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2018.10.31

人間の欲と都合で絶滅させた動物たち

あたしたち人間による乱獲や自然破壊などが原因で、絶滅させてしまった動物は世界中に数えきれないほどいるけど、その中で、最も短期間で絶滅させてしまった動物が「ステラーカイギュウ」だ。「カイギュウ」は「海牛」、ようするにジュゴンやマナティーの仲間なんだけど、ステラーカイギュウはとてつもなく大きかった。ジュゴンは最大で体長3メートル、体重600キロほどで、マナティーは一番大きなアメリカマナティーが最大で体長4メートル、体重1500キロほどだけど、ステラーカイギュウは最大で体長9メートル、体重は10トンを超える個体もいたという。

ステラーカイギュウは、1741年にベーリング海で発見されたんだけど、最初から寒い海にだけ生息していたワケじゃなくて、10万年前には北太平洋に広く生息していて、現在の日本の近海やカリフォルニアの近海にもいたそうだ。だけど、長い年月の間の気候変動へ海水温の変化などによって、1万年ほど前には寒いベーリング海にだけ生息するようになったという。

そんなステラーカイギュウだけど、体は大きくても昆布を食べてプカプカ浮いている大人しい動物で、警戒心も少なくて殺すのも簡単だった上に、1頭から大量の美味しい肉が取れるため、人間による乱獲が始まった。そして、1741年の発見当時には2000頭以上もいたステラーカイギュウは、わずか27年後の1768年、最後の1頭が殺されて絶滅してしまったのだ。まだ人類がクロマニョン人だった時代から海で平和に暮していたステラーカイギュウは、それから10万年以上かけて進化した人類の手によって、わずか27年という一瞬のうちに絶滅させられてしまった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、ステラーカイギュウの場合は、人間が発見した時点で2000頭ほどしかいなかったから、人間に見つかってしまった以上、遅かれ早かれ絶滅させられることは決まっていた。だけど、人間の欲望とはホントに恐ろしいもので、もしもステラーカイギュウの数が10倍、100倍、1000倍だったとしても、それでも人間は間違いなくステラーカイギュウを絶滅させていたと思う。何故なら、人間は「リョコウバト」も絶滅させているからだ。

リョコウバトは、夏はアメリカの五大湖の周辺の森林にいて、冬はメキシコへ行く渡り鳥で、普通のハトが約30センチなのに対して、約40センチとひとまわり大きかった。そして、何よりのポイントは、その肉がとても美味しかったことだ。そのため、自分たちが食べるだけでなく、街などで高く売れるため、1800年ごろから多くのアメリカ人たちがリョコウバトを乱獲し始めた。でも、当時は誰も心配していなかった。それは、リョコウバトは「世界で最も数の多い鳥」であり、推定で「約50億羽」も生息していたからだ。

それなのに、嗚呼それなのに、それなのに‥‥って、久しぶりに五七五の俳句調で嘆いてみたけど、カネに目が眩んだ当時のアメリカ人たちは、大人のリョコウバトだけでなくヒナまで殺し続け、約100年後の1906年に最後の1羽が撃ち落され、野生種は絶滅してしまった。そして、数年後には動物園などで飼育されていた個体も死んでしまい、完全に絶滅してしまったのだ。リョコウバトは、1回に1個の卵しか産まないため、複数の卵を産む他の鳥より繁殖力が低かったけど、それでも、50億羽もいた鳥をわずか100年で絶滅させてしまうなんて、人間の欲望ってホントに恐ろしい。


‥‥そんなワケで、ステラーカイギュウやリョコウバトの場合は、肉が美味しいから乱獲されて絶滅させられたワケだけど、もっと酷い理由で絶滅させられた動物も多い。たとえば、現在の南アフリカ共和国のあたりに数多く生息していた「クアッガ」だ。シマウマの一種なんだけど、頭から首の付け根までがシマウマと同じシマシマ模様なのに、胴体は茶色で、脚は白い。30~40頭の群れで暮らし、草原の草を食べる大人しい動物だったんだけど、1800年代に西洋からの入植者たちが牛や馬を放牧するため、クアッガは邪魔者として乱獲され、あまり美味しくなかった肉は、黒人の使用人たちの食料にされた。そして、1861年に最後の野生種が射殺され、その後、動物園で飼育されていた最後の個体も死に、絶滅してしまった。

これと同じなのが、有名な「ドードー」だ。ドードーは、モーリシャスに生息していた飛べない鳥で、1500年代にポルトガル人によって島が発見され、入植者の持ち込んだ犬や豚がドードーのヒナや卵を食べてしまい、人間による乱獲も手伝って、1681年に絶滅してしまった。ドードーの肉は「とても食べられないほど不味かった」と言われているのに、どうして人間たちは乱獲したのか?それは「娯楽」としてなのだ。なんて残酷なんだろう‥‥。

ドードーのように飛べない鳥は、人間にとってカッコウの対象で‥‥って、鳥だから「カッコウ」にカケたワケじゃないけど(笑)‥‥カナダやアイスランド、イギリスなどの寒い海に生息していた「オオウミガラス」も飛べない鳥だった。名前は「カラス」だけど、見た目は白黒のツートンカラーでペンギンみたいな鳥で、体長75センチ、体重5キロもある大型の鳥だった。寒い海にいる鳥なので、1600年代から羽毛や脂の原料として乱獲され、卵も食用として採取されたため、1844年に絶滅してしまった。


‥‥そんなワケで、こうした飛べない鳥の中でも、一番かわいそうな殺され方をしたのが、かつてニュージーランドに生息していた巨大な鳥、「ジャイアントモア」だ。ダチョウを大きくしたような姿で、大きなメスは頭までの高さが3.6メートル、体重は250キロもあって、オスはメスより小さかった。このジャイアントモアは、イギリス人が入植する前に、先住民のマオリ族がニュージーランドに移住してから乱獲を始めたため、1500年以前には絶滅してしまったと伝えられているけど、その殺し方が残酷だった。ジャイアントモアは、消化器官である砂嚢(さのう)に飲み込んだ小石を溜めて食べたものをすり潰す習性があったため、マオリ族はその習性を利用して、ジャイアントモアに焼けた小石を飲ませて殺したのだ。

そして、このジャイアントモアと双璧を成す巨大な鳥が、アフリカのマダガスカル島に生息していた「エピオルニス」だ。マダガスカル島には、あたしの大好きな「ワオキツネザル」を始めとして、独自の進化をした動物がたくさんいるけど、このエピオルニスも独自の進化をして来たため、骨格標本などを調べると、少なくとも6~7種の種類がいたと推測されている。そして、その中でも最大の種が「エピオルニス・マクシムス」だった。これまでの研究では、最大で頭までの高さが3.4メートル、体重が450キロと推定されていたので、背の高さではジャイアントモアに負けるけど、体重では倍近くも勝っていた。エピオルニスは、日本語で「象鳥」と言うので、重さならナンバーワンだと思う。

このエピオルニス・マクシムスを始めとしたエピオルニスの仲間たちは、やはり、人間がマダガスカル島へ移住したことによって、乱獲や森林伐採などで絶滅してしまった。1600年代には絶滅したという説が有力だけど、1800年代まで数羽が生き残っていたという説もある。どちらにしても、今は絶滅しているから同じことだけど、今年の9月下旬、大変な研究結果が発表されたのだ!それは、背の高さではナンバーワンだったジャイアントモアと、体重ではナンバーワンだったエピオルニスの「どちらが世界最大の鳥なのか?」という、100年にわたる学者たちの論争に、ついに終止符が打たれる論文だった!


‥‥そんなワケで、まずは、これまでの両者の最大サイズを、分かりやすいようにダチョウと比較してみる。


ダチョウ 2.5メートル 135キロ

ジャイアントモア 3.6メートル 250キロ

エピオルニス 3.4メートル 450キロ


で、これを踏まえた上で、今年9月下旬に英国王立協会の科学誌「ロイヤルソサエティー・オープンサイエンス」に発表された論文の要点を抜き出して紹介する。まず、時系列で説明すると、1894年にイギリスの科学者、C・W・アンドリュース教授が、それまで最大のエピオルニスだとされていた「エピオルニス・マクシムス」よりも大きい「エピオルニス・ティタン」という種の骨格を見つけたと発表した。でも、この教授とライバル関係にあったフランスの教授は、「それは新種ではなくエピオルニス・マクシムスの大きな個体だ」と反論した。

こうした大前提があった上で、今回、世界中のエピオルニスの骨格標本をすべて調査し直したロンドン動物学会のジェイムズ・ハンスフォード教授は、「エピオルニス・マクシムスとエピオルニス・ティタンは、骨格の特徴からまったく別の種であり、エピオルニス・ティタンの最大の個体の骨格標本は、推定体重が860キロ、成体のキリンに匹敵する背の高さだった」という結論を導き出し、論文を発表したのだ。キリンの背の高さは5メートル前後もあるから、このエピオルニス・ティタンは、背の高さも体重もジャイアントモアを遥かに超えていたのだ。

ちなみに、マダガスカル島の原住民たちは、かつて生息していたこの鳥のことを、現地の言葉であるマラガシ語で「大きな鳥」を意味する「ボロンベ・ティタン」と呼んでいて、背の高さはゆうに3メートルを超え、体重は平均で650キロもあったと伝えている。そして、人間がマダガスカル島へ移住して乱獲したために約1000年前には絶滅してしまったけど、最も古い化石から推算すると、ナナナナナント!6000万年も前からマダガスカル島に生息していたと見られている!

地球上に人類の祖先の「猿人」が誕生したのが400~500万年前で、その猿人がジャワ原人や北京原人などの「原人」に進化したのが約180万年前、そして、その原人がネアンデルタール人などの「旧人類」に進化したのが約50万年前で、現在のあたしたちの直接の祖先、クロマニョン人などの「新人類」に進化したのが約20万年前だ。だから、どこからを「人類の歴史」と見るかによって解釈は様々だけど、「現在の人類の歴史」ということになると「約20万年」ということになる。そして、そう考えると、6000万年も前からマダガスカル島で平和に暮していた「飛べない鳥」たちは、あたしたち人類の大先輩だ。それなのに、後から現われた人類たちが、アッと言う間に絶滅させてしまうなんて‥‥。


‥‥そんなワケで、まだ地球上に人類などいなかった約2億年前の恐竜の時代には、絶滅する生物は1000年間にわずか1種だったと言われている。そして、今から300年前でも絶滅した生物は4年に1種、今から100年前でも1年に1種だったと言われている。今回、取り上げたのは、こうした時代に人類が絶滅させてしまった動物たちだ。だから、個体は大きくても絶滅した種類は少ない。だけど、今から半世紀前の1970年ごろから、世界で絶滅する生物の数が急激に増加し始めた。100年前には1年で1種だったものが、約40年前の1975年には1年に1000種、1000倍にも急増してしまったのだ。そして、現在では、なんと1年に4万種以上もの生物が絶滅し続けている。もちろん、これは、小さな昆虫や植物などが大半で、大型の動物や鳥などは数種だけど、人類による環境破壊や海洋汚染、森林伐採や海の埋め立てが原因だ。だから、あたしは、日本で暮している1人の日本人のとして、地球で生きている1人の人類として、「沖縄の辺野古のちゅら海を餌場にしているジュゴンたちを第二のステラーカイギュウにしてしまっては絶対にいけない!」と叫び続けて行く今日この頃なのだ!


