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2018.08.29

ちびまる子ちゃんとあたし

さくらももこさんの訃報、あまりにも突然で、あまりにも若かったため、昨日は正面から受け止めることができず、表面上のツイートしかできませんでした。

でも、「たま」の石川浩司さんのツイート

https://twitter.com/ishikawakoji/status/1034113198247440384

を読んだり、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんのツイート

https://twitter.com/kerasand/status/1034038757052243968

https://twitter.com/kerasand/status/1034042405278732289

を読んだり、あたしの一番好きな初期の主題歌『うれしい予感』を歌っていた渡辺満里奈さんのツイート

https://twitter.com/marina_w1970/status/1034227954652344320

を読んだりしているうちに、「本当に亡くなったんだ‥‥」と実感が湧いて来たのです。

そして、昨夜のラジオ『爆笑問題カーボーイ』の冒頭で、爆笑問題の太田光さんが、石川さんやケラさんとの思い出も含めて、さくらももこさんとの思い出を語っているのを聴いているうちに、急に涙があふれて来て止まらなくなってしまいました。

泣きながら、「そう言えば、あたし、まるちゃんの映画のレーザーディスクを持っていた!」と思い出しました。そしたら、何だか居ても立ってもいられない衝動に駆られてしまい、深夜だと言うのに、もう何年も開けていなかったレーザーディスクの入っているダンボール箱を押入れから探し出し、開けてみたのです。すると、当たり前と言えば当たり前なのですが、15年以上も見ていなかった懐かしいジャケットが現われました。

https://twitter.com/kikko_no_blog/status/1034544832415330305


今、あたしの手元には、このレーザーディスクの他には、飛び飛びに持っている『ちびまる子ちゃん』の単行本が数冊と、『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』のエッセイ3冊と、渡辺満里奈さんの『うれしい予感』のシングルCDしか残っていませんが、あたしが中学生の時に『りぼん』で連載が始まり、すぐにまるちゃんを大好きになり、その後、高校を卒業して専門学校へ進む時期にテレビアニメが始まったので、あたしは、一番多感だった時代をまるちゃんと過ごして来たのです。

いつもはゲラゲラと大笑いできるふざけた話ばかりなのに、何話かに1話、たとえば「母の日」など、とっても感動する回があり、そんな時はテレビの前でティッシュの箱を抱えて号泣したことが何度もありました。

母さんと父さんが離婚し、大好きだったおばあちゃんが亡くなり、母さんと2人きりの母子家庭になってしまった当時のあたしにとって、『サザエさん』はあまりにも教科書通りの家族なので非現実的すぎてリアリティーを感じませんでした。でも、同じような家族構成でも『ちびまる子ちゃん』の一家は、ものすごく親近感を覚えたのです。

そして、これは初めて言うことですが、あたしの父さんも「ひろし」という名前なのです。そんなこともあり、当時のあたしは、まるちゃん一家に自分の「理想の家族」を投影していたのです。ヒロシがお風呂の湯舟に浸かって演歌を歌っている場面では「もっと父さんと一緒にお風呂に入りたかったな~」と思い、いつもは厳しいお姉ちゃんの咲子がまる子にやさしくする場面では「あたしもお姉ちゃんが欲しかったな~」と思い、そして、おばあちゃんのこたけさんがまる子にやさしくする場面では、亡くなったおばあちゃんのことを思い出して、知らず知らずのうちに涙があふれていました。

あたしは、さくらももこさんと直接の関係があったミュージシャンや芸能人、作家や著名人ではなく、単なる一ファンなので、著名人の皆さんのような思い出話は何もありません。でも、あたしが人生で一番多感だった時代を支えてくれた、大好きな『ちびまる子ちゃん』の作者、さくらももこさんが急逝してしまったという悲しすぎる訃報に対して、どうしても自分の思いを伝えたくて、今回、このエントリーを書かせていただきました。

さくらももこさん、決して代わるもののない素晴らしい世界を生み出してくださり、あたしたちに山ほどの笑いと感動を与えてくださり、本当にありがとうございました。今は感謝の言葉しか言えませんが、これからもテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』が続いて行く中で、さくらももこさんの生み出した世界が、時空を超越した永遠の世界へ昇華すると確信しています。

最後に、「ご冥福をお祈りいたします」などという形式的な言葉では、あたしの感謝の気持ちをぜんぜん伝えられないので、不謹慎だと言われてしまうかも知れませんが、「西城秀樹さんと一緒に、天国で『走れ正直者』を熱唱してください!」と言って、あたしのお別れの言葉とさせていただきます。

感謝と合掌。

きっこ拝


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2018.08.25

ある日の駅での出来事

一昨日の朝、10時くらいのことだけど、駅でちょっと嬉しいことがあった。あたしがお仕事に行くために、ある駅の改札を入って通路を進んでいたら、階段の下のところに赤ちゃんをだっこしながらベビーカーを折り畳もうとしている若いママさんがいたのだ。ようするに、ベビーカーのままでは階段を上ってホームまで行けないので、一時的に赤ちゃんをだっこして、ベビーカーを折り畳んで、階段を上ろうとしていたのだ。

もう朝のラッシュ時間を過ぎていて、この時間の電車は空いているから、ベビーカーのまま電車に乗っても周りに迷惑は掛からない。だから、このママさんは、ここでベビーカーを折り畳んでいるけど、階段を上がってホームに着いたら、またベビーカーを広げて赤ちゃんを乗せようとしているんだと思った。ただ、そのママさんは、小柄なのに大きくて重たそうなバッグを肩に掛けていて、その状態でだっこ紐を取り出して赤ちゃんをだっこしてベビーカーを折り畳もうとしていたので、ずいぶん難儀しているように見えた。

いくらラッシュの時間帯を過ぎたとは言え、周りに歩いている人は何人もいるのに、誰もそのママさんには声を掛けず、手にしたスマホに目を落したまま次々と通り過ぎて行く。そこで、あたしがお手伝いしようと思って、少し早足で近づいて行った。あたし自身も、仕事道具の入った大きなバッグを肩に掛けている上、キャリーバッグも引いていたので、自分の荷物だけで精一杯の感もあったけど、取りあえず「お手伝いしましょうか?」と声を掛けた。

すると、あたしが声を掛けたのとほぼ同時に、その階段を降りて来た若いお兄さんが、「ホームへ上がるんですよね?お手伝いしましょう!」と言って、まだ折り畳んでいなかったベビーカーをひょいと持ち上げて、階段をスタスタと上り始めたのだ。オレンジ色のモヒカンで、エレキベースのソフトケースを肩に掛けた背の高いお兄さんは、たぶん20歳前後だろう。見た目はパンクみたいだったけど、黒地の「AC/DC」のTシャツを着ていたから、ハードロックをやっているのかもしれない。

若いママさんは、「すみません!すみません!」と繰り返しながら、赤ちゃんをだっこしてお兄さんのあとを着いて階段を上がって行った。そして、あたしも同じホームから電車に乗るため、そのあとを着いて行った。そのお兄さんは、ホームのベンチのとこまでベビーカーを運んでくれた。ベンチのところなら、そのママさんが大きなバッグをベンチに置いて、赤ちゃんをベビーカーに乗せられると思ったんだろう。

「ご親切に、本当にありがとうございました!助かりました!」とお礼を言うママさんに向かって、若いお兄さんは笑顔で「それじゃ、気を付けて!」と言うと、今、上って来た階段のほうへ向かって大マタでスタスタと歩いて行った。同じ階段を上って同じホームへ出る人たちが、誰も声を掛けずに素通りしていたのに、駅に着いてあとは改札を出るだけだったお兄さんが、今、降りて来た階段をわざわざ逆方向に上ってベビーカーを運んでくれたのだ。あたしは、日本も捨てたもんじゃないと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この若いママさんとは目的の駅が同じだったので、一緒に電車に乗った。1両に10人くらいしか乗っていないガラガラ状態だったので、すぐに座ることができたし、ママさんとあたしの間を2人ぶんほど開けて座り、その部分にベビーカーを横向きに置くという方法で、なるべく他の乗客の邪魔にならないようにすることができた。そして、最初は赤ちゃんの名前や年などを聞いていたんだけど、そんな中で、あたしが「駅の階段のたびにベビーカーを折り畳むのは大変でしょうね」と言うと、驚くべき答えが返って来た。

そのママさんが言うには、さっきの駅には近年のバリアフリー化にともなって、ママさんが妊娠中だった約1年前までに、車椅子の人やベビーカーの人のためのエレベーターが設置される予定だったそうだ。それで、さっきの駅を最寄り駅とするママさんは安心して出産したそうだけど、そのエレベーター設置の計画が、急遽、延期されたという。どんなことなのかと言うと、この路線の別の駅、さっきの駅よりも1日の乗降客数の少ない駅が、2020年東京五輪のどこかの国の何かの競技チームのキャンプ地に決まったとか内定したとかで、そちらの駅に優先的にエレベーターを設置することになったからだそうだ。

何だかな~って、あたしは思った。確かに、五輪はオリンピックだけでなくパラリンピックもあるし、こうした公共交通施設のバリアフリー化は、1日の乗降客数に関係なく、すべての駅に必要だろう。だけど、その駅の周辺で暮している人たちが、ずっと待ちに待っていた計画を延期してまで、東京五輪のために1日の乗降客数の少ない駅を優先するなんて、何か本末転倒な感じがした。

ちなみに、このママさんと一緒に暮しているお姑さんは、車椅子の生活をしているため、さっきの駅を使う時には、事前に駅に電話をして、複数の駅員さんの手が空く時間帯を指定してもらい、その時間に駅に着くように向かう。そして、階段の下からホームまで、3人の駅員さんに車椅子ごと運んでもらうのだと言う。結局、手間が掛かる上に駅員さんたちにも気を使ってしまうため、お姑さんは電車を使わなくなり、自宅に籠もるようになってしまったそうだ。だから、今回、東京五輪のために延期になってしまった駅のエレベーターの計画は、若いママさんだけでなく、車椅子のお姑さんにとっても「明日への希望」だったのだ。


‥‥そんなワケで、話はクルリンパと電車の中に戻るけど、いろいろとバタバタしていたからなのか、しばらくいい子にしていた赤ちゃんが、お約束通りにグズり始めてしまった。最初は「あう~、あう~」という、例の「これから泣いちゃうぞ」という「予告あう~」が始まったので、ママが慌てて抱き上げて、あやし始めたとたん、運悪く電車がブレーキを掛けたため、赤ちゃんとママのおでこが軽くゴッツンコしてしまった。一拍おいてから、車両中に響き渡る赤ちゃんのフルボリュームの泣き声。

