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2018.10.01

あたしの好きな食べ物、嫌いな食べ物

あたしは今まで、SNSのプロフィールとかに「好きな食べ物」を書く欄があると、だいたい「お蕎麦、お豆腐、お魚」と書いて来た。この「好きな食べ物」という設問て、人によって解釈が様々なので、人によっては「ハンバーグ、カレー、ラーメン」と回答する人もいる。もちろん、これでも何も問題はないと思うけど、あたしの解釈だと、これは「好きな料理の名前」だと思う。

「好きな料理」を聞かれたのなら、あたしだって、お蕎麦の中で一番好きな「盛り蕎麦」、お豆腐料理の中で一番好きな「湯豆腐」、お魚料理の中で一番好きな「焼き魚」と、もっと具体的に回答する。だけど、これが「好きな食べ物」という設問になれば、あたしは盛り蕎麦の他にもいろんなお蕎麦が好きだし、お豆腐料理も冷やっこから麻婆豆腐まで何でも好きだし、お魚料理も全般的に好きだから、ザックリと「お蕎麦、お豆腐、お魚」と回答する。

でも、「焼き魚」という回答にしたところで、まだまだ具体的じゃない。ひとくちに「焼き魚」と言っても、アジやサンマなどを1匹のまま塩焼きにしたものや、アユやヤマメなどの川魚に串を打って塩焼きにしたものだけじゃなく、塩ジャケの切り身を焼いたもの、サバの切り身の塩焼き、ブリの切り身の照り焼き、サワラの切り身の西京焼きなども「焼き魚」だし、アジのひらき、サバの文化干し、イワシのみりん干しなどを焼いたものも「焼き魚」に入る今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この「焼き魚」という回答は、具体的なようで具体的じゃない。でも、それを言うなら、「ハンバーグ、カレー、ラーメン」という答えも同じことなのだ。ハンバーグだってカレーだってたくさんの種類があるし、安いレトルト製品から高級レストランのメニューまでピンキリだ。そして、ベーシックな味のハンバーグやカレーだって、お店ごとに味が違う。ラーメンにしても、醤油、塩、味噌などの味の違いや、鶏ガラ、ニボシ、トンコツなどの出汁の違いもあるし、北海道から九州まで数えきれないほどのラーメンがある。その上、最近では、「つけ麺」や「まぜそば」までラーメンの一種としてカウントする傾向もあるから、それこそ、ひとくちに「ラーメン」と言っても千差万別だ。

だから、「好きな食べ物」や「好きな料理」を聞かれて「ラーメン」と答える人たちの多くは、基本的には「ラーメン全般」が好きなんだろうけど、もっと詳しく聞くと、どういうタイプのラーメンが好きで、特に好きなのがどこそこの何ラーメンだ、と回答すると思う。そして、あたしの「焼き魚」も、これと同じなのだ。

ただし、あたしの場合は、ほとんど外食をせず、1年365日の大半が自炊なので、どこそこのお店のどんな焼き魚が好きだ、というのはない。ここ何年かで食べた中では、長崎の五島列島の「サバの一風干し」が特に美味しかったけど、これにしても、あたしが自宅のお台所のガスで焼くよりも、ちゃんとした和食のお店とかで備長炭で焼けば、もっと美味しくなっていたと思う。あたしは、魚焼きグリルは使わずに、ガスコンロの両側にブロックを置いて、その上に網を二重にして置き、ガスの「強火の遠火」でお魚を焼き、できるだけ炭火に近くなるように工夫しているけど、それでも、本物の炭火には遠く及ばない。


‥‥そんなワケで、ラーメンの種類と同じくらい千差万別の焼き魚だけど、その頂点にドドンと横たわっているのが、あたしの大好物、「うなぎの蒲焼き」だ。ええ?それも焼き魚に入るの?‥‥って言われちゃいそうだけど、「うなぎ」は生物学的に完全に魚類だし、「蒸す」という工程が加わっていても「蒲焼き」と名づけられているのだから「焼く」が調理法のメインになので、これも完全に「焼き魚」の一種なのだ。少なくとも、「イカのポッポ焼き」や「サザエのつぼ焼き」よりは、確実に「焼き魚」の部類に入る。

