ドローンのカメラが目撃したもの
ちょっと前のニュースなんだけど、今年の4月4日付の英国紙によると、スコットランドのスカイ島を調査していたエジンバラ大学と中国科学院の共同チームが、約1億7000万年前のジュラ紀中期に生息していたとみられる2頭の恐竜の足跡を発見したという。正確に言うと、この足跡が最初に発見されたのは、2年前の2016年だった。この時に、この一連の調査旅行に同行した学生の1人が、最初の発見者だった。足跡が見つかったのはスカイ島の岬にある湖の底なんだけど、この湖は一部が海とつながっていて、干潮時になると海水が引いて湖底の一部が露出するため、この学生は肉眼で発見したそうだ。
そして、今回、共同チームがこの足跡を本格的に調査するため、ドローンを持ち込み、干潮になって海水が引いて露出した湖底を空から撮影したところ、約50個の足跡が2本の線のように続いていることが確認されたのだ。足跡と言っても、すぐに消えてしまうようなものではなく、湖底が石化しているため、化石のようにハッキリと残っている。足跡は大きなものと小さなものがあり、調査によると、大きいほうは自動車のタイヤほどもある足跡で、体長15メートル前後、体重10トン以上の大型の草食恐竜で、小さいほうがティラノサウルスに近い肉食恐竜だと報告されている。
このニュースの英文記事を読んで、あたしは、いろいろなことを想像した。2種類の恐竜の足跡が並んで続いていたことから、最初は、逃げる大型の草食恐竜を肉食恐竜が追いかけたのかな‥‥と思った。だけど、さすがのティラノサウルスも、自分の3倍近くある恐竜に襲い掛かることは考えにくいし、襲い掛かるとしたら足跡は重なっていたはずだ。だから、この2頭の足跡は、時間差で付けられたものだと考えるべきだ。そして、足跡が同じ場所に並んで付いていたということは、当時、この場所は、海の浸食状況や地形の問題などで、このラインの部分しか恐竜が歩くことができなかったのかもしれない‥‥なんて想像を巡らしていたら、すごく楽しくなってきた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、このニュースを読んで、もうひとつ思ったことがある。それは、一部では犯罪や戦争にも使われているために賛否両論があるドローンだけど、こんなふうに使うのなら、とっても素晴らしいことだと思ったのだ。そして、そんなことを考えていたら、このニュースから5日後の4月9日、今度は、南米ペルーの考古学者の研究チームが、ドローンで広範囲に調査を行ない、新たに50点以上もの「地上絵」を発見したのだと報じられた。こちらのニュースは、日本の新聞などでも各紙が取り上げたので、目や耳にした人も多いだろう。だけど、以前からあたしが指摘してきたように、日本人の中には新聞の見出しだけを見たり、記事の最初の数行を読んだだけで「知った気」になってしまう人も多い。
事実、この時も、あたしが電車に乗ったら、すぐ近くにいた高校生の男の子の4~5人のグループの1人が、自分のスマホを見ながら、「おいおい!ナスカの地上絵が新たに50点以上も見つかったんだって!」と言い、他の男の子たちが「へえ~!」なんて言っていた。この『きっこのブログ』の賢明なる読者諸兄なら、こんな勘違いはしないと思うけど、今回、新たに発見された50点以上の地上絵の大半は、「ナスカの地上絵」じゃない。
「ナスカの地上絵」とは、西暦200年~700年まで栄えたナスカ文化の中で描かれた地上絵のことで、今回、発見された中にも、数点はナスカ文化時代のものも含まれていた。でも、発見された地上絵の大半は、ナスカ文化時代よりも古く、紀元前500年~西暦200年のパラカス文化やトパラ文化の中で描かれたものだと報告されている。ちなみに、今回、発見された地上絵は、ほとんどが「戦士」を描いたもので、サルやハチドリなどの動物や幾何学模様などが中心の「ナスカの地上絵」とはテーマが違う。