こうなると、普通にあやしてもなかなか泣きやませることは難しい。ナニゲに車両の中を見渡すと、ほとんどの乗客は見て見ぬふりでスルーしてくれていたけど、片耳にだけイヤホンをしてハス向かいに座っていたおじさんだけが、聞こえよがしに舌打ちして隣りの車両へ行ってしまった。ま、これは仕方ない。

一方、ママは、何とか泣きやませようと、赤ちゃんの背中をさすったりオモチャを見せたりしてるけど、まったく効果なし。そこで、あたしは、「ついにあたしの出番だな!」と思い、ママに「赤ちゃんをこっちに向けて」と言った。実はあたし、泣いた赤ちゃんを泣きやませる天才なのだ。

あたしは、「いないいないばぁ~」と同じように自分の顔を両手で隠してから、泣きじゃくっている赤ちゃんに顔を近づけて、「ネズミさんが~」と言いながら両手を大ゲサに広げて「チュ~!」とやった。赤ちゃん一瞬だけ泣きやみ、あたしに興味を示したけど、またすぐに泣き始めたので、今度は「ネコさんが~」と言いながら両手を大ゲサに広げて「ニャ~!」とやった。赤ちゃんは、また一瞬だけキョトンとした顔であたしを見たけど、またすぐに泣き始めてしまった。

でも、これでいいのだ‥‥って、急にバカボンのパパみたいになっちゃったけど、ここまでは前フリで、トドメは3発目の「ワンちゃんが~」なのだ。ネズミさんの「チュ~!」も、ネコさんの「ニャ~!」も、声のトーンはほとんど変わらない。だけど、3発目の「ワンちゃんが~」は、誰もが「ワン!」と言うと思った状況で、すごく低い声で、顔を左右に振りながら「バウワウ!バウワウ!バウワウ!」とやるのだ。これで、たいていの赤ちゃんは笑顔になる。

だけど、今回、あたしの必殺技「バウワウ」で笑ったのは、赤ちゃんじゃなくて、赤ちゃんを抱いているママのほうだった。あたしがホッペをブルブルと振りながら「バウワウ!バウワウ!バウワウ!」とやったら、赤ちゃんもキョトンとして一瞬は泣きやんだけど、ネズミやネコの時と同じように、またすぐに泣き始めてしまった。でも、その赤ちゃんを両手で持ち上げていたママのほうは、咳込むほど大爆笑したのだ。

「あんたが笑ってもしょうがないだろ?」と思いつつ、あたしは、久しぶりの強敵を目(ま)の当たりにして、ガゼンとやる気が湧いて来た。あたしの必殺技「バウワウ」を繰り出しても笑わない赤ちゃんなら、ここはしばらく封印していた最後の大技を殺列させるしかない!

あたしは、これまでのネズミやネコと同じように、両手で顔を隠して「おサルさんが~」と言い、両手をグーにして顔の上と下に回すという「おサルさんポーズ」をしながら甲高い声で「ウッキッキ~!」とやった。そして、間髪入れずに、「ゾウさんが~」からの「パオ~ン!」を連発した。もちろん、右手はゾウの鼻のように左右に振りながらだ。

赤ちゃんは、おサルさんにもゾウさんにも反応してくれたけど、やっぱり泣きやんだのは一瞬だけで、またすぐに泣き出してしまった。でも、これも高度な前フリなのだ。「いないいないばぁ~」で分かるように、赤ちゃんは、急激な視覚の変化や音声の変化が面白くて仕方ないので、あたしの「動物シリーズ」も、両手で顔を隠している「ネズミさんが~」や「ネコさんが~」の時と、両手を広げて顔を出した時の表情や鳴き声には、できる限りの変化を与えている。

そして、ここまでの「動物シリーズ」でも泣きやまなかった赤ちゃんには、あたしの取って置きのリーサル・ウエポンが炸裂することになる。それは「おウマさん」だ!両手で顔を隠して「おウマさんが~」からの「ヒヒ~ン!ヒヒ~ン!」は誰でも容易に想像できると思うけど、あたしの場合、そのあとに顔を左右に高速で振りながらの「ブルルルル~!」がプラスされるのだ。これも「ワンちゃん」の「バウワウ!」に準ずる技なんだけど、その「バウワウ!」をも凌駕するイキオイの「ブルルルル~!」は、どんなに大泣きしていた赤ちゃんでも必ず大笑いしてくれるのだ!


‥‥そんなワケで、あたしの「おウマさんが~」からの「ヒヒ~ン!ヒヒ~ン!」を経由した渾身の「ブルルルル~!」で、やっと赤ちゃんは笑顔になってくれたけど、それだけでなく、ママさんまでが座席を転がるほど大爆笑してしまった。その上、まったく関係ないおばさんが笑いながら近づいて来て、「お姉さん、赤ちゃんをあやすの上手だね!感心しちゃったよ!」と褒められてしまったし、ハッと気づいて周囲を見回したら、その車両中の人たちが、みんな笑顔であたしを見ていたのだ!あたしは、赤ちゃんを泣きやませることだけに夢中になってたけど、いつの間にか、車両中の注目を集めていたのだ!

あまりにも恥ずかしくて、それこそ「穴があったら入りたい!」って感じになっちゃったけど、実はあたし、この数日前にも、たまたま乗り合わせたバスの中で、大泣きしている赤ちゃんに出くわしたのだ。若いママがいくらあやしても泣きやまない上に、近くにいたおじさんが「うるせえぞ!黙らせろ!」なんて怒鳴り散らすもんだから、離れた座席に座っていたあたしは見ていられなくなり、その若いママのところまで行って、この「動物シリーズ」で泣きやませていたのだ。

この時は、幸いにも第一段階の「バウワウ!」のところで泣きやんでくれたから、そんなに時間も掛からなかったし、ちょうど赤ちゃんが泣きやんだところであたしの降りる停留所に着いたので、ワリと短時間の出来事だった。だけど、今回の場合は、イントロから振り返ると電車に乗る前の駅の階段のとこからスタートしてる話だし、電車に乗っている30分以上、ずっとママさんと赤ちゃんと一緒だったし、知らないうちに登場人物も増えちゃったし、到着した駅でもベビーカーを折り畳んで階段を降りるのをお手伝いしたりしたから、ものすごく濃厚な出来事だった。


‥‥そんなワケで、こうした公共交通機関での赤ちゃんの泣き声に関して、よく問題になるのは、飛行機や新幹線などだ。普通の電車なら、今回のおじさんのように別の車両へ行くという選択肢もあるけど、座席の決まっている飛行機や新幹線の場合は、どんなに泣き声がうるさくてイライラしても、自分の座席を移動することができない。そのため、「飛行機に赤ちゃんを乗せる場合は睡眠薬を飲ませろ」なんていうトンデモ論まで出てくるんだろうけど、それ以前に、あたしは、赤ちゃんの泣き声くらいでイライラする人の感覚がイマイチ理解できないのだ。

確かに、クタクタに疲れていて、新幹線の中で眠ろうと思っていた時に、すぐ近くの座席の赤ちゃんが大泣きを始め、それなのに、そのママが赤ちゃんをあやしもしないでスマホでゲームでもやっていたら、サスガのあたしも後ろから電話帳でひっぱたきたくなる。だけど、少なくともママが必死にあやしていたら、遅かれ早かれ泣きやむだろうから、特にイライラすることはない。そして、思ったよりもママがてこずっていて、なかなか泣きやまなかったら、ここで真打の登場だ。あたしが満を持して「動物シリーズ」をお見舞いして、赤ちゃんもママも笑顔にしてやるだけだ(笑)

あたしは昔からこういう考え方だから、ここ最近、この公共交通機関での赤ちゃんの泣き声の問題で、「あなたはガマンできますか?ガマンできませんか?」とか「あなたはイライラしますか?イライラしませんか?」という二択の質問をされるたびに、「何で二択なの?」って不思議に思って来た。だって、ガマンしてもしなくても、イライラしてもしなくても、状況は変わらないんでしょ?それなら、あたしの場合は、「赤ちゃんをあやして泣きやませる」という選択肢を取るからだ。

ちなみに、いろいろな社会問題などを独自調査する「しらべぇ」というニュースサイトで、2年半ほど前のこと、「電車内での赤ちゃんの泣き声」についてのアンケート調査をしたところ、全体の25.4%、4人に1人が「イライラする」と回答していた。この時の調査は、全国の20代~60代の男女1353名を対象に行なったものなので、それなりの信憑性がある。

で、この調査で興味深かったのが、年収による意識の違いだった。この調査結果を年収別にマトメてみると、「電車内での赤ちゃんの泣き声」に「イライラする」と回答した人は、年収300万円までの人では24.9%、年収300~500万円までの人では26.2%、年収500~700万円までの人では24.8%と、ほぼ変化はなかったのに、年収700~1000万円までの人になると30.3%と増え始め、年収1000万円以上の人になると46.3%と一気に増加しているのだ。

もちろん、年収だけで人間性や性格までを決めつけることはできないけど、ネット上で公共交通機関での赤ちゃんの泣き声やそのママの対応に厳しい意見を言っている人たちって、たいていはあたしたち庶民の何倍も年収がある著名人とかで、逆に、擁護するような発言をしているのは、あたしたちと同じ環境の人たちなんだよね。だから、結局は「お金持ちはワガママ」とか「お金持ちは自分のことが最優先」ってことなのかな?‥‥って思ってしまった。


‥‥そんなワケで、映画館や寄席やコンサート会場にまで赤ちゃんを連れて来て大泣きさせているママがいたら、サスガのあたしも「迷惑なので外へ出てください」と言いたくなるけど、公共交通機関の場合は話が違う。そもそも、この「公共」という言葉の中には、赤ちゃんだって、赤ちゃんを連れたママだって、お年寄りだって、障がい者だって、性的マイノリティーの人たちだって、すべての人が含まれているのだから、基本は「排除」ではなく「共生」のハズだ。今の安倍政権になってから、日本中に「自分の気に入らない相手は排除しよう」という風潮が広まってしまったけど、あたしは、そうした風潮こそが、駅の階段の下で赤ちゃんをだっこして困っているママさんがいても、見向きもしないで素通りしてしまう人たちを生み出している温床なんじゃないかと感じている。そして、あたしは、ひと昔前なら当たり前のことをしただけのオレンジ色のモヒカンのお兄さんの行動に、思わず感動してしまった今日この頃なのだ。


