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2021.01.01

明けましておめでとうございます♪

皆さま、明けましておめでとうございます♪

今年も「歳旦三つ物」を詠みました。


歳旦三つ物

丑紅をくつきり引くや初鏡
小松菜およぐ東京雑煮
揚ひばり空に平和を描くらん

きっこ


俳句では本来、自分の句を自分で解説することは野暮なのでNGなのですが、俳句を勉強していないと意味の分からない言葉や言い回しもありますので、今年も簡単に説明させていただきます。

まず、最初の五七五の発句の「丑紅(うしべに)」は、寒中の丑の日に売り出される口紅のことです。江戸時代、寒中は水に不純物が少ないため、この時期に作られた口紅は「寒紅(かんべに)」と呼ばれ、唇や口中の荒れを防ぐ薬効もあるとして重宝されました。中でも丑の日に売り出される「寒中丑紅」は、買った人には小さな牛の置物がプレゼントされていました。この牛の置物は、手で撫でると「健康で美しくなる」、赤い座布団にのせて神棚に飾ると「その一年、着物に不自由しない」という御利益があったため、江戸の女性たちは、こぞって丑紅を買いに走ったのです。

あたしは、この江戸の風習にならって、今でも寒中には丑の日に口紅を買うことにしています。現代の街のコスメショップで口紅を買っても牛の置物は貰えませんが、気分だけでもずいぶんと違うのです。この「丑紅」は冬の季語ですが、年が明けて初めてドレッサーを使う「初鏡(はつかがみ)」という新年の季語と重ねることで、こちらが主季語となり、お元日の句となるのです。


二番目の七七の「脇」の句は、東京の「お雑煮」を詠みました。お正月のお雑煮は「東は角餅、西は丸餅」「東は醤油仕立て、西は白味噌仕立て」などと言われていますが、例外も数多くありますし、それぞれの地方によって特色があります。お正月の食べ物ということで、たいていはいろいろな具材が入った見た目にも豪華なお椀ですが、東京だけは違います。あたしが子どもの頃から食べて来た東京の伝統的なお雑煮は、具材が小松菜だけなのです。

鰹出汁の醤油仕立てで、具材は食べやすい大きさにカットした小松菜が浮かんでいるだけ。そこに焼いた角餅をジュッと入れたら完成です。場合によっては、彩りとして銀杏(いちょう)に切った人参を加えたり、香りとして柚子の皮を浮かべたりしますが、基本は小松菜だけのシンプルなもので、全国各地のゴージャスなお雑煮とは一線を画しています。

江戸には、幕府による「贅沢禁止令」の影響もあり、着物の裏地など「見えないところに金を掛けるのが粋」という風俗があり、それが裏返って「見えるところに金を掛けるのは野暮」という風潮が生まれました。このシンプル過ぎるお雑煮も、そんな江戸の風俗から生まれたのだと思います。あたしの父さんは五代東京、母さんんは三代東京なので、父さんも母さんも子どもの頃から小松菜だけのお雑煮を食べて来ました。そして、子どものあたしも同じものを食べて来たのです。


最後の五七五の「第三」は、発句と脇から大きく飛躍した春の句です。発句と脇が「新年のおめでたい景」を詠むのに対して、第三は「春の希望」を詠む決まりです。昨年は「新型コロナ一色」の一年でしたし、政府の後手後手の対応によって、収束どころか感染が拡大し続ける中で新年を迎えることになってしまいました。アメリカの研究機関は、昨年夏の時点で「完全に収束するまでに少なくとも二、三年」との予測を発表していますので、あたしは、今年は昨年以上に厳しい一年になると覚悟しています。

しかし、年頭の「歳旦三つ物」くらいは「希望」を詠みたいので、春の野から高く飛び立ち、空から歌声を聞かせてくれる雲雀(ひばり)を意味する「揚雲雀(あげひばり)」という季語を用いました。そして「ひばり」を仮名にして、その後に「空」という漢字を続けることで、美空ひばりさんがイメージされるように詠みました。

