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2018.10.10

チューリッヒ先生とリコーダー

中学校や高校になると、国語の先生、数学の先生、英語の先生‥‥っていうふうに、教科によって先生が変わるけど、小学校の時は担任の先生がほとんどの科目を担当しているから、先生が変わる音楽の授業は新鮮だった。もちろん、これはあたしの場合で、担任の先生が音楽や体育も担当しているケースもあるし、図工や家庭科だけ別の先生というケースもある。でも、あたしの場合は、体育も図工も担任の先生で、音楽だけが別の先生だった。

ちなみに、あたしの時代はコレが普通だったけど、2011年に公立の義務教育の学校に関する法律が改正されたため、最近では小学校でも中学校や高校と同じに、教科ごとに担当の先生が授業をする「教科担任制」を導入するところが増えて来た。最も多いのは、4年生まではこれまで通りに担任が全教科を担当し、授業内容が難しくなって来る5年生と6年生だけ、この「教科担任制」を導入するというパターンだ。

これまでの「学級担任制」と新しく導入され始めた「教科担任制」、どちらにもメリットとデメリットがあると思うので、教育問題に疎いあたしがテキトーなことは言えないけど、導入するにしても最初から1年生から6年生まですべてを「教科担任制」にしてしまうとデメリットが大きかった場合に大変そうなので、多くの導入校と同じように、まず最初は高学年の5年生と6年生だけ「教科担任制」にして何年間か様子を見てみる‥‥というのが良さそうな気がする。

で、ここまで読むと、今回は小学校の「教科担任制」を取り上げるマジメなエントリーみたいだけど、そんなこたーない。難しい教育問題は専門家の皆さんにお任せしておき、あたしはいつものように肩の力を抜いて読める面白おかしいエントリーを書こうと思ってる。無理に自分の苦手な分野に手を伸ばさずに、それぞれが自分の得意分野を担当する。これこそが、ホントの意味での「教科担任制」だと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしの通っていた小学校は、東京の渋谷区の真ん中にある区立の小学校だったんだけど、ほとんどの科目を担任の先生が担当していて、ピアノのある音楽室に行って行なう音楽の授業だけが専門の先生だった。もう少し詳しく言うと、1年生と2年生の時は音楽も担任の先生が担当していて、3年生から専門の先生になった。これは、最初から「3年生からは専門の先生」と決まっていたのか、それとも、たまたまあたしが3年生になった時に専門の先生が赴任して来たのか、その辺のことはぜんぜん分からないけど、入学してからずっと、すべての科目を担任の先生から教えていただいていたあたしとしては、担任の先生以外の先生から教わる3年生からの音楽の授業が、とっても新鮮だった。

で、普通は、小学校の音楽の先生って聞くと、ピアノが上手なやさしい女性の先生を想像するよね?でも、あたしの小学校の音楽の先生は、エレファントカシマシの宮本浩次さんのようなヘアスタイルの男性で、ものすごく個性的な先生だった。当時は、たぶん30代だったと思うけど、とにかく、手振り身振りがオーバーアクションで、まるで指揮者が指揮をしているかのように両手を動かしながら話すのだ。そして、みんなの合唱がうまく行かなかったり、教えた通りにできない生徒がいたりすると、突然、両手で自分の頭を押さえながら上半身を前後に激しく揺すったりするから、ちょっと怖かった。

だけど、それより何より、この先生の最大の特徴は、何かにつけて「私がスイスのチューリッヒに留学していた時には~」と自慢話を始めることだった。あたしは、世の中に「チューリッヒ」なんていう名前の街があるなんて、この先生の授業を受けるまで知らなかったから、初めて先生の口から「私がスイスのチューリッヒに留学していた時には~」という言葉を聞いた時、「えっ?チューリッヒって何?チューリップの間違いじゃないの?」と思った。

そして、お家に帰ってから母さんに、「スイスにはチューリッヒっていう街があるの?」と聞いたら、母さんは「詳しくは知らないけど、たしかスイスで一番大きな都市だったと思うわよ」と教えてくれた。その後、あたしは、学校の図書館で世界地図の本を見て、スイスには「チューリッヒ州」という州があり、その州都が「チューリッヒ」というスイス最大の都市だということを知った。