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2018.08.22

狂歌という風刺の精神

あたしの好きな俳句と同じ五七五の定型で好きなことを詠う「川柳(せんりゅう)」って、もともとは俳句と同じく芸術的な詩歌で、俳句との最大の違いは、俳句は花鳥風月など季節の移ろいを客観的に詠むもので、川柳は自分の内面や人間関係などを主観的に詠むものだった。もちろん、今でもそうした「本来の川柳」を実践している人たちもたくさんいるけど、現代では、新聞の一面やTBSラジオ「デイキャッチ」などでお馴染みの、政治や社会問題などを風刺した「時事川柳」や、サラリーマンの悲哀を詠った「サラリーマン川柳」などが有名になったため、川柳と言えば風刺や面白おかしい作品が思い浮かぶようになってしまった。こうした「時事川柳」や「サラリーマン川柳」などは、あくまでも川柳の中の1つのジャンルに過ぎないのに、今では、こうした川柳が代名詞のようになってしまった。

ま、それはそれ、たとえどんな形でも、江戸時代から続く庶民の文化が引き継がれていくことは嬉しいし、最初は「時事川柳」や「サラリーマン川柳」などに興味を持っただけの人でも、100人に1人、1000人に1人くらいは、もしかしたら「本来の川柳」の道に進むかもしれない。それに、今みたいに独裁政権が暴走しちゃってて1年後のことも分からない不安定な時代には、庶民の目で政治や社会問題などを風刺した「時事川柳」こそが必要とされているのかもしれない。だから、それぞれの時代のニーズによってテーマや方向性をフレキシブルに変化させつつも、五七五や五七五七七という日本ならではの定型詩の世界が、このままずっと続いていってほしいと思っている。

冒頭に書いたように、本来の俳句と川柳は、俳句が客観的に詠むもの、川柳が主観的に詠むもの‥‥という違いしかなく、どちらもテーマなどは自由な詩歌だ。だけど、新聞の一面やラジオ番組などでもレギュラー化するほど「時事川柳」が流行してしまうと、一般的には、俳句は真面目に自然などを詠むもの、川柳は面白おかしく社会風刺をするもの‥‥という見方をされてしまう。もちろん、それはそれで構わないし、あたしは別に「時事川柳」を「本来の川柳」より下に見ているワケじゃないので、それでも何も問題はない。ただ、「時事川柳」や「サラリーマン川柳」はたくさんある川柳のジャンルの中の1つであって、決して「川柳の代表」ではないということだけ言っておきたかった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、「本来の川柳でどんなものなの?」と思った人のために、せっかくなので、あたしの大好きな川柳作家、故・時実新子さんの作品を何句が紹介しようと思う。


水落下はげしい耳鳴りの中へ 時実新子
金魚は死んで私の未来から離れる 〃
盗み読みされた手紙の血しぶきよ 〃
鯖ふたつ並んで恋の末に似る 〃
目の前を猫が歩いて正午なり 〃


この5句を読んだだけでも、「時事川柳」や「サラリーマン川柳」とはまったく違う世界観だということが分かると思うけど、これが「本来の川柳」なのだ。でも、こうした「本来の川柳」を実践している専門の川柳作家は極めて少なくて、多くは俳句や短歌など他の定型詩との二足の草鞋(わらじ)だったりする。一方、「時事川柳」は、熱心に詠んで頻繁に新聞やラジオなどに投稿している人も多いし、ふだんは川柳を詠まなくても、毎年「サラリーマン川柳」の応募時期になると投稿するような人もいる。つまり、「本来の川柳」を実践している人よりも、「時事川柳」や「サラリーマン川柳」を楽しんでいる人のほうが絶対的に多いのだ。

その理由は、とても単純明快だ。「時事川柳」や「サラリーマン川柳」は、誰もが作品の意味を簡単に理解できるし、新聞に5句掲載されていれば、どの句が面白いか、誰でも自分の感性で良し悪しを決められるからだ。たとえ、自分は川柳を詠んでいなくても、「時事川柳」にしろ「サラリーマン川柳」にしろ、そこに何句が並んでいれば、それを読んで楽しむことができるだけでなく、どの作品が特に面白いか、自分で選ぶことができる。だから、幅広い層に人気があるのだろう。

でも、さっき紹介した「本来の川柳」である時実新子さんの作品は、ある程度の知識や鑑賞眼がないと、それぞれの句の意味も分からないだろうし、ましてや良し悪しなど決められないだろう。もちろん、抽象画を観るように鑑賞して、「よく意味は分からないけど何となく雰囲気が好き」という評価でもまったく構わないんだけど、「時事川柳」や「サラリーマン川柳」のように「オチの面白さ」という明確な判断基準があるワケじゃないので、初めて読んだ人は面食らっちゃうかもしれない。結局のところ、同じ川柳というジャンルであっても、芸術性を追及した「本来の川柳」と、万人ウケする「時事川柳」や「サラリーマン川柳」とは、対極に位置する詩歌なのかもしれない。


‥‥そんなワケで、俳句と同じ五七五という定型で社会風刺をするのが「時事川柳」であるのなら、和歌と同じ五七五七七という定型で風刺をする「狂歌(きょうか)」という詩歌もある。風刺だけじゃなく、色恋のこととか下ネタとかいろんな狂歌があるけど、江戸時代、主に庶民が政治や社会を風刺する目的で詠み始めたもので、有名な作品を紹介すると、こんなのがある。


「太平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」


「上喜撰(じょうきせん)」とは、宇治の緑茶「喜撰」の上物を指す高級銘柄のことで、たった四杯飲んだだけで夜も眠れなくなる‥‥と詠っている。でも、これは表向きの意味で、実際には「蒸気船」にカケてあって、浦賀にペリーの黒船がたった四隻やってきただけで、日本中が大騒ぎになって夜も眠れなくなってしまった‥‥という意味なのだ。ちなみに、この歌は、実際に浦賀にペリーの黒船がやってきた時に詠まれたものではなく、明治時代に入ってから、当時のことをネタにして詠まれたものだとも言われているけど、とても良くできているので、狂歌を説明する時の定番になっている‥‥というワケで、あとは実際に江戸時代に詠まれた狂歌を紹介しよう。


「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」


江戸時代に浅間山の噴火や天明の大飢饉などで大打撃を受けた白河藩(現在の福島県白河市)では、藩主の田沼意次(たぬま おきつぐ)に賄賂を贈った大店(おおだな)だけが市場を独占できる癒着政治が横行していた。これを正して白川藩を立て直すために松平定信が新しい藩主に任命されたが、松平定信が進めた「寛政の改革」は、役人だけでなく庶民にまで厳しい倹約を強要し、極端な思想統制令によって経済が停滞したため、庶民からは不満の声が巻き起こってしまった。

そんな中で詠まれたのが、この狂歌だ。松平定信の「寛政の改革」によって、確かに賄賂など政治家の悪事は無くなって「清い川」が蘇ったが、われわれ庶民は住みにくくなってしまった。多少は水が濁っていても、以前の田沼のほうが、まだ住みやすかった‥‥と詠っている。この「田沼」は、もちろん前の藩主の「田沼意次」にカケているものだ。


‥‥そんなワケで、こうした狂歌の中で、ちょっと風変わりな作品がある。


「金は内藤志摩守 袖からぼろが下がり藤」


「内藤志摩守(ないとう しまのかみ)」は内藤正誠(ないとう まさのぶ)のことで、信濃は岩村田藩(現在の長野県佐久市)の第7代で最後の藩主なんだけど、藩の財政は破綻寸前で、領民からの借金による自転車操業で何とかやりくりしていた。そんな情けない藩主のことを詠んだ狂歌で、「金は内藤」は「金はない」にカケてある。そして、立派な着物を着ているように見えても、袖からはボロが垂れ下がっていると揶揄するために、内藤家の家紋である「下がり藤」を詠み込んでいる。

この狂歌、出来ばえとしては、そんなに悪くはない。だけど、決定的なマイナスポイントとして、リズムがおかしいよね。先に紹介した二首は、どちらも五七五七七の和歌のリズムで詠まれているけど、この歌は、ぜんぜん五七五七七になっていない。頭から和歌のリズムで読んでみると、「かねはない/とうしまのかみ/そでからは/ぼろがさがりふ/じ」となっていて、最後の七がぜんぜん足りない。いくら多少の字余りや字足らずが許される和歌でも、これは足りな過ぎだ。

実はこれ、一応は狂歌としていろいろな媒体で紹介されているけど、もともとは狂歌として詠まれたものじゃないんだよね。当時は「参勤交代」の時代で、お金のない地方の大名たちは、いろいろと節約して江戸を目指していた。そんな中で、参勤交代のたびに荷物運びとして臨時で雇われる東海道の雲助たちは、特にケチな大名たちのことを次のような歌にして揶揄していた。


「お国は大和の郡山 お高は十と五万石 茶代がたったの二百文
人の悪いは鍋島、薩摩 暮れ六つの七つ立ち
銭は内藤豊後守 袖からぼろが下がり藤
松本丹波の栗丹波 栗といわれても銭出さぬ」


最初は「郡山(の柳沢藩)は高が十五万石もある大名なのに、雇い賃の他のチップは二百文しかくれない」という意味。2番目は「人使いが荒いのは鍋島(佐賀藩)や薩摩(島津藩)で、旅費をケチって日程を短縮するために、暮れ六つ(午後6時過ぎ)まで宿に入れてもらえないし、朝は七つ(午前4時)に出発させられる」という意味。そして、ひとつ飛ばして最後の4番目は「松本藩の松平丹波守は『くれ(栗)』と言っても決して金をくれない」という意味。

で、問題の3番目だ。これは「内藤豊後守(ないとう ぶんごのかみ)」なので内藤正縄(ないとう まさつな)のことで、信濃は岩村田藩の第6代藩主だ。そして、ホントなら、この正縄の長男の正義が家督を継いで第7代藩主になるはずだったんだけど、正義が亡くなってしまったため、正義の長男である正誠、つまり、正縄にとっての孫が第7代藩主になり、内藤志摩守になったというワケだ。

この流れを見れば分かるように、先に第6代藩主である内藤豊後守を揶揄する歌が作られていて、それを元にして、第7代藩主である内藤志摩守を揶揄する歌も作られたのだ。そのため、狂歌と言われながらも五七五七七というリズムにはなっていないし、最初に作られた歌のほうが優れた内容になっている。最初の歌の「銭は内藤豊後守」というのは、「豊後(ぶんご)」を「貧乏」にカケて、「銭がないと(う)貧乏(豊後)」と詠っている。一方、これを元にして名前を「内藤志摩守」に変えただけの狂歌のほうは、「内藤」の「内」が「金がない」にカケてあるだけで、家紋の「下がり藤」をカケた部分は元歌のネタを流用しただけなのだ。