また、「ナスカの地上絵」は広大な平地に描かれているため、それこそドローンなどで空から撮影しないと全体像を見ることができないけど、それより古いパラカス文化やトパラ文化の地上絵は、主に山肌などに描かれているため、京都は五山の「送り火」のように、地上の人々からも見ることができたのだ‥‥と言うか、地上の人々に見せる目的で描いていたのだ。だけど、あまりにも長い年月が経ち、山肌の地上絵の線が薄くなって目視できなくなったため、今回、ペルーの考古学者であるルイス・ハイメ・カスティリョ・ブテルス教授の研究チームが、ドローンを飛ばして山肌に近づき、人が近づけないような場所も丹念に調査したところ、今回の発見に至ったというワケだ。
‥‥そんなワケで、この地域、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた盆地状の高原に描かれた地上絵は、数10メートルほどの小さなものから、全長が数キロにも及ぶ巨大なものまで、総数は数万とも十数万とも推測されている。だけど、まだ現代人が発見したものは、わずか700ほどなのだ。そして、そう考えると、ドローンという最新機器による調査によって、今回、50個以上もの地上絵が新たに発見されたということは、この、まだ発見されていない地上絵がたくさんあるという推測の裏付けにもなったワケだ。何しろ、最新鋭のドローンに搭載されたカメラの解析度はもの凄く高くて、上空60メートルの地点から地上に置かれた1センチのものでもハッキリと識別できるという。地上絵の線は幅が1メートルもあるから、これなら楽勝だろう。
ちなみに、ナスカの地上絵の大半は、赤褐色の石や岩を幅1~2メートル、深さ20~30センチほど取り除き、まだ酸化していない明るい色の岩石を露出させ、その両側に赤褐色の岩を並べて線の輪郭を強調して、遠くからでも見えるように工夫されている。そのため、剥き出しになった明るい色の岩石が、長い年月によって酸化して赤褐色になってしまったものは、遠くからだとなかなか発見しにくいと言われている。
一方、ナスカ文化時代より古くなると、地表の石を取り除き、石の下の土を少し掘って白っぽい土を剥き出しにして、取り除いた石をその白い線の両側に並べるという方法で地上絵を描いていたので、あまり長持ちはしなかったようだ。そのため、ナスカ文化時代の地上絵と比べると、さらに1000年も遡ったパラカス文化時代の地上絵は、もっと見つけにくいと言われていた。だから、今回、ナスカ文化時代よりも古い地上絵がたくさん発見されたことは、考古学的にはとても重要なデータになる。ペルー文化省の考古学者で、ナスカの地上絵のチーフ修復官をつとめているホニー・イスラ教授は、今回の発見を受けて、次のように述べている。
「この地域の地上絵の伝統は、世界的に有名なナスカ文化の地上絵より1000年も前から続いてきたのです。今回は、その時代の地上絵が数多く発見されたので、紀元前から続いてきたパラカス文化だけでなく、パラカス文化からナスカ文化への移行期にあたる謎に包まれたトパラ文化についても重要な検証データとなり、地上絵の役割や意味について新たな仮説を立てられるでしょう」
さて、「ナスカの地上絵」と言えば、やっぱり、尾が渦巻きになったサルと巨大なハチドリが有名だけど、他にも巨大なクモやイグアナやコンドルやシャチなども有名だ。ちなみに、これらの有名な地上絵の大きさは、尾が渦巻きになったサルが約55メートル、ハチドリが約96メートル、脚を広げたクモが約46メートル、イグアナが約180メートル、コンドルが約135メートル、シャチが約65メートルで、これまでに発見された中で最大のものは、ペリカンなのかフラミンゴなのかサギなのか種類は特定されていないけど、約285メートルもある鳥の地上絵だ。でも、これは、動物に関する地上絵の話なので、何を表現しているのか分からない幾何学模様の場合は、全長が数キロに及ぶ巨大なものも数多くある。