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2018.10.24

あたしの好きなお鍋料理

今年の夏は何かの罰ゲームのようにクソ暑かったけど、サスガに10月も下旬になると涼しい日も多くなり、日によっては朝晩に寒さを感じることも多くなって来た。で、朝晩に寒さを感じるようになると、真っ先に恋しくなるのが「鍋料理」だ。「1年365日×3食=1095食」のうち、少なくとも1000食以上を自炊しているあたし的には、これからの時期のメインになる「鍋料理」は、何よりもアリガタイザーだ。何故なら、調理の手間が大幅に省けるからだ。

通常のお料理は、和洋中などジャンルに関係なくお台所で作り、それをテーブルやちゃぶ台に運んで食べるワケで、どんなに簡単なお料理でも、それなりに手間が掛かる。でも、お好み焼きやもんじゃ焼きなど、テーブルにホットプレートを用意して、作りながら食べるお料理の場合は、お台所での準備が少しラクになる。そして、その最高峰なのが、切った具材をテーブルに並べるだけでいい「鍋料理」なのだ。

もちろん、お鍋の種類によっては、お台所である程度は仕込んでおかないと成立しないものもあるけど、大半のお鍋は、切った具材を大皿に並べてテーブルに置くだけで、あとは「作りながら食べる」のだから、調理を担当している者としては、切った肉を出すだけで客に焼かせる焼肉と同じくらいラクチンな料理だと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、みんな大好きなお鍋だけど、世の中の人たちの中には、何だか勘違いしている人もいるみたいだ。毎年、この時期になると、いろいろな媒体が「好きな鍋料理ランキング」というアンケート調査を行なって発表するけど、トップ5とかトップ10とかを見ると、必ず「しゃぶしゃぶ」や「おでん」がランクインしている。たとえば、これはちょっと古いけど、2年前の2016年の女性誌『CanCam (キャンキャン)』のアンケートで、こんな結果が出ている。


1位「寄せ鍋」

2位「すき焼き」

3位「しゃぶしゃぶ」

4位「水炊き」

5位「おでん」


「寄せ鍋」は完全に鍋料理だし、「すき焼き」や「水炊き」も鍋料理と言っても問題ないけど、「しゃぶしゃぶ」や「おでん」が鍋料理って、おいおいおいおい!そこは違うだろ?鍋料理とは「テーブルに用意した鍋の中に複数の具材を入れてコトコトと煮込みながら食べる料理」のことなのだから、熱湯にくぐらせるだけの「しゃぷしゃぶ」や、お台所で作ってからテーブルに運んで食べる「おでん」は、どう見たって「似て非なるもの」だろ?

そもそも、「しゃぶしゃぶ」が鍋料理だと言うなら、「チーズフォンデュ」だって鍋料理になっちゃうし、「おでん」が鍋料理だと言うのなら、大鍋で作ったカレーだってシチューだって煮物だって、みんな鍋料理になっちゃう。鍋料理というのは、あくまでもテーブルやちゃぶ台などの「食卓」にガスコンロを置き、そこで土鍋や鉄鍋に出汁を張り、食卓で具材を煮ながら食べる料理のことで、この「具材を煮ながら食べる」という過程にこそ意味があるのだ。

ま、その辺のことを言い出すとキリがなくなっちゃうので、今回はスルーして行くけど、あたしが一番好きな鍋料理は「湯豆腐」で、二番目に好きなのが「池波正太郎風の深川鍋」だ。で、「湯豆腐」は誰でも知ってるだろうし、あたしの好きな「湯豆腐」についても過去に何度か書いているので、今回は、あたしが二番目に好きな「池波正太郎風の深川鍋」について、詳しく紹介しようと思う。

まず、「深川鍋」だけど、これは東京の下町の深川で庶民が好んで食べていた簡単な鍋だ。土鍋に水を張り、10センチほどに切った乾燥昆布を1枚沈めて、しばらくしたら火に掛けて、沸騰しないように弱火で出汁を取る。用意する具材は、たった二種類、アサリの剥き身と斜めにスライスした長ネギだけだ。そして、いい感じに昆布の出汁が出たら、白味噌か合わせ味噌を溶いて味噌仕立てのスープにして、そこにアサリの剥き身をドバッと入れて、長ネギもドバッと入れて、煮えたら食べるだけだ。これが東京の庶民の味、「深川鍋」で、これをご飯に掛けたものを「深川丼」と呼ぶ。

あたしが生まれて育ったのは東京の渋谷、ようするに「山の手」だけど、あたしの母さんは下町の人なので、子どものころからあたしの食べるものは下町の味が多かった。東京の人たち、特に下町の人たちはゴチャゴチャした見映えを嫌うから、お正月のお雑煮も至ってシンプルで、カツオ出汁のお醤油ベースのスープに入れる具材は小松菜だけ、多くてもカマボコを1枚加える程度で、そこに焼いた角餅を入れたのが定番だった。

だから、歳を重ねて日本各地のお雑煮を知るようになった時、あたしは、鶏肉だのエビだの何だのとゴージャスな具材がおてんこ盛りの田舎のお雑煮を見て、「粋じゃないなあ」「貧乏くさいなあ」と思ったものだ。重箱のおせち料理がゴージャスなのだから、お雑煮くらいはシンブルに行かないと粋じゃないのに、お雑煮にまでアレやコレやと豪華な具材を入れたがる発想が、東京の下町の感覚からすると「ザ・田舎の風習」に見えてしまった。

で、「深川鍋」も同じ原理なのだ。アレやコレやと豪華な具材を入れたゴチャゴチャのお鍋よりも、メインが一品、野菜が一品、合計二品だけのシンブルなお鍋、極限まで無駄を削り落としたお鍋こそが、東京の下町の人たちに好まれた粋でイナセな鍋料理なのだ。これは、あたしは実際に作って食べてみたことがある。サスガに国産のアサリの剥き身なんて大量に買ったら高いから、あたしは中国産のアサリの剥き身のボイルしたやつを使ったんだけど、それほど美味しくはなかった。

つーか、美味しいことは美味しかったんだけど、あたしは、そもそも味噌味のお鍋がそれほど好きじゃないのだ。あたしは、ほぼ毎日、朝と晩にはお味噌汁を飲んでいるので、これでお鍋までが味噌味だと、ぜんぜん新鮮味を感じないのだ。だけど、土鍋で昆布の出汁を取り、具材がアサリの剥き身と長ネギだけという「深川鍋」のシンプルさは捨てがたい。そんな時、あたしが知ったのが、食通としても有名だった池波正太郎の時代小説、テレビドラマでは『必殺仕掛人』として大ヒットした名作の『仕掛人・藤枝梅安』に登場する「浅利と大根の小鍋だて」だった。


‥‥そんなワケで、池波正太郎の代表作のひとつ『仕掛人・藤枝梅安』のシリーズには、いろいろなお料理が登場するけど、『梅安最合傘―仕掛人・藤枝梅安(三)』(講談社文庫)には、あたしが「池波正太郎風の深川鍋」と名づけた「浅利と大根の小鍋だて」が登場する。具材はアサリの剥き身と千六本に切った大根だけ、つまり、「深川鍋」の長ネギを大根に変えたものだ。そして、これは、味噌味じゃない。以下、その部分の描写を引用して紹介する。


<引用ここから>
春の足音は、いったん遠退いたらしい。毎日の底冷えが強く、ことに今夜は、(雪になるのではないか‥‥)と、おもわれた。梅安は、鍋へ、うす味の出汁を張って焜炉をかけ、これを膳の傍へ運んだ。大皿へ、大根を千六本に刻んだものが山盛りになってい、浅利のむきみもたっぷり用意してある。出汁が煮え立った鍋の中へ、梅安は手づかみで大根をいれ、浅利を入れた。千切りの大根は、すぐに煮える。煮えるそばから、これを小鉢に取り、粉山椒をふりかけ、出汁とともにふうふう言いながら食べるのである。このとき、酒は冷のまま、湯のみ茶わんでのむのが梅安の好みだ。
<引用ここまで>
※池波正太郎著『梅安最合傘―仕掛人・藤枝梅安(三)』(講談社文庫)より引用


何と美味しそうな描写なんだろう?もちろん、これは池波正太郎の感性と筆力によるものだけど、これほど美味しそうに書かれてしまったら、どうしても同じものを作って食べてみたくなる。そして、何度も読み返してみたんだけど、味噌なら味噌と書くはずだから、単に「うす味の出汁」としか書いていないということは、これは醤油味か、醤油の前の「ひしお」で味付けされていると推測できる。それに「粉山椒」を振りかけているのだから、やっぱり味噌とは考えにくい。逆に、うす味の醤油の出汁なら、アサリの剥き身から出たコクと大根から出た甘味をさらに引き出すために「粉山椒」は必需品ということになる。


‥‥そんなワケで、当時のあたしは、さっそくこれを作って食べてみた。またまた生のアサリの剥き身は築地(当時)とかに行かないと買えそうもなかったから、スーパーの中をウロウロしていたら、冷凍食品のコーナーにアサリの剥き身をボイルしたものがあった。よく「シーフード・ミックス」とかでイカやエビやアサリが混ざっているのがあるけど、アレのアサリだけのバージョンだ。今から15年くらい前なので、今はもっと高くなっているかも知れないけど、当時は1袋に150グラムくらい入っていて、たぶん200円台の前半だった。

そして、1本98円の大根も買い、実際に「池波正太郎風の深川鍋」を作って食べてみた。そしたら、美味しいことは美味しかったんだけど、お酒を飲みながら食べようと思っていたあたしには、ちょっと味が薄かった。だけど、お鍋にお醤油を足したら、本来の味とは違ってしまう。そこで、あたしは、小鉢にポン酢を入れ、それをお鍋の出汁で2倍くらいに割り、それで食べてみたら、めっちゃ美味しかった。ただし、ポン酢を使う場合は、粉山椒よりも紅葉おろしのほうが合う。


‥‥そんなワケで、この「池波正太郎風の深川鍋」は、あたしの中でジョジョに奇妙に進化して行き、そのうち、三品目の具材としてお豆腐を入れるようになった。だけど、そうなると、あたしが一番好きな「湯豆腐」に近くなってしまう。あたしの「湯豆腐」は、昆布で出汁を取り、絹ごし豆腐、銀ダラ、長ネギ、春菊が具材の四天王だけど、その時によって残っているお野菜などがあれば、白菜とかエノキとか何でも入れてしまう。そして、銀ダラが高くて買えなかった時には、銀ダラ抜きの「湯豆腐」を作って食べることもある。

サスガに、豆腐を抜いたら「湯豆腐」にはならないけど、豆腐さえあれば他の具材は何でもいいワケだ。一応、それまでは、「長ネギがないと甘味が出ないよな」とか「春菊のほろ苦さは必須だよな」とか思っていたけど、「池波正太郎風の深川鍋」の美味しさを知り、ここにお豆腐を加えても美味しいということを知ったあたしは、逆転の発想で、「湯豆腐」の銀ダラの代わりにアサリの剥き身を使い、長ネギの代わりに大根の千六本を使っても、いつもとは少し変わった美味しい「湯豆腐」になることを発見したのだ。