雲助たちの間で流行していた風刺歌の一節を、ちょっと変更しただけなのだから、この作品は、このままだと狂歌と言うよりも「替え歌」と言うべきだろう。狂歌と呼ぶのなら、せめて五七五七七のリズムに整えてほしい。ま、その辺はともかくとして、第6代藩主の内藤豊後守と第7代藩主の内藤志摩守が、二代にわたって雲助たちや領民たちから「ケチ」と詠われてしまうなんて、ホントに気の毒なことだと思う。だけど、この話には、まだ続きがある。


‥‥そんなワケで、領民からの借金が返済できずに困っていた第7代藩主の内藤志摩守、内藤正誠は、せめてもの借金のカタにと、お城の池やお濠(ほり)で飼っていた鯉を領民たちに配ったのだ。すると、領民たちは「殿さまから頂いた鯉など、もったいなくて食べられない」と、すべて用水路に放してしまった。そして、その鯉が自然繁殖して、後に佐久市は「日本一の鯉の養殖の町」になったと言われている。幕末、信濃は岩村田藩の最後の藩主であった内藤正誠は、狂歌に詠われたように実際にボロを着ていたかもしれないけど、それでも「心は錦」というわけで、貧しかった町を「錦鯉の泳ぐ町」へと発展させる礎(いしずえ)を築いたのだ。もちろん、これは結果論だけど、新聞やラジオで発表される「時事川柳」による連日の風刺などどこ吹く風で、国民から巻き上げた税金を自分の好き勝手にバラ撒き続けている今の日本の総理大臣に、この内藤正誠の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいと思った今日この頃なのだ。


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2018.08.16

アメリカの属国として戦後レジームの完成を目指す安倍政権

現在の天皇陛下は来年2019年4月30日に退位されて、皇太子さまが新たな天皇になるため、今の「平成」という元号は来年の4月末で終わる。そのため、今年8月15日の「終戦の日」は「平成最後の終戦の日」ということになり、日本武道館で行なわれた「全国戦没者追悼式」での天皇陛下のお言葉の中の「深い反省」という文言にも、例年以上の重さを感じた。

だけど、この8月15日という日を「終戦の日」としているのは、73年前の1945年(昭和20年)の8月15日に昭和天皇が全国民に敗戦を告げる「玉音放送」を行なった日だからで、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシアなどの戦勝国では、一般的に9月2日を「戦勝記念日」と定めている。

簡単に説明すると、連合国軍が日本に対して降伏を促した「ポツダム宣言」を、日本政府が「受諾する」と連合国軍側に通達したのが1945年8月14日で、これを受けて昭和天皇が「玉音放送」で日本国民に日本の降伏を伝えたのが翌15日で、実際に日本政府が「ポツダム宣言」の文書に調印して降伏が成立したのが9月2日なのだ。だから、連合国軍側としては、正式に日本が調印した9月2日を「戦争が終わった日」と定めている今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この「ポツダム宣言」だけど、これは、ドイツのポツダムにおいてアメリカと中国とイギリスが日本に対して発した共同宣言で、ぜんぶで13の項目に分かれている。でも、13の項目をすべて説明するのはメンドクサイヤ人なので、全体の内容をザックリとまとめると、次のようになる。


「我々、アメリカ、中国、イギリスの連合国軍は、日本政府に対して無条件降伏を要求する。もしも拒否すれば、我々連合国軍は徹底攻撃で日本を殲滅する。我々の陸海空軍は絶大な力を持っており、日本が抵抗するのであれば日本を簡単に焦土と化すことができる。今、日本は決断の時を迎えている。このまま自己中心的な軍国主義者たちの言いなりになって破滅の道へ進むのか、それとも理性的な道を選ぶのか。無責任な軍国主義者たちが日本国民を騙して世界征服を企てたことは許されないし、そのような軍国主義者たちは日本から排除しなければならない。そうしなければ日本に平和や安全といった秩序を確立することが不可能だからだ。そのため、日本が無条件降伏するのであれば、日本から戦争遂行能力が完全に消滅したと確認できるまで、我々連合国軍が日本領土内の拠点を占領する。そして、日本国民の自由意思で平和的かつ責任ある政府が樹立されれば、我々連合国軍は直ちに日本より撤退する。」


こんな感じで、あとは「日本の軍隊が完全に武装解除した時点で平和で生産的な生活を営む機会を与える」とか「我々は日本人を人種差別したり奴隷にするつもりはない。しかし、我々の捕虜を虐待した軍部の戦争犯罪者に対しては厳しい処罰を行なう」とか「日本政府は民主主義を推進し、日本国民に対して言論、宗教、思想の自由を認め、基本的人権の尊重を保障しなければならない」とか、日本がこの「ポツダム宣言」を受諾した場合のことが具体的に書かれている。

ま、全文でも日本語訳で1000文字程度、原稿用紙2枚ちょいの文字数しかないので、10分もあれば読むことができるし、口語訳なら小学校の高学年くらいでも理解することができる。そんな「ポツダム宣言」なので、興味のある人は外務省のHPなどで和訳された全文を読んでみてほしいけど、この「ポツダム宣言」について、現在の日本の総理大臣である安倍晋三は、かつて、呆れ返るほどトンチンカンなことをノタマッていたのだ。

2009年6月に休刊するまで、1969年から40年も続いていた文藝春秋社の月刊オピニオン雑誌『諸君!』の2005年7月号に、安倍晋三を始めとした複数の自称「保守派」の論客の対談が掲載されている。その中で、当時の小泉純一郎首相の靖国参拝について、国会で野党から「首相の靖国参拝は日本が軍国主義化に向かっているという象徴であり、ポツダム宣言にも反している」と批判された問題が取り上げられている。そして、この「ポツダム宣言にも反している」という点について、安倍晋三は、次のように反論しているのだ。


「ポツダム宣言というのは、アメリカが原子爆弾を2発も落として日本に大変な惨状を与えたあと『どうだ』とばかりに叩き付けてきたものです。そんなものを持ち出して、あたかも自分自身が戦勝国であるかのような態度で日本の総理を責め上げるのはいかがなものか?」


はぁ?何言ってんの、この人?‥‥ってなワケで、あたしは久しぶりに開いた口からエクトプラズムが流れ出て幽体離脱しちゃいそうなほど呆れ返ってしまった。だって、小学生でも知っているように、広島に原爆が投下されたのが1945年8月6日で、長崎に原爆が投下されたのが3日後の8月9日だ。そして、連合国軍が日本に対して降伏を促す「ポツダム宣言」を提示したのは、それより10日以上も前の7月26日だからだ。

時系列で説明すると、まず、連合国軍が7月26日に日本に対して「ポツダム宣言」を提示したんだけど、日本は全国各地を空襲された上に沖縄戦でもボコボコにやられていて敗戦は時間の問題だった。それなのに日本軍は「ポツダム宣言」を受託せず、白旗を上げずに国民を犠牲にしながら悪あがきを続けていたため、8月6日と9日に原爆を投下されてしまった。そして、8月14日になって、ようやく「ポツダム宣言」を受諾して無条件降伏を表明したってワケだ。

だから、安倍晋三が『諸君!』で公言した「ポツダム宣言というのは、アメリカが原子爆弾を2発も落として日本に大変な惨状を与えたあと『どうだ』とばかりに叩き付けてきたものです」という説明は、時系列が真逆なトンチンカンな説明ということになる。さらに言えば、7月26日に「ポツダム宣言」を提示された時点で、日本がすぐに受諾していれば、広島にも長崎にも原爆など投下されなかったのだ。

アメリカによる日本への原爆投下は、どんな説明をしようが絶対に許されるものじゃないし、大量虐殺、ジェノウサイドであり、完全なる戦争犯罪だ。だけど、何の前触れもなく、突然、原爆が投下されたワケじゃなくて、連合国軍は10日以上も前に「無条件降伏しろ。そうしなければ日本を焦土と化す」という内容の「ポツダム宣言」を提示していたのだ。そして、日本政府が「ポツダム宣言」をすぐに受託せず、最後まで悪あがきを続けていたため、原爆が投下されてしまったのだ。こんな言い方には語弊があるかもしれないけど、日本への原爆投下は、「加害者がアメリカ、被害者が日本」ではなく、「加害者がアメリカと日本政府、被害者が日本国民」なのだ。

こうした当時の「実際の状況」を踏まえれば、この安倍晋三のトンチンカンな説明は、ただ単に安倍晋三の無知無能ぶりを全世界に知らしめたというだけでは終わらない。安倍晋三の、この無責任なデマ発言は、歴史的事実を捻じ曲げ、当時の日本政府の戦争責任を棚の上に上げてしまっているのだ。そして、このデマ発言が故意でなかったとすれば、安倍晋三は国会議員のクセに「ポツダム宣言」も読んでいない無知で無能で無教養で無責任な大バカ野郎ということになる。仮にも日本の現職の与党議員が「ポツダム宣言」も読んでいなかった上に、デタラメなデマを月刊誌の誌面で流布するなんて、あまりにも酷すぎる。そして、そんな大バカ野郎が、今では日本の総理大臣になってしまったのだ。

故意であれ無知であれ、どちらにしても、口をひらけばバカのひとつ覚えのように「戦後レジームからの脱却」と連呼して、日本が世界に誇る平和憲法を踏みにじろうとしているブンザイで、その「戦後レジーム」の根本である「ポツダム宣言」も読んでいなかっただなんて、呆れ果てて言葉も出てこない。いまだかつて、これほど愚かで無責任で恥ずかしい総理大臣がいただろうか?


‥‥そんなワケで、現在の第2次安倍政権は、自民党の「総裁は2期まで」という基本ルールも勝手に変更して3期目へと突入しようとしているけど、現在の第2次安倍政権がスタートして2年目の2015年5月20日、国会での党首討論で、日本共産党の志位和夫委員長は「過去の日本の戦争は間違った戦争であるという認識はありますか?」と、安倍晋三を厳しく問いただした。そして、次のようなやり取りをした。


志位委員長「ポツダム宣言は日本の戦争について、第6項と第8項の2つの項で間違った戦争だという認識を明確に示しております。総理にお尋ねします。総理はポツダム宣言のこの認識をお認めにならないのですか?」

安倍首相「このポツダム宣言を我々は受諾し、そして敗戦となったわけです。そして今、私もつまびらかに承知をしているわけではございませんが、ポツダム宣言の中にあった連合国の理解、例えば日本が世界征服を企んでいたということ等を今ご紹介になられました。私はまだその部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりませんから、今ここで直ちにそれに対して論評することは差し控えたいと思いますが、いずれにせよですね、まさに先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがあるわけでありまして、我々はそのことは忘れてはならないと思います」


おいおいおいおいおーーーい!とうとう日本の総理大臣が「ポツダム宣言はちゃんと読んでいませんでした」って自分で認めちゃったよ!つーか、「ポツダム宣言」って、さっきも言ったように、原稿用紙2枚ほどの短い文書で、どんなに丁寧に読んだって10分もあれば読めるものだし、小学生でも理解できる口語訳もあるのに、仮にも日本の総理大臣が「私はまだその部分をつまびらかに読んでおりませんので」って、何だそれ?ぜんぶで13項目しかないのに、その中の第6項と第8項を読んでいないってことは、ようするに「まったく読んでいないし、全体でどれくらいの長さの文書なのかも把握していない」ってことじゃん!