‥‥そんなワケで、ちょっと脱線するけど、あたしの大好きな作家の1人、加納朋子さんの小説の中に『ぐるぐる猿と歌う鳥』(講談社)という作品がある。お父さんの転勤で北九州へ引っ越した小学5年生の男の子が主人公で、新しい土地で出会った新しいお友だちと不思議な体験をする物語で、どこか懐かしく、どこか切なく、それでいてワクワクもするし、とっても好きな作品だ。もしかしたら、これから読む人もいるかもしれないので、ここで種明かしはできないけど、このタイトルの『ぐるぐる猿と歌う鳥』というのが、「ナスカの地上絵」の尾が渦巻きになったサルと巨大なハチドリのことなのだ。ハチドリは英語で「ハミングバード」と言い、これはホバリングしている時の羽音が「歌っているよう」という意味なんだけど、この作品のタイトルではストレートに「歌う鳥」とされている。
家が密集した北九州の住宅街に、巨大な地上絵を描く場所なんてないはずなのに、小学生たちはどんなふうに「ぐるぐる猿」や「歌う鳥」を描くのか。とっても素敵な作品なので、興味を持った人は、たいていの図書館には置いていると思うので、機会があったら読んでみてほしい。加納朋子さんの作品だと、あたしは『ささら さや』『てるてるあした』『はるひのの、はる』(幻冬舎)という「ささら三部作」が一番好きだけど、『ぐるぐる猿と歌う鳥』は、その次に好きな作品だ。
そんなこんなで、話を元に戻すけど、ペルーの「ナスカの地上絵」が現代人に初めて発見されたのは、今から約80年前の1939年6月22日のこと、アメリカの考古学者、ポール・コソック博士によって発見されたと言われている。そして、その後、ポール・コソック博士の助手だったドイツの女性考古学者、マリア・ライヒェ教授がこの地に住みついて、ポール・コソック博士が1959年に亡くなった後も、彼女は生涯、「ナスカの地上絵」の調査と研究を続けたのだ。時にはペルー空軍の軍用機に乗せてもらって空から地上絵を観察したり、観光客が地上絵を見やすいように塔を建てたり、自分の著書の印税だけでなく私財まで投げ売って、地上絵の研究と保全に尽くしたのだ。晩年のマリア・ライヒェ教授は、パーキンソン病で車椅子の生活を余儀なくされていて、1998年に95歳で亡くなった。彼女はペルーに大きな功績を遺した偉人なので、彼女の住んでいた家は「マリア・ライヒェ博物館」として今も大切にされていて、彼女の仕事部屋は生前のままの状態で残されているという。
‥‥そんなワケで、あたしは、マリア・ライヒェ教授の英文の論文を一晩かけて読破したんだけど、もの凄く興味深い内容で、あたしの好奇心は刺激されまくり、専門用語が出てくるたびに辞書を引くことも苦痛に感じなかった。できることなら全文を和訳して紹介したいくらいだけど、それこそ何万文字になるか分からないので、思いっきりザックリとまとめると、「ナスカの地上絵」は、古代ペルー人たちの「生活」に密着したものだったと結論づけられていた。
マリア・ライヒェ教授は、考古学者であるとともに、数学者であり地学者でもあったので、発見した地上絵をすべて数学的、地学的にも調査・研究した結果、それぞれの地上絵が星座や月の満ち欠けなどに対応していることが推測できたと書かれていた。たとえば、ある地上絵のどの部分にある星座が上った時が「●●の種を蒔く時期」だとか、ある地上絵のどの部分にこんな形の月が上った時が「水の少ない川の水量が増える時期」だとか、そういうシステムになっているという。つまり、日本の農家に必ず貼ってある「農業カレンダー」みたいな役割を担っていたようなのだ。