あたしのおばあちゃんは、夫を戦争に取られ、生まれたばかりの母さんを抱いて東京大空襲の中を逃げ回りました。当時、八歳だった美空ひばりさんは、お父さまを戦争に取られ、残されたお母さまがひばりさんと幼い兄弟四人を連れて、横浜大空襲の中を逃げ回ったといいます。そんなひばりさんは、昭和四十九年(1974年)八月九日に開催された「第一回広島平和音楽祭」で、平和を願う名曲『一本の鉛筆』を初披露しました。


一本の鉛筆があれば 私はあなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば 戦争はいやと書く 
一枚のザラ紙があれば 子どもがほしいと書く 
一枚のザラ紙があれば あなたを返してと私は書く 
一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く 
一本の鉛筆があれば 人間の命と書く


この日、早くから会場入りしていたひばりさんは、冷房のない広島体育館の用具置き場のような狭い場所でスタンバイしていました。あまりの暑さに広島テレビのディレクターが気を使って「ここは暑いですから冷房がある別棟でお待ちください」と声を掛けると、ひばりさんは遠くを見るような目で「あの時、広島の人たちは、もっと熱かったのでしょうね‥‥」とつぶやいたそうです。

松山善三作詞、佐藤勝作曲の『一本の鉛筆』は、会場の広島体育館に詰めかけた多くの人々の涙を誘ったと言います。そして、二カ月後にリリースされたシングルレコードのB面には、同じ作詞家、作曲家による『8月5日の夜だった』が収められました。こちらの歌は、原爆投下前夜の八月五日に、翌朝すべてが焼かれてしまうことなど知らずに、広島の橋のたもとで愛する彼氏との幸せな将来を夢見ている若い女性を描いています。


さて、「戦争」と「パンデミック」は違いますが、今回の新型コロナの国別、地域別の対策と状況を比較してみると、こと対策においては「パンデミック」にも「戦争」と同じく人災の一面があることが分かります。あたしが最も危惧しているのが、昨年10月からの「自殺者の急増」です。日本の自殺者は、昨年10月には前年同月比で40%増、若い女性だけを見ると80%以上も増加してしまいました。この多くは、新型コロナによって仕事を失い、生活が困窮し、誰にも相談できずに自死の道を選んでしまった人たちと見られており、新聞各紙も「コロナ自殺」と報じました。

新型コロナの感染の抑制や重症者の治療などは、有効なワクチンの普及や特効薬の開発を待つしかありません。一方、増加し続ける「コロナ自殺」などの間接的な犠牲者については、政治の力で救うことができます。政府が正しい支援を行うことで、確実に命を救うことができるのです。しかし、残念ながら、今も有効な支援策は講じられていません。この一年、政府が次々と講じて来た数々の対策は、どれも国民目線とは大きく乖離したものばかりで、唯一、生活困窮者の役に立ったのは、野党が強く要求した特別給付金の十万円だけでした。

政府は新型コロナ対策に莫大な予算を割いているのに、支援が必要な国民のもとにはほとんど届いていない現状。何故、このようなことになってしまったのでしょうか? それは、政権与党の議員たちに国民目線が欠落しているからです。他人の痛みを自分の痛みとして感じる思いやりの心が欠如しているからです。今の政府には、美空ひばりさんが真夏の体育館の用具置き場で言った「あの時、広島の人たちは、もっと熱かったのでしょうね‥‥」という言葉、この気持ちが決定的に足りないのです。

こうした現状を踏まえて詠んだのが、最後の五七五の「第三」の句です。春の野から空高く飛び立った揚雲雀の歌声を聞き、この国の為政者ひとりひとりが政治を志した初心に立ち返ってくれることを望みます。そして「富裕層から多く取り貧困層を手厚く支援する」という本来の「正しい税金の再分配」を行なってくれることを望みます。何故なら、まだまだ続くであろう新型コロナ禍においては、それこそが政治にできる最大の人命救済だからです。


‥‥そんなわけで、あたしは、今年も今まで通りに、社会的弱者、社会的マイノリティーの立場と視点を大切にして、あたしなりに「ハチドリの一雫」を垂らし続けて行く所存です。今は『きっこのブログ』は開店休業中で、『きっこのメルマガ』での発信しか行なっていませんが、皆さん、今年も一年、よろしくお願いいたします♪


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