんぶにだっこ」が「おもてなし」だと思っているのなら、それは根本的に間違っていると思う。フランス人なんてプライドが高いから、英語すら書いていないフランス語オンリーの看板だらけだし、レストランのメニューだってフランス語だけの店が多い。さらに言えば、ホントは英語が分かるくせに、こちらが英語で話しかけると分からないフリをする。ようするに「フランスに来るならフランス語くらい覚えてから来い」というスタンスなのだ。

ま、ここまで高飛車なのもどうかと思うけど、公共交通や公共施設の案内看板に何カ国語も並べるなんて、まるで赤ちゃんの口にスプーンで離乳食を運んであげるような過剰サービスであって、こんなもんは決して「おもてなし」とは呼べない。本当の「おもてなし」とは、日本の文化を前面に出した「ザ・ニッポン」を見せてあげることであって、「おんぶにだっこ」の過剰サービスのことではない。そして、この日本の文化のひとつが、音を立ててお蕎麦を啜ることなのだ。だから、2020年の東京五輪に向けて、日本が本当に外国からくる人たちを「おもてなし」したいと思っているのなら、まずは「ヌーハラ」などという他国文化の押し付けをきちんと批判した上で、「正しい日本蕎麦の食べ方」という、それこそ多言語のパンフレットを作り、「お蕎麦はズルズルと音を立てて啜るのがマナーであり、日本の伝統的な文化である」と明記すべきなのだ。

それなのに、嗚呼それなのに、それなのに‥‥って、久しぶりに五七五の俳句調で嘆いちゃうけど、昨年2017年11月、日清食品が、お蕎麦を啜る音を聞こえなくするためのフォーク「音彦(おとひこ)」をクラウドファンディングで予約・発売すると発表したのだ。トイレの音を聞こえなくするTOTOの「音姫」からヒントを得た商品で、フォークの本体に内蔵されたセンサーが「お蕎麦を啜る音」を感知すると、信号がスマホに飛んで、専用アプリを介して「お蕎麦を啜る音を聞こえなくするための音」が鳴り出すそうだ。価格は1万4800円で、予約が5000人に達した場合のみ販売するという。

専用サイトで見てみたら、魚肉ソーセージよりも太い持ち手の先にフォークが付いていて、すごく使いにくそうな大きさだったけど、あたしには、まるで意味が理解できなかった。だって、トイレの「音姫」と同じように、消したい音よりもさらに大きな音を出して聞こえなくするということは、お蕎麦屋さんの中にその音が鳴り響くわけでしょ?それに、そこまでしてお蕎麦を啜る音を聞きたくないのなら、こんなもんを1万4800円も払って買わなくたって、両耳に耳栓でもするか、イヤホンして音楽でも聴きながらお蕎麦を食べればいいじゃん。これなら他の人にも迷惑が掛からないし、お金も掛からないし。

結局、この「音彦」は、締切までに予約が目標の5000人に達しなかったために商品化は断念されたけど、あたしとしては、こういう商品を日本人が考えたということが悲しかった。日本の文化を理解できない外国人が、日本へ旅行に行く外国人たちに向けて開発したというのなら、それはそれで一定の理解はできる。でも、日本人が日本の文化を否定するようなものを考え出すなんて、いつから日本はこんな国になっちゃったんだろう?

たとえば、西洋では「スープはスプーンで飲むもの」と決まっているため、あたしたち日本人が、お椀に口を付けてお味噌汁を飲むことを「下品だ」「野蛮だ」と感じる欧米人もいる。でも、これが日本の文化なのだから、他民族から文句を言われる筋合いはない。もちろん、日本にきた外国人の中で、どうしてもお椀に口を付けてお味噌汁を飲むことに抵抗があるという人には、スプーンを用意してあげればいい。だけど、日本人までもが外国人の目を気にして、お味噌汁をスプーンで飲む必要などないのだ。

お蕎麦を啜る音しかり、日本で生まれて日本で暮らしている日本人が、どうして海外から遊びにきた外国人旅行者に気を使って、日本の伝統的な文化を疎んじたり、封印したりしなきゃならないのか?あたしは、これほど理不尽な話はないと思う。あたしは落語が大好きだけど、噺家さんたちは扇子と手拭いだけでいろいろな演技を行なって楽しませてくれる。その中でも最もポピュラーなのが、閉じた扇子をお箸に見立てた「お蕎麦を手繰る演技」だ。ここでは、どの噺家さんも必ず「ズズッ!」という音を立てて、美味しそうなお蕎麦を感じさせてくれるけど、これもダメだと言うのだろうか?

確かに、公共の場などで、周りにいる人たちを不快にさせる行為は慎むべきだし、場合によってはハラスメントに該当してしまうので気をつけるべきだ。でも、日本のお蕎麦屋さんの店内で、音を立てて美味しそうにお蕎麦を啜ることは、まったく次元の違う話だ。音を立てて麺類を啜るという文化のない国の人たちから見たら、中には不快に感じる人もいるかもしれないけど、それはあくまでも「文化の違い」であって、文句を言われる筋合いではない。違う文化圏からやってきた外国人のほうが我慢すべきことだし、嫌なら日本のお蕎麦屋さんに入らなければいいだけの話だ。それなのに、よそからやってきて日本の文化を否定するだけでは飽き足らず、「ヌードルハラスメント」などと言い出す始末。あたしは「アホか?」と言いたい。