ちなみに、あたしは、「湯豆腐」にしろ他のお鍋にしろ、お鍋にお豆腐を入れる時には、お豆腐のパックを開けて、そのままお鍋に入れるようなことはしない。あらかじめ、少し深さのあるお皿に絹ごし豆腐を出して、ラップをしてから冷蔵庫へ入れて、お皿の底の片側に何かを噛ませて傾斜を作り、お豆腐の自重で水を切る。こうして水を切ってからお鍋に入れると、そのまま入れるよりも出汁を吸ってくれるから、特にお豆腐の美味しさを楽しむ「湯豆腐」の場合は味わいがグッとアップする。


‥‥そんなワケで、今日は最後に、お役立ち情報を書いておこうと思う。さっき紹介した池波正太郎の『仕掛人・藤枝梅安』のシリーズには、今回、取り上げた「浅利と大根の小鍋だて」を始め、美味しそうなお料理がいろいろと登場するけど、このシリーズの中から、お料理に関するシーンだけを抜き出して解説を添えた便利な一冊が、『梅安料理ごよみ』(講談社文庫)なのだ。この本は、アマゾンとかには「池波正太郎著」って紹介されているけど、これは間違い。冒頭に池波正太郎のインタビュー的な記述はあるけど、全編にわたって解説を加筆しているのは佐藤隆介氏と筒井ガンコ堂氏だ。だから、「池波正太郎著」だと思い込んで読み始めると「はあ?」って感じになっちゃうけど、そうじゃないと分かっていれば、とっても面白くて役に立つ一冊になる。今回のエントリーを読んで興味を持った人は、ぜひ読んでみてほしいと思った今日この頃なのだ。


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2018.10.19

狂い咲きサクラロード

日本は全国的に秋だと言うのに、10月の頭ごろから、あたしがネットでよく観ている「ウェザーニュース」に「桜(ソメイヨシノ)が咲いている」という目撃情報が全国各地から届き始めた。そして、「ウェザーニュース」が10月12日~14日までの3日間、全国の視聴者に緊急調査を行なったところ、「桜(ソメイヨシノ)が咲いていた」という報告が354件も寄せられた。

分布図を見てみると、関東、東海、近畿の太平洋側が最も多かったけど、北は北海道から南は九州まで、また、北陸など日本海側にも見られ、沖縄以外のほぼ全国に分布していた。咲いているのはソメイヨシノだけで、沖縄の桜は「カンヒザクラ(寒緋桜)」なので咲かなかったんだと思う。

今回のソメイヨシノのように、本来は春に咲くはずの桜が季節外れの秋に咲いたりすることを「狂い咲き」「帰り咲き」「返り咲き」「二度咲き」などと呼び、その花のことを「狂い花」「帰り花」「返り花」「忘れ花」などと呼ぶんだけど、桜の他にも、梅、梨、ツツジなど、いろいろな花に見られる。だけど、今回のように、ほぼ全国的に見られるのはホントに珍しい。春に桜の開花が南から北へと上って行くことを「桜前線」と言うけど、今回の全国規模の「狂い咲き」は、『狂い咲きサンダーロード』ならぬ「狂い咲きサクラロード」とでも呼びたくなる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、どうしてこんなことになっちゃったのかと言うと、今年は夏から秋にかけて大型の台風がいくつも上陸したため、強風や塩害で桜の葉が落ちてしまったからなのだ。桜の花芽は夏に作られるんだけど、花芽の根本にある葉からアブシジン酸という休眠ホルモンが花芽へと送られて、この休眠ホルモンの作用で花芽は硬くなって咲かなくなり、冬の寒さにも耐えられるようになる。

ようするに、アブシジン酸は花芽を「冬眠」させるためのホルモンというワケだ。そして、冬になって葉を落した桜は、春になって開花にちょうどいい気温になると花を咲かせる。でも、今年は、大型の台風の上陸が多かったため、強風と塩害で葉を落してしまった桜は休眠ホルモンが花芽に供給されず、花芽はずっと目を覚ましたままで、10月の暖かい日に花を咲かせてしまったのだ。

だから、台風以外の原因でも、夏から秋にかけてほとんどの葉を失ってしまった桜は、10月から11月にかけて暖かい日が続くと、今回のように「狂い咲き」をする。たとえば、長野などでも問題になっているけど、何年かに一度、アメリカシロヒトリの幼虫が大量発生すると、桜の葉は葉脈を残してほとんど食い尽くされてしまうので、秋から冬にかけての気温によっては「狂い咲き」することになる。

だけど、どんな原因にしろ、この時期に桜が咲いちゃうと、来年の春はどうなっちゃうんだろう?‥‥って心配になってくるけど、それは問題ない。「狂い咲き」と言うのは、春の満開の桜のように1本の木のすべての花芽が満開に咲くワケじゃなくて、あっちの枝に1つ、こっちの枝に2つ、という感じでポツポツと咲くので、他の花芽はちゃんと春を待っている。だから、多少は花の数が少なくなるけど、春になればそれなりにちゃんと咲く。そして、「狂い咲き」しなかった桜は例年通りに咲くから、ほとんど問題はない。


‥‥そんなワケで、さっき、桜の他にも、梅、梨、ツツジなど、いろいろな花が「狂い咲き」すると書いたけど、これは、「帰り花」「返り花」を詠んだ俳句を見るとよく分かる。たとえば、次の芭蕉の句だ。


凩に匂ひやつけし帰り花 松尾芭蕉


凩(こがらし)は「木枯らし」とも書くことから分かるように、晩秋から初冬にかけて吹く冷たい北風で、俳句では初冬の季語とされている。だから、この句は、暖かい小春日が何日か続き、帰り花が咲いた後に、急に冷え込んで北風が吹いたのだろう。そして、その北風が、ほんのりと花の香りを運んできたのだ。桜は満開でも香りは感じないので、これは梅の帰り花を詠んでいるのだ。


正月や浜の茨(いばら)の返り咲き 臼田亜浪

返り咲きしたる山葵(わさび)の花と見ゆ 青葉三角草

小春日に菫(すみれ)も返り咲きにけり 室生犀星

母の亡き家山吹(やまぶき)の返り花 大木あまり

雪柳(ゆきやなぎ)清め塩ほど返り咲き 朝倉和江


これらの句は、どれも花の名前を詠んでいるので、最初の芭蕉の句のように推測する必要はないけど、最後の雪柳の句からは面白いことが分かる。雪柳は春の桜のすぐあとに咲く花で、長い尾のような形に小さな白い花がたくさん咲くので、とっても美しくてあたしは大好きだけど、それが「清め塩ほど」だと詠んでいる。つまり、本来なら長い花茎にビッシリと密集して咲く花なのに、ここでは「ひとつまみの塩」のように、ほんの少しだけ咲いていると言っているのだ。

桜のところでも書いたように、「狂い咲き」はすべての花芽が開花するワケじゃなくて、全体の数パーセントだけが開花する。だから、雪柳の他に紹介した句も同じことなのだ。白い花がたくさん咲く茨や山葵、淡い青色の可愛い花がたくさん咲く菫、黄色い花がたくさん咲く山吹など、どれも本来の開花時期に見れば満開で美しいけど、これらの句はすべて「返り花」なので、たくさんある花芽のうち、ほんの1つか2つだけが咲いていたのだ。

「狂い咲き」や「狂い花」という言葉のニュアンスから、本来は春に咲く花が、季節外れの秋や冬に満開になっているような錯覚を起こしてしまうけど、実際にはポツンポツンと咲いているだけなので、どちらかと言うと「忘れ花」と言うほうがイメージが近い。そして、こうした咲き方をちゃんと知った上で句を読むと、見えてくる景も違ってくる。たとえば、さっき紹介した臼田亜浪(うすだ あろう)の茨の句だ。


正月や浜の茨(いばら)の返り咲き 臼田亜浪


年末から年明けにかけて海を臨む旅館で過ごした亜浪は、朝、ひとりで海岸を散歩していたら、浜にのたうっている茨を見つけたのだろう。そんな時、この句を読んだ人が「たくさんの花を満開にした茨」を想像してしまったら、本来の景と大きく変わってしまうだけでなく、句の向こう側にある亜浪の心情までもが大きく変わってしまう。

特に、この句の場合は「正月」なのだから、ここに「満開の花」が取り合わされれば、それがたとえ茨の花であったとしても、とても明るくおめでたい句になってしまう。でも、「返り花」の咲き方を知っていれば、こうした誤読はせずに、実際に亜浪が見た景、ほんの2つか3つほどの花だけがポツンポツンと咲いている景を想像するため、この句を詠んだ時に亜浪が感じた「わび」や「さび」を共有することができるのだ。


‥‥そんなワケで、久しぶりにマジメな俳句講座をひらいちゃったので、ここからはリトル車線変更して、大人の世界に突入しようと思う。実は、松尾芭蕉も俳句の詠んでいる「帰り花」には、もうひとつの意味がある。それは、一度、身請けされた遊女が、何らかの事情で、また遊女となって遊廓に戻って来ることを「帰り花」と呼んでいたのだ。大金と引き換えにお金持ちに身請けされるのだから、こうした遊女たちはそれなりに美人なワケで、そんな女性が何年後かに遊女となって遊廓に戻って来るのだから、まさに「帰り花」といった風情を感じる。

有名な『義経記(ぎけいき)』をベースにして、江戸時代初期の元禄13年(1700年)に浄瑠璃作家の西沢一風(いっぷう)が書いた『浮世草子・御前義経記(ごぜんぎけいき)』にも、身請けされた遊女が遊廓に戻って来たことを「御身はまたまた廓(くるわ)に帰り花」と書いている。ちなみに、この『御前義経記』は、主人公の元九郎今義(げんくろういまよし)が、生き別れになった母と妹を探しながら全国を旅する物語なんだけど、それが、ナナナナナント!全国の遊廓を巡って「色道」の研鑚を積みながら母と妹を探すのだ!これって、完全に『高校生無頼控(ぶらいひかえ)』じゃん!