ま、ここまではいいんだけど、とにかくその先生は、1回の授業で最低でも5回は「チューリッヒ」と言う上に、その発音が独特だった。文章で説明するのは難しいけど、最初の「チュー」が低くて、「リッ」だけを3音くらい高くしてヤタラと強調してから、最後の「ヒ」は息を吐きながら発音するのだ。そして、その「リッ」も、少し巻き舌みたいな感じで「ウリッ」て感じになる。あたしは、これがおかしくておかしくて、先生が「チューリッヒ」と言うたびに噴き出しそうになり、下を向いて肩を震わせながら必死に笑いをこらえていた。

当然、この先生の「チューリッヒ」はクラスで話題になり、2回目の音楽の授業が終わったころには、その先生のアダ名は「チューリッヒ先生」になっていた。そして、男子たちは先生のマネをして、巻き舌で「チューリッヒ」「チューリッヒ」と言い合ってゲラゲラと笑うようになった。音楽の授業のたびに、男子たちはチューリッヒ先生の「チューリッヒ」の数を数えるようになり、授業が終わって音楽室からクラスへ戻る廊下では、「今日は8回も言ったぞ!」「7回じゃなかったか?」なんて言い合うようになった。

あたしのクラスには、漫画を描くのが得意な男子がいたんだけど、休み時間に、その子が黒板にチューリッヒ先生の似顔絵を描いたことがあった。ちゃんと漫画の「ふきだし」があって、その中に「わたしがチューリッヒです」と書いてあって、校庭に行かずに教室に残っていたクラスメートたちは、みんなゲラゲラと笑っていたけど、あたしだけはそんなにおかしくなくて、普通に眺めていた。そしたら、別の男子が黒板のところへ行き、『おそ松くん』のハタ坊の旗みたいに、チューリッヒ先生の似顔絵の頭の上にチューリップの絵を描き足したのだ。あたしは、これが最高にツボにハマってしまい、お腹が痛くなるほど笑い転げてしまった。

そんなチューリッヒ先生だけど、あたしの場合は、先生の発音がおかしかっただけじゃなくて、そもそも「チューリッヒ」という言葉自体がおかしくてたまらなかったのだ。しばらく前に、電車の中で泣いている赤ちゃんを「いないいないば~」の動物バージョンで泣きやませた、という話を書いたけど、あたしは、この「いないいないば~」のように、最後の最後に「それまでとは違う動き」や「予定調和を裏切る結末」が飛び出すと、トタンにおかしくなってしまうのだ。

どういうことかと言うと、「チューリッヒ」という街があるなんて夢にも思っていなかった小学生のあたしにとって、「チューリッ」と来れば、当然、最後に来るのは「プ」であり、「プ」以外には考えられなかった。そして、予定通りに「プ」が来て「チューリップ」という言葉が完成することで、あたしの「予定」は「調和」していた。それなのに、「チューリッ」の次に「プ」じゃなくて「ヒ」が来るなんて、これほど「予定調和を裏切る結末」なんて他にはないだろう。

たとえば、「オリンピッ」と来れば、誰もが次に「ク」が来ると思うよね?それなのに、絶対に「ク」が来ると思っていたところに「ヒ」が来てみ?「オリンピッヒ」だなんて、自分で考えた例なのに、こうして文字にすると、おかしさが倍増してたまんない(笑) 「ビデオデッキ」だと思っていたら「ビデオデッヒ」、「チョコレート」だと思っていたら「チョコレーヒ」、最後の1文字が予想外だと、トタンにおかしくなる。もちろん、「オリンピッヒ」や「ビデオデッヒ」や「チョコレーヒ」なんて言葉はないけど、実際にある言葉や聞き慣れた言葉でも、予想外の使われ方をするとおかしくなっちゃう。