だから、「好きな食べ物」に「お魚」と答えるあたしが、少し具体的に答えると「焼き魚」になり、さらに具体的に答えると「うなぎの蒲焼き」になり、「うなぎの蒲焼き」はご飯に乗っていないと意味がないので、「好きな料理」ということになれば「うな重」と答えることになる。実際、あたしは「うな重」が大好物で、最低でも1年に1回、最高で1年に2回、母さんのお誕生日とか「母の日」とかに、母さんと一緒に食べに行くのを楽しみにしているけど、1年に1回か2回しか食べられない高級料理を「好きな食べ物」や「好きな料理」として挙げるのもどうかと思っているので、ふだんは、もっと広範囲に「お魚」とか「焼き魚」とか答えているのだ。

ちなみに、この「うなぎ」に匹敵するくらい高価で、日常的に食べることのできない食べ物を3つ挙げるとしたら、あたしの大好きなものは、「うなぎ、松茸、数の子」だ。うな重は今でも1年に1~2回は食べているけど、松茸は10年以上も食べていないので、もはや「好き」とか「嫌い」とか言えるレベルじゃないかもしれないけど、その10年以上前に食べたのが、母さんと行った能登半島の先端にある高級な宿でいただいた「松茸づくし」で、これが人生で最高の美味しさだったので、今でも記憶に鮮明に残っている。

そして、3つ目の数の子は、何と言ってもコリコリとした食感が大好きだ。数の子も高級なものは何千円もするから高くて手が出ないけど、わさび漬けに数の子がちょっと入っているのとか、松前漬けに数の子がちょっと入っているのとか、スーパーで300円くらいで売られている小さいパックのものに半額シールが貼られていると、タマに買って来て晩酌のおつまみにしている。母さんも数の子が大好きなので、我が家のお正月に数の子は欠かせないけど、年末が近づいてスーパーに「おせち関連」が並ぶようになると値上がりするから、それより前に、端切れの安い数の子を買っておいて、お正月用に冷凍している。

塩漬けしてある立派な数の子なら、そのままの状態で日持ちがするし、自分の好みの塩加減に塩抜きするという楽しみもあるけど、そんな数の子は高くて手が出ない。あたしに買えるのは、細かくなった端切れの数の子が白醤油に漬けてある500円くらいの小さなパックとかなので、そのまま冷凍するしか保存方法がないのだ。

本来、数の子の美味しい食べ方は、塩漬けの立派な数の子を用意して、ほんの少しだけ塩味が残るように塩抜きをして、食べやすいサイズにちぎりながら小鉢に盛り付けて、オカカをかけてお醤油を垂らしていただく方式だ。あたしは、これに一味唐辛子を振るのが大好きで、日本酒なら、辛口の冷やから甘口のお燗まで何にでも合う。数の子は片面に裂け目みたいなのが等間隔に入っているから、あたしは、その裂け目までちょっとだけ口に入れて、コリコリと食べながら、お酒を飲む。これだと、小鉢ひとつでお酒が5合は行ける。


‥‥そんなワケで、日常的に食べている「好きな食べ物」だと「お蕎麦、お豆腐、お魚」ということになるあたしだけど、メッタに食べられない高級な「好きな食べ物」だと「うなぎ、松茸、数の子」ということになる。つまり、これは、世界三大珍味「フォアグラ、トリュフ、キャビア」の「きっこ版」みたいなものなのだ。よくよく考えてみたら、松茸はトリュフと同じで「香りを楽しむキノコ」だし、数の子はキャビアと同じで「魚の卵」なので、なかなか素晴らしいラインナップだと思う。