『高校生無頼控』は、原作が小池一雄、作画が芳谷圭児というコンビによる劇画で、有名だから読んだ人も多いと思うけど、知らない人のためにザックリと説明すると、主人公のムラマサこと村木正人が、過激派のリーダーで行方不明の兄、村木鉄人を探すために、高校を中退して全国を旅するというストーリーだ。そして、この劇画のポイントは、ムラマサが行く先々でいろいろな女性をナンパしてラブラブな関係になるも、最後には別れて次の目的地へ向かう、という点だ。でも、ムラマサは「剣道」が強くて、いつも愛用の竹刀と防具を持って旅をしているので、ある意味、主人公の元九郎今義が「色道」を極めるために全国の遊廓を巡る『御前義経記』よりも、『高校生無頼控』のほうが『義経記』に近いように思う(笑)


‥‥そんなワケで、『高校生無頼控』は、主人公ムラマサが探している兄が過激派のリーダーだけど、石井聰亙監督(現・石井岳龍)が日大芸術学部に在学中の若干22歳の時に製作した映画『狂い咲きサンダーロード』は、小林稔侍さんがゲイの右翼のリーダーという複雑な役を熱演している。ま、これはどちらも創作だし、そもそも人間の思想の左右などに関係なく誰にでも分け隔てなく咲くのが花なのだから、たとえ「狂い咲き」でも同じことだ。大型の台風という自然の力がもたらした「狂い咲き」という自然の摂理は、自然に逆らって生きているあたしたち人間にも、分け隔てなく「狂い咲きサクラロード」を見せてくれたのだと思う今日この頃なのだ。


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2018.10.16

頭にセミ、肩にバッタ

「自分の目を疑う」って良く使われる表現だけど、実際に自分が遭遇することはメッタにないと思う。『太陽にほえろ』で松田優作が演じたジーパン刑事が、自分のお腹から流れる血で真っ赤に染まった両手を見ながら「なんじゃこりゃ~!」って叫んだのは、まさに「自分の目を疑う」ような出来事なワケだけど、現実世界では、こんなことメッタにない。小説やドラマや映画などの創作媒体ならともかく、今の日本で普通に生活していたら、そうそう出会うことはない‥‥なんてふうに書き出してみたけど、実はあたし、今年の夏に「自分の目を疑う」ような出来事に遭遇したのだ。

だけど、そのうちブログにでも書こうかと思っているうちに月日が流れ、暦の上だけじゃなく体感的にも秋が訪れちゃったワケで、このまま冬に突入したら、いよいよ書くチャンスを失っちゃうので、まだ少しは暑い日が残っている今のうちに、急いで書いておこうと思ったワケだ。で、今回はマクラを短めに切り上げて、トットと本編に入ろうと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは普段から、特に買う物がなくても値段を調べるためにチョクチョクとスーパーを覗いたりしているんだけど、今年の夏は死ぬほど暑い日が続いたから、仕事の帰りとかに「涼む」という目的で、いつもより頻繁にスーパーに通っていた。そして、とにかく真っ先に冷凍食品のコーナーへ行き、商品を選んでいるふりをして涼んでいた。そんなある日のこと、いつものようにあたしが冷凍食品のコーナーで涼んでいたら、入口のほうから70代くらいの老夫婦がやって来た。聞いたワケじゃないけど、見た感じからして、たぶん、ご夫婦だと思う。

その老夫婦は2人ともオシャレで、先を歩く奥さんのほうは、シックな色合いの涼しげな麻のワンピに品のいいボレロを羽織っていて、1メートルほど後ろを歩く旦那さんのほうも、涼しげな半袖シャツにチノパンで、ループタイをして真っ白なベレー帽をかぶっていた。軽井沢の別荘で絵でも描いていそうなイデタチで、2人とも小柄なので「可愛いご夫婦だな」と思った。もちろん、そんなにジロジロと見たワケじゃなくて、実際にはほんの数秒、チラッと見ただけだ。そして、あたしは、また冷凍食品を選ぶふりを始めた。

その時である!その老夫婦が歩いて来た入口のほうから「お客さま~!お客さま~!」という声がしたので、あたしは、また同じほうに目をやった。そしたら、いつもはレジにいる50代後半くらいのパートのおばさんが、「お客さま~!お客さま~!」と呼びながらこちらへ小走りに近づいて来る。この冷凍食品のコーナーの前には、あたしとその老夫婦しかいなかったので、その老夫婦を呼んでいるのは間違いなかった。

その声で、まず旦那さんのほうが振り返り、続いて奥さんのほうも振り返った。そして、パートのおばさんと旦那さんが向かい合う形になった。2人とも小柄で身長は同じくらいだった。すると、そのパートのおばさんが、旦那さんに向かって小声で何か言った後、少し離れた場所にいるあたしにも聞こえるくらいの声で「すみません!」と言いながら、水泳のクロールのように右腕を回して、旦那さんの頭の脳天を平手で叩いたのだ!あたしは、自分の目を疑ってしまった。

突然、眼前で「自分の目を疑う」ようなことが起きると、脳内にドーパミンとかがドバッと流れて瞬間的にスーパーサイヤ人みたいになるのか、あたしは、あたしの眼前で起こった出来事が、まるでスローモーションのように見えたのだ。車に撥ねられて空中を飛ばされて死ぬまでのホンの数秒の間に、その人の脳には自分の人生のダイジェスト版が走馬灯のようにリプレイされると言うけど、これって体感的には10~15分くらいの映像だと言われている。車に撥ねられてから死ぬまでを3秒だとすれば、10~15分の映像は200~300倍に該当するから、それこそスーパーサイヤ人的な脳内麻薬の分泌量だと思う。

ま、あたしの場合は、車に撥ねられたワケでもないし、自分の命が危険に晒されているワケでもないし、ただ単に自分の眼前で起こった理解不能な出来事を特等席で見ている1人の傍観者に過ぎないから、スーパーサイヤ人ほどのドーパミンは出なかったと思うけど、それなりに何らかの汁が脳内に出たと思う。そして、その汁の効果によって、あたしにはパートのおばさんの腕の動きがスローモーションに見えたのだ。パートのおばさんの右腕は、まるで分度器のように、まるでフォルクスワーゲンのビートルのように、まるで月齢22の下弦の月のように、美しく半円を描きながら老夫婦の旦那さんの脳天へと振り降ろされて行った。

そして、いったい何が起こったのか、まったく理解できないあたしは、ほんの数秒の間に、「品(ひん)が良く見えるご夫婦なのに、もしかして万引きでもしたのか?」→「もしもそうだったとしても、それなら店を出たところで捕まえるはずだし、店員が店内でお客の脳天を叩くなんて考えられない」→「まさか、このパートのおばさんは連日の猛暑で頭がおかしくなっちゃったんだろうか?」‥‥などと、その3人を凝視したまま、マッハのスピードで思考を巡らせた。

すると、次の瞬間、パートのおばさんが旦那さんの脳天から静かに右手を上げ、その手から「ジジ~ジジ~ジジ~」という大きな音が鳴り響いたのだ。そう、アブラゼミだ!パートのおばさんは、「先ほど、お客さまがご入店された際に、白いお帽子に何か付いているように見えたので‥‥」と説明し、旦那さんはペコペコと頭を下げてお礼を言い、奥さんはパートのおばさんが持っているアブラゼミを覗きこんでクスクスと笑っていた。つまり、この老夫婦が入店した時に、旦那さんの白いベレー帽に何か変なものが付いていることに気づいたレジのおばさんが、その時に担当していたお客のレジを済ませてから、この老夫婦を追って来たっていうワケだ。


‥‥そんなワケで、ネタさえ分かれば「な~んだ」って話だけど、その場に居合わせたあたしには、突然、店員さんがお客さんの脳天を平手で叩いたように見えたので、自分の目を疑ってしまったのだ。そして、この出来事があってから、あたしは、完全に忘れていた遥か昔の似たような自分の体験を思い出してしまった。

今から15~6年くらい前のこと、あたしはちょっと大きな仕事が契約できそうだったので、早めに東京駅の近くの広告代理店(と言えば名前を伏せても分かっちゃうけど)に向かった。この日は契約だけで仕事道具は必要なかったので、車を使わずに電車で向かった。そしたら、約束の時間より1時間近くも早く着いてしまったので、売店でお茶を買って近くの公園で時間を潰すことにした。秋口とは言え、まだ日差しが暑かったので、あたしは木陰のベンチに腰掛けた。ベンチの後ろは草むらで、背の高い雑草が生い茂っていた。

そして、約束の時間の15分前になったので、その広告代理店に向かった。担当のプロデューサーとは電話で何度か話しただけで、実際にお会いするのは初めてだったけど、すごく気さくで感じのいい人だったので、昔からの知り会いのように思えた。仕事の内容については電話とメールでほとんど済んでいたので、簡単な確認事項が終わると、サクサクと契約へと進み、30分ほどで完了した。あたしは丁寧にお礼をいい、平静を装って会議室を出たけど、エレベーターに乗ったらあたし1人だったので、「よっしゃ!」とガッツポーズをしてしまった。

ビルを出たあたしは、ホッとしたのと嬉しいのとで、急にお腹が減ってしまった。それで、すぐ近くのマックに入った。当時は、今と違ってジャンクフードも普通に食べていたのだ。そして、フィレオフィッシュとホットコービーを買って空いていた席に着き、さっそく食べ始めた。あたしの座った席は、左側が窓になっていたので、食べながら何気なく左を向いて外を見た。そしたら、あたしの視界の左端の下あたりに自分の左肩が入り、そこに何かの異物のようなものが見えたのだ。あたしは、この日、黒のブラウスを着ていたんだけど、何か黄緑色の物が見えたのだ。

それで、もう一度、ちゃんと見てみたら、ナナナナナント!あたしの肩にバッタが乗っていたのだ!ビックリして反射的に右手で払うと、そのバッタはピョンとテーブルの上に跳び、ピョンピョンとどこかへ行ってしまった。5センチくらいある大きなショウリョウバッタだった。こんなバッタ、いったいどこで肩に乗ったんだろう?あたしは、ここまでの自分の行動を巻き戻して思い出してみた。そしたら、どう考えても、時間を潰すために腰掛けていた公園のベンチしかないという結論に達した。

そう言えば、広告代理店の会議室で打ち合わせをしている間、担当のプロデューサーは、あたしの顔を見ながら話しつつ、時々、チラチラとあたしの左肩のほうに目をやっていたような気がして来た。でも、気づいていたなら教えてくれればいいし、もしかして、肩に小鳥を乗せている人のように、あたしがペットのバッタを肩に乗せて仕事に来たと思ったんだろうか?‥‥って、そんなワケはない。

それとも、「バッタの形のブローチ」だとでも思ったんだろうか?だとしても、肩にブローチをする人なんていないし、やっぱり気づいてなかったのかな?どちらにしても、あの公園のベンチであたしの肩に乗ったんだとしたら、なんだかんだで1時間近くも乗っていたことになる。とにかく、気づかれていなければいいけど、気づかれていたら恥ずかしい。でも、あたしは、この仕事が終わるまで、プロデューサーに確認することができなかった。


‥‥そんなワケで、このバッタ事件は、気づかれていなければセーフだし、気づかれていたら恥ずかしいけど、それでもあたしが何かやらかしたワケじゃないから、恥ずかしさのレベルは低い。ただ、15年以上も過ぎて完全に時効が成立した今、あたしとしては、恥ずかしいでんでん‥‥じゃなくて、恥ずかしいうんぬんよりも、肩にとまったバッタが1時間近くもジッとしているもんなのだろうか?‥‥という、純粋な疑問のほうが大きくなっていた。

百歩ゆずって、あたしが公園のベンチで文庫本でも読んでいて、1時間も2時間も動かずに座っていたのなら、たまたま、あたしの肩に跳び乗ったバッタが、そのままジッとしていたとしても不思議じゃない。だけど、あたしは、30分ほどでベンチから立ち上がり、距離にして数百メートルも歩き、ビルに入り、広告代理店の受け付けを済ませ、エレベーターに乗って指定された会議室へ行き、そこでも30分ほど過ごし、またエレベーターに乗って1階へ降り、そこから右へ行ったり左へ行ったり横断歩道を渡ったりしてマックに入り、マックで注文をして席に座るまで、ずっとあたしの肩にとまっていたなんて、そんなことがあるのだろうか?

さらに言えば、この時、あたしは、バッタがとまりやすそうな木綿とか麻とかの生地のブラウスを着ていたワケじゃなくて、ツルツルしたシルクの生地のブラウスを着ていたのだ。いつも木とかにガシッととまっているセミとか、明らかに脚の力が強いカブトムシやクワガタムシならともかく、バッタの脚はジャンプに特化したものだから、何かに掴まって長時間そのままの態勢でいるのには向いていないような気がするのだ。

セミにしてもカブトムシにしても、脚の力が強いだけじゃなく、脚の先にギザギザみたいなのがあるから、木にとまったり木に登ったりするのが得意だ。だから、たとえツルツルのシルクの生地のブラウスでも、その特性を生かして長時間とまっていることが可能だと思う。でも、ジャンプするために発達した後脚の他は、なんかオマケみたいな脚しかないバッタが、果たしてツルツルのシルクの生地のブラウスに1時間もとまっているなんて、本当に可能なのであろうか?