わざわざ日本に来ても日本食を嫌って自国の料理しか食べないのはドナルド・トランプくらいで、日本を訪れる多くの外国人は、日本の料理を食べたがる。以前、オーストラリアの女友達が日本にきた時、あたしはその子が行きたがっていた「回転寿司」に連れて行ったんだけど、次々と流れてるお寿司を見て大コーフンした彼女は、最初に取ったマグロの赤身を手で食べ始めた。そして、お箸で食べ始めたあたしを見て、「きっこ、お寿司は手で食べるのが正式なマナーなのよ」と教えてくれたので、あたしは噴き出してしまったことがある。もちろん、彼女は、お味噌汁はお椀に口を付けて飲んでいた。

日本を訪れる外国人の多くは、日本の食文化にも興味があるのだ。たとえば、日本の食文化のひとつである「お箸」に関しては、日本だけでなく中国でも韓国でも使われていることもあって、今や英語でも「チョップスティック」などと呼ばれていて、欧米人でも上手に使う人が増えてきた。日本にくる欧米人は、こちらが気を使ってフォークとスプーンを用意してあげても、わざわざお箸を使いたがる人も多い。日本を訪れる外国人の中には、お箸の専門店に行き、お土産に大量のお箸を買っていく人も多いという。

それなのに‥‥と、あたしは思う。お寿司を手で食べ、お味噌汁をお椀に口を付けて飲み、お箸を上手に使うのに、どうしてお蕎麦を啜る音は否定するのだろうか?いくら自分の生まれ育った国の文化とは違うと言っても、これも日本の伝統的な食文化なのだ。ドナルド・トランプは、十数年前に不動産の仕事で初来日した時、日本企業が接待した高級料亭のテーブルに並んだお刺身を見て、「忌々しい生の魚など食えるか!」と怒鳴りつけて席を立ったという。まるで『美味しんぼ』の海原雄山みたいだけど、お蕎麦を啜る音を否定するということは、ドナルド・トランプのために日本のすべての料理屋を「お刺身禁止」にするような話なのだ。

そもそも、日本のお蕎麦は、特に、あたしが生まれ育った東京のお蕎麦は、お箸の先にワサビを付けてから、ひとくち分のお蕎麦を持ち上げて、お蕎麦の先を4分の1くらいをお汁に付けて啜るのが、お蕎麦の味だけでなく香りまで楽しめる正しい食べ方なのだ。そのため、少し付けただけでちょうどよくなるように、お汁は濃いめに作られている。そして、お蕎麦の先を4分の1くらいしかお汁に付けないから、「ズズッ!」と音を立てて一気に啜らないとお汁が着いてこない。音を立てないように静かに口に運んでいたら、お汁は滴り落ちてしまって美味しくいただけない。これらはすべて一連の動作として完成されている食文化であって、この流れの中から「音」だけを否定して排除するということは、お蕎麦そのものを否定することに他ならない。

あたしから見たら、蕎麦猪口のお汁の中にワサビを入れてお箸でグルグルと掻き混ぜている人や、そのお汁にお蕎麦をぜんぶ入れてグチャグチャと混ぜてから、口の近くまで持っていって食べている人たちのほうが、見ていて遥かに不愉快だ。だけど、そういうお蕎麦の食べ方も知らない人たちに関しては、相席にでもならない限り、その人のほうを見なきゃいいだけの話なので、あたしには関係ない。そういう人を見るたびに、あたしは心の中で「みっともない人だな」と思うだけで、別に文句も言わない。それなのに、お蕎麦を最も美味しく味わうための「伝統的な正しい食べ方」をしているあたしたちが批判され、挙句の果てにはハラスメント扱いされるだなんて、これほどおかしなことはない。

外国から訪れる人たちに気を使って、日本の伝統文化のひとつである「お蕎麦を啜る音」を、まるで「恥ずかしいもの」であるかのように卑下して隠そうとするヒマがあるのなら、自民党政権が推進してきた「男尊女卑」や「男女格差」という「日本の恥ずかしい伝統文化」を何とかするほうが先だろう。昨年の年末、世界各国の経済、政治、教育、健康の4部門での男女格差を調査した「世界男女格差ランキング2017」が発表されたけど、日本は先進各国の中でブッチギリの最下位だった。日本は、調査した世界144カ国の中で、欧米は当然として、アフリカ諸国や南米諸国やインドや中国よりも下の「114位」だったのだ。前年の2016年は「103位」だったけど、安倍晋三首相が「女性の輝く社会」を掲げたとたん、さらに11位もランキングが下がったのだ。


‥‥そんなワケで、かつて、東京都知事選で自民党候補が女性票を失って敗れた時、麻生太郎氏は「婦人に参政権など与えたのが間違いだった」と抜かしたけど、こんな女性蔑視主義者が現在も副総理の座に居座り続けているということ自体、日本の「男女格差」がいつまで経っても是正されない抜本的な理由のひとつだと思う。そして、とても先進国とは呼べないような「世界114位」という異常な「男女格差」が、今回のテーマでもあるハラスメントの原因のひとつにもなっているんだと思う。もちろん、性別に関係のないハラスメントも数多くあるし、女性から男性へのハラスメントもあるけど、未だに「男性は女性より偉い」「女性は男性より下」という生きた化石のような自民党の偏向思想に毒されている日本には、「女性社員はお茶汲みをしろ」「女なんだから料理を作れ」「女は子育てをして当たり前」という、他の先進国ではソッコーで裁判沙汰になってしまうような「男女格差」による前時代のハラスメントが健在なのだ。そして、国内がこんな状態なのに、迷惑千万な多言語の案内看板を林立させたり、お蕎麦を啜る音を立てないようにしたりと、こんなふうにソトヅラだけを良くすることが「おもてなし」だと思っているのなら、それこそ日本の恥を全世界に晒すことになるから、東京オリンピックなんかやめちまえ!‥‥って思った今日この頃なのだ。


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