ちなみに、あたしは、この世界三大珍味がすべて嫌いで、自分から進んで食べることはない。まず、フォアグラは動物を虐待して生産している食材なので食べる以前にNGだし、食べる気にもならない。昔のテレビ番組『料理の鉄人』のレギュラーだった有名なシェフがオーナーをつとめるフレンチレストランで一度だけ食べたことはあるけど、ぜんぜん美味しいと感じなかった。同じ肝臓なら、アンコウの肝をポン酢でいただいたほうが遥かに美味しい。また、トリュフも、そのレストランで、目の前でお料理の上から削って振りかけるというパフォーマンスをしてくれたけど、特に何の味も香りもしなかった。そして、キャビアも、小さなスプーン一杯で何千円だという最高級のものをいただいたことがあるけど、生臭いだけで、「とびっ子」のほうが格段に美味しいと思った。

でも、別に「嫌い」とか「食べられない」とかじゃないので、自分でお金を払って食べるのはマッピラゴメンだけど、どれも自分から進んで食べることがないというだけで、出されれば食べる。みんなで手を伸ばす大皿料理だったら、あたしは手を伸ばさないけど、コース料理の一品として出て来たら、あたしは食べ物を残すのが嫌いなので、ガマンして食べる。だけど、そんなあたしでも、どんなに無理をしても絶対に食べられないものがある。それが、「イナゴの佃煮、パクチー、ホヤ」だ。

東京は佃煮の本場なので、あたしが物心ついた時から我が家の食卓にはいろんな佃煮が並んでいたけど、おばあちゃんが買って来た「イナゴの佃煮」を初めて見た時、あたしは、気絶しそうになった。だって、どこからどう見ても空地の原っぱにいるバッタだったからだ。おばあちゃんも母さんも普通に食べていたので、あたしも勇気を出して、お箸でつまんで観察してみた。そしたら、お腹のしましま模様がハッキリと確認できた時点で、完全に無理になってしまった。

あたしの通学路には途中に空き地があって、そこの原っぱにバッタがたくさんいた。下校の時、同じ方向に帰るクラスメートが何人かいたんだけど、男の子たちは、よくバッタを捕まえていた。そんな中、1人の男の子がバッタを捕まえて来て、「よく見ててみ」と言って、親指と人差し指でバッタのお腹を強く潰すと、お尻の先から変な色の汁みたいなのが出て来たのだ。あたしともう1人の女の子は「キャー!」と叫んで逃げ出した。すると、その男の子が、そのバッタをあたしに投げつけたのだ。もう、何カ月も経って忘れ欠けていたのに、「イナゴの佃煮」のお腹のしましま模様を見た瞬間、あたしの脳裏にはその時のバッタの恐怖が蘇り、「イナゴの佃煮」をお箸で持ったまま、あたしは完全にフリーズしてしまった。そして、35年以上が過ぎた今も、まだお腹のしましま模様が恐くて食べられないのだ。

そして、続いての「パクチー」にも、あたしには同じような理由がある。ここ数年、特に若い女性を中心にパクチーの人気が高まり、パクチーの専門料理店ができたり、食品メーカーも持ち運びができるチューブタイプのパクチーを売り出したりしているけど、あたしにはトラウマがあるのだ。これまた小学校の低学年の時、当時のあたしは普通に虫を手で持つことができたので、男の子たちと一緒に虫獲りをすることもあった。

そんなある日、登校中の通学路に面した誰かのお家のブロック塀に、黄緑色の可愛らしい虫がとまっていたので、あたしは「おおっ!」と思って素手で捕まえ、握りつぶさないように気をつけて手の中に持ったまま、学校へ向かった。学校が近づくとお友だちの数も増え、仲良しの女の子もいたので、あたしはその子に「可愛い虫を捕まえたよ」と言って、そっと手をひらいて見せた。すると、その子はビックリした顔をして、「きっこちゃん!それ、カメムシだよ!すごく臭い虫だよ!早く捨てないと!」と言った。