結局、この党首討論では、安倍晋三は志位委員長の「過去の日本の戦争は間違った戦争であるという認識はありますか?」という質疑にはマトモに答弁することができず、お得意の「質疑と無関係なことをダラダラとしゃべってはぐらかす」という作戦で逃げ続けるしかなかった。今でもYOU TUBEなどで当時の映像を観ることができるけど、終始シドロモドロの安倍晋三は、まるで宿題を忘れた小学生が先生に叱られてバレバレの嘘の言い訳をしているようで、観ているこちらが恥ずかしくなるほど情けない姿を晒している。


‥‥そんなワケで、敗戦国の総理大臣が、それも「戦後レジームからの脱却」を掲げて改憲を進めようとしている総理大臣が、その「戦後レジーム」の根幹である「ポツダム宣言」を読んでいなかっただなんて、この信じがたいニュースはネット上を駆け廻り、トレンドの1位に「ポツダム宣言」が躍り出るほど盛り上がってしまった。

だけど、皆さんご存知のように、安倍晋三には「恥」という概念がない。この時、安倍晋三が真っ先にやったことは、いつものように「権力によるゴマカシ」だった。この党首討論から約2週間後の6月2日、イエスマンの閣僚たちを集めた安倍晋三は、こともあろうに「安倍首相はポツダム宣言を当然読んでいる」という答弁書を閣議決定したのだ!アホか?

森友学園問題で野党が安倍昭恵夫人の証人喚問を要求した時、安倍晋三は「私の妻は私人だ!」などと意味不明なことを言い出して拒否したけど、その直後、閣僚たちを集めて「首相夫人は私人である」という答弁書を閣議決定した。この時もあたしは呆れ果てたけど、何なんだよ?この「安倍首相はポツダム宣言を当然読んでいる」という閣議決定って?バカを通り越して、マジでどうかしちゃってるよ、この人‥‥。

日本の政治家であれば読んでいて当たり前の文書をこれまで一度も読んだことがなく、志位委員長の簡単な質疑にも答えられなかったのだから、普通なら自分の不勉強を恥じ、すぐに「ポツダム宣言」を読み、党首討論の場で「差し控えた」自分の考えを後日でもキチンと述べるのが国民の代表である志位委員長に対する義務であり、それこそが総理大臣としての真摯な態度と言うもの。それなのに、この人と来たら、一事が万事、いつでも自分のミスや不勉強をゴマカシて、嘘と詭弁で取り繕うことばかり繰り返してきた。

たとえば、2016年5月16日の衆議院予算委員会で、「行政府の長」である安倍晋三が「私は立法府の長であります」と述べて、「おいおい!日本の総理大臣が三権分立も知らないのかよ?」と全国の中学生を呆れさせた時も、普通なら自分の不勉強を恥じ、すぐに謝罪と訂正をするのが筋なのに、安倍晋三が何をしたかと言えば、コッソリと衆議院の議事録からその部分を消し、ちゃんと「行政府の長であります」と言っていたことに書き直させたのだ。自分に都合の悪い文書は、国会の議事録でさえも改竄させる。安倍晋三の十八番の「文書改竄」は今に始まったことじゃないのだ。

百歩ゆずって、一度であれば「言い間違い」という言い訳も通用するけど、安倍晋三が国会で自分のことを「立法府の長」と言ったのは少なくとも二度目なのだ。つまり、この人は根本的に三権分立を理解しておらず、普段から自分のことを「立法府の長」だと思い込んでいたことになる。「ポツダム宣言」は読んでいないし、「三権分立」は理解していないって、こんなのが日本の総理大臣だとは、一国民としてこれほど恥ずかしいことはない。そして、それを「恥」だと思っていないところが、この人の本当に恥ずかしい部分なのだ。


‥‥そんなワケで、8月8日に67歳で亡くなった沖縄県の翁長雄志知事は、生前、「安倍首相はいったいどこを向いて政治をやっているのか?日本の総理大臣なのに、どうして日本のためでなくアメリカのための政策ばかり進めているのか?安倍首相が目指しているのは『戦後レジームからの脱却』ではなく『戦後レジームの完成』ではないのか?」と指摘し、日米地位協定ひとつも正常化できないアメリカ従属の弱腰姿勢を厳しく批判していた。日本が世界に誇る平和憲法を「アメリカから押し付けられた恥ずかしい憲法」と揶揄するのなら、その前に日本人を苦しめ続けている日米地位協定を正常化するのが日本の首相としての最優先課題だと思うし、日本人のための福祉や社会保障の予算を削ってまでアメリカの言い値で欠陥機オスプレイや役立たずのイージスアショアなどを次から次へとお買上げするのだっておかしな話だからだ。結局、自民党総裁の任期を3期に延長してまで安倍晋三が成し遂げたいことは、日本を完全なる「アメリカの属国」にすることであり、翁長知事の指摘の通り「戦後レジームの完成」こそが「安倍政権の目指しているゴール」なのだということが良く分かった。だから、今日は最後にハッキリと言わせてもらうけど、日本を愛する保守派の皆さん!右翼の皆さん!思想の左右に関係なく「日本が大好き」なすべての愛国者の皆さん!このまま今の安倍政権が続いたら、日本はケツの毛までアメリカにむしられてしまい、完全にアメリカの属国に成り果ててしまうから、今すぐに安倍晋三という稀代の売国奴を権力の座から引きずり降ろすために力を結集してほしい!‥‥って、マジでそう思った今日この頃なのだ。


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2018.08.15

女心と秋の空

来る日も来る日も暑くて暑くてまいっちゃうけど、今年の立秋は8月7日だったから、暦の上では、すでに夏は終わって秋に突入している‥‥ってなワケで、少しでも涼しくなるように、今回は「秋」の話題を取り上げようと思う。で、「秋」と言えば、変わりやすいものの喩えとして「女心と秋の空」なんて諺(ことわざ)がある。だけど、実はこれ、もともとは「男心と秋の空」という諺だった。

現在の「女心と秋の空」は、女性は感情の起伏が激しくて、場面や状況によって気分がコロコロと変わる、というようなニュアンスで使われているけど、もともとの「男心と秋の空」のほうは、女性に対する男性の気持ちは変わりやすい、という意味だった。あれほど好きだ好きだと言っていたのに、結婚したとたんに愛情が薄れ始め、浮気をしたり愛人を作ったりする。もちろん、すべての男性がそうだとは言わないけど、そういう男性が多いために、こんな諺が生まれちゃったのだ。

これには、日本の伝統的な背景がある。あたしの大好きな『源氏物語』はフィクションだけど、身分の高い1人の男性が数多くの女性を次々と愛していくという内容は、当然、当時の平安の宮中の生活を反映したもので、まさに「男心と秋の空」を地でいくような物語だ。でも、この諺のもとが生まれたのは『源氏物語』の成立から約300年後、室町時代の狂言『墨塗(すみぬり)』の中のセリフ、「男心と秋の空は一夜にして七度変わる」だ。この狂言の演目は、仕事で京に上った田舎の大名が、在京中に妾(めかけ)を作るという物語で、これまた当時の身分の高い男性の生活が反映されていた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、わずか70年前までは女性に参政権すら認められていなかった「男女不平等」の日本では、現在でも「男の浮気は甲斐性だが、女の浮気は許されない」という男女差別の風潮が残っている。川谷絵音とベッキーのゲス不倫にしても、民主党時代の細野豪志と山本モナの路チュウ不倫にしても、どちらも女性のほうは独身で、男性のほうが妻帯者だったのだから、本来なら男性のほうが批判されるべきケースだ。だけど、実際には、社会的に叩かれて仕事まで干されたのはベッキーや山本モナのほうで、男性のほうはどちらも涼しい顔をしていた。

この「男の浮気は甲斐性だが、女の浮気は許されない」という風潮は、日本が長いこと、法律までもが男性の浮気には寛容な一方、女性の浮気には厳しかったことの名残りでもある。江戸時代までは、既婚男性が他の女性と浮気をしても大目に見てもらえたけど、既婚女性が他の男性と浮気をしたことがバレると、場合によっては死罪、良くても島流し、なんてこともあった。だから、男性と女性との立場の違いというだけでなく、世の中の風潮というだけでもなく、社会状況そのものが「男心と秋の空」という諺を生み出すような土壌を持っていたことになる。

江戸時代の俳諧師(俳人)、小林一茶は「はづかしやおれが心と秋の空」という句を詠んでいる。これは、秋の空のように移ろいやすい自分の心を恥じているという意味だけど、もちろん「男心と秋の空」という諺を踏まえてのものなので、江戸時代には、この諺が一般的になっていたものと推測できる。一方、現代ではこちらのほうが一般的になってしまった「女心と秋の空」は、明治時代ごろから広まり始めたようだ。

尾崎紅葉が明治25年に読売新聞に連載していた長編小説『三人妻』は、豪商の葛城余五郎と三人の妾の物語だけど、この小説の中にも「男心と秋の空」という諺が登場する。そして、そのクダリで、「欧羅巴(ヨーロッパ)の諺に女心と冬日和といえり」と説明している。ヨーロッパには「A woman‘s mind and winter wind change often.」(女心と冬の風は頻繁に変わる)とか「A woman's mind is always mutable.」(女心は変わりやすい)などの諺があるので、尾崎紅葉は「男心と秋の空」を説明する上で、こうしたヨーロッパの諺を例に挙げたってワケだ。