たとえば、「ジャイアント」という言葉は、聞き慣れているし、これだけ聞いてもぜんぜんおかしくない。だけど、これに「読売」を付けて「読売ジャイアント」にすると、トタンにおかしくなる。「読売ジャイアン」と来れば、誰もが最後は「ツ」が来ると思っているだろう。それなのに、「ツ」が来ると思って待ち構えていたら、ここに予想外の「ト」が来るなんて、これだけでトタンにおかしくなってしまう。逆に、「ジャイアンツ馬場」もおかしい。

そして、もっと不条理なのが、正しい言葉なのにおかしく感じてしまうパターンだ。たとえば、ずっと「アタッシュケース」だと思っていたのに、正しくは「アタッシェケース」だと知った時、どうしても正しい「アタッシェケース」のほうがおかしく感じてしまう。他にも、イタリアの高級ブランド「ヴェルサーチ」は、正しくは「ヴェルサーチェ」と言う。日本の正式な代理店のHPなどには、ちゃんとカタカナで「ヴェルサーチェ」と書かれている。だけど、一般的には「ヴェルサーチ」で通っているし、日常会話でもほとんどの人が「ヴェルサーチ」と言っているから、今さら「ヴェルサーチェ」が正しいと言われても、この正しいほうがおかしく感じてしまう。


‥‥そんなワケで、あたしの記憶が正しければ、あたしの小学校の音楽で習った楽器は、1年生と2年生の時がハーモニカとピアニカで、3年生と4年生の時がソプラノリコーダーで、5年生と6年生の時がアルトリコーダーだった。だから、チューリッヒ先生から教わったのはリコーダーなんだけど、あたしには人よりもリコーダーの才能があったみたいだ。最初にドレミを教わり、それから簡単な曲を何曲が習ったら、アッと言う間に何でも吹けるようになってしまったからだ。松田聖子ちゃんの『夏の扉』やマッチの『ギンギラギンにさりげなく』、イモ欽トリオの『ハイスクール・ララバイ』や寺尾聰さんの『ルビーの指輪』など、自分の知っている曲なら、どんな曲でも1回ですぐに吹くことができた。

あたしが3年生で初めて手にしたソプラノリコーダーは、口で吹く笛の部分と両手の指で穴を押さえる音階の部分とがスポッと抜けて、中を掃除することができたけど、この時、あたしは、多くの子どもがやるように、笛の部分だけを吹いてみた。笛の構造だから、この部分だけでも音は出るけど、音階がないから何かの曲を演奏することはできない。でも、いろいろとやっているうちに、あたしは、底の部分を左手の手のひらで押さえる方式を発見したのだ。笛の底の部分を手のひらでピッタリと塞いでから、端っこを少しだけ開けて吹くと音階が変わり、もう少し開けるとまた音階が変わる。この方式で、あたしは、笛の部分だけでも、ド、レ、ミくらいなら音階が出せるようになり、「ドレミ~レド、ドレミレドレ~」と、ラーメンのチャルメラが吹けるようになった。

そして、ヒマさえあれば笛の部分だけを吹いて遊んでいたら、ド、レ、ミ、ファ、ソくらいまで音階が出せるようになり、その間の半音も出せるようになり、童謡の『チューリップ』くらいなら吹けるようになった。こういうのって、できるようになると誰かに見せたくなるもので、次の音楽の授業がある日、あたしは、ランドセルの横っちょにリコーダーの袋を挿して、ワクワクしながら学校へ行った。そして、音楽の時間が来ると、あたしは誰よりも早く音楽室へ行き、誰もいない音楽室でソプラノリコーダーをスポッと抜いて、笛の部分だけを持って手のひらの開閉で音階を出して『チューリップ』を吹き始めた。なんか、自分からみんなに「聞いて、聞いて」と言うのが恥ずかしかったから、誰もいない音楽室で1人で吹いている時に、あとから来たクラスメートが気づく‥‥という、子どもながらに真剣に考えたコソクな演出だったのだ(笑)