でも、時すでに遅し。一瞬、指先で触っただけでも大変なことになるのに、何も知らなかったあたしは、このカメムシを手の中にずっと握っていたのだ。カメムシを草むらに逃がしてから手の匂いを嗅いでみると、鼻が曲がりそうなほど臭い独特の匂いで、石鹸で何度も何度も手を洗っても匂いはぜんぜん落ちず、その日から1週間、あたしはずっと臭い手のまま生活することになった。しかも、カメムシを握っていたのは利き手の右手だったため、顔を洗う時は左手だけで洗ったけど、鉛筆を持つのもお箸を持つのも臭いほうの手なので、もう泣きたくなった。

そして、時が流れて20歳になったあたしは、当時、流行していた「無国籍居酒屋」で、初めて「パクチー」と出会った。スープにも、サラダにも、炒め物にも使われている緑色の葉っぱ、あたしは三つ葉だと思って、何も考えずに口に入れたんだけど、口の中から鼻へ抜ける匂いが完全にカメムシの悪臭で、あたしは何か腐ったものでも食べてしまったか、それともお料理の中にカメムシが混じっていたのかと思い、急いでトイレへ走って吐き出した。でも、それが「パクチー」という名の大迷惑な香草だったのだ。

あたしがトラウマになっている世界で最も大嫌いな匂い、カメムシの匂いとソックリの植物が世の中にあっただなんて‥‥。そして、こともあろうに、そんな恐ろしい物が「食材」として流通していただなんて‥‥。あまりにも衝撃を受けたあたしは、帰宅してから「パクチー」のことをいろいろと調べてみたら、ナナナナナント!「パクチー」の日本名は「カメムシ草」だった!その上、たまたま偶然に似たような匂いをしているワケじゃなくて、パクチーの匂いの成分はカメムシの匂いの成分とまったく同じものだったのだ!ようするに、成分的に言えば、「パクチー」を食べるということは「カメムシを食べる」ということと同じなのだ!こんなもん、罰ゲームでも食えるか!

そして、最後の「ホヤ」、これだけは、まだ発展途上だ。あたしは、見た目が気持ち悪くて子どものころから食べられなかったものに「ナマコ」があるんだけど、大人になってお酒を飲むようになったら食べられるようになった。そして、同じく見た目が気持ち悪くて食べられなかった「ホヤ」にもチャレンジしてみたんだけど、こっちは、ほろ苦さや歯応えはOKでも、独特の変な生臭い匂いが無理だった。だけど、「ホヤが好き」という人たちに「あの独特の匂いが苦手」と言うと、たいていの人は「それは食べたホヤが良くないものだったんだよ。産地まで行って新鮮なホヤを食べると好きになるよ」と言われる。


‥‥そんなワケで、あたしは、この「ホヤ」に関しては、今は嫌いだけど、もしかしたら、今後、好きになるかもしれない。でも、「イナゴの佃煮」と「パクチー」に関しては、死ぬまで大嫌いのままだと思う。もしも地球上に「イナゴの佃煮」と「パクチー」しか食べ物がない状態になったとしたら、あたしは迷わず餓死を選ぶ。それほど大嫌いなのだ。「三つ子の魂、百まで」じゃないけど、幼いころのトラウマは、何十年経っても脳裏から消えないからだ。ま、「イナゴの佃煮」に限らず、長野では「ハチの子」を食べるし、他にも「セミ」を食べる地域もあるし、渓流釣りのエサの川虫を佃煮にする地域もあるし、日本には各地にいろんな虫料理があるけど、あたしは、他に普通の食べ物があるのにも関わらず、虫なんかを食べる人たちの感覚が理解できない。そして、「植物界のカメムシ」であるパクチーなんかを食べる人たちの感覚も理解できない。だから、あたしは、これからも、虫とパクチーだけは死ぬまで食べないと思う今日この頃なのだ。


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