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2018.08.15

女心と秋の空

来る日も来る日も暑くて暑くてまいっちゃうけど、今年の立秋は8月7日だったから、暦の上では、すでに夏は終わって秋に突入している‥‥ってなワケで、少しでも涼しくなるように、今回は「秋」の話題を取り上げようと思う。で、「秋」と言えば、変わりやすいものの喩えとして「女心と秋の空」なんて諺(ことわざ)がある。だけど、実はこれ、もともとは「男心と秋の空」という諺だった。

現在の「女心と秋の空」は、女性は感情の起伏が激しくて、場面や状況によって気分がコロコロと変わる、というようなニュアンスで使われているけど、もともとの「男心と秋の空」のほうは、女性に対する男性の気持ちは変わりやすい、という意味だった。あれほど好きだ好きだと言っていたのに、結婚したとたんに愛情が薄れ始め、浮気をしたり愛人を作ったりする。もちろん、すべての男性がそうだとは言わないけど、そういう男性が多いために、こんな諺が生まれちゃったのだ。

これには、日本の伝統的な背景がある。あたしの大好きな『源氏物語』はフィクションだけど、身分の高い1人の男性が数多くの女性を次々と愛していくという内容は、当然、当時の平安の宮中の生活を反映したもので、まさに「男心と秋の空」を地でいくような物語だ。でも、この諺のもとが生まれたのは『源氏物語』の成立から約300年後、室町時代の狂言『墨塗(すみぬり)』の中のセリフ、「男心と秋の空は一夜にして七度変わる」だ。この狂言の演目は、仕事で京に上った田舎の大名が、在京中に妾(めかけ)を作るという物語で、これまた当時の身分の高い男性の生活が反映されていた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、わずか70年前までは女性に参政権すら認められていなかった「男女不平等」の日本では、現在でも「男の浮気は甲斐性だが、女の浮気は許されない」という男女差別の風潮が残っている。川谷絵音とベッキーのゲス不倫にしても、民主党時代の細野豪志と山本モナの路チュウ不倫にしても、どちらも女性のほうは独身で、男性のほうが妻帯者だったのだから、本来なら男性のほうが批判されるべきケースだ。だけど、実際には、社会的に叩かれて仕事まで干されたのはベッキーや山本モナのほうで、男性のほうはどちらも涼しい顔をしていた。

この「男の浮気は甲斐性だが、女の浮気は許されない」という風潮は、日本が長いこと、法律までもが男性の浮気には寛容な一方、女性の浮気には厳しかったことの名残りでもある。江戸時代までは、既婚男性が他の女性と浮気をしても大目に見てもらえたけど、既婚女性が他の男性と浮気をしたことがバレると、場合によっては死罪、良くても島流し、なんてこともあった。だから、男性と女性との立場の違いというだけでなく、世の中の風潮というだけでもなく、社会状況そのものが「男心と秋の空」という諺を生み出すような土壌を持っていたことになる。

江戸時代の俳諧師(俳人)、小林一茶は「はづかしやおれが心と秋の空」という句を詠んでいる。これは、秋の空のように移ろいやすい自分の心を恥じているという意味だけど、もちろん「男心と秋の空」という諺を踏まえてのものなので、江戸時代には、この諺が一般的になっていたものと推測できる。一方、現代ではこちらのほうが一般的になってしまった「女心と秋の空」は、明治時代ごろから広まり始めたようだ。

尾崎紅葉が明治25年に読売新聞に連載していた長編小説『三人妻』は、豪商の葛城余五郎と三人の妾の物語だけど、この小説の中にも「男心と秋の空」という諺が登場する。そして、そのクダリで、「欧羅巴(ヨーロッパ)の諺に女心と冬日和といえり」と説明している。ヨーロッパには「A woman‘s mind and winter wind change often.」(女心と冬の風は頻繁に変わる)とか「A woman's mind is always mutable.」(女心は変わりやすい)などの諺があるので、尾崎紅葉は「男心と秋の空」を説明する上で、こうしたヨーロッパの諺を例に挙げたってワケだ。

ちなみに、この小説『三人妻』の主人公の葛城余五郎は、三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎をモデルにしたと言われている。江戸時代末期の天保5年に生まれた岩崎弥太郎は、明治18年に50歳の若さで亡くなるまでに商売で大儲けして現在の三菱財閥の基礎を作った人物だけど、亡くなった時点で本妻の他に6人の妾がいて、それぞれに子どもを産ませていた。当時は、妾の人数が成功者の証のような風潮が強かったようで、こうした実業家だけでなく、政治家も当たり前のように何人もの妾をかかえていた。だから、世の中の背景としても、明治時代までは、もともとの「男心と秋の空」という諺のほうが主流で、「女心と秋の空」は、あくまでも「もともとの諺ありき」のパロディー的な位置づけだったんだと思う。