だけど、あたしの書いたシナリオに反して、最初にあたしの演奏に気づいたのは、クラスメートじゃなくてチューリッヒ先生だった。まだ誰もクラスメートが来ないうちに、音楽室のピアノの隣りの奥のドアが開いて、チューリッヒ先生が顔を出したのだ。そして、「何をやっているんだ?」と言いながら、あたしに近づいて来た。あたしは反射的に「叱られる!」と思い、笛の部分を両手で隠した。だけど、あたしの机には、リコーダーの袋の上に音階の部分の筒だけが置いてある。

あたしの机の上を見たチューリッヒ先生は、あたしに向かって恐い顔をして、「お前は頭部管だけで『チューリップ』を吹いていたのか?」と言った。あたしは、「トウブカン」という言葉が分からなかったけど、大切なリコーダーを分解して遊んでいたことがバレたこと、そして、チューリッヒ先生が怒っていることは感じ取れた。それで、すぐに「ごめんなさい!」と謝った。すると、チューリッヒ先生は、「謝ることなんかない。頭部管だけで音階が出せるなんて素晴らしい才能だ。先生の前で、もう一度、吹いてみなさい」と言ったのだ。

あたしは、恐る恐る両手を開き、「トウブカン」に口を付けて、底の部分を左手の手のひらでピッタリと塞いでから、覚悟を決めて『チューリップ』を吹き始めた。膝がカクカクするほど緊張していたから、いつもより音程が安定しなかったけど、それでも吹いているうちに調子が出て来て、なかなか上手に吹くことができた。チューリッヒ先生は、笑顔で拍手をしてくださった。ハッと我に返って周りを見ると、もうクラスメートのほとんどが音楽室に来ていて、あたしに注目していた。そして、そのまま授業が始まったんだけど、この日は冒頭に5分ほど、チューリッヒ先生が黒板にリコーダーの絵を描き、それぞれの部品の役割などを説明してから、あたしの吹き方について仕組みを教えてくださった。

最初は、クラスのみんながチューリッヒ先生を笑いのネタにしていたし、あたしもクラスメートの描いた似顔絵を見て笑い転げていたけど、このことがあってから、あたしはチューリッヒ先生のことが大好きになった。何しろ、チューリッヒ先生の前で『チューリップ』を、それも「トウブカン」だけで吹いたのに、叱られるどころか褒められたからだ。そして、あたしは、ちゃんとしたソプラノリコーダーもきちんと練習して、どの課題曲も一生懸命に吹いていたら、通信簿の音楽で初めて「5」をいただくことができたのだ。


‥‥そんなワケで、5年生になったあたしは、それまでのソプラノリコーダーより立派なアルトリコーダーを習うことになった。このアルトリコーダーは3分割で、笛の部分の「頭部管」、音階の部分の「中部管」、最後の短い「足部管」に分かれていた。ソプラノリコーダーよりも全体的に太くて大きいから、穴をシッカリ押さえるのが大変だったけど、そりより何よりあたしが気になったのが、あたしの得意技、「トウブカン演奏」ができるかどうかだった。そして、すぐにやってみたら、太くなったぶん「頭部管」の底の穴も大きいから、ソプラノリコーダーよりも幅広い音階が出せたのだ。これまでの「トウブカン演奏」では、あたしは単純な童謡くらいしか吹けなかったけど、アルトリコーダーの「頭部管」を使うと、ちょっとした歌謡曲も吹けるようになった。このころのあたしは中森明菜ちゃんに夢中で、『少女A』はテンポが速いから、ちゃんとアルトリコーダーで吹かないと無理だったけど、テンポの遅い『セカンド・ラブ』なら、「頭部管」だけで普通に吹くことができた。もちろん、チューリッヒ先生の前で『セカンド・ラブ』の「トウブカン演奏」を披露する機会は卒業するまでなかったけど、誰よりも早く音楽室に行ったあたしが、1人で「トウブカン演奏」をして遊んでいても、奥のドアをガチャッと開けて顔を出したチューリッヒ先生は、あたしを叱ることなく、いつもやさしい笑顔だった‥‥なんてことを思い出した今日この頃なのだ♪


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