もう少し具体的に書くと、たとえば、一番有名な尾が渦巻きになったサルだけど、あの地上絵は他の地上絵と違って、輪郭線がジグザグに描かれているそうだ。北米のインディオもエジプト人もジグザグの線で「水」を表わしていたことから、このサルの地上絵は「水」に関する何かを表わしていると考えられる。マヤ文明では、サルは繁殖と農業のシンボルなので、マリア・ライヒェ教授は、この絵は「農業のための水を意味するもの」という仮説を立てた。そして、そのサルの周囲にある三角や四角の幾何学模様の地上絵を調査したところ、それらが星座とつながっていて、どの幾何学模様のどの位置に何の星座が上ると、川の水が増えるとか、川から水がなくなるとか、そういうことが分かるようになっていたことが推測された。
そう言われてみると、このサルだけでなく、ハチドリもクモも他の動物たちも、どれもその周りに幾何学模様の地上絵がいくつも描かれている。つまり、それぞれの動物の地上絵は、それが何を表わすかという意味を持っていて、その周囲にある幾何学模様の地上絵が、物差しや分度器やカレンダーの役割をしている、という解釈なのだ。
もちろん、まだまだ解明されていない部分は山ほどあるし、それ以前に、まだまだ発見されていない地上絵のほうが遥かに多いのだから、このマリア・ライヒェ教授の研究結果は、現時点では、あくまでも仮説の域を出ていない。でも、ここに少しだけ書いた内容の何十倍もの具体例を読んだあたしとしては、どの例もツジツマが合っていると思えたし、特に、種を蒔く時期を知らせてくれる月齢に対応した地上絵の解説など、あまりにも見事な分析で感心してしまった。
ポール・コソック博士が初めて「ナスカの地上絵」を発見した1939年の翌年1940年、コソック博士の助手になったマリア・ライヒェ教授は、それから95歳で亡くなる1998年まで、およそ半世紀を「ナスカの地上絵」の研究と保全のために捧げたのだ。地元の人たちから「ナスカを愛する娘」という最高の称賛を受けただけでなく、1992年にはペルーの名誉国民にも選ばれている。そんなマリア・ライヒェ教授だけど、初めてペルーに来た時には、港に着くまでに4つもの虹の中を船が通過したことから、ただならぬ予感を感じていて、「ここが私の骨を埋める地になるかもしれない」と思ったそうだ。そして、その予感は的中した。
ポール・コソック博士の意志を継いで「ナスカの地上絵」の研究と保全に生涯を捧げたマリア・ライヒェ教授、そして、そのマリア・ライヒェ教授が亡くなって20年後の今、今度は最新機器のドローンが、当時はなかなか見つけることができなかったナスカ文化時代よりも古い時代の地上絵を発見したのだ。もしも、マリア・ライヒェ教授が研究に没頭していた時代にドローンがあったなら‥‥などと野暮なことは言わない。でも、せっかく人類の科学の進歩によって開発された最新機器なのだから、1億年以上も前の恐竜の足跡の探索や2000年以上も前の古代文明の解明など、これからも、こうしたワクワクすることに使ってほしいと思った。
‥‥そんなワケで、安倍晋三首相は、2014年4月1日に日本の武器輸出を禁止した「武器輸出三原則」を閣議決定だけで撤廃し、日本を「死の商人」の国にするために、いろいろな国と共同で人殺しのための兵器の開発を進めてきた。その中で、イスラエルとは共同で「軍用ドローン」の開発を進めてきた。日本の技術が、人殺しのために、戦争のために使われ始めたのだ。そして、今年5月、トランプ米大統領による「在イスラエル大使館のエルサレムへの移転」によって勃発したパレスチナ・ガザ地区との衝突では、イスラエル軍がこの「軍用ドローン」を試験的に使用したと報じられた。あたしたちの国の技術が、海の向こうで、何の罪もない人々を殺すために使われたのだ。せっかくの技術を人殺しのために使うなんて、これほど残酷で悲しいことが他にあるだろうか。あたしは、ドローンを人間に向けて使うのであれば、人殺しのためではなく、災害救助など「人の命を救うため」に使ってほしいと心から思った今日この頃なのだ。
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