ちなみに、この小説『三人妻』の主人公の葛城余五郎は、三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎をモデルにしたと言われている。江戸時代末期の天保5年に生まれた岩崎弥太郎は、明治18年に50歳の若さで亡くなるまでに商売で大儲けして現在の三菱財閥の基礎を作った人物だけど、亡くなった時点で本妻の他に6人の妾がいて、それぞれに子どもを産ませていた。当時は、妾の人数が成功者の証のような風潮が強かったようで、こうした実業家だけでなく、政治家も当たり前のように何人もの妾をかかえていた。だから、世の中の背景としても、明治時代までは、もともとの「男心と秋の空」という諺のほうが主流で、「女心と秋の空」は、あくまでも「もともとの諺ありき」のパロディー的な位置づけだったんだと思う。


‥‥そんなワケで、オリジナルの「男心と秋の空」とパロディーの「女心と秋の空」がジョジョに奇妙に逆転し始めたのが、明治から大正に変わり、女性の社会進出が始まり、女性の地位が向上し始めてからだ。でも、まだ女性には参政権もなかった時代だから、現代のように「女心と秋の空」のほうが完全にメジャーになったのは、大正から昭和に変わり、戦争が終わってからだ。そして、こうした流れからも分かるように、「男心と秋の空」が「女性に対する男性の気持ちは変わりやすい」というピンポイントの意味だったのに対して、「女心と秋の空」は恋愛に特化した諺ではなく「あらゆる物事に対して女性の気持ちは変わりやすい」というオールマイティーな意味として広まったのだ。

でも、この「男心」と「女心」の諺の意味の違いは、単なるイメージによる男女の違いではなく、実際に男女の思考の違いに基づいている部分もある。たとえば、男女が何かの言い争いをする場合、男性は理屈を積み重ねて自分の主張の正当性を訴えるパターンが多く、女性は本能や直感で判断した主張を感情的に訴えるパターンが多い。だから、男女が言い争いになった場合、男性は女性に対して「理屈が通っていない」と思うし、女性は男性に対して「女心が分かっていない」と思ってしまう。もちろん、きちんとした議論の場、ディベートの場であれば、女性も男性と同じように理屈や理論を積み重ねて主張をするけど、男女間の言い争い、特に恋人同士の痴話ゲンカの場合は、こうなってしまうケースが極めて多い。

これは、どちらの言っていることも間違ってはいない。1つ1つ脳みそで考えて理由づけをしないと自分がそれを好きなのか嫌いなのか判断できない男性と、本能や直感で判断して理由などなくても自分がそれを好きなのか嫌いなのかが決まってしまう女性との、これは生物的な違いなのだ。たとえば、誰か特定の人を嫌う場合、男性は「あの人のこういう部分が嫌い」というように、ちゃんと理由を挙げることができるけど、女性は「生理的に受け付けない」など、理由がなくても感覚的に嫌うことがある。この場合、女性は具体的に「これこれこうだから嫌い」と理由を説明できないから、男性から見たら「理屈が通っていない」となってしまうけど、女性に言わせれば「女心が分かっていない」ということになってしまうのだ。

会社で残業をしていた時、自分の大嫌いな上司から「遅くまでご苦労さん」なんて言われて肩をポンポンと叩かれたら「セクハラだ!」と激怒する女性が、同じことを大好きな先輩からされるとウットリしちゃったりする。こういうのって男性から見たらムカつくかもしれないけど、女性にとっては当たり前のことなのだ。女性は男性と違って理屈よりも感性が判断基準になってるから、こんなことで呆れてちゃいけない。何日後かには、その大嫌いだった上司と仲良くランチに行ってみたり、大好きだった先輩に冷たい態度をとってみたりと、同性から見ても「はぁ?」って行動をとったりすることもあるからだ。これは、その時はそんな気分だったというだけのことで、決して理屈では説明できない。

たとえば、男性は、基本的に自分の好きな女性しかデートに誘わないと思うけど、女性は、あまり好きじゃない相手からのデートの誘いでも受けちゃうことがある。これは、「誘う側」と「誘われる側」という立場の違いも多少はあるけど、基本的に男性はモノゴトを理屈で考えるから「自分の好きになった女性だからデートに誘う」という理屈が成り立ってて、一方の女性は理屈よりも感性が判断基準だから、その時の気分ひとつで、あまり好きじゃない相手からのデートの誘いでも受けちゃうこともあれば、好きな相手からのデートの誘いでも断っちゃうこともある。そして、理屈でモノゴトを考える男性は、自分からのデートの誘いを受けてくれたのだから「脈がある」とか、断られたのだから「脈がない」とか、単純に思い込んじゃう。

彼女のほうが「焼肉」を食べたいと言うから、彼氏は有名な焼肉屋に予約の電話をしたのに、焼肉屋の前まで行くと、彼女が突然「やっぱりお寿司のほうが食べたくなった」と言い出す。彼女のほうが『名探偵コナン』の最新作を観たいと言うから、彼氏は前売り券まで買い、約束の日曜日を楽しみに待ち、いよいよ日曜日、待ち合わせの場所に行くと、彼女が突然「やっぱり『クレヨンしんちゃん』の最新作のほうが観たくなった」と言い出す。こういうのって、たいていの男性は「女はワガママだから」で片づけちゃうけど、これってワガママとはちょっと違うんだよね。


‥‥そんなワケで、女性は、自分の言っていることが理屈に合わないことぐらい分かっている。でも、そういう性(さが)なのだ。男性は常に「1+1=2」という考え方だけど、女性の場合は、昨日は「1+1=2」だったのに、今日は「1+1=3」になり、明日は「1+1=0」になったりする。これが「女心と秋の空」なのだ。だから、次々と彼女を代えたり、一度に複数の女性と付き合ったりする「男心と秋の空」の男性たちは別にかまわないけど、1人の女性だけをずっと愛そうと思っている男性は、この「女心と秋の空」を理解して、自分の好きな女性が昨日と違うことを言ったとしても、約束した当日に違う場所へ行きたいと言い出したりしても、決してワガママだとは思わずに、澄み渡った秋の空のように広い心で包んであげてほしいと思う今日この頃なのだ♪


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2018.08.03

暑さ対策と節約アイス

言いたかないけど暑い!とにかく暑い!シャレにならないほど暑い!もはや「暑い」じゃなくて「熱い」という漢字を使いたくなるほど暑い!さらに言えば「あ」にも「つ」にも「い」にも濁点をつけて「あ゛づ い゛ーーーー!!」と叫びたくなるほど暑い!

全国的には、埼玉県の熊谷市と岐阜県の多治見市と高知県の四万十市が「暑さ日本一」を競っていて、7月23日には埼玉県の熊谷市が観測史上最高の「41.1℃」を記録して、これまで日本一だった高知県の四万十市の「41.0℃」を破ったとか報じられたし、東京都の青梅市でも「40.8℃」を記録した。だけど、こんなのは涼しい百葉箱の中の話であって、エアコンのない我が家では、連日、室内の温度計が「50℃」を超えている。

富山県の射水市では、路面電車が脱線事故を起こし、幸いにも乗客乗員にケガ人は出なかったそうだけど、調べてみたら、あまりの暑さで線路が変形していて、それが脱線の原因だったという。他にも、羽田空港ではあまりの暑さで滑走路の表面のアスファルトが剥がれて穴が開き、4時間にわたって滑走路が閉鎖されたそうだし、京都の祇園祭では目玉の「花傘巡行」が、あまりの暑さのために中止になった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、とにかく今夏の暑さは異常で、少なくとも、あたしが生まれてから今までの45年間では、一番暑い。ラジオを聴いていると、いろんな気象予報士が「今年の夏は50年に一度の暑さです」とか「100年ぶりの暑さです」とかテキトーなことを言っているけど、こないだ、TBS「スタンバイ」で、ベテラン気象予報士の森田正光さんが、こんなことを言っていた。


「有史以来、日本の夏が最も暑かったのは平安時代から鎌倉時代に掛けてですが、今年の夏の暑さは、その当時に匹敵するほどです。つまり、1000年ぶりの暑さなのです」


サスガは森田さん、テキトーなことを言うにしてもスケールがデカいよね(笑)‥‥なんてことも思いつつ、7月中旬から続いている全国的な猛暑は留まることを知らず、7月16日から29日までの2週間だけで、熱中症などで救急搬送された人は全国で3万6368人、死者は104人と報じられた。こんなにたくさんの人が実際に亡くなっているのだから、「死ぬほど暑い!」なんて言ったら不謹慎かもしれないけど、エアコンのない家で生活しているあたしは、マジで死ぬんじゃないかと思うほどの暑さに苦しんでいる。

風がある日なら、家中の窓を開けて風を通せば、室内の温度は外と同じくらいになるから、まあまあ何とか過ごすことはできる。でも、風がまったくない日だと、室内の温度はどんどん上昇して、お昼過ぎには50℃を超えるから、何もしないで座っているだけでも汗が止まらなくなる。そして、我が家の唯一の暑さ対策家電である扇風機をつけると、まるでドライヤーのような熱風が襲ってくるので、余計に暑くなる。

結局、あまりにも暑くて自宅にいられなくなり、盗んだバイク‥‥じゃなくて、ちゃんとお金を払って買った中古のバイクで走り出したら、あたしのヘルメットってフルフェイスだし、色が黒だから、炎天下を走るとヘルメットの中がサウナみたいに暑くなった。それで、中に風を入れようと思ってシールドを全開にしたら、顔面に当たるのはやっぱり熱風!