‥‥そんなワケで、この謎は、意外と簡単に検証することができた。つい数日前のこと、あたしは自宅から原チャリに乗って、いつものスーパーに行ったんだけど、スーパーに到着して駐輪場に原チャリを停めた時、あたしは、自分のデニムパンツの裾に3センチくらいのショウリョウバッタの赤ちゃんがとまっていたことに気づいたのだ。あたしが原チャリを停めている自宅のスペースは、今、時期的に雑草が生い茂っていて、そこにはショウリョウバッタがたくさんいる。そして、この3センチくらいの赤ちゃんバッタが、数えきれないほどピョンピョンと跳びまわっているのだ。

あたしは、その場所から原チャリを出して、跨ってエンジンを掛けたら、後はスーパーまでずっと道路を走っていた。赤信号や一時停止では止まったけど、そこも舗装された車道の上だから、そんな場所でデニムパンツの裾にバッタが跳び付く可能性は極めて低い。つまり、あたしが自宅で原チャリを出した時にバッタが跳び付き、そのままスーパーまでデニムパンツの裾にしがみついていたということになる。

生地はデニムだから、ツルツルのシルクよりも掴まりやすいと思うけど、それでも、あたしの自宅からスーパーまではアクセル全開でも10分以上は掛かる。アクセル全開で爆走すれば、ステップの上の足元にだって強風が巻き込んで来るし、まだまだ脚の力が弱いであろう赤ちゃんバッタが、そんな状況で風に飛ばされずに10分以上も耐えていたなんて‥‥。


‥‥そんなワケで、よくよく考えてみると、バッタって、特にショウリョウバッタって、細長い草の葉にとまっていたりする。場合によっては、雨の日のチョウチョのように、葉の裏に逆さ向きにとまっていたりする。ショウリョウバッタはカマキリと同じで黄緑色のと薄茶色のがいるけど、黄緑色のショウリョウバッタが細い草の葉にとまっていると、野鳥などの天敵に見つかりにくくなる。で、こうした葉にとまっても滑り落ちないということは、一見、頼りなさそうに見えるバッタの脚だけど、きっと先端あたりに細かいギザギザとかがあって、葉の表面などのツルツルした場所にもとまれるようになっているんだと思う。そうであれば、デニムなんて朝メシ前で、ツルツルのシルクにだって長時間とまっていられると思った。樹液を吸うためにガシガシと木に登るカブトムシの脚は見るからに立派で力強いけど、細いバッタの脚にも生態に適した繊細な機能が備わっていたのだ。そして、そう考えると、子どものころのトラウマでバッタのお腹が恐いあたしだけど、15~6年前のあの日、人脈を持たないフリーのあたしが、ヘアメイクという繊細な職種で大きな仕事をいただけたのは、肩に乗っていたショウリョウバッタの御利益(ごりやく)だったのかもしれない‥‥なんて思った今日この頃なのだ。


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2018.10.10

チューリッヒ先生とリコーダー

中学校や高校になると、国語の先生、数学の先生、英語の先生‥‥っていうふうに、教科によって先生が変わるけど、小学校の時は担任の先生がほとんどの科目を担当しているから、先生が変わる音楽の授業は新鮮だった。もちろん、これはあたしの場合で、担任の先生が音楽や体育も担当しているケースもあるし、図工や家庭科だけ別の先生というケースもある。でも、あたしの場合は、体育も図工も担任の先生で、音楽だけが別の先生だった。

ちなみに、あたしの時代はコレが普通だったけど、2011年に公立の義務教育の学校に関する法律が改正されたため、最近では小学校でも中学校や高校と同じに、教科ごとに担当の先生が授業をする「教科担任制」を導入するところが増えて来た。最も多いのは、4年生まではこれまで通りに担任が全教科を担当し、授業内容が難しくなって来る5年生と6年生だけ、この「教科担任制」を導入するというパターンだ。

これまでの「学級担任制」と新しく導入され始めた「教科担任制」、どちらにもメリットとデメリットがあると思うので、教育問題に疎いあたしがテキトーなことは言えないけど、導入するにしても最初から1年生から6年生まですべてを「教科担任制」にしてしまうとデメリットが大きかった場合に大変そうなので、多くの導入校と同じように、まず最初は高学年の5年生と6年生だけ「教科担任制」にして何年間か様子を見てみる‥‥というのが良さそうな気がする。

で、ここまで読むと、今回は小学校の「教科担任制」を取り上げるマジメなエントリーみたいだけど、そんなこたーない。難しい教育問題は専門家の皆さんにお任せしておき、あたしはいつものように肩の力を抜いて読める面白おかしいエントリーを書こうと思ってる。無理に自分の苦手な分野に手を伸ばさずに、それぞれが自分の得意分野を担当する。これこそが、ホントの意味での「教科担任制」だと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしの通っていた小学校は、東京の渋谷区の真ん中にある区立の小学校だったんだけど、ほとんどの科目を担任の先生が担当していて、ピアノのある音楽室に行って行なう音楽の授業だけが専門の先生だった。もう少し詳しく言うと、1年生と2年生の時は音楽も担任の先生が担当していて、3年生から専門の先生になった。これは、最初から「3年生からは専門の先生」と決まっていたのか、それとも、たまたまあたしが3年生になった時に専門の先生が赴任して来たのか、その辺のことはぜんぜん分からないけど、入学してからずっと、すべての科目を担任の先生から教えていただいていたあたしとしては、担任の先生以外の先生から教わる3年生からの音楽の授業が、とっても新鮮だった。

で、普通は、小学校の音楽の先生って聞くと、ピアノが上手なやさしい女性の先生を想像するよね?でも、あたしの小学校の音楽の先生は、エレファントカシマシの宮本浩次さんのようなヘアスタイルの男性で、ものすごく個性的な先生だった。当時は、たぶん30代だったと思うけど、とにかく、手振り身振りがオーバーアクションで、まるで指揮者が指揮をしているかのように両手を動かしながら話すのだ。そして、みんなの合唱がうまく行かなかったり、教えた通りにできない生徒がいたりすると、突然、両手で自分の頭を押さえながら上半身を前後に激しく揺すったりするから、ちょっと怖かった。

だけど、それより何より、この先生の最大の特徴は、何かにつけて「私がスイスのチューリッヒに留学していた時には~」と自慢話を始めることだった。あたしは、世の中に「チューリッヒ」なんていう名前の街があるなんて、この先生の授業を受けるまで知らなかったから、初めて先生の口から「私がスイスのチューリッヒに留学していた時には~」という言葉を聞いた時、「えっ?チューリッヒって何?チューリップの間違いじゃないの?」と思った。

そして、お家に帰ってから母さんに、「スイスにはチューリッヒっていう街があるの?」と聞いたら、母さんは「詳しくは知らないけど、たしかスイスで一番大きな都市だったと思うわよ」と教えてくれた。その後、あたしは、学校の図書館で世界地図の本を見て、スイスには「チューリッヒ州」という州があり、その州都が「チューリッヒ」というスイス最大の都市だということを知った。

ま、ここまではいいんだけど、とにかくその先生は、1回の授業で最低でも5回は「チューリッヒ」と言う上に、その発音が独特だった。文章で説明するのは難しいけど、最初の「チュー」が低くて、「リッ」だけを3音くらい高くしてヤタラと強調してから、最後の「ヒ」は息を吐きながら発音するのだ。そして、その「リッ」も、少し巻き舌みたいな感じで「ウリッ」て感じになる。あたしは、これがおかしくておかしくて、先生が「チューリッヒ」と言うたびに噴き出しそうになり、下を向いて肩を震わせながら必死に笑いをこらえていた。

当然、この先生の「チューリッヒ」はクラスで話題になり、2回目の音楽の授業が終わったころには、その先生のアダ名は「チューリッヒ先生」になっていた。そして、男子たちは先生のマネをして、巻き舌で「チューリッヒ」「チューリッヒ」と言い合ってゲラゲラと笑うようになった。音楽の授業のたびに、男子たちはチューリッヒ先生の「チューリッヒ」の数を数えるようになり、授業が終わって音楽室からクラスへ戻る廊下では、「今日は8回も言ったぞ!」「7回じゃなかったか?」なんて言い合うようになった。

あたしのクラスには、漫画を描くのが得意な男子がいたんだけど、休み時間に、その子が黒板にチューリッヒ先生の似顔絵を描いたことがあった。ちゃんと漫画の「ふきだし」があって、その中に「わたしがチューリッヒです」と書いてあって、校庭に行かずに教室に残っていたクラスメートたちは、みんなゲラゲラと笑っていたけど、あたしだけはそんなにおかしくなくて、普通に眺めていた。そしたら、別の男子が黒板のところへ行き、『おそ松くん』のハタ坊の旗みたいに、チューリッヒ先生の似顔絵の頭の上にチューリップの絵を描き足したのだ。あたしは、これが最高にツボにハマってしまい、お腹が痛くなるほど笑い転げてしまった。

そんなチューリッヒ先生だけど、あたしの場合は、先生の発音がおかしかっただけじゃなくて、そもそも「チューリッヒ」という言葉自体がおかしくてたまらなかったのだ。しばらく前に、電車の中で泣いている赤ちゃんを「いないいないば~」の動物バージョンで泣きやませた、という話を書いたけど、あたしは、この「いないいないば~」のように、最後の最後に「それまでとは違う動き」や「予定調和を裏切る結末」が飛び出すと、トタンにおかしくなってしまうのだ。

どういうことかと言うと、「チューリッヒ」という街があるなんて夢にも思っていなかった小学生のあたしにとって、「チューリッ」と来れば、当然、最後に来るのは「プ」であり、「プ」以外には考えられなかった。そして、予定通りに「プ」が来て「チューリップ」という言葉が完成することで、あたしの「予定」は「調和」していた。それなのに、「チューリッ」の次に「プ」じゃなくて「ヒ」が来るなんて、これほど「予定調和を裏切る結末」なんて他にはないだろう。

たとえば、「オリンピッ」と来れば、誰もが次に「ク」が来ると思うよね?それなのに、絶対に「ク」が来ると思っていたところに「ヒ」が来てみ?「オリンピッヒ」だなんて、自分で考えた例なのに、こうして文字にすると、おかしさが倍増してたまんない(笑) 「ビデオデッキ」だと思っていたら「ビデオデッヒ」、「チョコレート」だと思っていたら「チョコレーヒ」、最後の1文字が予想外だと、トタンにおかしくなる。もちろん、「オリンピッヒ」や「ビデオデッヒ」や「チョコレーヒ」なんて言葉はないけど、実際にある言葉や聞き慣れた言葉でも、予想外の使われ方をするとおかしくなっちゃう。

たとえば、「ジャイアント」という言葉は、聞き慣れているし、これだけ聞いてもぜんぜんおかしくない。だけど、これに「読売」を付けて「読売ジャイアント」にすると、トタンにおかしくなる。「読売ジャイアン」と来れば、誰もが最後は「ツ」が来ると思っているだろう。それなのに、「ツ」が来ると思って待ち構えていたら、ここに予想外の「ト」が来るなんて、これだけでトタンにおかしくなってしまう。逆に、「ジャイアンツ馬場」もおかしい。