‥‥そんなワケで、オリジナルの「男心と秋の空」とパロディーの「女心と秋の空」がジョジョに奇妙に逆転し始めたのが、明治から大正に変わり、女性の社会進出が始まり、女性の地位が向上し始めてからだ。でも、まだ女性には参政権もなかった時代だから、現代のように「女心と秋の空」のほうが完全にメジャーになったのは、大正から昭和に変わり、戦争が終わってからだ。そして、こうした流れからも分かるように、「男心と秋の空」が「女性に対する男性の気持ちは変わりやすい」というピンポイントの意味だったのに対して、「女心と秋の空」は恋愛に特化した諺ではなく「あらゆる物事に対して女性の気持ちは変わりやすい」というオールマイティーな意味として広まったのだ。

でも、この「男心」と「女心」の諺の意味の違いは、単なるイメージによる男女の違いではなく、実際に男女の思考の違いに基づいている部分もある。たとえば、男女が何かの言い争いをする場合、男性は理屈を積み重ねて自分の主張の正当性を訴えるパターンが多く、女性は本能や直感で判断した主張を感情的に訴えるパターンが多い。だから、男女が言い争いになった場合、男性は女性に対して「理屈が通っていない」と思うし、女性は男性に対して「女心が分かっていない」と思ってしまう。もちろん、きちんとした議論の場、ディベートの場であれば、女性も男性と同じように理屈や理論を積み重ねて主張をするけど、男女間の言い争い、特に恋人同士の痴話ゲンカの場合は、こうなってしまうケースが極めて多い。

これは、どちらの言っていることも間違ってはいない。1つ1つ脳みそで考えて理由づけをしないと自分がそれを好きなのか嫌いなのか判断できない男性と、本能や直感で判断して理由などなくても自分がそれを好きなのか嫌いなのかが決まってしまう女性との、これは生物的な違いなのだ。たとえば、誰か特定の人を嫌う場合、男性は「あの人のこういう部分が嫌い」というように、ちゃんと理由を挙げることができるけど、女性は「生理的に受け付けない」など、理由がなくても感覚的に嫌うことがある。この場合、女性は具体的に「これこれこうだから嫌い」と理由を説明できないから、男性から見たら「理屈が通っていない」となってしまうけど、女性に言わせれば「女心が分かっていない」ということになってしまうのだ。

会社で残業をしていた時、自分の大嫌いな上司から「遅くまでご苦労さん」なんて言われて肩をポンポンと叩かれたら「セクハラだ!」と激怒する女性が、同じことを大好きな先輩からされるとウットリしちゃったりする。こういうのって男性から見たらムカつくかもしれないけど、女性にとっては当たり前のことなのだ。女性は男性と違って理屈よりも感性が判断基準になってるから、こんなことで呆れてちゃいけない。何日後かには、その大嫌いだった上司と仲良くランチに行ってみたり、大好きだった先輩に冷たい態度をとってみたりと、同性から見ても「はぁ?」って行動をとったりすることもあるからだ。これは、その時はそんな気分だったというだけのことで、決して理屈では説明できない。

たとえば、男性は、基本的に自分の好きな女性しかデートに誘わないと思うけど、女性は、あまり好きじゃない相手からのデートの誘いでも受けちゃうことがある。これは、「誘う側」と「誘われる側」という立場の違いも多少はあるけど、基本的に男性はモノゴトを理屈で考えるから「自分の好きになった女性だからデートに誘う」という理屈が成り立ってて、一方の女性は理屈よりも感性が判断基準だから、その時の気分ひとつで、あまり好きじゃない相手からのデートの誘いでも受けちゃうこともあれば、好きな相手からのデートの誘いでも断っちゃうこともある。そして、理屈でモノゴトを考える男性は、自分からのデートの誘いを受けてくれたのだから「脈がある」とか、断られたのだから「脈がない」とか、単純に思い込んじゃう。

彼女のほうが「焼肉」を食べたいと言うから、彼氏は有名な焼肉屋に予約の電話をしたのに、焼肉屋の前まで行くと、彼女が突然「やっぱりお寿司のほうが食べたくなった」と言い出す。彼女のほうが『名探偵コナン』の最新作を観たいと言うから、彼氏は前売り券まで買い、約束の日曜日を楽しみに待ち、いよいよ日曜日、待ち合わせの場所に行くと、彼女が突然「やっぱり『クレヨンしんちゃん』の最新作のほうが観たくなった」と言い出す。こういうのって、たいていの男性は「女はワガママだから」で片づけちゃうけど、これってワガママとはちょっと違うんだよね。


‥‥そんなワケで、女性は、自分の言っていることが理屈に合わないことぐらい分かっている。でも、そういう性(さが)なのだ。男性は常に「1+1=2」という考え方だけど、女性の場合は、昨日は「1+1=2」だったのに、今日は「1+1=3」になり、明日は「1+1=0」になったりする。これが「女心と秋の空」なのだ。だから、次々と彼女を代えたり、一度に複数の女性と付き合ったりする「男心と秋の空」の男性たちは別にかまわないけど、1人の女性だけをずっと愛そうと思っている男性は、この「女心と秋の空」を理解して、自分の好きな女性が昨日と違うことを言ったとしても、約束した当日に違う場所へ行きたいと言い出したりしても、決してワガママだとは思わずに、澄み渡った秋の空のように広い心で包んであげてほしいと思う今日この頃なのだ♪


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