自宅で扇風機をつけても熱風!原チャリで走ってフルフェイスのシールドを開けても熱風!せめて情熱的な熱風がセレナーデのように流れてくるのならともかく、暴力的な熱風がビブラートのように波状攻撃で襲い掛かってくるもんだから、まるで背中にしょった薪(たきぎ)にマッチで火を点けられたように‥‥って、ナニゲに「近藤真彦しばり」のネタを散りばめつつ、あたしはUターンして自宅へ戻った。

すると、母さんが「あまりにも暑くて脳みそが湯豆腐になりそう!」と言って、冷たいお茶を魔法瓶に入れて、読みかけの小説を持って、電動アシスト自転車で公民館へ涼みに行ってしまった。公民館のロビーにはゆったり座れるソファーがあって、エアコンも効いていて涼しいのだ。そこで、あたしは、「母さんが湯豆腐なら、あたしは冷やっこになろう!」と思い、湯舟に水を張って、お風呂のフタを1枚だけ渡し、その上にノートPCを置いて、水風呂に浸かりながら原稿打ちの内職を始めた。


‥‥そんなワケで、扇風機も役に立たなくなってしまった今、我が家で唯一の「暑さ対策」と言うと、この「水風呂」しかない。だけど、どんなに暑いと言っても、水風呂に浸かっていられるのは30分がいいとこで、それ以上になると体が冷えてしまう。そして、水風呂から出ると、しばらくは涼しいんだけど、小一時間もすると、また暑くなってくる。つまり、我が家で快適に暮らすためには、水風呂30分→部屋1時間→水風呂30分→部屋1時間→水風呂30分‥‥というローテーションを続けるしかないのだ。

でも、こんなことをしていたら絶対に体調を崩してしまうから、実際には、水風呂に浸かるのは「1日に1回」だけにして、あとは湯舟の中にスツールを置いて腰掛けて、両足だけを水に浸けている。これでも冷えた血液が全身を回るから涼しくなるし、何よりも長時間、このままでいられるのだ。

そして、あたしのもうひとつの「暑さ対策」が、アイスだ。あたしは、ガリガリ君のコーラ味が大好きなので、去年までは、スーパーで「ガリガリ君、どれでも5本で300円」とかの時に、コーラ味ばかり5本買ってきて、お風呂あがりに食べたりしていた。だけど、今年の夏の暑さはハンパないから、ガリガリ君1本くらいじゃ涼しくならない。涼しくなるためには、最低でも2本は必要だ。その上、室温が50℃もあるから、のんびり食べていたら溶けてしまう。冷凍庫から出したら、ソッコーで食べなきゃならない。

ガリガリ君て、普通にコンビニとかで買うと70円だから、2本食べたら140円になってしまう。まあ、週に一度くらいならいいけど、毎日2本ずつ食べていたら、1週間で980円、ほぼ1000円だ。普段の食事ですら「1食100円」の予算で自炊しているあたし的には、これは大きすぎる。

そこで、今年の夏からあたしが始めたのが、1リットルの紙パックのジュース類をそのまま冷凍庫で凍らせて、アイスピックでガシガシと砕いて食べるという方式だ。スーパーに行けば、1リットルの紙パックのジュースは安い物が98円で買えるし、賞味期限が残り少なくて割引シールが貼ってあれば言うことなしだ。ガリガリ君は1本が110mlなので、1リットルのジュースを凍らせれば約9倍の量になる。つまり、ガリガリ君と同じ量に換算すると、1本ぶんが約11円ということになる。

1リットルの紙パックのジュースと言ってもいろいろあるけど、あたしのオススメは、コンビニとかでも98円か100円で売られている「みかん水」とか「ぶどう水」とかのシリーズだ。あれって最初から薄味なので、凍らせたものをたくさん食べても甘さで喉が渇いたりしないし、凍らせると何故だか味の濃い部分と薄い部分ができるので、同じ味のものを食べ続けてもメリハリがあって飽きがこない。そして、何よりも嬉しいのが「カロリーゼロ」という点だ。

ガリガリ君はもともと低カロリーで、代表的なソーダ味が1本70キロカロリー、あたしの好きなコーラ味なんて45キロカロリーしかない。他の味もみんな100キロカロリー以下なので、ダイエット中の人でも気にせずに食べることができる。明治エッセルのスーパーカップのバニラが1個374キロカロリーなので、その差は歴然だろう。だけど、そんな低カロリーなガリガリ君でも、毎日2個ずつ食べ続けたら、合計すればそれなりのカロリーになってしまう。でも、「みかん水」や「ぶどう水」を凍らせたものなら、値段も約7分の1になる上に、「カロリーゼロ」だからいくらでも食べられるのだ。

そして、紙パックのまま凍らせれば、狭い冷凍庫の中でも場所を取らない。あたしも最初は製氷皿を使って凍らせたんだけど、そうすると一度に大量に作れないし、製氷皿を洗わなきゃならないし、いろいろと手間が掛かる。そこで、紙パックのまま横向きに冷凍庫に入れて凍らせて、カチカチに凍ったら上部を全開にしてアイスピックでガシガシと砕いて食べて、ある程度、減ったら、アイスピックが使いにくくなるから紙パックの上部をハサミで切って背を低くする‥‥という方式にしたのだ。

「みかん水」と「ぶどう水」と「もも水」を凍らせて、アイスピックでガシガシと砕いてガラスの器に3種類を盛ると、見た目にも涼やかだし、いろんな味が楽しめる。こうすると、貧乏くさかった「暑さ対策」が、一気にインスタ映えすること間違いなしだ(笑)

それから、もうひとつ、あたしのオススメは、コーヒー牛乳やイチゴ牛乳だ。コーヒー牛乳やイチゴ牛乳の1リットルの紙パックは、コンビニとかで買うと150円くらいしちゃうし、スーパーでも128円とかする場合もあるけど、OKストアみたいな安売りスーパーに行けば98円で買える。これらは、「みかん水」と同じようにそのまま凍らせてもいいんだけど、冷凍庫に横向きに入れて、3~4時間経ったら一度、様子を見て、紙パックが全体的に膨らみかけていたら「凍り始めている状態」なので、ここで一度、シャカシャカと振る。そして、完全に凍るまで、これを何度か繰り返すと、空気の混じった状態で凍るのでシャーベット状になり、コーヒー牛乳は「パピコ」のコーヒー味とソックリになり、イチゴ牛乳は「シャービック」のイチゴ味とソックリになる。

あと、ミルクティーもなかなか美味しい。だけど、これらは「みかん水」と違ってカロリーがあるから、それなりに考えて食べないといけない。ちなみに、コーヒー牛乳は1リットルで約500キロカロリーなので、ガリガリ君と同じくらいのカロリーがある。それでも、バニラのアイスを食べるよりは遥かに低カロリーなので、それほど神経質になる必要はない。

それから、これは番外編なんだけど、あたしは凍らせたトマトジュースも大好きだ。トマトジュースは、たいてい、900mlか720mlのペットボトルに入っているので、このまま凍らせることはできないから、あたしは、お豆腐のパックとかを使って凍らせて、これをアイスピックで砕いて食べている。いつも飲んでいるトマトジュースは「無塩」だけど、凍らせて食べる場合はお塩が入っているほうが美味しいし、塩分も摂取できるから「暑さ対策」としては一石二鳥だ。ただし、一番安い伊藤園のトマトジュースでも900mlで150円近くするから、そんなに頻繁には楽しめない。


‥‥そんなワケで、この8月から、またまた値上げラッシュが始まった。電気料金とガス料金は電力大手10社と都市ガス大手4社すべてが値上げしたし、我が家のプロパンガスも「今月から基本料金を400円値上げします」という通知がきた。他にも、ガソリンも高騰が続いているし、あたしには関係ないけど国際線の燃料サーチャージも引き上げられた。70歳以上の高齢者の医療費の自己負担額も引き上げられたし、メーカーによってはチーズ類やサバ缶なども順次、値上げされていく。こんな状況だから、この異常な暑さがいつまで続くのか分からないけど、「暑さ対策」と言えどもアイス1本でも節約して、なるべく安上がりになるように工夫しなきゃならない。何しろ、あたしたち庶民は、ガリガリ君まで自分の財布からお金を出さずに政務活動費で買っている安倍晋三首相のような特権階級じゃないので、日々の小さな節約を続けないと暑い夏を乗り切ることができないと思った今日この頃なのだ。


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2018.08.01

「東京オリンピックのため」というお題目

記念すべき第100回全国高校野球選手権大会は、地方大会が終わって全国56の代表校が決まり、8月5日から甲子園球場で開幕するけど、今年の春のセンバツから導入されたのが「延長タイブレーク制度」だ。「タイブレーク」と言うのは、「均衡状態(タイ)を壊す(ブレーク)」という意味で、もともとは、議会で賛成と反対が同数だった場合に、議長がどちらかに自分の1票を入れて決着を付けることを「タイブレーク」と呼んでいた。これがスポーツの世界でも使われるようになり、主にテニスやソフトボール、野球などで、同点のまま延長戦に入った時に、勝敗の決着をつきやすくするための特別ルールを指す言葉になった。

野球の場合は、通常は9回までだけど、9回の裏が終わった時点で同点だと延長戦の10回に入り、10回の表裏でも勝負がつかないと11回、11回の表裏でも勝負がつかないと12回へと続いて行く。だけど、これだとキリがないので、日本のプロ野球の延長は12回まで、高校野球の延長は15回までとそれぞれ決められていて、これらの回の裏が終わっても同点だと、その試合は引き分けということになった。

だけど、ここで問題なのが、高校野球は「勝ち抜き戦」だという点だ。すべてのチームと総当たりで何度も試合をしながらリーグ戦を進めて行くプロ野球の場合なら、何試合かに1回か引き分けになっても、最終的には順位が決まる。だけど、その試合に勝ったほうのチームが次の試合へと進む「勝ち抜き戦」の高校野球では、引き分けになったら勝敗が決まるまで何度でも再試合をしないとならないのだ。高校野球で「引き分け→再試合」ということが続くと、日程が厳しくなるだけでなく、エースが休みなくマウンドに上がることになり、最悪の場合は肩を壊して選手生命を絶たれてしまう可能性もある今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、野球の「延長タイブレーク制度」は、9回裏が終わった時点で同点で決着がつかずに延長戦に突入した場合に、「得点圏内に走者のいる状態」からイニングを始めるというものだ。規定は様々で、延長10回からすぐにタイブレークになる規定もあるし、延長10回は普通にやっておいて、それでも決着しなければ延長11回からタイブレークになる規定もある。状況も「1アウト満塁からスタート」とか「ノーアウト1、2塁からスタート」とかあるし、この時の走者も前イニングの打順を引き継ぐ場合と、好きな選手を使える場合など、複数のケースがある。どちらにしても、こうした状況からスタートすれば、どちらのチームも1打で得点するチャンスがあるため、長々と延長が続くことは稀で、たいていはすぐに決着がつく。

あたしが良く覚えている印象的なタイブレークは、去年3月の「WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)」の2次ラウンドでの「日本×オランダ」だ。オランダチームはソフトバンクのバンデンハークが先発だったので、侍ジャパンの攻撃回は日本のパリーグの試合を観てるみたいだったけど、リードしていた日本は8回を日本ハムの宮西と増井(現オリックス)のリレーで何とか乗り切るも、9回に楽天の則本をストッパーに使うという小久保監督の奇策が失敗して同点に追いつかれ、延長戦へと突入してしまった。

そして、延長10回で決着がつかなかったため、「WBC」のルールにより延長11回から「ノーアウト1、2塁」でスタートするというタイブレークに入った。そして、侍ジャパンは日本ハムの中田翔が2点タイムリーを炸裂させ、その裏を10回からマウンドに上がっていた西武の牧田(現パドレス)が抑えて逃げ切った。ちなみに、日本と同じく2次ラウンドを勝ち抜いたオランダは、本拠地アメリカで行なわれた準決勝でもプエルトリコ戦で延長タイブレークの末に敗れてしまった。