そして、もっと不条理なのが、正しい言葉なのにおかしく感じてしまうパターンだ。たとえば、ずっと「アタッシュケース」だと思っていたのに、正しくは「アタッシェケース」だと知った時、どうしても正しい「アタッシェケース」のほうがおかしく感じてしまう。他にも、イタリアの高級ブランド「ヴェルサーチ」は、正しくは「ヴェルサーチェ」と言う。日本の正式な代理店のHPなどには、ちゃんとカタカナで「ヴェルサーチェ」と書かれている。だけど、一般的には「ヴェルサーチ」で通っているし、日常会話でもほとんどの人が「ヴェルサーチ」と言っているから、今さら「ヴェルサーチェ」が正しいと言われても、この正しいほうがおかしく感じてしまう。


‥‥そんなワケで、あたしの記憶が正しければ、あたしの小学校の音楽で習った楽器は、1年生と2年生の時がハーモニカとピアニカで、3年生と4年生の時がソプラノリコーダーで、5年生と6年生の時がアルトリコーダーだった。だから、チューリッヒ先生から教わったのはリコーダーなんだけど、あたしには人よりもリコーダーの才能があったみたいだ。最初にドレミを教わり、それから簡単な曲を何曲が習ったら、アッと言う間に何でも吹けるようになってしまったからだ。松田聖子ちゃんの『夏の扉』やマッチの『ギンギラギンにさりげなく』、イモ欽トリオの『ハイスクール・ララバイ』や寺尾聰さんの『ルビーの指輪』など、自分の知っている曲なら、どんな曲でも1回ですぐに吹くことができた。

あたしが3年生で初めて手にしたソプラノリコーダーは、口で吹く笛の部分と両手の指で穴を押さえる音階の部分とがスポッと抜けて、中を掃除することができたけど、この時、あたしは、多くの子どもがやるように、笛の部分だけを吹いてみた。笛の構造だから、この部分だけでも音は出るけど、音階がないから何かの曲を演奏することはできない。でも、いろいろとやっているうちに、あたしは、底の部分を左手の手のひらで押さえる方式を発見したのだ。笛の底の部分を手のひらでピッタリと塞いでから、端っこを少しだけ開けて吹くと音階が変わり、もう少し開けるとまた音階が変わる。この方式で、あたしは、笛の部分だけでも、ド、レ、ミくらいなら音階が出せるようになり、「ドレミ~レド、ドレミレドレ~」と、ラーメンのチャルメラが吹けるようになった。

そして、ヒマさえあれば笛の部分だけを吹いて遊んでいたら、ド、レ、ミ、ファ、ソくらいまで音階が出せるようになり、その間の半音も出せるようになり、童謡の『チューリップ』くらいなら吹けるようになった。こういうのって、できるようになると誰かに見せたくなるもので、次の音楽の授業がある日、あたしは、ランドセルの横っちょにリコーダーの袋を挿して、ワクワクしながら学校へ行った。そして、音楽の時間が来ると、あたしは誰よりも早く音楽室へ行き、誰もいない音楽室でソプラノリコーダーをスポッと抜いて、笛の部分だけを持って手のひらの開閉で音階を出して『チューリップ』を吹き始めた。なんか、自分からみんなに「聞いて、聞いて」と言うのが恥ずかしかったから、誰もいない音楽室で1人で吹いている時に、あとから来たクラスメートが気づく‥‥という、子どもながらに真剣に考えたコソクな演出だったのだ(笑)

だけど、あたしの書いたシナリオに反して、最初にあたしの演奏に気づいたのは、クラスメートじゃなくてチューリッヒ先生だった。まだ誰もクラスメートが来ないうちに、音楽室のピアノの隣りの奥のドアが開いて、チューリッヒ先生が顔を出したのだ。そして、「何をやっているんだ?」と言いながら、あたしに近づいて来た。あたしは反射的に「叱られる!」と思い、笛の部分を両手で隠した。だけど、あたしの机には、リコーダーの袋の上に音階の部分の筒だけが置いてある。

あたしの机の上を見たチューリッヒ先生は、あたしに向かって恐い顔をして、「お前は頭部管だけで『チューリップ』を吹いていたのか?」と言った。あたしは、「トウブカン」という言葉が分からなかったけど、大切なリコーダーを分解して遊んでいたことがバレたこと、そして、チューリッヒ先生が怒っていることは感じ取れた。それで、すぐに「ごめんなさい!」と謝った。すると、チューリッヒ先生は、「謝ることなんかない。頭部管だけで音階が出せるなんて素晴らしい才能だ。先生の前で、もう一度、吹いてみなさい」と言ったのだ。

あたしは、恐る恐る両手を開き、「トウブカン」に口を付けて、底の部分を左手の手のひらでピッタリと塞いでから、覚悟を決めて『チューリップ』を吹き始めた。膝がカクカクするほど緊張していたから、いつもより音程が安定しなかったけど、それでも吹いているうちに調子が出て来て、なかなか上手に吹くことができた。チューリッヒ先生は、笑顔で拍手をしてくださった。ハッと我に返って周りを見ると、もうクラスメートのほとんどが音楽室に来ていて、あたしに注目していた。そして、そのまま授業が始まったんだけど、この日は冒頭に5分ほど、チューリッヒ先生が黒板にリコーダーの絵を描き、それぞれの部品の役割などを説明してから、あたしの吹き方について仕組みを教えてくださった。

最初は、クラスのみんながチューリッヒ先生を笑いのネタにしていたし、あたしもクラスメートの描いた似顔絵を見て笑い転げていたけど、このことがあってから、あたしはチューリッヒ先生のことが大好きになった。何しろ、チューリッヒ先生の前で『チューリップ』を、それも「トウブカン」だけで吹いたのに、叱られるどころか褒められたからだ。そして、あたしは、ちゃんとしたソプラノリコーダーもきちんと練習して、どの課題曲も一生懸命に吹いていたら、通信簿の音楽で初めて「5」をいただくことができたのだ。


‥‥そんなワケで、5年生になったあたしは、それまでのソプラノリコーダーより立派なアルトリコーダーを習うことになった。このアルトリコーダーは3分割で、笛の部分の「頭部管」、音階の部分の「中部管」、最後の短い「足部管」に分かれていた。ソプラノリコーダーよりも全体的に太くて大きいから、穴をシッカリ押さえるのが大変だったけど、そりより何よりあたしが気になったのが、あたしの得意技、「トウブカン演奏」ができるかどうかだった。そして、すぐにやってみたら、太くなったぶん「頭部管」の底の穴も大きいから、ソプラノリコーダーよりも幅広い音階が出せたのだ。これまでの「トウブカン演奏」では、あたしは単純な童謡くらいしか吹けなかったけど、アルトリコーダーの「頭部管」を使うと、ちょっとした歌謡曲も吹けるようになった。このころのあたしは中森明菜ちゃんに夢中で、『少女A』はテンポが速いから、ちゃんとアルトリコーダーで吹かないと無理だったけど、テンポの遅い『セカンド・ラブ』なら、「頭部管」だけで普通に吹くことができた。もちろん、チューリッヒ先生の前で『セカンド・ラブ』の「トウブカン演奏」を披露する機会は卒業するまでなかったけど、誰よりも早く音楽室に行ったあたしが、1人で「トウブカン演奏」をして遊んでいても、奥のドアをガチャッと開けて顔を出したチューリッヒ先生は、あたしを叱ることなく、いつもやさしい笑顔だった‥‥なんてことを思い出した今日この頃なのだ♪


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2018.10.06

秋刀魚の煙

「秋」と言えば、スポーツの秋とか読書の秋とか芸術の秋とか食欲の秋とか矢代亜紀とか、いろんな「秋」があるけど、スポーツは観戦オンリーで自分でやるのは疲れるからマッピラゴメンのあたし、読書は大好きだけど秋に限らず1年中ずっと何かしらの本を読んでいるあたし、芸術はイマイチよく分からないあたしとしては、「秋」と言えば、やっぱり食欲の秋ということになる。そして、食欲の秋と言えば、日本人の基本とも言える新米、高級食材の代表とも言える松茸、正岡子規も法隆寺で俳句に詠んだ柿などを始め、数々の秋の味覚が目白押しだ。だけど、そんな中でもあたしが特に楽しみにしているのが、秋の刀の魚と書いて「秋刀魚」、サンマだ。

前回のエントリーに書いたように、あたしは松茸が大好物だけど、中国産の松茸だって小さいのが2本で980円とかするから、とてもじゃないけど手が出ない。あたしの手が届くのは、永谷園の「松茸の味 お吸い物」くらいだ。だから、今回は、前回のエントリーの「焼き魚」からの流れで、松茸の対極にある庶民の味方、サンマについて取り上げようと思う。何故なら、庶民の中でも一番底辺の我が家でも、先週、ようやく新サンマを食べることができたからだ。

日本のサンマ漁は、小型船の漁は毎年7月の中旬から始まるけど、一度に大量のサンマを獲ることができる100トン以上の大型船による棒受け網漁は、1カ月ほど後の8月20ごろに解禁になる。そのため、漁獲量の少ないシーズン頭のサンマは値段が高くて、大型船が稼動し始めてから安くなり始めるんだけど、ここ数年は深刻な不漁が続いているため、なかなか値段が安くならない。今年も、スーパーの鮮魚コーナーに新サンマがお目見えした当初は、1匹350円だの400円だのと、とてもじゃないけど庶民には手が出ない値段だった。そのため、新サンマの隣りには、冷凍保存しておいた去年のサンマを解凍した「解凍サンマ」が、庶民向けに1匹100円で並んでいだほどだ。

でも、これは、毎年のことなので、しばらくすれば手の届く値段になると思って、あたしは、スーパーに行くたびにサンマの値段をチェキしていた。でも、2週間が過ぎても1匹300円、1カ月が過ぎても1匹250円と、なかなか手の届く値段にまで降りて来ない。例年なら、スタート時こそ1匹300円以上しても、1カ月も経てば1匹100円になるのに、今年は値段の下がり方が超スローだった。そして、2カ月が過ぎた9月中旬、ようやく1匹150円くらいにまで下がり、安さを売りにしたスーパーなら1匹128円とかになったけど、あたしはサンマは1匹100円以下じゃなければ買わないことにしているので、スーパーの鮮魚コーナーを覗くたびに、心の中で「あと、ひと声!」とサンマたちに呼び掛けていた。

そして、先週のこと、仕事の帰りにいつものスーパーに寄ると、ナナナナナント!ついに新サンマのコーナーに「1匹98円」の値札が付いていて、主婦たちがこぞってビニール袋に金属製トングでサンマを入れていたのだ!あたしは、現役時代の桑田真澄が1アウト1塁から内野ゴロを打たせてゲッツーを取った時のように小さくガッツポーズをして、新サンマを2匹、ビニール袋に入れた今日この頃、皆さん、今年のサンマは食べましたか?