「WBC」が延長タイブレーク制度を導入したのは2009年の第2回大会からで、「ノーアウト1、2塁」は今と同じだけど、当初は「延長13回から」だった。でも、これだとあまり試合時間の短縮につながらないので、去年の第4回大会から「延長11回から」に変更されたのだ。一方、もう1つの世界大会「プレミア12」では、2015年の第1回大会から導入されていて、こちらでは「延長10回から」となっている。ようするに、まだまだ発展途上のルールなので、まずは実験的に導入してみて、様子を見ながら変更すべき点は変更して‥‥ということなんだと思う。


‥‥そんなワケで、去年まで延長タイブレーク制度が導入されていなかった高校野球の甲子園大会では、去年の春のセンバツの7日目、3月26日のこと、第2試合の「福岡大大濠×滋賀学園」が「1-1」の同点で延長15回を終えて引き分けとなり、第3試合の「福井工大福井×健大高崎」も「7-7」の同点で延長15回を終えて引き分けとなり、春夏の甲子園で史上初の「2試合連続の引き分け再試合」となってしまったのだ。翌27日の3試合はすでに決まっていたため、翌々日の28日に、この2試合の再試合が行なわれることになった。そのため、本来は28日に行なわれる予定だった準々決勝が29日へ順延され、その結果として、準々決勝の翌日の「休養日」がなくなってしまったのだ。

この事態を受けて、高野連(高校野球連盟)は、かねてから検討してきた延長タイブレーク制度の導入に本腰を入れたのだ‥‥とは言っても、高校野球では、すでに国民体育大会や明治神宮野球大会などでは延長タイブレーク制度が導入されているし、甲子園大会でも2015年から都道府県の地区ブロック大会では試験的に導入されている。また、大学野球や社会人野球などでも導入されているので、こうした下地がある上で、春のセンバツと夏の選手権での導入が検討されてきたってワケだ。そして、そんな時に春のセンバツで「2試合連続の引き分け再試合」という珍事が起こったため、この制度の導入を進めてきた勢力にとっては「棚からボタモチ」という流れになったというワケだ。

あたしは、この延長タイブレーク制度について、別に反対してるワケじゃないし、特に高校野球に関して言えば、投手の酷使の問題から見ても、どちらかと言えば導入すべきだと思っている。これは、多くの人が同意見だと思うし、実際に全国の都道府県に対して行なった高野連のアンケート調査でも、回答した40都道府県のうち38が「甲子園大会への導入」に「賛成」と回答している。ただ、この延長タイブレーク制度が良いか悪いかという議論とは別に、あたしは、こうして何かが起こった時に、それを理由にして自分たちの進めてきた計画を押し通すというやり方が、あまり好きじゃないだけだ。

実際、大学野球に延長タイブレーク制度が導入されたのは2011年で、この時は「東日本大震災」を受けて「節電のために試合時間を短縮する必要がある」という理由で導入されたのだ。当時は「節電」という大義名分を使えば誰からも批判など出ない空気感が漂っていたため、延長タイブレーク制度の導入を進めたい人たちが、これを利用したというワケだ。去年の春のセンバツの「2試合連続の引き分け再試合」にしても、春夏を通して初めてのことなんだから、次に起こるのは何十年も先かもしれないし、もう起こらないかもしれない。それなのに、この珍しい出来事に「待ってました!」とばかりに飛びついて、計画を急加速させ、翌年には導入だと言う。なんかこれ、どっかで見たような話だなと思ったら、加計学園の獣医学部新設の計画に似てるよね(笑)

そこで、「な~んでか?」って、堺すすむさんの『なんでかフラメンコ』みたいに聞いてみると、前・高野連副会長で、阪神タイガースのチームドクターもつとめていた大阪警察病院の越智隆弘院長は、将来のある若い選手たちを守るために「甲子園大会へのタイブレーク制度の導入は必要」だとした上で、しかし、今回の導入の流れは、こうした「若い選手たちを守るため」ではないと言う。そして、次のように説明した。


「理由は東京オリンピックですよ。東京オリンピックでの野球の正式種目認定を目指すためには、1試合を2時間程度に抑えなければならない。高校野球へのタイブレーク制度導入の意見はその過程で出てきたものなんですよ。まずは高校野球に導入して、世間的に広く認識してもらおうということで進められてきたんです」


う~ん、またまた「東京オリンピックのため」という耳タコのお題目ですか?あたしはプロ野球ファンなので、「2020年は春から秋まで神宮球場を使わせろ」という東京オリンピック組織委員会の上から目線の恐喝行為には激しくムカついているし、「7月6日から9月13日までの70日間」に短縮された現在の日程でもぜんぜん納得していない。だって、オリンピックの開催期間はわずか2週間だけなのに、なんで70日間も神宮球場を貸さなきゃならないのか?百歩ゆずって横浜スタジアムのように「オリンピックのソフトボールの会場」として使用されるのならともかく、神宮球場は「資材置き場」として使われるんだよ?

オリンピックが開催される2週間は、プロ野球はすべての公式戦の中断が決まったのでどうでもいいけど、神宮球場をホームとするヤクルトはオリンピックの前後2カ月間もホームゲームができないのだ。どのチームだって、ほとんどの選手はホームゲームが得意なワケだし、2カ月間も全国を回って相手チームのホームで戦わなきゃならないなんて、阪神の「死のロード」を遥かに上回る「地獄のロード」になってしまう。「東京オリンピックのため」という印籠を掲げれば何でも通ってしまうと思っている東京オリンピック組織委員会のふざけたやり方に、日本ハムのファンのあたしでさえもムカついてるんだから、ヤクルトファンはあたしの何倍もムカついてるだろう。

オリンピックは特別なことなんだから、お前らプロ野球なんか脇にどいてろ!東京オリンピック様のお通りだ!お前らは道をあけろ!‥‥って言われているみたいで、あたしの怒りは収まらない!もともとあたしは東京オリンピックには大反対だったけど、この神宮球場の件で、さらに大反対になった!だって、神宮球場をホームにしているヤクルトをどかして「資材置き場」として使うとか抜かしてるんだよ?プロ野球をバカにするにもホドがあるよ!そんなことのためにプロ野球の試合を潰すなんて考えられないよ!


‥‥そんなワケで、あたしは、こんな背景があるから、高校野球の甲子園大会への延長タイブレーク制度の導入にしても、そのこと自体には反対どころか賛成なのに、「高校球児たちのため」じゃなくて「東京オリンピックのため」という理由にムカついているのだ。そして、もっとムカついているのが、2020年の「インターハイ」に関する運営費不足の問題だ。「インターハイ」とは「インター・ハイスクール・チャンピオンシップ」の略で「全国高等学校総合体育大会(全国高校総体)」のことだけど、毎年、開催地が持ち回りで移動する。去年は南東北で山形県、今年2018年は東海で三重県、来年2019年は南九州、そして2020年は北関東と決まっている。

そう、東京オリンピックが開催される2020年は、東京オリンピックの招致が決まる前から、東京を中心とした北関東がインターハイの開催地に決まっていたのだ。だけど、東京オリンピックの開催が決まり、何から何まですべてが「東京オリンピックのため」という大義名分のもとに進められてきた現状では、このインターハイもプロ野球と同様に、東京オリンピック様のために道をあけなければならなくなった。今はすべてがオリンピック最優先で進められているため、同じエリアで開催されるインターハイは、試合会場や宿泊施設や競技役員の確保ができなくなり、現状では北関東で実施できない競技が19種目にも上っている。

この原稿を書いている2018年8月の時点で、この19種目のうち数種目は何とか他県での開催に漕ぎつけたけど、未だに10種目以上の開催地が未定のままなのだ。そして、これは、ただ単に「代替会場が見つからない」という物理的な問題だけでなく、仮に代替会場が見つかったとして、そこで開催するための予算が不足しているのだ。

現在、2020年の開催が危ぶまれているインターハイの競技は、陸上、体操、テニス、卓球、ハンドボールなど計10種目以上もあり、このままこれらの競技が行なわれないことになると、場合によってはインターハイそのものが開催できなくなる可能性もあるという。そして、その最大の原因が、今、言ったように「予算不足」なんだけど、いったいいくら不足してるのかと言うと、これが「7億円」なのだ。東京オリンピックの何千億円という競技場や何百億円という会場のニュースを嫌と言うほど見せられてきたあたしたちにとって、この「7億円」という金額は肩透かしを食らったように感じるかもしれない。

でも、都民や国民の血税を湯水のように使える東京オリンピックとは違い、もともとが営利目的ではないインターハイにとって、この「7億円」は気が遠くなるほどの金額なのだ。現在は、何らかの種目でインターハイに出場している全国の高校で、主に体育会系の部活をしている高校生たちから「1人200円」の募金を集めていて、2020年までにこの「7億円」を作ろうとがんばっているところだ。だけど、考えてみてほしい。今、1人200円ずつ募金している全国の高校2年生や3年生は、2020年には高校を卒業しているのだ。今の高校生たちは、自分のためじゃなく、自分の後輩たちのために募金をしていることになる。

高校球児の中に将来のプロ野球選手がいるように、インターハイに出場する高校生たちの中には将来のオリンピック選手がいるはずなのに、そのインターハイが東京オリンピックのせいで開催を危ぶまれているなんて、そして、わずか「7億円」の予算不足を何とかするために全国の高校生たちが募金をしているなんて、あたしは、これほどの本末転倒を他に知らない。何千億円もの競技場や何百億円もの会場を林立させていながら、どうしてインターハイのためには何もしてあげないのか?「東京オリンピックのため」というお題目を「打ち出の小づち」にして都民や国民の血税を湯水のように使いまくっているのに、どうして将来のオリンピック選手たちのためには「7億円」すら出さないのか?


‥‥そんなワケで、「東京は福島から250キロも離れているので安全だ」という暴言でオナジミ、東京オリンピック招致委員会の竹田恒和会長(当時)は、自身が会長をつとめていた2011年から2013年までの間に、東京都に対して計7回、総額27億円もの補助金を要求していて、このうちの一部の数億円は電通を通じてシンガポールの実体のない幽霊会社へ支払われていたことが分かっている。そして、フランスの捜査当局は、この数億円が闇組織によってワイロとしてオリンピック委員らに配られていたと見て現在も捜査している。あたしは納税者の1人として、声を大にして「こんなイカサマに27億円も使うなら、その前に全国の高校生たちのために、インターハイのために7億円を使え!」と言いたい今日この頃なのだ。


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