‥‥そんなワケで、日本のサンマ漁だけど、去年2017年は過去2番目の不漁で、全国のサンマの漁獲量は約8万4000トンしかなかった。この数字だけ聞いても、比較するものがないと「どれほどの不漁だったのか」ということが分からないと思うので、反対に過去最高の漁獲量だった1958年のデータを紹介すると、「約57万5000トン」だ。「60年も昔ならサンマもたくさんいただろう」と思うかもしれないけど、1969年には過去最低の「約6万3000トン」を記録している。

実際、乱獲によってサンマ自体の個体数が減り続けていることは事実だけど、サンマ漁の場合は、それよりも海水温の問題のほうが大きい。サンマは冷たい海を好むので、日本近海の海水温が高い年は、サンマの群れが日本近海を避けて北の海へ行ってしまうため、日本の漁獲量はガクッと落ちる。この過去最低を記録した1969年も、過去最低から2番目を記録した去年2017年も、例年より日本近海の海水温が高かったのだ。そして、過去最低を記録した2~3年後の1970年代初頭には、日本近海の海水温が例年通りに戻ったため、全国の漁獲量は40万トンを超えた。

だから、サンマ漁の漁獲量は、海の環境の悪化に伴って毎年少しずつ減少して来たワケじゃなくて、半世紀以上も前から、その年その年の日本近海の海水温によって、良かったり悪かったり良かったり悪かったりを繰り返して来たってワケだ。そして、平均すると20万トンから30万トンあたりをキープして来たので、これよりも多ければ豊漁、少なければ不漁ということになる。そして、2015年、2016年と不漁が続き、2017年には過去最低から2番目を記録したけど、今年も「去年よりは上昇するが、2015年、2016年と同程度の不漁」と予測されていて、水産庁は推定で「約11万5000トン程度」と見込んでいる。


‥‥そんなケで、こうしたサンマ漁の実体を知ると、スーパーの鮮魚コーナーの新サンマが、なかなか、あたしの守備範囲の「1匹100円以下」にならなかった理由も分かるし、不漁なのに1匹98円で売ってくれたスーパーの心意気も嬉しくなって来る。正直、今年のサンマは、ちょっとサイズが小さいし、脂の乗りもイマイチだったけど、それでも、庭に七輪を出して、うちわでパタパタとあおぎながら、常に風下に回るようにしながらサンマを焼くのは、アウトドア感覚で楽しかった。そして、母さんと食べた今年初の新サンマは、やっぱり秋の味覚がした。

ちなみに、あたしは、サンマの塩焼きは頭からシッポまですべて食べて、何ひとつ残さない。これが、「焼き魚」を愛するあたしの食べ方だ。シャケやブリのような切り身じゃなくて、アジやサンマのように1匹丸ごとお料理するお魚の場合は、焼いたり煮たりしてお皿に盛る時、基本的に「海のお魚は頭が左、川のお魚は頭が右」と決まっている。だから、サンマの塩焼きの場合は頭を左にしてお皿に盛るワケだけど、あたしは、まず、頭の下からシッポまで、背骨に沿ってお箸で切れ目を入れて行き、身を上下にひらきながら食べて行く。この時、大好物のワタ(内臓)にはお箸を付けずに、それ以外の身だけを食べる。

これで、片面の身を食べ終えたので、次は、シッポを持って背骨を身から外しながら頭の下まで引き上げて、ここで背骨をポキッと折って、お皿の上のほうに避けておく。そして、またまたワタを残したまま、反対側の身を食べて行く。何人かに1人は、焼き魚の片面の身を食べ終わると、お魚を裏返して反対側の面の身を食べる人がいるけど、あれは邪道だし見ていて汚らしい。本物のお魚好きなら、最初に置かれたままの形で最後まで食べ終えるのがマナーだし、何よりもこのほうが美しい。

で、両面の身を食べ終えたら、ここからサンマの塩焼きの佳境に入る。まずは、大好物のワタをつまみながら冷酒をいただくんだけど、あたしの場合、サンマ1匹のワタで冷酒1合を基本にしている。そして、ほろ苦いワタとスッキリした辛口の冷酒とのハーモニーを堪能したら、いよいよ、サンマの塩焼きの中であたしが一番好きな心臓だ。焼き鳥なら「ハツ」とも言うけど、ワタを食べたあとにサンマの頭の下のほうにお箸を入れて掻き出すと、1センチにも満たない小さな三角形の物体が出てくる。これがサンマの心臓だ。

ここでのポイントは、ウロコに気をつけることだ。サンマやイワシってウロコのないお魚だと思い込んでいる人が多いけど、サンマにもイワシにもウロコはある。ただし、どちらも凄くウロコの剥がれやすいお魚なので、大きな網で何千匹も何万匹もまとめて獲ると、網の中でお互いの体が擦れ合って、ウロコがぜんぶ剥がれてしまうのだ。そして、剥がれた大量のウロコの一部が、サンマたちの口やエラから入って、頭の後ろの場所に溜まってしまう。そのため、あたしの大好物の心臓を食べようとすると、何枚かの青いウロコが一緒に出て来て、そのままうっかり口に入れると、ウロコの不快な食感で、せっかくの楽しい晩酌が台無しになってしまうのだ。

ウロコに気をつけつつサンマの心臓という珍味を楽しんだら、お皿に残っているのは、あとは頭と背骨だけだ。ここでいったん、お台所へ行き、ガス台に網を乗せて、サンマの頭と背骨を焼く。頭は両面をシッカリと焼くけど、背骨は軽く炙る程度でいい。そして、これにお醤油を少しだけ垂らして、これまた冷酒を飲みながらいただく。サンマの頭はウナギの兜焼きみたいに美味しいし、背骨はコリコリしていて香ばしくてとっても美味しい。これが、あたしのサンマの塩焼きの食べ方だ。これで、あたしのお皿には、数枚の青いウロコの他は何も残っていない。

サンマや小アジ、アユやヤマメなど、塩焼きでも頭から食べられるお魚は丸ごといただくし、そのままだと頭や骨がちょっと硬い場合は、このサンマの塩焼きのように、新たに焼いたり炙ったりして頭も骨も残さずにいただく。そして、タイやスズキやイサキのように、骨が太くて炙っても食べられないお魚の場合は、頭は兜焼きにして食べられる部分だけ食べて、骨は軽く炙って臭味を取って、頭の残りと一緒にお鍋で炊いて出汁を取り、潮汁(うしおじる)にしたり雑炊にしたりする。カワハギを始めとしたお魚のヒレは、調理する前に取っておいて、干物カゴに入れて1日ほど干してから、軽く炙って湯呑に入れて、熱燗を注いでヒレ酒にする。カワハギのヒレ酒なんて、フグのヒレ酒よりも美味しいんだから。食べられる部分はすべて食べ、食べられない部分でも最大限に利用する。これが、感謝して「命」をいただく上での、あたしの作法だ。


‥‥そんなワケで、あたしは、ワインはあんまり飲まないので、ワインに関する知識はゼロだ。「肉料理には赤ワイン、魚料理には白ワイン」とか、「赤ワインは室温で、白ワインは冷蔵庫で冷やして」とか、この程度の知識しかない。だけど、そもそもが1本何万円もするワインも1本390円のコンビニのワインも味の違いなんて分からないから、こんな決まり事など完全に無視している。あたしは自分の味覚がすべてなので、2リットル980円の業務用の赤ワインを冷蔵庫で冷やして、サンマの塩焼きに合わせることが多い。サンマの塩焼きと言えば、基本的には辛口の日本酒の冷酒だけど、辛口の赤ワインもよく冷やすとバッチリ合うのだ。だから、次に1匹98円のサンマを買って来たら、今度は業務用の赤ワインでセレブ風味に楽しんでみようと思っている今日この頃なのだ♪


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2018.10.01

あたしの好きな食べ物、嫌いな食べ物

あたしは今まで、SNSのプロフィールとかに「好きな食べ物」を書く欄があると、だいたい「お蕎麦、お豆腐、お魚」と書いて来た。この「好きな食べ物」という設問て、人によって解釈が様々なので、人によっては「ハンバーグ、カレー、ラーメン」と回答する人もいる。もちろん、これでも何も問題はないと思うけど、あたしの解釈だと、これは「好きな料理の名前」だと思う。

「好きな料理」を聞かれたのなら、あたしだって、お蕎麦の中で一番好きな「盛り蕎麦」、お豆腐料理の中で一番好きな「湯豆腐」、お魚料理の中で一番好きな「焼き魚」と、もっと具体的に回答する。だけど、これが「好きな食べ物」という設問になれば、あたしは盛り蕎麦の他にもいろんなお蕎麦が好きだし、お豆腐料理も冷やっこから麻婆豆腐まで何でも好きだし、お魚料理も全般的に好きだから、ザックリと「お蕎麦、お豆腐、お魚」と回答する。

でも、「焼き魚」という回答にしたところで、まだまだ具体的じゃない。ひとくちに「焼き魚」と言っても、アジやサンマなどを1匹のまま塩焼きにしたものや、アユやヤマメなどの川魚に串を打って塩焼きにしたものだけじゃなく、塩ジャケの切り身を焼いたもの、サバの切り身の塩焼き、ブリの切り身の照り焼き、サワラの切り身の西京焼きなども「焼き魚」だし、アジのひらき、サバの文化干し、イワシのみりん干しなどを焼いたものも「焼き魚」に入る今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この「焼き魚」という回答は、具体的なようで具体的じゃない。でも、それを言うなら、「ハンバーグ、カレー、ラーメン」という答えも同じことなのだ。ハンバーグだってカレーだってたくさんの種類があるし、安いレトルト製品から高級レストランのメニューまでピンキリだ。そして、ベーシックな味のハンバーグやカレーだって、お店ごとに味が違う。ラーメンにしても、醤油、塩、味噌などの味の違いや、鶏ガラ、ニボシ、トンコツなどの出汁の違いもあるし、北海道から九州まで数えきれないほどのラーメンがある。その上、最近では、「つけ麺」や「まぜそば」までラーメンの一種としてカウントする傾向もあるから、それこそ、ひとくちに「ラーメン」と言っても千差万別だ。

だから、「好きな食べ物」や「好きな料理」を聞かれて「ラーメン」と答える人たちの多くは、基本的には「ラーメン全般」が好きなんだろうけど、もっと詳しく聞くと、どういうタイプのラーメンが好きで、特に好きなのがどこそこの何ラーメンだ、と回答すると思う。そして、あたしの「焼き魚」も、これと同じなのだ。

ただし、あたしの場合は、ほとんど外食をせず、1年365日の大半が自炊なので、どこそこのお店のどんな焼き魚が好きだ、というのはない。ここ何年かで食べた中では、長崎の五島列島の「サバの一風干し」が特に美味しかったけど、これにしても、あたしが自宅のお台所のガスで焼くよりも、ちゃんとした和食のお店とかで備長炭で焼けば、もっと美味しくなっていたと思う。あたしは、魚焼きグリルは使わずに、ガスコンロの両側にブロックを置いて、その上に網を二重にして置き、ガスの「強火の遠火」でお魚を焼き、できるだけ炭火に近くなるように工夫しているけど、それでも、本物の炭火には遠く及ばない。


‥‥そんなワケで、ラーメンの種類と同じくらい千差万別の焼き魚だけど、その頂点にドドンと横たわっているのが、あたしの大好物、「うなぎの蒲焼き」だ。ええ?それも焼き魚に入るの?‥‥って言われちゃいそうだけど、「うなぎ」は生物学的に完全に魚類だし、「蒸す」という工程が加わっていても「蒲焼き」と名づけられているのだから「焼く」が調理法のメインになので、これも完全に「焼き魚」の一種なのだ。少なくとも、「イカのポッポ焼き」や「サザエのつぼ焼き」よりは、確実に「焼き魚」の部類に入る。

だから、「好きな食べ物」に「お魚」と答えるあたしが、少し具体的に答えると「焼き魚」になり、さらに具体的に答えると「うなぎの蒲焼き」になり、「うなぎの蒲焼き」はご飯に乗っていないと意味がないので、「好きな料理」ということになれば「うな重」と答えることになる。実際、あたしは「うな重」が大好物で、最低でも1年に1回、最高で1年に2回、母さんのお誕生日とか「母の日」とかに、母さんと一緒に食べに行くのを楽しみにしているけど、1年に1回か2回しか食べられない高級料理を「好きな食べ物」や「好きな料理」として挙げるのもどうかと思っているので、ふだんは、もっと広範囲に「お魚」とか「焼き魚」とか答えているのだ。

ちなみに、この「うなぎ」に匹敵するくらい高価で、日常的に食べることのできない食べ物を3つ挙げるとしたら、あたしの大好きなものは、「うなぎ、松茸、数の子」だ。うな重は今でも1年に1~2回は食べているけど、松茸は10年以上も食べていないので、もはや「好き」とか「嫌い」とか言えるレベルじゃないかもしれないけど、その10年以上前に食べたのが、母さんと行った能登半島の先端にある高級な宿でいただいた「松茸づくし」で、これが人生で最高の美味しさだったので、今でも記憶に鮮明に残っている。

そして、3つ目の数の子は、何と言ってもコリコリとした食感が大好きだ。数の子も高級なものは何千円もするから高くて手が出ないけど、わさび漬けに数の子がちょっと入っているのとか、松前漬けに数の子がちょっと入っているのとか、スーパーで300円くらいで売られている小さいパックのものに半額シールが貼られていると、タマに買って来て晩酌のおつまみにしている。母さんも数の子が大好きなので、我が家のお正月に数の子は欠かせないけど、年末が近づいてスーパーに「おせち関連」が並ぶようになると値上がりするから、それより前に、端切れの安い数の子を買っておいて、お正月用に冷凍している。

塩漬けしてある立派な数の子なら、そのままの状態で日持ちがするし、自分の好みの塩加減に塩抜きするという楽しみもあるけど、そんな数の子は高くて手が出ない。あたしに買えるのは、細かくなった端切れの数の子が白醤油に漬けてある500円くらいの小さなパックとかなので、そのまま冷凍するしか保存方法がないのだ。

本来、数の子の美味しい食べ方は、塩漬けの立派な数の子を用意して、ほんの少しだけ塩味が残るように塩抜きをして、食べやすいサイズにちぎりながら小鉢に盛り付けて、オカカをかけてお醤油を垂らしていただく方式だ。あたしは、これに一味唐辛子を振るのが大好きで、日本酒なら、辛口の冷やから甘口のお燗まで何にでも合う。数の子は片面に裂け目みたいなのが等間隔に入っているから、あたしは、その裂け目までちょっとだけ口に入れて、コリコリと食べながら、お酒を飲む。これだと、小鉢ひとつでお酒が5合は行ける。


‥‥そんなワケで、日常的に食べている「好きな食べ物」だと「お蕎麦、お豆腐、お魚」ということになるあたしだけど、メッタに食べられない高級な「好きな食べ物」だと「うなぎ、松茸、数の子」ということになる。つまり、これは、世界三大珍味「フォアグラ、トリュフ、キャビア」の「きっこ版」みたいなものなのだ。よくよく考えてみたら、松茸はトリュフと同じで「香りを楽しむキノコ」だし、数の子はキャビアと同じで「魚の卵」なので、なかなか素晴らしいラインナップだと思う。

ちなみに、あたしは、この世界三大珍味がすべて嫌いで、自分から進んで食べることはない。まず、フォアグラは動物を虐待して生産している食材なので食べる以前にNGだし、食べる気にもならない。昔のテレビ番組『料理の鉄人』のレギュラーだった有名なシェフがオーナーをつとめるフレンチレストランで一度だけ食べたことはあるけど、ぜんぜん美味しいと感じなかった。同じ肝臓なら、アンコウの肝をポン酢でいただいたほうが遥かに美味しい。また、トリュフも、そのレストランで、目の前でお料理の上から削って振りかけるというパフォーマンスをしてくれたけど、特に何の味も香りもしなかった。そして、キャビアも、小さなスプーン一杯で何千円だという最高級のものをいただいたことがあるけど、生臭いだけで、「とびっ子」のほうが格段に美味しいと思った。

でも、別に「嫌い」とか「食べられない」とかじゃないので、自分でお金を払って食べるのはマッピラゴメンだけど、どれも自分から進んで食べることがないというだけで、出されれば食べる。みんなで手を伸ばす大皿料理だったら、あたしは手を伸ばさないけど、コース料理の一品として出て来たら、あたしは食べ物を残すのが嫌いなので、ガマンして食べる。だけど、そんなあたしでも、どんなに無理をしても絶対に食べられないものがある。それが、「イナゴの佃煮、パクチー、ホヤ」だ。

東京は佃煮の本場なので、あたしが物心ついた時から我が家の食卓にはいろんな佃煮が並んでいたけど、おばあちゃんが買って来た「イナゴの佃煮」を初めて見た時、あたしは、気絶しそうになった。だって、どこからどう見ても空地の原っぱにいるバッタだったからだ。おばあちゃんも母さんも普通に食べていたので、あたしも勇気を出して、お箸でつまんで観察してみた。そしたら、お腹のしましま模様がハッキリと確認できた時点で、完全に無理になってしまった。

あたしの通学路には途中に空き地があって、そこの原っぱにバッタがたくさんいた。下校の時、同じ方向に帰るクラスメートが何人かいたんだけど、男の子たちは、よくバッタを捕まえていた。そんな中、1人の男の子がバッタを捕まえて来て、「よく見ててみ」と言って、親指と人差し指でバッタのお腹を強く潰すと、お尻の先から変な色の汁みたいなのが出て来たのだ。あたしともう1人の女の子は「キャー!」と叫んで逃げ出した。すると、その男の子が、そのバッタをあたしに投げつけたのだ。もう、何カ月も経って忘れ欠けていたのに、「イナゴの佃煮」のお腹のしましま模様を見た瞬間、あたしの脳裏にはその時のバッタの恐怖が蘇り、「イナゴの佃煮」をお箸で持ったまま、あたしは完全にフリーズしてしまった。そして、35年以上が過ぎた今も、まだお腹のしましま模様が恐くて食べられないのだ。

そして、続いての「パクチー」にも、あたしには同じような理由がある。ここ数年、特に若い女性を中心にパクチーの人気が高まり、パクチーの専門料理店ができたり、食品メーカーも持ち運びができるチューブタイプのパクチーを売り出したりしているけど、あたしにはトラウマがあるのだ。これまた小学校の低学年の時、当時のあたしは普通に虫を手で持つことができたので、男の子たちと一緒に虫獲りをすることもあった。

そんなある日、登校中の通学路に面した誰かのお家のブロック塀に、黄緑色の可愛らしい虫がとまっていたので、あたしは「おおっ!」と思って素手で捕まえ、握りつぶさないように気をつけて手の中に持ったまま、学校へ向かった。学校が近づくとお友だちの数も増え、仲良しの女の子もいたので、あたしはその子に「可愛い虫を捕まえたよ」と言って、そっと手をひらいて見せた。すると、その子はビックリした顔をして、「きっこちゃん!それ、カメムシだよ!すごく臭い虫だよ!早く捨てないと!」と言った。

でも、時すでに遅し。一瞬、指先で触っただけでも大変なことになるのに、何も知らなかったあたしは、このカメムシを手の中にずっと握っていたのだ。カメムシを草むらに逃がしてから手の匂いを嗅いでみると、鼻が曲がりそうなほど臭い独特の匂いで、石鹸で何度も何度も手を洗っても匂いはぜんぜん落ちず、その日から1週間、あたしはずっと臭い手のまま生活することになった。しかも、カメムシを握っていたのは利き手の右手だったため、顔を洗う時は左手だけで洗ったけど、鉛筆を持つのもお箸を持つのも臭いほうの手なので、もう泣きたくなった。

そして、時が流れて20歳になったあたしは、当時、流行していた「無国籍居酒屋」で、初めて「パクチー」と出会った。スープにも、サラダにも、炒め物にも使われている緑色の葉っぱ、あたしは三つ葉だと思って、何も考えずに口に入れたんだけど、口の中から鼻へ抜ける匂いが完全にカメムシの悪臭で、あたしは何か腐ったものでも食べてしまったか、それともお料理の中にカメムシが混じっていたのかと思い、急いでトイレへ走って吐き出した。でも、それが「パクチー」という名の大迷惑な香草だったのだ。

あたしがトラウマになっている世界で最も大嫌いな匂い、カメムシの匂いとソックリの植物が世の中にあっただなんて‥‥。そして、こともあろうに、そんな恐ろしい物が「食材」として流通していただなんて‥‥。あまりにも衝撃を受けたあたしは、帰宅してから「パクチー」のことをいろいろと調べてみたら、ナナナナナント!「パクチー」の日本名は「カメムシ草」だった!その上、たまたま偶然に似たような匂いをしているワケじゃなくて、パクチーの匂いの成分はカメムシの匂いの成分とまったく同じものだったのだ!ようするに、成分的に言えば、「パクチー」を食べるということは「カメムシを食べる」ということと同じなのだ!こんなもん、罰ゲームでも食えるか!

そして、最後の「ホヤ」、これだけは、まだ発展途上だ。あたしは、見た目が気持ち悪くて子どものころから食べられなかったものに「ナマコ」があるんだけど、大人になってお酒を飲むようになったら食べられるようになった。そして、同じく見た目が気持ち悪くて食べられなかった「ホヤ」にもチャレンジしてみたんだけど、こっちは、ほろ苦さや歯応えはOKでも、独特の変な生臭い匂いが無理だった。だけど、「ホヤが好き」という人たちに「あの独特の匂いが苦手」と言うと、たいていの人は「それは食べたホヤが良くないものだったんだよ。産地まで行って新鮮なホヤを食べると好きになるよ」と言われる。


‥‥そんなワケで、あたしは、この「ホヤ」に関しては、今は嫌いだけど、もしかしたら、今後、好きになるかもしれない。でも、「イナゴの佃煮」と「パクチー」に関しては、死ぬまで大嫌いのままだと思う。もしも地球上に「イナゴの佃煮」と「パクチー」しか食べ物がない状態になったとしたら、あたしは迷わず餓死を選ぶ。それほど大嫌いなのだ。「三つ子の魂、百まで」じゃないけど、幼いころのトラウマは、何十年経っても脳裏から消えないからだ。ま、「イナゴの佃煮」に限らず、長野では「ハチの子」を食べるし、他にも「セミ」を食べる地域もあるし、渓流釣りのエサの川虫を佃煮にする地域もあるし、日本には各地にいろんな虫料理があるけど、あたしは、他に普通の食べ物があるのにも関わらず、虫なんかを食べる人たちの感覚が理解できない。そして、「植物界のカメムシ」であるパクチーなんかを食べる人たちの感覚も理解できない。だから、あたしは、これからも、虫とパクチーだけは死ぬまで食べないと思う今日この頃なのだ。


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